三隅研次「鬼の棲む館」勝新太郎髙峰秀子新珠三千代佐藤慶

 京橋にて。「映画監督 三隅研次」特集。69年、大映京都。
 何度目かの再見だが、何度見ても「製作意図」が読めない(笑)。
 まあ、単純に考えて、脚本・新藤兼人、撮影・宮川一夫の布陣からして、ミゾケン重厚映画の夢よもう一度、ということなのだろうが。しかしその役目が重厚な軽匠・三隅に務まるとも思えないが。
 また、面白いのかつまらないのかも、何度見ても一向に判別できない(笑)。ということは、つまらないということだと思うが、そこまでも断定できかねる(笑)アイマイさ、というか雑味。
 まあ、はっきり、つまらないともいえない、絶品さも垣間見れる。
 木立ちの合間を縫って、歩く高峰、アラタマの絶品映像も、宮川してやったりか、というと、そうも、言い切れんのだが(笑)。うーむ。
 日活、東宝とわたってきたアラタマが、まるで別人のような絶品さ。清楚系ビッチ?を水を得た魚のように、振り切って快演す。こんなアラタマ見たことない。アラタマって彼女の未開発な領域の可能性に呆然とする。
 川島は、若尾を女にして見せます、と大映「女は二度生まれる」で言ったが、アラタマも「女にして」ほしかった(笑)。
 通常の三隅映画、通常の大映なら、この役は、中村玉緒で決まりだろう。それ以外ない絶品のどストライク。
 しかし、玉緒はすでにカツシンの女房、新鮮味がほしいというか、カツシンと玉緒が夫婦役なら、楽屋落ち以外の何者でもない、というところか。
 しかし、そこで、なぜアラタマが、アラタマって召還されたのか。うーん。不思議だ。

e0178641_1745712.png39鬼の棲む館(76分・35mm・カラー) <フィルムセンターHPより>
1969(大映京都)(監)三隅研次(原)谷崎潤一郎(脚)新藤兼人(撮)宮川一夫(美)内藤昭(音)伊福部昭(出)勝新太郎、髙峰秀子、新珠三千代、佐藤慶、五味龍太郎、木村元、伊達岳志、黒木現、上原寛二、松田剛武、森内一夫、美山普八、馬場勝義
谷崎潤一郎の戯曲「無明と愛染」の翻案。南北朝時代、情人(新珠)と荒れ寺でただれた生活を送る盗賊(勝)のもとへ、妻(高峰)が訪れる。やがて高野山の上人(佐藤)も入り乱れて、嫉妬と誘惑の黒々とした人間絵巻が繰り広げられる。

 東宝時代のアラタマって、はっきりいってどうでもいい役を、どうでもいい平凡な演技でやり過ごす、という印象しかないのだが。そこそこ清楚、そこそこセクシー。はっきり言って、どうでもいい女優のひとりとしか、ぼくには、思われない。
 おそらく大映女優だったら、もっと光り輝く、ビッチな悪女とか、出来たに違いない。映画会社との相性からいったら、大映専属であるべきだった、と本作のアラタマを見て、アラタマって、そう思う。
 それとも単に、当時の専属女優が、他社作品に借り出されると、いつもと違う役柄で、新鮮に飛び跳ねることが出来るという通例なのだろうか。専属する会社の映画に出演するのは、下品な言葉で言うと、義理マンだが、浮気の新鮮さ、ということか知らん。
 しかしそうであっても、専属女優の他社出演を、もっと見たかった。
 日活お花畑アイドル・吉永小百合が、大映で若尾ばりのセクシー演技をするとか(笑)。

 さて。
 軽快に跳躍するごとくカツシンの今カノを演じるアラタマだが、打って変わって低迷演技の、カツシン元カノ・高峰秀子の、問題にならない凡演は、どうだろう。
 むしろ生彩を欠いたデコちゃん、というのも、はじめて見るような気がする。
 なじみの薄い大映、初顔合わせの三隅、宮川ともほとんど初仕事か。
 何年前か、高峰秀子のインタヴュー記事を読んだら、
「二度と共演したくない相手役」という話題になり、「言わなくても、誰だかわかるでしょう」という、それこそイヤミな、答えで、たいへん気になるのだが、インタヴュアーの義娘は、わかるかもしれんが、こちとらは、わからん(笑)。
 で、勝手に本作のカツシンあたりを想定しているわけだ。
 三隅に限ら座頭市あたりでは、自由闊達な演技のカツシンも、本作では、なんだか、しゃっちょこばった、棒演技。これは文芸映画、というところで、勝手が違ったか。
 俺も雷蔵みたいに、ゲージツ映画に出たいんじゃー、とごねて、しかし、勝手が違ったか。そういう連想。
 荒れ寺に、今カノ、元カノ同居という設定なら、義一脚本、川島演出、で、よかったんじゃね、と無理難題(笑)。

 佐藤慶演じる旅の僧が、若いころ、アラタマに欲情し、その夫を斬り殺した。これを反省?して、俗世間と縁を切り僧侶に、なった。その彼が旅の途中、偶然にもこの荒れ寺に一夜の宿を請い、アラタマと再会。アラタマのたくらみというか、姦計により関係を持ってしまった。聖が俗に負けたわけだが。
 しかし、もともと、この男は俗人だったし、俗そのものの役を演じ続けたサトケイには、この役は不適ではなかったか。言っても詮無いことながら、この役を真に演じきれるのは、雷蔵をおいて、ほかになかったのではないか。
 冒頭、いきなり殺される落ち武者に、五味龍太郎、伊達岳志
 美術は相変わらず絶品だが、「羅生門」「雨月物語」あたりに比べると、してやったり感というか、無駄にでしゃばっているように感じるのは、スガメか。

鬼の棲む館(昭和44年) - プレビュー / Devil's Temple(1969) - Preview


★Movie Walker★に、タイトル検索で詳細な作品情報あり。簡単な作品解説、あらすじ紹介(企画書レヴェルの初期情報の孫引きゆえ、しばしば実際とは違うが)。

★新・今、そこにある映画★日本映画・外国映画の、新作感想兄弟ブログ。
★映画流れ者★当ブログへの感想・質問・指導・いちゃ問はこちらへ

★人気ブログランキング・日本映画★
にほんブログ村 映画ブログ 名作・なつかし映画へ
★にほんブログ村・名作なつかし映画★

★にほんブログ村日本映画(邦画)★
[PR]

by mukashinoeiga | 2016-03-23 17:46 | 三隅剣児女なみだ川と大魔剣 | Trackback | Comments(4)

トラックバックURL : https://mukasieiga.exblog.jp/tb/24243996
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
Commented by さすらい日乗 at 2016-03-23 23:07 x
高校の演劇部(正確には文化部演劇班と内務班みたいだったが)でやったことがあります。
私は出ず、下級生がやったが、見ていて「実に変な芝居だな」と思いましたね。
高校生がこんなのをやったのだから、今考えればすごいのですが。
要は、性欲に翻弄される人間なんでしょうが。
Commented by 昔の映画 at 2016-03-24 01:49 x
三隅研次「鬼の棲む館」へのコメント、さすらい日乗さん、ども。
 ヘンタイ谷崎を高校生が劇化するなんて、若気のいったりきたりですね(笑)。しかも本作を。
 アラタマ役女子は、ある程度経験をつんだビッチの役なんですが、どう演じたのでしょう。

>要は、性欲に翻弄される人間

そうされているのはカツシンなり、佐藤慶なり、あるいはデコちゃんなり、アラタマの役はそれこみで、単なる気まぐれ、退屈しのぎでしょうか。
 ところで、高校の内務班とはなに? まるで軍隊用語みたいで、とても戦後民主主義の高校とは、思われませんが(笑)。   昔の映画
Commented by お邪魔ビンラディン at 2016-03-25 00:07 x
うーむ、アラタマは「洲崎パラダイス赤信号」で、すでに川島に「女にして見せ」られていますがな。
それにしても、この映画の佐藤慶の役にピッタリ来るのは、雷蔵よりも木村功(「雁の寺」のイメージね)か岡田英次あたりなんでしょうかね。脚本も新藤兼人だし。第一、この映画の公開されたのは、雷蔵がまもなく病没しようかという頃で、それから長谷川一夫のスクリーンからの引退後は、カツシンと雷蔵が共演する機会はなかったように思います。
Commented by 昔の映画 at 2016-03-26 00:36 x
三隅研次「鬼の棲む館」へのコメント、お邪魔ビンラディンさん、ども。
うーん。あくまでも「個人の意見」ですが、「すざパラ」のアラタマに、オンナは感じないんですね(笑)。
 そもそもたいていの映画で、アラタマには、オンナは感じない(笑)。アラタマ不感症か。
 で、この映画では、珍しくヴィヴィドなアラタマに、ビビッと、来たと(笑)。
 雷蔵リクエストは、もともと言っても詮無い願望で。
 木村功なら、最初から転びそう感丸見えで、転んでも意外性がない感じですかね。
 岡田英次も、最初から女犯感丸出しでしょう(笑)。
 キャスティングというものは、つくづく難しいですな。そういう意味では、やはり、絶対この映画には出れないんだけど、雷蔵イチオシですね(笑)。 昔の映画
名前
URL
削除用パスワード