人気ブログランキング |

タグ:山田五十鈴 ( 6 ) タグの人気記事

中平康「四季の愛欲」山田五十鈴楠侑子桂木洋子中原早苗渡辺美佐子安井昌二小高雄二宇野重吉

異常につまらぬメロドラマ。
 渋谷にて「欲望のディスクール」特集。58年、日活。
e0178641_9494562.png 松竹がお得意なめそめそメロドラマ、東宝大映がそこそこ、こなすメロドラマ、これがいくら作っても、全然へたっぴなのが日活で。それこそ裕次郎が救世主のごとく登場するまでは、文芸ドラマを作らずを得ず、平板なメロドラマも多産した。
 でも、ツマンないんだよねー日活メロ。板についていない感じが明々白で。
 本作もそうで、さすがの才人・中平康も、全然興味のない、どろどろメロや、めそめそメロを、仕方なくトレースせざるを得ない。


『四季の愛欲(デジタル)』公開:1958年(渋谷シネマヴェーラHPより)
監督:中平康
出演:山田五十鈴、楠侑子、桂木洋子、中原早苗、渡辺美佐子、安井昌二、小高雄二、宇野重吉、永井智雄、細川ちか子、峰品子、天路圭子、雨宮節子、三沢孝子、二木まこと、相馬幸子、波多野憲、下条正巳、松下達夫、西村晃、小泉郁之助、雪丘恵介、相原巨典、河上信夫、山田禅二、須藤孝
小説家・清水をめぐる女たち - 独身を騙り身体で仕事をゲットするモデル妻、男のために自分を捨てた母、不倫中の妹 ? が繰り広げるブラックな愛欲ゲーム。楠侑子と桂木洋子が爛れた女を生き生きと演じる中、最後をかっさらっていくのは、やっぱり48歳(劇中)現役バリバリのあの人!


 その現役バリバリのあの人・山田五十鈴には、父親の違う子が三人いる。
 長男の小説家・安井昌二、長女・桂木洋子、次女・中原早苗、そして安井の内縁の妻に楠侑子。
 この中で、山田、桂木、楠がバンバンドロドロ不倫。
 しかし、それらを冷ややかに見つめる安井、激しく非難する中原、メロドラマなのに、その批判者が多すぎる。まるで日活マインドが、ドロドロずぶずぶを批判しているかのようだ。これがメロドラマを全うするためには、安井はともかく、中原の役はせめてカットすべきだった。
 しかも元気娘・中原早苗の喧騒は、楚々としたメロドラマ空間を、破壊するしかない爆弾娘。

 笑いどころが二つ。
 桂木が典型的色悪・小高雄二に、連れ込み旅館で抱かれつつ、数十行のせりふを一気にしゃべり倒す(笑)。こんな覚醒的(笑)な抱擁シーンは、ただひたすら珍で。
 桂木洋子の美質の無駄遣い(笑)。ちなみに桂木が男に抱かれるシーンに音楽をつけたのは黛敏郎。

 禁欲的な安井も、楚々とした和服姿の渡辺美佐子と、ラヴシーン。
 そしてこのラヴシーンが世界映画史上に残る珍なもので(笑)。
 お互い足の水虫に悩む二人が、恥じらう美佐子の足指に安井が直接薬をぬりぬり。
 水虫が取り持つ恋に爆笑。いやあこれは川島雄三だろ(笑)。
 これらを笑い飛ばすことなく、マヂメに平板にメロして、全然面白くない、のちの才人・ナカコー。

 なお、この体たらくなメロドラマにあって、一人勝ちの山田五十鈴は、さすがに貫禄。48歳とのことだが、マスマスムラムラ「四十八歳の抵抗」の、男のしょぼくれ具合にくらべて、さすが。五十鈴、名前からしてアラフィフ(すでに死語)のカンロク。

 ★Movie Walker★に、タイトル検索で詳細な作品情報あり。簡単な作品解説、あらすじ紹介(企画書レヴェルの初期情報の孫引きゆえ、しばしば実際とは違うが)。

★新・今、そこにある映画★日本映画・外国映画の、新作感想兄弟ブログ。なお、現在は当ブログに吸収合併。過去ログは残してあります。
にほんブログ村 映画ブログ 名作・なつかし映画へ
★にほんブログ村・名作なつかし映画★

★にほんブログ村日本映画(邦画)★

by mukashinoeiga | 2019-07-12 09:49 | 旧作日本映画感想文 | Trackback | Comments(0)

豊田四郎「檜舞台」

 京橋にて。「よみがえる日本映画-映画保存のための特別事業費によるvol.6東宝篇」特集。46年、東宝。
 なかなかの快作。
 現代劇もやり、幕間に、鏡獅子を本格的に踊るという新旧混合の劇団を舞台にしながら、テイストは、まさにアメリカン・コメディーという。
 長谷川一夫と、山田五十鈴の、当時名コンビ。五十鈴のツンデレ振りが最強で、楽しい。
 長谷川一夫が、半ば誤解からキレて、「もう、キミとは、芝居以外では、口も利かない!」と、絶交して、芝居ではなかのよい夫婦を演じつつ、稽古が終わると、互いにつんつんしあうのが、可笑しくて。
 まさにハリウッドのスクリューボール・コメディの日本的消化に他ならない。
 長谷川としては珍しい現代劇。
 なので、時代劇のような激しいドーラン化粧ではないナチュラルメイクゆえ、左ほほの切られた傷がかすかに、見える。キャメラが隠さず、堂々と撮るのが、潔い。
 長谷川は、復員兵という設定であり、現代劇は、片足をとられた長谷川と、五十鈴の夫婦の苦悩、という反戦劇。それと、幕間の歌舞伎舞踏とが、地続きで、長谷川によって、演じられていくのに、何の不思議もないのが、珍と言えば珍だし、見ているこちらも、あまり違和感がない。
 この鏡獅子を、長谷川が黙々と稽古しているシーンが、面白い。最初は、すっぴんで、次に小道具の獅子面をもって、最後は本格歌舞伎メイクをして。長々かつ黙々の稽古シーンが、やはり魅せる。
 長谷川が、自分の演技に悩んでいると、三味線の伴奏が聞こえだす。振り返ると、稽古場奥に、五十鈴が端座して、三味線。
 私生活はツンツン絶交中だけど、稽古はアシスト。この辺の呼吸が、やはりいい。

 長谷川の「瞼の父」に、志村喬。突然素っ頓狂に笑い出したり、しんみりしたりと、戦前以来のメリハリの利いた演技。若々しいパワーみなぎる中年男を、例によって快演。パワーみなぎる志村が、渋さみなぎる志村に変貌するのは、まだまだ先の話。
 座員に、河野秋武、進藤英太郎、 田中春男、清川玉枝ら。菅井一郎は、演出家。こんな感じで、淡々と穏やかに、映画も監督していたのだろうか?
 トヨシロも、日ごろのヘンタイ路線?は捨てて、二大スタアの映画を、堅実に支えていて、堂々の演出。

★新・今、そこにある映画★日本映画・外国映画の、新作感想兄弟ブログ。
★映画流れ者★当ブログへの感想・質問・指導・いちゃ問はこちらへ

★人気ブログランキング・日本映画★
↑↓クリックしていただければ、ランクが上がります(笑)。
にほんブログ村 映画ブログ 名作・なつかし映画へ
★にほんブログ村・名作なつかし映画★

by mukashinoeiga | 2013-11-24 07:34 | 旧作日本映画感想文 | Trackback | Comments(0)

千葉泰樹「嬉しい娘」

 京橋にて。「フィルム・コレクションに見るNFCの40年」特集。34年、日活京都、無声、24ftp。
 <1996-97年にロシアのゴスフィルモフォンドで調査を行い現存が確認された>もので、<17歳にしてすでに日活時代劇部のトップ女優となっていた山田五十鈴の、数少ない現代劇の1本であり、現存する最初期のもの>とか。
 簡易保険局の<被保険者保険思想の涵養>のための、短編映画(42分)、つまり、簡易保険の積み立てをしてると、病気になったとき、こんなに助かりますよ、の官製PRのための、ひも付き映画だが、映画はそんな臭みを感じさせないほど、楽しい。
 なんてったって、前にも感想書いた(題名失念の快作2本)千葉泰樹監督・杉狂児主演コンビの、戦前快作コメディーの一本なのだ。
 バカ息子役の杉狂児の体技が、面白く、彼が一目ぼれして、半ばストーカーみたいにまとわりつく、娘・山田五十鈴も、愛らしい。ほのぼのと楽しいのだが、杉一家が、そろって、なぜかベランダでラジオ体操に興じるシーンまでいって、思い出した。前に、京橋で見ていたもの。いやあ、記憶力がだめだから、同じ映画で二度楽しめました(笑)。
 杉狂児の妹に、若いのに、娘オーラがない、若いときから地味なのね、の村田知栄子。これも、千葉・杉コンビ映画の常連で。戦後は、優しいおばさん、意地悪なおばさんを好演した方で、やはり人によっては、娘時代より、おばさん時代の方が、柄に合う方もおるのですね。
 杉と、山田五十鈴の父とのドタバタも楽しく、宵越しの銭はもたねえ・江戸っ子の父は大の保険嫌い。ところが、息子が、腹痛で入院騒ぎ。事の成り行きは、こうだ。

1 杉狂児は、山田五十鈴の歓心を買いたい
2 「女の子はなにが好きなの?」と、妹に聞く
3 村田知栄子は、にこにこ「チョコレートとバナナとお薩」と応える。そりゃ、自分の好物や
4 杉は待ち伏せして、山田に「チョコレートとバナナと焼き芋」をプレゼント
5 そのプレゼントを、山田の弟の小学生が、バカバカ食って、食あたり
6 父「だめだ。金がねえ。医者にかかれねえ。とっつあんは悪い父親だ、勘弁してくれい」
7 娘の五十鈴、決心して「おじさん、車を呼んで」
8 近所のおじさん「霊柩車かい」 食あたりで霊柩車は、早いやね
9 五十鈴「保険嫌いのお父さんには悪いけど、弟と私は、実は、こっそり簡易保険に入っていたの」
10 弟を車で簡易保険局の診療所に連れ込むと、早速診察してくれる
11 医者「早く連れてきて助かった。夜には、帰れるよ」
12 父「治療代はどうするんだ。俺、払えねえよ」
13 五十鈴「お父さん、大丈夫よ。簡易保険に入っているから、治療は無料なのよ」
14 父「本当かい。保険てなあ、えれえもんだなあ」

 若い娘の好物が、チョコレートはともかく、「バナナとお薩」というのも時代だが、というか、スイーツだけ、というのも素朴だが。ぼくも、字幕で(無声だから)「お薩」と出てきたときにゃあ、はて、「お薩」とは、なに。判断に、数秒、かかりました。「お薩」なんて、ここ数十年聞いたことないもんなあ(笑)。まだ、わからない若い衆(このブログにそういう人が来ているのか、という疑問は、おいといて)にいえば、「お薩」とは「サツマイモ」のことですな。
 さらにいえば、杉狂児が「焼き芋」というのは、「お薩」が女の子言葉だから。
 ぼんくら息子は改心(いちおうね)して、父の後をついで、二代目社長となる。その会社の事務員に、なぜか、山田五十鈴がいるのは、メロドラマの鉄則で。本作のタイトルを「私の社長」とする文献も多い、という。

by mukashinoeiga | 2010-09-10 22:14 | 千葉泰樹 ヤスキ節の愉しさ | Trackback | Comments(0)

内田吐夢「暴れん坊街道」山田五十鈴佐野周二薄田研二

 京橋にて。「アンコール」特集(1995-2004年度の上映作品より)。57年、東映京都。
 元特集は99年の「日本映画の発見Ⅴ:栄光の50年代」。
e0178641_35324.png 見始めてすぐ、旅籠宿から見下ろす裏庭の、少年のあばら家に既視感が(笑)。元特集で見ていたのだ!(笑)
 それでもぼくの記憶力ゆえ、楽しめるし、クライマックスには、やはり思わず泪目になるのであった(笑)。このアンコール特集、二週間でただ一本のみ駆けつけることが出来たのだが、よりによって既見作とは。もっともこのなかで絶対の未見作は「ひとり狼」くらいか。清順「暗黒街の美女」も見たかったのだが、これも案外見ているのかもしれない。結局ぼくの<見たい映画の基準>は、不変なのに、記憶力が追いついていないということか。
 監督の内田吐夢は、ウン十年前まで映画ファンにとって、人気監督であった。監督ベストテンで人気投票すると、黒沢小津溝口成瀬清順とともに、ベストテンに入るほど。しかし、いま、内田吐夢は、忘れられてしまった。代表作「血槍富士」は、<公開当時は評価されたが、年とともに魅力が減価償却>していった代表例。「飢餓海峡」は、極端に言えば<重厚な火曜サスペンス>。もちろん火サスなどの二時間ドラマの原点ではあるのだが、その魅力は後年安易かつ大量に消費されてしまったので、原点であるが故の磨耗は避けられなかったのだ。
 さて、本作。武家社会においてはもちろん自由恋愛はご法度である。男女の交わりは必ず家と家の結合によってのみ許される。家老(例によってよい、薄田研二)の娘・山田五十鈴と佐野周二の恋愛も、懐妊出産は許されるものではなく、その一子は里子に出され、流れ流れて幼いながら、街道暮らしの馬子となる。奇しくもその馬に乗り、邂逅を果たすのは浪人となった佐野周二。東映で佐野周二の主演とは、これが唯一なのだろうか。某サブリン・ファンは、サブリン好きが講じてか「上原謙とか佐野周二とかは、気持ち悪いですよ」というのだが、う~ん、少なくとも東映時代劇のサノシュウは、とても時代劇に見えないことは確か(笑)。良くも悪くも現代人。むしろそれが内田の狙いか。
 むしろ佐野も、五十鈴でさえ、この映画の子役・達者な植木基晴クンに、食われっぱなし。恐るべき子役である。日本映画史上ベスト5以内にランクする子役ではないか。唯一食われていないのは、佐野といい仲になる飯盛り女・千原しのぶ。千原しのぶは、ぼくが唯一認める(?)がりがり系美女、今回も着物の襟足から覗く背中最上部(うしろ首のすぐ真下)に骨が浮く、がりがりぶりだが、千原しのぶのがりがりは、許す(笑)。
 クライマックスの母・父・子再会の場、思わず涙ぐむが、五十鈴が連綿と言葉で恨みつらみ。原作近松どおりなのだろうが、ここでぺらぺらしゃべるのが、内田吐夢、古びた証か。

by mukashinoeiga | 2010-02-10 00:15 | 旧作日本映画感想文 | Trackback(3) | Comments(0)

成瀬る4  成瀬は対立をいかに回避するのか

 成瀬最初の時代劇は『三十三間堂通し矢物語』(1945・脚本小国英雄)である。
 これが思ったより面白い。さくさくと映画が流れていくのはいつもの成瀬映画。流麗なる成瀬テクニック。
 しかし、ストーリーがなんかヘン。
 お話は、こういうことだ。三十三間堂にて、弓矢の的当て連続記録を争う。
 まず、Aが記録を作る。次にその記録をBが破る。すると、なぜか、記録を破られたことに恥辱を感じたAが自死。ここがまず現代の感覚では分からない。「記録は破られるためにある」のがぼくたちの感覚だから。A氏も改めてチャレンジすればよいと思うのだ。
あるいは、この武士たちの試合はひとり一度限りなのか。それなら納得がいく。
 死んだ父に代わり、Aジュニアが家名をかけて、Bの記録を破るべく猛特訓、も、イマイチ、頼りない。ここに、Bその人(主人公長谷川一夫)が身分を隠してAジュニアのコーチとなり、記録更新に協力加担する。
 なぜ、自分の記録を破ろうとする若者を積極的に指導援助するのか。そこにどんな必然性がある。映画は、そこをまるきり、語らない。語らないが、Aジュニアを応援する。なぜなのか明確な論理は語らない。その父親を死に追いやった罪悪感? 記録は進歩するべきだ、という向上心? 広義の父性? 考えられるのは、主人公の弟が家名大事、家名のためならどんなことでもする嫌な奴に描かれていて、主人公はそれが煩い。その、家名大事に反発しているのかもしれない。
 もちろん、心情としてはなんとなく理解できる。強くて心優しいヒーローの高潔な行為だから、自分の名誉など省みない長谷川の態度に観客は涙するわけだ。
 理由は明示されず、暗黙の了解のもと(察してくれよということだろう)、映画はさくさくと進んでいく。んー、なぜなんだ。西洋的(ということは近現代的)闘争観からはまったく理解できないなあ、と考えていると、ふいと思いつく、ああ、これってあれと同じじゃない『歌行燈』。
 と思いいたると、いや「うたアン」どころじゃないよ。次から次へと、連想されていく。

          Aが死ぬ  Bが直接間接に原因  Aの身辺者CにBは好意・助力
『三十三間堂』 父が自死  長谷川が記録を破る  C(Aの息子)に弓術を指導
『歌行燈』    父が自死  花柳が芸を見下す   C(Aの娘)に芸を伝授 
『お国と五平』  夫が斬殺  山村總が斬った    C(Aの妻)に懸想しストーカー
『乱れ雲』    夫が事故  加山雄三が加害者   C(Aの妻)に道ならぬ恋 

 これらの映画は、劇的な自殺・事件が起こる、日常派・成瀬にしては、非・日常的な映画ばっかり。ドラマティック成瀬。『乱れ雲』をのぞいて、成瀬としては珍しい時代劇系。それが、結構パターン化できるという(ただしこの中では『お国と五平』は、ちと意味合いが違うが)。
 それぞれ順に、脚本小国英雄、原作泉鏡花・脚色久保田万太郎、原作谷崎潤一郎・脚色八住利雄、脚本山田信夫、とまったく違うのに、話が似ている。成瀬は自分からあんまり企画を出すほうではなく、お仕着せの仕事ばかりこなしてきた、ということになっているが、ストーリーが同じになってしまうのは何故なのか。
 しかし『歌行燈』で美女山田五十鈴に助力する花柳正太郎に何の疑問も持たず、『三十三間堂』で長谷川が青年に助力するのに疑問を感じるのも、我れながらわかりやすい性質だ。

 さらに、その、ヴァリエーション、

                  それなのに      奇妙な?(親和的)行動
『乱れる』      夫戦死   妻=高峰秀子   夫の弟・加山と恋情
『妻として女として』夫浮気   妻と愛人       妻と愛人共同事業・子育て
『妻よ薔薇のやうに』夫家出   愛人=英百合子 娘・千葉早智子へ送金
『山の音』      夫浮気   妻=原節子     義父と共鳴
『ひき逃げ』     子が事故  母=高峰秀子   犯人宅に住込み・子守

 やっぱり、苦しいか。無理やりパターンを見つけようとする、浅ましさを、感じますね、我れながら(『ひき逃げ』だけ少し意味合いが違う)。
 しかし。ドラマティックな事故・事件の「加害者」たる男たちの奇妙な行動。ドメスティックなトラブルの際の、「被害者」たる女性の「奇妙」な行動。これだけ重なると、ちょっと面白い。企業監督としてお仕着せ企画を映画化していたというイメージの成瀬に、意外なパターンが。しかも、それもかなり特殊なパターンとはいえまいか。

 なお、成瀬のもうひとつの時代劇『お国と五平』(1952)も、あまり評価は高くないようだが、実に面白い。夫の敵討ちの旅に出た未亡人・小暮実千代が、実はそのカタキにずうっと付け狙われていた、ストーカーされていたという、あっと驚く展開もすごいが、そのストーカー山村總が、ストーカーらしく常人には計り知れない奇妙奇天烈な心情論理でもって、自分勝手な自己正当化。その「弱者ゆえの攻撃性」は、山村總の巧演もあって、思わず爆笑してしまう。加害者の側から争いを無化してしまうという意外性。成瀬ならではといっていいのか。普通はあだ討ち成就を期待される敵討ち物語のカタルシスを全く無視した、恐るべき傑作なのかもしれない。成瀬はいかなる手段を使っても争いを回避してみせるのだ。
 やってることは自分勝手の一語だが、山村總の愛らしさ(ホントに愛らしいのだ)は、絶妙におかしい。中村登『河口』、木村恵吾『風癲老人日記』も含めて、爆笑喜劇俳優山村總は、もっと評価されてもいいのでは。監督としても『沙羅の花の峠』で、恐れ多くもあの東山千栄子先生のバストをすっぽんぽんにして、そのロケットおっぱいをさらしちゃった罰当たり者なのだ。かの『東京物語』では自分の母親役だった、その二年後、東山千栄子を脱がせてしまうなんて、なに考えてるんだ、山村總。凄過ぎる。
 閑話休題。
 このストーカーぶりの奇妙な現代性は、製作当時より今のほうが正当に評価できるのではないか。何しろ当然のことながらストーカーという言葉もなかったのだから、この山村總の異様な執着妄執は、当時の観客には、理解の外だったろう。
 スランプだとか、駄作とか言われもする作品も、実際に見てみると、かなり面白いのが成瀬の凄いところ。そして、この、弱いがゆえの加害性、加害者なのに被害者まがい、が後出しじゃんけん的にいかにも成瀬らしい。コメディ好きが爆笑するところを、まじめな映画ファンは呆然として失笑、駄作呼ばわりも、わからないではないのだが。

by mukashinoeiga | 2009-07-19 11:33 | 成瀬巳喜男映画の正体成瀬る | Trackback(2) | Comments(0)

佐藤武「ママの新婚旅行」

 京橋にて。「発掘された映画たち2009」より。
 54年、永和プロ/新東宝・94分
 母山田五十鈴・父山村總のホームドラマ。劣化16ミリプリントからの復刻だが、画面が揺れる揺れる。一こま一こまのデジタル修正ならそうはならないのだが、まあそういう手間をかける映画ではない、ということだろう。その判断は正しい、ありきたりのホームドラマ。ただ、娘サガミチと違って、母五十鈴は、何てことない堅気の主婦役でも違和感がない。子供たちがおこずかいを出し合って、親たちをいけなかった新婚旅行に送り出す。親の片割れが山村總なのはちょっと皮肉。
 ちょっと笑うのは、山村總が三井弘次を連れて釣りに行くところ。山村の釣竿の扱いが極めてユニークで、かつ<決まり過ぎ>。これは、釣りに一家言もち、とうとう釣りに関する映画を製作・監督した山村らしいところで、監督としての手腕も並ではない山村の、釣りドキュメント映画もぜひ探し出してもらって、見てみたいもの。

by mukashinoeiga | 2009-07-12 21:23 | 旧作日本映画感想文 | Trackback | Comments(0)