2018年 06月 10日 ( 1 )

ハワード・ホークス「ヒズ・ガール・フライデー」ロザリンド・ラッセルケーリー・グラント

傑作にして大不快作。時代を超えたスーパーコメディであると同時に、時代性にとらわれた「いい気なもんだぜ」的欠陥を併せ持つ。
 DVDにて。40年、アメリカ、コロンビア映画。原題His Girl Friday。
e0178641_2045966.jpg 何度目かの再見だが、大いににやにやしつつ、これまでは感じなかった「欠点」が目についた。

 なお、この感想駄文は、検索で見つけた粟村彰義さんのブログ「私の小さな文化村」の「ヒズ・ガール・フライデー」記事に全面的に依拠しております(笑)。
 なお同ブログからの引用は文字変色で表しました。
 ぜひ同ブログも検索してお読みいただきたいと思います。粟村さん、ごめんなさいね。

史上最もテンポの早いコメディ映画と言われています。一番の理由はマシンガン・トークで、通常の倍のスピードでしゃべっています。さらに、動作も倍のスピードで行っています。また、誰かがしゃべり終わらないうちに、別の人物がしゃべり始めたりします。セリフが重なり合うと聞き苦しくなるので、あまり使用しない手法でした。

 そうマシンガン・トークの傑作。その快は、今までと変わりなし。スクリューボール・コメディのお手本のような傑作(「私の小さな文化村」では、そうではない、というのですが、ぼくは、そう感じました)。この美点は、いくらほめてもほめたりない傑作で。
 
 ロザリンド・ラッセルよしケーリー・グラントよし。その他の脇役もみんなよし。

e0178641_2065162.jpg女性記者ヒルディ役は、キャサリン・ヘップバーン、ジーン・アーサー、マーガレット・サリバン、アイリーン・ダン、クローデット・コルベール、キャロル・ロンバードが断ったあと、ロザリンド・ラッセルに回ってきました。大柄で、動作が不器用そうだけど、街頭で男を追っかけてタックルするシーンなんか傑作ですね。ポーリン・ケイル女史曰く、「印刷機のインクが血管に流れている」。

 そんなに断られたのは、当時としては、よくあることなのか、珍しいことなのか、よくわかりませんが、断った理由は何なんでしょうかね。脚本的には当時のコメディ映画としての一般的規範からそれほど外れているとは思いませんが。

 以下引用が長くなりますが、

Ira Konigsberg が "The Complete Film Dictionary"(第2版、1997) の中で screwball comedy をうまく説明しているので、それを要約してみます。
1930年代に流行したコメディで、不況時代の産物。現実逃避の傾向が強く、陽気で魅力的な人物が裕福な世界で自由気ままに振舞う。同時に、金持ちへの風刺になっており、最後に金持ちのヒロインと中流階級のヒーローが結ばれることが多い。
重要なのは、解放された女性像を描いている点であり、ヒロインは男性と同じように自主的かつ積極的に行動する。それほどではない場合でも、かなりのウイットと知性を持っている。社会のタブーを破り、性的な事柄に関して男性よりも積極的だったりするが、乱交に至ることはない。そのようなヒロインによって、社会的・性的に解放された雰囲気が作り出され、不況時代の深刻な問題に対する解毒剤となった。
最初のスクリューボール・コメディはハワード・ホークスの「特急二十世紀」(1934)だが、同じ年に公開され、アカデミー賞の4部門で受賞したフランク・キャプラの「或る夜の出来事」がスクリューボール・コメディの原型を作った。しかし、最も純粋な形のスクリューボール・コメディで、最も正気でないのは、ハワード・ホークスの「赤ちゃん教育」(1938)である。
1930年代が終りに近づくと、不況時代から戦争時代に移り、まるで国外から迫ってくる混乱から身を守るかのように、コメディにおける行動、状況、モラルは、より常識的なものとなっていく。
「或る夜の出来事」のほうが「特急二十世紀」よりも早く公開されたと書いてある本もあります。また、「或る夜の出来事」はアカデミー賞の4部門ではなく、5部門で受賞しています。その5部門は、作品賞、監督賞、主演男優賞、主演女優賞、脚色賞だったから、「或る夜の出来事」の影響力は相当なものだったのでしょう。ここからスクリューボール・コメディの流行が始まりますが、1938年に「赤ちゃん教育」が興行的に失敗し、スクリューボール・コメディは衰退していきます。
"Boom and Bust: American Cinema in the 1940s" という本に次のような記述がありました。
スクリューボール・コメディで不可欠なのは「手に負えない」女性で、キャサリン・ヘップバーン、キャロル・ロンバード、ジーン・アーサー、バーバラ・スタインウィックが最もうまく演じていた。しかし、「素晴らしき休日Holiday」や「赤ちゃん教育」など、1938年に作られたいくつかの作品が興行的に失敗し、スクリューボール・コメディは衰退の兆しを見せ始め、ロマンティック・コメディはより生真面目なものになっていった。1940年に「ヒズ・ガール・フライデー」や「フィラデルフィア物語」、1941年に「花嫁は現金払いで The Bride Came C.O.D.」や「レディ・イブ」がヒットしたことは、スクリューボール・コメディの変形がまだ通用することを示しているが、主演のカップル、特に女性は、かなり行儀が良くなっている。この時期の多くのロマンティック・コメディは、適切にも、「再婚コメディ」と呼ばれており、結婚という聖域を支持している点で、不況時代のものより保守的である。不況時代のスクリューボール・コメディは、将来結婚するであろうという暗示で終わることが多かった。


 うーん、人様のブログに依存しすぎ(笑)。
 さて美点の後は、今回感じた不快を探ってみます。
 映画冒頭の字幕に、

 新聞業界 暗黒の時代 特ダネのためならば 殺人以外何をしても許された

 それを今は昔の物語と断っているが、ナニ、それは21世紀の今日でも同じこと。
 主人公のケーリー・グラントは今日の視点で見れば、セクハラパワハラの権化といっていい。
 離婚した妻(しかも離職したい有能な部下)を何としても繋ぎ止めたいグラントのあの手この手卑劣な手。

言わずもがなのことですが、フライデーは、ロビンソン・クルーソーが島で出会った忠実な原住民につけた名前です。金曜日に出会ったから、そういう名前にしたそうです。頼りになる男性の部下を Man Friday と呼ぶのは昔からあったらしいのですが、頼りになる女性の部下を Girl Friday と呼ぶのは、この映画で一般的になったようです。80年代になって性差別用語だということで使われなくなりました。

 いや、それ、男にも使うのだったら、性差別用語じゃないから(笑)。女性記者ヒルディがなぜフライデーなのかは、昔から疑問でしたが、このブログで解決しました。

 死刑囚の無罪を証明したいといっても、人権の視点からではなく、死刑推進の州知事、市長を、選挙で落選させたいがため、同時にセンセーショナルな記事を書くことによって、部数を上げたいがため。まさに政争の具、ないし政争の愚なのは、今のモリカケと同じ。
 今の朝日毎日東京各紙と全く同じ、外道で。
 しかも、もっとひどいのは、ケーリー・グラントは記事のため、子飼いのチンピラに、すり盗み誘拐をやらせ、同じく出入りの(たぶん)売春婦でハニトラ行為。まさに記事をとるためなら何でもありの下種野郎。これを爽快スタア、ケーリー・グラントにやらせて笑いを取るのだから、敬服する。今だったらポリコレで一発アウトなシチュエーション。

 さらに問題なのは、問題の死刑囚。
 失業中のプアホワイトで、頭にきて警官を射殺。この警官が黒人。市長は次の選挙で黒人票が欲しいため、犯人の死刑を主張。
 現代のアメリカで、白人警官が丸腰の黒人をバンバン射殺して、社会問題化しているのと、まるで真逆のシチュ設定。
 現代からの視点で見ると(それは時に過去を現在が欠席裁判にする恐れがあるのだが)ゆるぎない白人優先主義を感じる。黒人警官射殺が、大した罪でないように感じさせる。
 もっとほかの題材はなかったのか。
 まあ、いずれにしても、傑作にして大不快作。

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by mukashinoeiga | 2018-06-10 20:07 | ルビルビルビッチ淑女超特急 | Trackback | Comments(2)