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山本嘉次郎「春の戯れ」高峰秀子宇野重吉徳川夢声三島雅夫江川宇礼雄飯田蝶子

いやアこれは凄いっ! 49年、映画芸術協会=新東宝、配給・東宝。
e0178641_22503649.jpg 阿佐ヶ谷にて「松山善三・高峰秀子?夫婦で歩んだ映画人生」特集。
 いや、映画はとうの昔にフィルムセンターで見たのだけれど、ネットに挙がっているポスターがすごい。
 このイラスト、なんとも、いまでも通用するようなレヴェル。約70年前とは、信じられない。
 新東宝映画としても、東宝映画としても、珍しい
 わたせせいぞうのバッタものといっても、可笑しくない。イラストレーターは誰だ。
 ただしタイトルの「戯」のロゴが、なんだかすかすかしていて、気持ちよくないな。

春の戯れ (ラピュタ阿佐ヶ谷HPより)
1949年(S24)/映画芸術協会、新東宝/白黒/108分 ○東京国立近代美術館フィルムセンター所蔵作品c国際放映
■監督・脚本:山本嘉次郎/撮影:山崎一雄/美術:松山崇/音楽:早坂文雄
■出演:高峰秀子、宇野重吉、徳川夢声、三島雅夫、江川宇礼雄、飯田蝶子、鳥羽陽之助、一の宮あつ子
海の彼方に憧れて恋をふりきり船出する若者と、彼との想い出を胸にしまい商家の旦那に嫁ぐ娘──。マルセル・パニョルの名作『マリウス』を翻案した港町ロマン。ファニー役お花を高峰秀子が好演し、大人の女優として太鼓判を押された。

e0178641_2254167.jpg このポスターのモデル?となった、いつもは痩せているウノジュウだが、このスチールでは、ほほぷっくりのウノジュウ(笑)。

★Movie Walker★に、タイトル検索で詳細な作品情報あり。簡単な作品解説、あらすじ紹介(企画書レヴェルの初期情報の孫引きゆえ、しばしば実際とは違うが)。

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by mukashinoeiga | 2017-03-26 22:54 | 旧作日本映画感想文 | Trackback | Comments(4)

「東京物語」またまた指田文夫さんの珍論

大衆文化評論家指田文夫の「さすらい日乗」というブログをたまたまのぞいたら、「日本映画学会第12回大会」という記事があって、その一部に仰天した(笑)。以下一部を抜粋引用する。

e0178641_982320.jpg新潟大学の羽鳥隆英さんの「淡島千景資料」を使用しての五社協定下の俳優の動きは、非常に興味深い発表で、東宝の池部良、松竹の佐田啓二らが、会社を超えて俳優のつながりを作り出そうとしていたことが淡島千景さんの資料から実証された。
私もまったく同意で、戦後の独立プロ運動が、東宝を出た左翼独立プロから、1960年代の大島渚らの松竹脱退組のみで語られるのは不満で、いろいろな動きがあったことはもっと研究されるべきことだと思う。
昼食後は、小津安二郎についてが2本あり、相変わらずの小津人気の高さを知らされた。
京都大学の伊藤弘了さんは、小津作品の小道具や部屋の絵画等を手配していた北川靖記の役割についてのもので、小津の広い人脈が改めてよくわかった。
一橋大学の政清健介さんのは、『東京物語』における引き戸の音の処理についてで、大坂志郎の場面への入りの扱いが特別だったことが協調されていた。それは私の考えでは、小津は大坂志郎が嫌いで、そうしたのではないかと思った。
もし、小津が大坂が嫌いでなければ、原節子は次男の死の後、三男の大坂と結婚したはずだったからである。
戦後、男が戦争で死んだときは、その兄弟、多くは弟と再婚したものだったからである。それは、農家等では財産を家で保持するという意味も大きかったと思う。(以上引用終わり、文字変色は引用者)


 相変わらず指田さん独特の根拠不明な断定調が、ひどい(笑)。
 戦前から一貫して、家制度の崩壊を描いた小津が、仮に大坂志郎が大好きだったとして、ハラセツと夫の弟の結婚を描くはずもない。
 小津の基本姿勢は、家族が増える結婚は許さない、ということであり、現に笠智衆は、ハラセツにほかの男との再婚を促して、家族を減らそうと努力しているのだ。
 しかも、笠智衆の息子・娘は、より近代的なミニマムな家族構成を志向しつつあるのであり、指田さんいうところの「農家等」の発想とは、まさに真逆な立ち位置だろう。

 妄想も極まれり、というところか。

 なおついでに読んだ同ブログ、『「小川宏ショー」に出た兄』もまた、意味不明の珍文である。短いので全文を引用する。

アナウンサーの小川宏が亡くなったそうだが、その人気コーナーのご対面に私の兄が出たことがある。
相手は女優の高峰秀子で、彼女の小学校時代の「恩師」が私の父・指田貞吉で、1960年に死んでいるので、その代わりで当時20代の兄が出たのである。
私は家で、8ミリカメラで撮影したので、そのフィルムは今でもあるはずだが。
私たちの父が彼女の小学校時代の「恩師」であったことは、彼女の自叙伝『私の渡世日記』に書かれていて、少々褒めすぎのように私たちには思えるが、彼女のような大女優に記憶されているのは、勿論うれしいことである。
高峰秀子は、恐らく日本映画史最高の女優の一人だと思うが、このブログでも彼女のことに触れないのは、その性である。

 たったこれだけの理由で、「恐らく日本映画史最高の女優の一人」に「このブログでも彼女のことに触れない」のは、常人には理解できないクレイジーさだと、私は、思います(笑)。異常なまでの自意識過剰、以外には、わたくしの凡庸な頭では、理解できない(笑)。

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by mukashinoeiga | 2016-12-07 09:10 | 小津安二郎映画の正体小津漬の味 | Trackback | Comments(3)

石田民三「花つみ日記」高峰秀子

愛らしい佳作。39年、東宝京都。神保町にて「吉屋信子と林芙美子 女流作家の時代」特集。
e0178641_10585955.jpg 時代劇専門の、戦前東宝京撮(それ自体が、現代の名画座界隈では珍しいが)の、さらに珍しい現代劇、その味わい。京撮での石田民三の現代劇(明治、大正、昭和を含めての)の、絶対ヒット率。

 特に、冒頭の校庭集団清掃ミュージカル(笑)、中盤の、登山電車車中のデコちゃんと、ハイキング中の清水美佐子の別空間での同時唱和シーンの、甘美さよ。

 むろん戦前派の石田民三ゆえ、5本程度の残存作を見ているだけの、ぼくがいうのもおこがましいが、とにかく見た映画がすべて素晴らしい。
 本作も含め、上映されるたびに何度も何度も見ているが、けっして傑作を作ろうなどという野心さらさらなく、ただただ女の子の心情に寄り添っていく。
 戦前版大林宣彦というと、やや誤解を招くが(笑)、戦前日本映画唯一無二のガールズムーヴィー作家なのだ。
 ちなみに当ブログタイトル「昔の映画を見ています」は、小林旭「昔の名前で出ています」の丸パクリと、思われていよう(笑)、しかし「昔の映画」という部分は、石田民三「むかしの歌」(1939年東宝)が、意識されたうえでのネーミングでして(笑)
 なお製作に青柳信雄、進行主任?制作主任?に、市川崑。
 市川崑はのちに、高峰秀子の家に下宿することになる。とはいえ、下宿代は、取らなかったのでは、ないか。
 ちなみに青柳信雄も、戦前戦後ともに、監督やったり製作やったり、なかなか融通無碍、誰かこの人にインタヴューした人、いないのか。面白そうじゃん。

e0178641_1055298.jpg1. 花つみ日記 (神保町シアターHPより)
S14('39)/東宝京都/白黒/スタンダード/1時間13分
■監督:石田民三■原作:吉屋信子『天国と舞妓』■脚本:鈴木紀子■撮影:山崎一雄■音楽:鈴木静一■装置:河東安英■出演:高峰秀子、清水美佐子、葦原邦子、林喜美子、進藤英太郎、三條利喜枝
人気雑誌「少女の友」で連載された少女小説の映画化。大阪を舞台に、運命に翻弄される花街の娘を15歳の高峰秀子が鮮烈に演じる。思春期の揺れ動く少女たちの機微を描く、少女映画の金字塔。

 いかにも吉屋信子原作らしい、女学生の友情物語。
 当時の女学生言葉でいえば、エスがかった、いわば疑似恋愛めいた感情が、東京からの転校生・清水美佐子や、憧れの教師・葦原邦子に対して、高峰秀子には、ある。
 リアルハイティーン、デコちゃんの、繊細な演技のすばらしさ。
 延々と長回しで、デコちゃんのアップをとらえる。
 とくに自宅で葦原邦子がピアノ弾きつつ歌唱する中、葦原ではなくて、聞いている高峰の、アップの長回し、このアップの長回しに耐えきれないのは素人で、デコちゃんは少女俳優ながら、立派に、耐えている。
 そして、東宝制作側も、デコちゃんを、ちゃんとしたスタア女優として、認めている。その証の、長回し。
 たとえば、清水美佐子なら、この長回しのアップに、耐えきれるか。ここら辺がスタアと、ぽっと出の少女俳優の、差かしらん。

 ただし、デコちゃん演技には、ある種のゴージャスさがあり、石田民三が望んだ儚さは、彼女の分厚い演技に、阻まれた感が、強い(笑)。
 高峰秀子の個性は、ティーンであっても、ある種ふてぶてしいまでの存在感であり、儚さ絶対主義?の石田民三とは、やや水と油。
 むしろ吉屋信子(特に戦後の、ある種ふてぶてしくなった)とは、合うのかもしれないが、戦後は吉屋原作映画には、デコちゃん、あんまり出ていない印象。
 葦原邦子は、宝塚女優にして、かの中原淳一の妻。その彼女が、少女たち憧れの女教師。うーむ、絵に描いたようだ。
 清水美佐子、その儚さ。なんだか後年の清水美沙に、似ているかもしれないのは、たぶん、気のせいだろう。
e0178641_10555639.jpg 京撮だから言うわけじゃないが、なんだか三流時代劇女優みたいな、御舟京子という芸名で、本作がデヴューの加藤治子、高峰、清水のフォロワーめいた四人組の、ひとり。今回初めて、確認、このスチールの右からふたり目か。
 のちに根拠不明の超絶お色気で鳴らした彼女も、ティーンの脇とあって、個性は、ない。

 そして戦災で焼失した大阪の情景(な、割には、大阪弁は少ないが)。
 大阪の方らしい、あるブログから無断引用するが、

映画の後にトークショーがあって、ゲストの評論家さんが「この作品の舞台になった場所を知ってたら教えてほしい」と客席に問うたところ、挙手多数でどんどん場所が判明しておもしろかった。中にはこのロケを見学したというご夫人もいて、さすが地元と思わせる。
例えばそのご夫人がロケに使われた学校は「ウィルミナ女学院(現:大阪女学院)」というところだとおっしゃったのを受けて、別のおじさんが「ロケはウィルミナだが、設定は帝塚山女学院(バス通学でちょっと田舎の方という絵だったので)で、いわゆるええしのお嬢さんが通う学校だ」とおっしゃる。
高峰秀子の家はどこそこのお茶屋で、でも踊りやらお稽古しているシーンはどこそこの店で撮ってる、など細かい指摘も。 他にもあの橋は何で、あそこは何でと大方判明して、評論家の先生もご満足。高齢の人が多いのでみんな口々にしゃべってて、おもしろかった。
場所の解読は、風景が変わってしまった今となっては、当時の人が生きているうちにしかできないことなので、作品について論じるより重要な研究だと、その先生はおっしゃった。落語と一緒やね。
こういう地元を舞台にした映画は単にそのストーリーを追うだけでなく、知っている場所を見てはあれはあそこだと思う楽しみ方もある。現代の我々には知らない世界だけど、知ってる世界でもある、そんなちょっと既視感も楽しかった。(以上引用終わり)

 デコちゃんは、のちの成瀬「流れる」で、やはり芸者置屋の娘、いっぺん芸者に出たが、水商売の水には合わず、素人に直った役。
 その成瀬の盟友・石田は、映画監督を引退した後は、茶屋の亭主で、悠々自適。本人としては、女性に囲まれてご満悦だろうが、戦後も成瀬並みに活躍してほしかった。

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by mukashinoeiga | 2016-10-09 10:59 | 傑作・快作の森 | Trackback | Comments(4)

千葉泰樹「慶安秘帖」萩原遼「その前夜」

 京橋にて。「映画監督 千葉泰樹Yasuki Chiba Retrospective」特集。52年、東宝。
 阿佐ヶ谷にて。「日本映画の至宝 加東大介 The Great Actor」特集。39年、東宝。
 この二作は共通点がある。
 由井正雪事変や、池田屋騒動を、その周辺の人物の目線で描く。サイドストーリーものといっていいのか、スピンオフものといっていいのか。
 この手法は、作者の遊び心を誘うのか。現在放送中のNHK大河「花燃ゆ」も、<偉人の妹>が主役。もっとも若くしてなくなった吉田松陰では、一年持たないという、なおかつ説教くさくなる、という、非・遊び心ゆえかな(笑)。
 この種の映画の最高傑作は、この二月にラピュタ阿佐ヶ谷で上映される石田民三「花ちりぬ」だろうか。必見。
 京都幕末の尊皇攘夷の志士たちの、活躍を、御茶屋の舞妓たちの目線で、描ききった。志士ら、男たちは、すべて画面オフからの声のみ、姿を見せない。
 だから登場するのは、すべて女性、少女のみで、幕末の騒動を描ききった。
 究極の女性目線の映画だろう。さすが、戦前ただひとりの、ガールズ・ムーヴィー巨匠というべき石田民三ならでは。 
 主役抜きで、時代の脇役たちだけで構成した、この空前絶後の実験性もすばらしいが、さらにすばらしいのは、映画そのものの、コク。カメラのパンニングの素晴らしさに、ただただため息。
 繰り返すが、必見である。
 この傑作に、次の二作が劣るのは、致し方ない。

慶安秘帖 (106分・35mm・白黒) <フィルムセンターHPより>
歌舞伎の「慶安太平記」で知られる、由井正雪や丸橋忠弥らによる幕府転覆未遂事件を背景に、武士としての生き方に迷う青年・假谷三郎(大谷)と彼を愛する娘・小藤(島崎)の葛藤を描く。武士道否定をテーマにした戦後の「新解釈時代劇」の流れを汲む作品の1つで、千葉にとっては戦前の『幡随院長兵衛』(1940)以来の時代劇。
1952(東宝)(監)千葉泰樹(脚)棚田吾郎、吉田二三夫(撮)山田一夫(美)北辰雄(音)飯田信夫(出)大谷友右衞門、島崎雪子、市川段四郎、村田知英子、山村聰、淸川荘司、藤原釜足、小川虎之助、菅井一郎、淸水將夫、鳥羽陽之助、上田吉二郎

 とはいえ、島崎雪子のすばらしさは、どうだ。現代劇でも良し、時代劇でも・・・・若干アイドル的な甘さはあるが、それもよいので。大谷友右衞門というのは、いつ見てもコクがない主演俳優だが、それを補って余りある。
 ただし、千葉ちゃんは悲恋モノは、やはりイマイチ。

「木屋町三條」より その前夜 <ラピュタ阿佐ヶ谷HPより>
1939年(S14)/東宝映画/白黒/86分 ○東京国立近代美術館フィルムセンター所蔵作品
■監督:萩原遼/原案:山中貞雄/脚本:梶原金八/撮影:河崎喜久三/美術:河東安英/音楽:太田忠
■出演:河原崎長十郎、山田五十鈴、中村翫右衛門、高峰秀子、瀬川菊之丞、千葉早智子、清川玉枝、助高屋助蔵
幕末の京都で起こった新選組の池田屋襲撃事件を、斜向いの旅館・大原屋の人々の視点で描いていく。原案は山中貞雄。脚本には鳴滝組の共同ペンネーム「梶原金八」とクレジットされ、山中の追悼映画として公開された。

 こちらの主役の画伯・河原崎長十郎も、映画的には、面白くない。同じくアイドル女優だった千葉早智子も、島崎と違い、時代劇では勝手が違ったのか、輝かない。高峰秀子は、時代劇でもアイドル性を保っている。
 特集由来の加東大介は、新撰組の、下っ端では偉いほうの役だが、さすが目立っている。
 萩原遼演出は、しまりなく、山中貞雄の比ではない。
 サイドストーリーの、スタイリッシュ性にもかけている。幕末の志士たちに、そこはかとなく左翼臭を漂わせているのが、イタい。

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by mukashinoeiga | 2015-01-20 10:35 | 千葉泰樹 ヤスキ節の愉しさ | Trackback | Comments(0)

キネ旬歴史的大誤植(笑)

 フィルムセンターの合間に本屋に。そこで、トンでも誤植発見。
「オールタイム・ベスト映画遺産 日本映画男優・女優100 」(キネマ旬報ムック)の表紙に、そのタイトルとは正反対の、
「私の好きな外国映画男優・女優ランキング発表」の字が(笑)。
 表紙に。表紙の誤植ですぜダンナ(笑)。

★Amazon.co.jp: オールタイム・ベスト映画遺産 日本映画男優・女優100 (キネマ旬報ムック): 本★
(画像を確認できるはず)

 これは、たぶん、本誌の前に発売している外国篇の「オールタイム・ベスト映画遺産 外国映画男優・女優100」を、そのままコピペしたものを、キネ旬校正がスルーしてしまったものかと。
 いやあ(笑)。まあ、たかが映画雑誌ですから、歴史的というのは大げさかもしれませんが。

 そもそもキネ旬のこの手の企画は何度目か。この手の企画自体が、過去に映画会社からただでもらったスチールなどに、独自撮影を加味した、一枚で何度もおいしいコピペ企画ともいえる。
 コピペは便利だが、典型的なコピペのワナ。   うーん。ぼくたちも気を付けなくちゃ(笑)。

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by mukashinoeiga | 2014-12-25 22:08 | うわごと | Trackback | Comments(0)

野村芳太郎「張込み」大木実高峰秀子田村高広宮口精二山本和子小田切みき清水将夫菅井きん

 渋谷にて。「野村芳太郎監督特集」。58年、松竹。
 同時上映ゆえの再見。最初は、冒頭アバンタイトルだけ見て退出するつもりだつたが、ついつい最後まで見ちゃいました。やはり面白い。

松竹映画「張込み」 の長~い導入部  国鉄SLで長旅渋いね

e0178641_19253896.jpg この動画は画質が悪く、しかもシネスコ画面を(いにしえの)TVサイズに改変。元素材は、かつての地上波放映の録画か、むしろ初期の松竹ヴィデオのサイズ改悪版か。
 日本映画では珍しい長いアバンタイトル、しかも面白い本作の雰囲気は、垣間見れよう。
 渋谷上映では、車内扇風機に「日本国有鉄道」の文字が読み取れた。逆に佐賀署で見せたふたりの名刺が読みにくかったのは、不思議。
 冷房がない盛夏のため、下着姿の男たち。大木実は、ランニングシャツが似合い、宮口精二はステテコが似合う。いまどき車内冷房がなかったら死ぬが(笑)見ている分には風情があって、こちらのほうが楽しい(笑)。
 冷えた缶ビールの車内・停車駅での供給は、当時まだ普及はしていなかったので、宮口精二は「酒!」と、頼まざるを得ない。佐賀の旅館で出されたお茶もホットだろう。それともさすがに麦茶か。
日本国内でも、博多まで行くと「異国情緒」になっていた時代。
 佐賀署訪問を終えたふたりが、すばやく上着を脱ぎ、川では子供たちが水遊び。大木実も、宮口と一緒でなければ、早速子供たちの仲間入りをしたに違いない(笑)。

e0178641_1927572.png まさに大木実の代表作。その魅力全開。初期野村芳太郎軽喜劇では、いまいち鈍重さが残った彼も、生き生きと。素晴らしい。
 ただし、それまで「静のサスペンス」に徹してきた本作が、ラスト、「動のサスペンス」に転じて、少しのカキンを残した。土地勘のない大木実が、延々荒野、山林を走り回って、果たして、目的地に着きうるのか。
 サスペンスを強調しようとして、逆にサスペンスを殺いでしまった。
 それ以外は、素晴らしい。ただ、高峰秀子は、もっと地味な女優のほうが良かったかも。まあ、これ以上地味になったら映画はヒットしないか。

 なお★張込み(1958) |Movie Walker★では、高峰秀子の夫に、松本克平となっているが、実際にはよりネームヴァリューのある、清水将夫に変更されている。
 佐賀の旅館の女中に山本和子。同輩も、どこか見覚えが。と、思ったら小田切みきだ。
 より詳細なクレジットは、以下でタイトル検索。
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◎追記◎松本清張 「張り込み」


◎なぜか関係ない検索◎で引っかかったのだが、本作でも宮口精二の妻として、若々しい姿を見せていた、
菅井きんが認知症で「要介護3」 特別養護老人ホームに入所 2014.05.29 07:00
女優・菅井きん(88才)が、認知症で「要介護3」の認定を受け、特別養護老人ホームに入っていることがわかった。
「菅井さんは、もう2、3年は姿を見ていないですね。以前は近所のスーパーでお買い物したり、ひ孫さんとバルコニーで遊んだりする姿をよく見かけたんですけど…」(近所の住民)
 菅井は、2010年に北川景子主演の映画『瞬 またたき』に出演して以来、4年間、公の場にも姿を見せていない。菅井の知人がこう話す。
「菅井さんは2年ほど前に認知症で『要介護3』の認定を受けているそうです。認知症の影響からか、夜中に外に出て、閉まっている建物のシャッターを叩いて“配給米をください”と叫んだり、左右違う履き物姿で、ふらふらと駅まで行き、改札を通ろうとして駅員に止められたりと、思いもよらない行動を取るようになったそうです」
 一歩間違えば命の危険も伴う行動の数々。その他にも自分の居場所が認識できなかったり、娘と孫を間違えたりするなど、その症状は日に日に悪くなっていったという。
「同居する娘さん夫婦は、菅井さんの介護をかなり頑張っていましたよ。菅井さんは徘徊したりするので目を離すこともできませんし、問題を起こせば、その度に謝りにも行っていました。眠れない夜も続いたそうです」(前出・菅井の知人)
 そんな介護の日々に限界が来たのか、昨年、娘は菅井を自宅からほど近い施設へ入所させることを決断した。
「菅井さんが入ったのは、要介護度が高い認知症の人が多くいる特別養護老人ホームです。施設内には認知症高齢者の専用フロアもあり、また日本でも有数の高齢者医療・認知症の権威である病院が隣接しているため、自宅での介護が難しい人や、常時介護を必要とする人が入居しています」(前出・菅井の知人)
 菅井の所属事務所に話を聞くと、「リハビリをしていて、体力が戻れば、仕事復帰も考えています」とのことだ。 ※女性セブン2014年6月12日号

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by mukashinoeiga | 2014-06-01 09:47 | 傑作・快作の森 | Trackback(17) | Comments(0)

山本薩夫「お嬢さん」

 京橋にて。「よみがえる日本映画-映画保存のための特別事業費によるvol.6東宝篇」特集。37年、P・C・L。
 ぐぬぬぬぬ、ナンじゃこりゃあ。
 凡作。というか、不出来な珍品。
 東京の山の手のハイカラ金持ちお嬢さん(霧立のぼる)が、母親(清川玉枝)から、やいのやいのとの、見合い結婚の催促、これはたまらんと、「女の自立」を目指して、叔父さん(嵯峨善兵)の紹介もあり、九州の南端のど田舎の離れ小島の、実科(実業高校という意味か)女学校の英語教師として、赴任する。
 といっても、戦前の離れ小島に、小学校ならともかく、高等教育に相当する女学校がありえたのか、というところがそもそもの疑問の、ファンタジーなのだが。九州南端の離れ小島って、まさか沖縄のことか(笑)。
 とうとう映画では、その地名が語られることはないのだが。謎の九州南端なのである(おそらく九州ロケなんかしていないだろう)。
 という本作の、プログラム・ピクチャアとしての、目指す地点は、ナンなのかすら、意味不明なのだ(笑)。
 通常なら「坊ちゃん」女性版の、学園モノか、都会のインテリ女性の地方探訪(赴任)モノか、はたまた「女の自立」モノか。
 本作は、そのいずれとも違う、きわめて変則版で。なんとも珍しい。プログラム・ピクチャアの癖に(笑)いかなるジャンル映画の、規範からも、逸脱している、というか、いかなる要素も中途半端というか。
 学園モノとしても、「女の自立」モノとしても、中途半端。謎の女の子(笑)として、画面をうろちょろする高峰秀子がらみの、人間ドラマ?も、中途半端。
 72分の尺に、いろいろな要素を詰め込みすぎた構成の失敗かもしれぬ。おそらく山本薩夫の師匠である、成瀬巳喜男が作ったら、スラスラ流れるように、流麗に処理したのだろうが、骨太な社会派は得意でも、こういうナンパなジャンルは、トコトン苦手そうな山本薩夫なのだろう。
 まあ、完璧に苦手そうなジャンル、かつ監督デヴュー作ですからね。不出来なのも当然か。
 松竹メロも苦手ゆえか、師匠の成瀬のお供をして、松竹からP・C・Lについてきた山本だが、一体成瀬とは相性がよかったのか悪かったのか、不思議(笑)。
 そして、本作をさらに混乱させ、完全にジャンル分けすら不能に追いやったのは、隣り合わせの部屋に下宿する先輩女教師との、奇妙な同棲?生活を、長々と描写したサイド・ストーリーが、あまりに奇妙かつ微妙過ぎる。
 学園モノとも、女の自立モノとも、まったく相性の悪い描写が、学園モノ、女の自立モノのジャンルである(べき?)メイン・ストーリー?を、津波のように押し流しているのが、本作の出来をさらに「悪化」しているとしか、思われぬ。
 しかし、本作の原作が吉屋信子と知れるや、氷解。
 (精神的)女子同性愛の本家本元、吉屋信子なら、むしろこの女性同士の同棲こそ、サイドじゃない、メイン・ストーリーでは、ないか(笑)。
 心ならず、ならぬ、自ら望んで(笑)本来の自分とはまったく異質な環境に流れてきた霧立のぼるという貴種流離譚と、貧しく苦しい恋に悩む沢蘭子との、異種組み合わせの、女の友情密着ライフ。
 妙に下でに出るセンパイ女教師、コウハイなのに妙にタカビー(死語失礼)で、タバコすぱすぱな、霧立。このふたりの、女の友情メロという、究極の軟派な話を、無骨政治ドラマメロに才を発揮するヤマサツが、到底処理しきれるとは、思えない(笑)。師匠の成瀬でも、当時としては、ムリだったのではないか。
 思春期の女学生同士のエス関係なら、まだ世間も納得できよう。同時代東宝の最強ガールズ・ムーヴィー石田民三映画がそれを証明している。
 しかし、れっきとした大人、女学校の女教師たちの(精神的)女子同性愛など、当時としては受け入れられるはずもなく、また、こんなセンサイな感性など、たとえ成瀬の助監督だったにしろ、ヤマサツには、到底無理難題だった。
 うーん、当時としては、石田民三なら、かろうじて可能だったか。
 ヤマサツ、男勝りの山崎豊子原作映画ならお手の物だが、吉屋信子は、ちと、きつすぎたなあ(笑)。
 なお、本作のモンダイは、もうひとつあるのだが(出演者クレジットのミスプリ問題)長くなったので、また後日。 

◎おまけ◎ 本作のストーリーを、例によって、完璧に、流麗に紹介する以下のブログの素晴らしさ。ストーリーを紹介しつつ、同時に批評する、流麗なユーモアも最高な名人芸の素晴らしさ。かないません。
 その批評には、まったく同意いたします。
★【映画】お嬢さん - いくらおにぎりブログ★
 なお、ぼくもいくらおぎにりさんも、まったく無視しているのは、偶然か必然か。
 嵯峨善兵の友人にして、とっても愛らしい霧立に思いを寄せるのが、スマートな「青年実業家」北沢彪。
 かっこよく、「ぼくたち、たまたま金のある家に生まれたものは、もっとスマートに、お金で事態を解決しませんか?」が、おそらくヤマサツとしては、ブルジョア批判の嫌がらせとして出したのだろうが、北沢彪、あまりに天然過ぎて、こっちが勝って、かっこよすぎるぞ(笑)。ヤマサツ、ブルジョワに負けてるぞ(笑)。
 北沢彪、かっこいいぞ(笑)。

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by mukashinoeiga | 2013-11-20 00:01 | 山本薩夫傷だらけの左傾山河 | Trackback | Comments(4)

成瀬る2   はげギャグと心中悲恋の同居

 前から思っているのだが、成瀬のあだ名がヤルセナキオ、というのが納得いかない。
いや、あだ名としてはかなりの傑作とは思うし、成瀬の一面を突いてもいるのだが、あれだけ面白くユーモア満載の映画を作る人(でも、ある)を、何で暗さまっしぐらで呼ぶんだという。もっぱらDVDやTVモニターで成瀬を見ている人たちは、じじつ成瀬のいくつかの映画が並木座や文芸坐で上映された際、爆笑に次ぐ爆笑であることを、実感としてわからないかもしれないが・・・・・。
 で、ぼくは、個人的に、ミッキーナルセと呼んでいる・・・・。・・・・。
まあ、ヤルセナキオに比べるべくもないネーミングだけれど。
 あまり知られてはいない『君と行く路』(1936・脚色成瀬巳喜男)。
 京橋フィルムセンターで見たあとで、知り合いの女性が年配男性客に声をかけられた。「いやー、つまらん。駄作だね。脚本もひどいし」
 知り合いは「そーですよねー」と、相槌。その男性が帰った後、ぼくが「いや、でも、ぼくは、結構、面白かった」というと、彼女、「そーですよねー」。
 どっちなんだ。
 いや、でも、これ、結構、重要かも。
 話は悲劇的だ。なんせ、男女の両主人公が自殺してしまうのだから。しかし、そういう悲恋ものなのに、映画はいつものように、楽しい成瀬映画だ。にこにこのユーモア。対立する世代の中にも、親和性あふれる幸福感。
 つまり、成瀬は悲劇を描きたくない、さりとてまったくの喜劇ともしたくない、こんな映画作家はやはり珍しい、その不思議な成瀬バランスが、おそらく、ある種の観客たちに混乱をもたらすのだ。
 そういう人たちは「しょせん結果は悲劇なんでしょ、なのに、なんなの、このほのぼのした雰囲気は?」と。つまり、泣かせ、なのか、笑わせ、なのか、どっちかにはっきりしてくれい派の人たちは、泣かせたくないのよ笑わせたいのよでも話の基本は悲劇なんだよねー、の成瀬映画に混乱して、その結果、駄作だ、戦中戦後の一時期の成瀬はスランプだった、ということになるのだと思う。
 悲劇にしては楽しい楽しい幸福感。喜劇としてはしゃれにならないストーリィ・ライン。
 藤原釜足のはげギャグと恋人たちの心中立てが同居する。自分の無知蒙昧がいかに息子とその恋人を死に追いやっているか、そよとも気づかない母・清川玉枝の、愛らしさ。
 いつもいつも、愚鈍以外の何者でもない友人・堤真佐子。成瀬映画が愛するアンパンマン堤真佐子(その戦後進化系が中北千枝子)の、始末に困る微妙な半端感こそ、成瀬映画の正体解明に至る道ではないかと(ほんとかい)。あらゆる悲劇を、身に付いた愚鈍さで回避してしまう堤真佐子。
 そして、しばしば和のティストで語られる成瀬の、西洋感覚、アメリカ感。大川平八郎が車を転がす海沿いは、まんまアメリカ映画ではないか。洋館・テニス・釜足(ルビッチ映画の常連、E・E・ホートンの役回りなのは明らか)と兄弟の交流、などは言わずもがな。 小津安二郎や清水宏らと同様、あくまでも和魂洋才、この辺との、心中ものとのすわり心地の悪さも、スランプ呼ばわりの元か。
 傑作ではないにしろ、かなり滑らかな「流れる」ような快作なのに。ミッキーナルセは、やはり面白い。

 そういう成瀬でも、あんまりユーモアの感じられない映画もある。ぼくの感覚で言えば、たとえば『桃中軒雲右衛門』『鶴八鶴次郎』『歌行燈』『芝居道』。戦後作品では『めし』『山の音』『浮雲』『杏っ子』。
 おお、戦前作では見事に芸道ものばかりではないですか。芸道精進、という目的のある男たちを、どちらかというとメインにした、成瀬にしては珍しい男性主人公路線。家庭的な雰囲気が感じられない作品群だともいえよう。『浮雲』にしても、非・家庭的、どちらかというとヒロインは男に引きずられているストーリー(だと思う)。
 『杏っ子』こそ家庭ドラマだが、この視点で考えてみれば、ほかの成瀬ホームドラマに比べて、「陰気な夫と、陰険な父に挟まれて、悩んでる(だけの)女」という、男主導ドラマか。その男たちも、一応目的があって(作家として)芸道モノと言えなくもないし、家庭といっても雰囲気は険悪だ。
 つまり、強引にいってしまうと、成瀬が親和性ユーモアを安心して(?)披露できるのは、女性メインの女系的家族の中だけ? 女性主導の世界でのみ、くつろげるのが、成瀬ユーモアか。
 そうすると『はたらく一家』で、貧乏な家庭の男兄弟たちが金もないのにカフェに入り浸って、無駄遣いするのも分かるようになる。頑固親父と男兄弟のすさんだ雰囲気を抜け出して、気楽に冗談が言える、カフェの女性的雰囲気を求めたのだろう。
 親父ギャグの小津に比べれば、その女性性はあきらか。しかし、それなら、『君と行く路』が、なぜその親和性のままで終わらなかったのか。アメリカ映画なら、車を駆って、自殺するのではなく、彼女をさらいに行くだろう。そういう<男性>的な、直線的・強引・力ずくの解決法を好まなかったということだろうか。つまり、長所も短所も含めて、成瀬は女性側に立っているということか。
 あるいは日本映画の観客が喜劇より悲劇を好んでいたせいか。気持ちのいい映画を作っても「ソーダ水みたいな映画」(高峰秀子の『秀子の車掌さん』評)の一言で終わってしまうからか。
ハッピーは好きだけど、ハッピーエンドは好きじゃないのが、成瀬なのか。せっかくの道行きも悲劇に終わる『乱れる』など、アン・ハッピーエンドの数々。

by mukashinoeiga | 2009-07-19 11:35 | 成瀬巳喜男映画の正体成瀬る | Trackback(1) | Comments(0)

成瀬る4  成瀬は対立をいかに回避するのか

 成瀬最初の時代劇は『三十三間堂通し矢物語』(1945・脚本小国英雄)である。
 これが思ったより面白い。さくさくと映画が流れていくのはいつもの成瀬映画。流麗なる成瀬テクニック。
 しかし、ストーリーがなんかヘン。
 お話は、こういうことだ。三十三間堂にて、弓矢の的当て連続記録を争う。
 まず、Aが記録を作る。次にその記録をBが破る。すると、なぜか、記録を破られたことに恥辱を感じたAが自死。ここがまず現代の感覚では分からない。「記録は破られるためにある」のがぼくたちの感覚だから。A氏も改めてチャレンジすればよいと思うのだ。
あるいは、この武士たちの試合はひとり一度限りなのか。それなら納得がいく。
 死んだ父に代わり、Aジュニアが家名をかけて、Bの記録を破るべく猛特訓、も、イマイチ、頼りない。ここに、Bその人(主人公長谷川一夫)が身分を隠してAジュニアのコーチとなり、記録更新に協力加担する。
 なぜ、自分の記録を破ろうとする若者を積極的に指導援助するのか。そこにどんな必然性がある。映画は、そこをまるきり、語らない。語らないが、Aジュニアを応援する。なぜなのか明確な論理は語らない。その父親を死に追いやった罪悪感? 記録は進歩するべきだ、という向上心? 広義の父性? 考えられるのは、主人公の弟が家名大事、家名のためならどんなことでもする嫌な奴に描かれていて、主人公はそれが煩い。その、家名大事に反発しているのかもしれない。
 もちろん、心情としてはなんとなく理解できる。強くて心優しいヒーローの高潔な行為だから、自分の名誉など省みない長谷川の態度に観客は涙するわけだ。
 理由は明示されず、暗黙の了解のもと(察してくれよということだろう)、映画はさくさくと進んでいく。んー、なぜなんだ。西洋的(ということは近現代的)闘争観からはまったく理解できないなあ、と考えていると、ふいと思いつく、ああ、これってあれと同じじゃない『歌行燈』。
 と思いいたると、いや「うたアン」どころじゃないよ。次から次へと、連想されていく。

          Aが死ぬ  Bが直接間接に原因  Aの身辺者CにBは好意・助力
『三十三間堂』 父が自死  長谷川が記録を破る  C(Aの息子)に弓術を指導
『歌行燈』    父が自死  花柳が芸を見下す   C(Aの娘)に芸を伝授 
『お国と五平』  夫が斬殺  山村總が斬った    C(Aの妻)に懸想しストーカー
『乱れ雲』    夫が事故  加山雄三が加害者   C(Aの妻)に道ならぬ恋 

 これらの映画は、劇的な自殺・事件が起こる、日常派・成瀬にしては、非・日常的な映画ばっかり。ドラマティック成瀬。『乱れ雲』をのぞいて、成瀬としては珍しい時代劇系。それが、結構パターン化できるという(ただしこの中では『お国と五平』は、ちと意味合いが違うが)。
 それぞれ順に、脚本小国英雄、原作泉鏡花・脚色久保田万太郎、原作谷崎潤一郎・脚色八住利雄、脚本山田信夫、とまったく違うのに、話が似ている。成瀬は自分からあんまり企画を出すほうではなく、お仕着せの仕事ばかりこなしてきた、ということになっているが、ストーリーが同じになってしまうのは何故なのか。
 しかし『歌行燈』で美女山田五十鈴に助力する花柳正太郎に何の疑問も持たず、『三十三間堂』で長谷川が青年に助力するのに疑問を感じるのも、我れながらわかりやすい性質だ。

 さらに、その、ヴァリエーション、

                  それなのに      奇妙な?(親和的)行動
『乱れる』      夫戦死   妻=高峰秀子   夫の弟・加山と恋情
『妻として女として』夫浮気   妻と愛人       妻と愛人共同事業・子育て
『妻よ薔薇のやうに』夫家出   愛人=英百合子 娘・千葉早智子へ送金
『山の音』      夫浮気   妻=原節子     義父と共鳴
『ひき逃げ』     子が事故  母=高峰秀子   犯人宅に住込み・子守

 やっぱり、苦しいか。無理やりパターンを見つけようとする、浅ましさを、感じますね、我れながら(『ひき逃げ』だけ少し意味合いが違う)。
 しかし。ドラマティックな事故・事件の「加害者」たる男たちの奇妙な行動。ドメスティックなトラブルの際の、「被害者」たる女性の「奇妙」な行動。これだけ重なると、ちょっと面白い。企業監督としてお仕着せ企画を映画化していたというイメージの成瀬に、意外なパターンが。しかも、それもかなり特殊なパターンとはいえまいか。

 なお、成瀬のもうひとつの時代劇『お国と五平』(1952)も、あまり評価は高くないようだが、実に面白い。夫の敵討ちの旅に出た未亡人・小暮実千代が、実はそのカタキにずうっと付け狙われていた、ストーカーされていたという、あっと驚く展開もすごいが、そのストーカー山村總が、ストーカーらしく常人には計り知れない奇妙奇天烈な心情論理でもって、自分勝手な自己正当化。その「弱者ゆえの攻撃性」は、山村總の巧演もあって、思わず爆笑してしまう。加害者の側から争いを無化してしまうという意外性。成瀬ならではといっていいのか。普通はあだ討ち成就を期待される敵討ち物語のカタルシスを全く無視した、恐るべき傑作なのかもしれない。成瀬はいかなる手段を使っても争いを回避してみせるのだ。
 やってることは自分勝手の一語だが、山村總の愛らしさ(ホントに愛らしいのだ)は、絶妙におかしい。中村登『河口』、木村恵吾『風癲老人日記』も含めて、爆笑喜劇俳優山村總は、もっと評価されてもいいのでは。監督としても『沙羅の花の峠』で、恐れ多くもあの東山千栄子先生のバストをすっぽんぽんにして、そのロケットおっぱいをさらしちゃった罰当たり者なのだ。かの『東京物語』では自分の母親役だった、その二年後、東山千栄子を脱がせてしまうなんて、なに考えてるんだ、山村總。凄過ぎる。
 閑話休題。
 このストーカーぶりの奇妙な現代性は、製作当時より今のほうが正当に評価できるのではないか。何しろ当然のことながらストーカーという言葉もなかったのだから、この山村總の異様な執着妄執は、当時の観客には、理解の外だったろう。
 スランプだとか、駄作とか言われもする作品も、実際に見てみると、かなり面白いのが成瀬の凄いところ。そして、この、弱いがゆえの加害性、加害者なのに被害者まがい、が後出しじゃんけん的にいかにも成瀬らしい。コメディ好きが爆笑するところを、まじめな映画ファンは呆然として失笑、駄作呼ばわりも、わからないではないのだが。

by mukashinoeiga | 2009-07-19 11:33 | 成瀬巳喜男映画の正体成瀬る | Trackback(2) | Comments(0)

ミュリエル・バルベリ「優雅なハリネズミ」

 昨秋に早川書房から出版されたフランス小説の翻訳(訳・河村真紀子)。当時もっと話題になる本かと思ったが、さほど知られてはいないようだ。帯のコピーを書き写すと、

 フランスの「本屋大賞」受賞!
   日本人紳士オヅさんとの出会いが、パリの天才少女と アパルトマン管理人の人生を変える。
 口コミからはじまり、世界的なミリオンセラーに成長した 日本への愛にあふれる奇蹟の物語。

が、表で、帯の裏は、

 ★本書を読み解くキーワード
 猫 レッド・オクトーバーを追え 椿 マルクス セップク 小津安二郎 芭蕉 カント 侘 ヒカルの  碁 戦争と平和 ブレードランナー 風とともに去りぬ エミネム 観葉植物 アンナ・カレーニナ 谷口 ジロー 宗方姉妹 ミラーニューロン 苔寺 茶 夏の雨   (引用に際して一部省略)
 
 アパルトマン(日本で言えば高級マンション)の女管理人ルネは、図書館員のアンジェル(!)に、ヴィム・ヴェンダースの初期作品が好きだと話す。「アンジェルは、へえ、じゃあ、<東京画>は見ました? と私に訊きました。そして、<東京画>は小津監督に捧げられたすばらしいドキュメンタリー映画で、それを観るともう絶対に小津監督を知りたくなるのだと言いました。その言葉どおり、私は小津監督に夢中になり、人生で始めて映画というものに心のそこから笑い、そして泣きました。」
 これと前後する文章を引用すれば、「午後九時、ビデオデッキに小津監督の映画<宗方姉妹>のカセットを入れる。小津監督の映画は今月これで十本目です。なぜ十本も? それは小津監督が私を生物学的運命から救ってくれた天才だからです」。
 すごいほれ込みようだけど、いま引用していて、思ったのはフランス人がいちいち名前に監督つけるかとか、パリの図書館には少なくとも十本の小津があるのかとか。このルネも、もともと"日本びいき"のようだ。緑茶を飲む時、コーヒーも同時に淹れる。飲むのは緑茶、コーヒーは飲まずに香りだけ楽しむ。なんて贅沢・・・・らしいんだけど。緑茶には緑茶のほのかな香りがあって、コーヒーと一緒だったら、緑茶の香りはぶち壊しだろう。日本人には考えられない飲み方だ。でも、フランス人的には小粋でおしゃれな飲み方なのか(笑)。
 もっとも昔、喫茶店でコーヒーを頼んだら、飲んだあとに昆布茶を出されたことがあって閉口したが(でも、飲んだ)ま、日本人もあまり大きなことは言えないか。

 もう一人のヒロイン、パロマは日記好き。「だから決めたのです。この学年が終わって十三歳になる日、つまり、次の六月十六日に自殺します。(中略)実際わたしにとって大切なのは死ぬという行為ではなくて、死ぬための方法です。わたしの日本びいきな部分で考えれば、もちろんセップクです。"日本びいき"というのはつまり、日本に対する憧れの気持ちで考えると、ということです。わたしは中学校の第四学年だから第二外国語があって、もちろん日本語を選択しています。(中略)あと何ヶ月かしたら、好きなマンガを原文で読めればいいなと思っています。(中略)でもそれは、運命の日が近づくということでもあります。」
 このすぐあと、セップクは苦しそうだからヤメ、で、毎日ママの睡眠薬を一錠ずつ盗んでいると、告白する。ころころ考えが変わる、夢見る乙女のかわいい日記ですな。著者は小津の誕生日と死んだ日が同じというエピソードを知って、こういう設定にしたのだろうか。

 この二人のアパルトマンに、日本人の老紳士オヅさんがやってきて、実は小津監督の遠い親戚だという彼は、たちまち二人のアイドルになる。この関係性は、まるで少女漫画みたい。ここから先のビター・スウィートな物語は、なかなか読ませる。「フランスで今世紀最大のベストセラー」というのがいまいちどういうことなのかわからないけれど、中身の面白さは保証しますぜ。って、ぼくが保証しても(笑)。誰かの評でも、本書のもっとも日本的な部分は、その少女趣味にあるのでは、というのを読んだ記憶があるが、その通りだと思う。大人の物語でありつつ、日本的な少女趣味を濃厚に漂わせている快作。大体小津ファンの住むアパルトマンに小津の親戚の老紳士が来るなんて設定は、太田和彦か、夢見る乙女しか考えないだろう。「これは友達の話なんですが」ではじまる友達の話はたいていその人自身のことだとすると、小津の親戚、ということは著者にとっては小津の分身といっていいのだろうか。そう思って読むと、日本人のイメージする小津とオヅさんの乖離がとても面白い。文科系女子のカルチャー批評でありつつ、優れて面白い物語なのだ。
 訳者あとがきによると、翻訳刊行の昨秋の時点で、著者は夫ともども念願の京都に長期滞在しているという。そうか、小津の中でも特に「宗方姉妹」にこだわるのも、京都好きのせいか。

by mukashinoeiga | 2009-07-18 06:15 | 小津安二郎映画の正体小津漬の味 | Trackback | Comments(0)