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スコセッシ「沈黙‐サイレンス‐」

スコセッシ少し拙速。って言いたいだけなんだが(笑)。
 16年、アメリカ。原題 SILENCE。
実際構想20年の映画に拙速もないもんだが、それだけの深みというか、コクも感じられず、なんとも残念。
 マーティン・スコセッシ「沈黙」の公開により、篠田正浩「沈黙」(感想駄文済み)への検索アクセスが、当ブログでも増えています。当ブログでも、篠田作品との比較という意味で、興味大でしたが、客観的に見ると、当ブログは、篠田のほうに軍配をアゲたい(笑)。
 なんと当ブログでは凡匠扱いの篠田を、よもや評価する羽目になるとは(笑)。

 スコセッシ。初期のデニーロなどと組んでいたころは、パワフルな情念エンターティンメントの、重厚な傑作快作を連発。
 ところが同じデでありながら、ディカプリオと組んだあたりから、ヘヴィー級から、ミドル級に。
 つい数年前、お子様ランチな3D映画を見に行ったら、CGのてんこ盛りで、あの個性派は、いずこに。まあ、映画好きとしては、いっぺんCGてんこ盛り映画に挑戦してみたかったんでしょーねー、としか。
 本作も初期常連ポール・シュレイダーに脚本やってもらったら、もっと違ったかもしれない。

映画『沈黙-サイレンス-』本予告

映画『沈黙-サイレンス-』アメリカ版予告編


e0178641_18424881.jpg 本作最大の違和感は、篠田版と同じくポルトガル人宣教師たちが、皆英語をしゃべるという点を置いといても、異人種同士のポルトガル人と、「日本人」キリシタンが、何の違和感もなく「接近遭遇」する、という緊張感のなさに、あるのではないか。
 もちろんそこには「世界共通言語」である、キリスト教という接着剤があった故ではあるが。
 そして、それは、イッセー尾形ら、キリシタンを弾圧する側も、まったく同様であるようにも思う。
 日本人キリシタンたちが、日本人為政者たちにより反感を持ち、外国人により親和性を持つ、これは今に至るも、一部の自称日本人左翼たちが、日本人、日本よりも、中国韓国により親和性を持っているのと、そっくりな構図ではないか。

 おそらくスコセッシは、キリスト教、映画、という二つの世界共通言語のもと、世界の人々と交流してきた。だから、そこに、世界との齟齬は、そんなになかったゆえに、こういうお花畑な映画になってしまったのだろう。
 しかし、ウクライナの変動、ヨーロッパの難民問題混迷、英国のEU離脱、中米に揺れるフィリピン、韓国、トランプ当選、と世界は「沈黙‐サイレンス‐」のお花畑志向とは真逆の方向に向かいつつある。

 この種の、苦悩する人々を描く映画が、さくさく、まるで娯楽映画のように進むのは、いかがなものか、と。
 アメリカ人、日本人俳優とも、その演技は平凡な域にとどまり、さして称揚すべきものではない。
 そもそもキリシタンや司祭たちの苦悩が、非キリスト者のぼくたちに、全く伝わらない。
 そして何より、篠田版で感じられた、踏み絵というアイコンの虚構的絶対性?が、本作では埋没していたように思う。映画的絶対アイテムを、活用した篠田、素通りしたスコセッシ、という印象。
 そして篠田版のラストはキチジロー(マコ岩松)が、女郎の三田佳子に居続ける描写。あれは聖と俗の対比という意味で、結構重要で、スコセッシ版では、俗の描写が、一切、ない。キリスト教のインナーサークルのみで完結して、閉じてしまった感じがする。
◎追記◎上記聖と俗の対比を、当初、と俗の対比と、誤変換していました。これではまるで意味をなさないので、訂正します。

 アジアへのキリスト教布教の後には、もれなく白人商人や、白人の軍隊がもれなく、ついてくる。善意?(キリスト教)が善導する植民地支配の罠。そこを水際で防いだ、当時の徳川幕府のキリシタン弾圧は、正しかった、という観点からすると、本作に深みは、全く感じられず、まだまだ篠田版のほうが、人間ドラマとして優れていた、と思う。

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by mukashinoeiga | 2017-02-05 18:44 | 新・今そこにある映画2 | Trackback | Comments(2)

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Commented by desire_san at 2017-02-11 18:48
こんにちは、
私も映画『沈黙-サイエンス』を見てきましたので、ブログを興味深く読ませていただきました。マーティン・スコセッシ監督は、原作のストーリーを忠実追っていましたが、江戸時代のキリスタン弾圧の時代を、キリスタンのみならず弾圧する側の井上筑後守や通辞など侍たちも飲み込んでいく巨大な蟻地獄のように描いているように感じました。

私も『沈黙-サイエンス』を観て、この映画の魅力と現代人はこの映画から何を学べるのかを整理してみました。読んでいただけると嬉しいです。ご意見・ご感想などコメントをいただけると感謝いたします。

Commented by mukashinoeiga at 2017-02-16 02:48
スコセッシ「沈黙‐サイレンス‐」 へのコメント、desire_sanさん、ども。
 コメント、書かさせていただきました。以下にコピペ。

desireさん、ども。
 ぼくのブログにお越しいただき、ありがとうございます。ぼくのブログと違い、格調高いブログなので、圧倒されました(笑)。
 ぼくは、desireさんと逆で、スコセッシ版より、篠田版の方がしっくりきました。最近のスコセッシは、どうも「映画の力」が弱くなっているようです。
 昔はヘヴィー級でしたが、今はバンタム級というところかしら。
 なお、気になっているところを二三。

>日本の江戸時代のように、残酷な専制君主の世界で、イエス・キリストの「愛の思想」を持った宣教師が人々に愛を注いだ結果、人々はキリスタンになる道を選んだとしても不思議はありません。

 現代の視点からすれば、江戸時代は「残酷な専制君主の世界」かもしれませんが、それはあまりにも後出しじゃんけんの奢り。
それは現代の視点で、Windows 95 を批判するようなもので、上から目線を感じました。「当時」としては、もっとも統治機能の最新版が「江戸時代」で。固定観念はよくありません。
 実際、キリスト教布教の後には、白人商人、白人軍隊が「進出」してきて、「あそこ」でキリシタンを弾圧しなかったら、日本の現在は、白人の植民地だったかもしれません。

>根本にイエス・キリストの「愛の哲学」をもったキリスト教がなかったら、世界史はもっと悲惨で残酷なものになっていたでしょう。

 キリスト教を含めた「世界のメジャー一神教」がなかったら、少なくとも数度にわたる「世界大戦」は、あるいはなかったのかもしれません。
 そういう「後出しじゃんけん」も、思考としては、ありだと思います。
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