村山知義「初恋」
京橋にて。「よみがえる日本映画-映画保存のための特別事業費によるvol.6東宝篇」特集。39年、東宝京都。あと1回上映。
快作「恋愛の責任」(感想駄文済み)も快調な、村山知義監督第2作も、絶好調。たいへん面白い。
村山知義、映画監督としても侮れないな。ネットで引っかかったのは、後年の山本薩夫「忍びの者」シリーズも、原作とのこと。うーん、幅広いぞ。
今回は、前作と違って、カンパニークレジットは東宝映画株式会社に統一。タイトルの「恋」、会社名の「宝」「画」は、旧字体。って、どこぞの偏屈なブログのパクリみたいやねー(笑)。あ、偏屈はヘイトスピーチやあらしまへん、ほめ言葉ですねん。堪忍したってやー。
さて、前作「恋愛の責任」は、モダン都市東京の、銀座のペーヴメントを、ハイヒールでカッポカッポ闊歩するモダンガアル堤真佐子の物語だったが、本作は一転、四国高松の地方都市の、老舗の薬品店(製造販売)の、大家族の物語。
主人公の妹はセーラー服の女学生、彼女をのぞいて女たちは、みな日本髪の和服姿。薬品製造の女工たちは、割烹着姿。男たちも、長男・二男の学生服、滝沢の白衣(笑)以外はほぼ和服。
西洋志向の洋装モダンガアル(和服もあり)から一転しての、地方の旧家の和服オンリーの人間模様。うーん。
「わて、東京のモダンガアルの尻(おいど)追うだけーの、軽薄モダニスト野郎や、あらしまへんで。一作目でアンニュイなアーバン・ラブ、いて込ましたりましたわ、けど、わて、それだけのケイハクちゃいまっせ、今度は田舎の旧家の話、いて込ましますわ。重厚ドラマでっしゃろ。
どやねん。わて、才人でっしゃろー」
というドヤ顔(推定)が浮かんで、その軽薄才子ぶり(断定)に、鼻持ちならず(嫉妬)、若干評価は、渋くなりがちで。快作ならぬ準快作との、断定おます(笑)。ええ、ええ、あての「批評」は「私情」や(笑)。なぜか関西弁になりまっしゃろ、ですねん(笑)。
老け作りの滝沢修(グッドの絶の品や)の、老舗薬品製造販売。販売部の店と、製造部の女工部屋と、一家の自宅の三つが混然とした木造旧家然とした、老舗の店に、出入りする人たちを華麗に、ちっとも重くならずに、ユーモアをこめて、裁いている。もともと戯曲らしく、人の出し入れはお手の物。
滝沢の長男に大森義夫。
はるか後年「わしは~じゃよ」が決め台詞の、老新聞記者、老警官、老刑事などでTV人気を博し、映画にも、という名物「老」役者の、若き日の姿。結構、さわやかイケメンだなあ。
そして主役が二男・野々村潔。
実の娘のほうが有名すぎると(岩下志麻)、その顔のアップが映るたびに、岩下志麻の面影ありやなしやと、チェックされる不幸。しかし、彼が木下映画全盛期にこのキャラだったら、十分注目されただろう。戦前の、この時期では、惜しかった、生かしづらかった、繊細さ、というところか。
この青年が、いわゆる思春期の悩みにどっぷり漬かった自称・悲観主義者。
ピストルがあれば、今すぐ死ぬんだが、と公言する。いや、こんなこと、親に、兄妹に、恋人に、平気で公言すること自体が、すでにあつかましい、無神経さと、知ることすらできない状態で(笑)セーネンは。
「本を読みすぎて」旧制高校試験に不合格。もっとも読んでる本がホイットマンとか、ドフトエフスキーとか、通常の、当時のインテリ気取りの青年の必読書ばかりというのが通俗か。
恋人へのラヴレターには、恋情よりも、本で読んだばかりの知識を持って、娘を教え諭す、上から目線の、引用文、引用詩ばかり、なんて、もう赤面以外の何者でもないのね(笑)。
青年の個人個人の「個的な悩み」が、実は近代特有の通俗の極み、みんなと同じ同調圧力の結果だった、思春期の性欲過多ともリンクしていた、という、当の本人が当時知っていたら、仰天、驚き、屈辱のどんでん返し。
そう、かつては「青春の苦悩」というのがありました。思春期/青年期のはやり病。一種の青春期のはしかですね。インテリ気取りの青年は、みんな、これにやられる。本作の野々村潔青年の苦悩も、まさにこれ。
ま、ワタシも多少その気はありましたが(笑)、いまじゃ立派に?そいつあ「若き浮いているの悩み」ですねん、とオヤジギャグ。
いつから、この「青春期の悩み」は、地に墜ちた(笑)か。ホップ・ステップ・ジャンプ。
ホップは、戦後の、教養主義の衰退か。
「教養」なんて、飯の種にも、なりしまへんわ。だいいち、そげん悠長なこというてたら、このスピード時代に、取り残されまっせー。
ステップは、青春期のはしか政治部門不動の第1位「左翼思想」の崩壊。
俗に、十代で左翼志向に染まらなかったら、馬鹿。三十(大人)にもなって、まだ左翼志向なら、馬鹿。という。
左翼思想は、青春期のはしかと、たいへん相性がいい(笑)。
左翼というのは、脳内お花畑の理想、理論のみを重視し、現実世界は完全無視。それゆえに、ぼんくら思春期理想主義とたいへん相性はいいのだが、いざその左翼思想を現実化すると、ロシア、中国、ヴェトナム、ルーマニア、北朝鮮、その他その他と、たいへん悲惨な事態に。理想を語るあまり、現実処理能力ゼロなのは、日本の民主党政権の3年余の実験?でも、明らか。
左翼政権による、自民族大量虐殺、いわゆる粛清(その劣化ミニチュア版が日本赤軍による総括、内ゲバ)は、あまりに思春期情動の妄動、譫妄に過ぎる。青春の妄想の、巨大なるパロディ。それが、また、左翼に、合う合う。
現実を見ないがゆえの、理想主義。理論上は完璧な社会を作れるはずが、いざ現実に移したら、階級否定なのに階級制度増長、自民族虐殺に次ぐ虐殺、粛清、国民の知る権利無視の情報遮断、エトセトラ。
最近でも、いわゆるアラブの春を朝日はじめ左翼諸君が絶賛したが、その「革命」の結果、ますます「非民主的」内戦化、民族対立宗教対立への道。「民主主義」とは、よりほど遠い「原理主義」「民族主義」への道へと。結局「左翼化」「革命化」とは、例外なしの「泥沼化」「歴史的後退」であると。
思春期脳内お花畑における、政治的スタアである左翼思想の退潮は、ホント、影響多いよね。
そして、トドメ、ホップステップのジャンプが、2ちゃん造語の「中二病」その普及。
悩めるセーショーネンの苦悩、それが、単なる中二病である、と実もフタもなく貶められて?、あるいは明晰に見透かされて/見切られて、「青春の苦悩」は、地に落ちました(笑)。閑話休題。何の話だっけ?
そう、野々村潔セーネンの悩み。ご丁寧に、セーネンの成れの果て、駄目な大人になりましたの、三島雅夫ヨッパライの、使用前使用後の見本もありーの。この対比が、涙が出るほど笑えて、素晴らしい。
究極のボンクラ、それがかえって?逆説的に大人の知恵?の、滝沢修老人。田舎とは、知的停滞であるのか、大人(タイジン)の究極の知恵の輪(和)であるのか。
そういう、人生、まことに一場の夢にてござります、なんてのを、まー軽薄センパクきわまりないモダン都市のモダニスト風情に、語られてもねー、という。偏見ですね、すいません。
ナン十本と見ている滝沢修をはじめていいと思い、その娘の、かわいい女学生が小学生の弟を本気で投げ飛ばすのも素晴らしく、冒頭の高松の祭りも素晴らしい。
ドンドン太鼓をたたいている打ち手を乗せたまま、神輿が、沿道で見ている観客側に90度横転し、しかも打ち手は太鼓を叩き続け、また90度元に戻る、こんな祭り神輿ははじめて見た。ワイルドすぎる。現在なら、危険ゆえ、即刻禁止ものだろう。まさか、高松では、今でも行われているのか(笑)。
のちには、寅さんにもっともらしく説教するおいちゃんこと下条正巳が、遊び人のチンピラだったり。うーん、歳月だねえと。
ちゃらちゃらのモダニストが作った映画ゆえ、偏見丸出しの駄文ではあるが、面白いことは、たいへん面白いのですね(笑)。
何より撮影と美術が、美しい。
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by mukashinoeiga | 2013-11-09 00:49 | 傑作・快作の森 | Comments(0)