吉村公三郎「春雪」佐野周二志村喬藤田泰子竜崎一郎磯野秋雄東山千栄子青山杉作
京橋にて。「生誕百年 映画監督・吉村公三郎」特集。50年、松竹大船。
本作の感想の前に一言。
フィルムセンターは、本特集のある4月いっぱいは、3回目の上映を全て中止するとのこと。
へたれにも、ほどがある。さすがの、お役所仕事。いや、フィルムセンターの、上映実務は、一時期ピントぼけぼけの時期もあったけど、今は、ほぼ完璧といえる。言えるんだけど、青くさいこといっていいですか。
フィルムセンターに決定的に欠けているのは、映画を見せる喜び、というか。一回でも多く、映画を上映する、その喜びが、ない。まるで、菅民主党みたいだ。
フィルムセンターのチラシで<興行的には「森の石松」「真昼の円舞曲」に続く不入りとなり、このことが近代映画協会の設立につながった>、要するに松竹と切れた、と。
そりゃー、そうだよね。
映画は、戦前松竹メロ以来の、三角関係メロドラマ。なのに、吉村は、この夢物語の松竹メロに、現実路線を導入する。
貧しい労働者カップルは、結婚さえままならず、寒さに震えている、そんな登場人物たちで、三角関係メロドラマを作ろうと。
バカですか、吉村公三郎。
戦前松竹の三羽烏スタアの佐野周二が、背中を丸めて、薄ら寒い海辺を、猫背でうろつく。あまりにリアルで、これで<夢物語>で一本撮ろうなんて、太すぎるぞ。ヒロイン・藤田泰子も、華がない。
新しい酒(戦後のリアル)を、古い器(ある種理想化された戦前松竹メロ・スタイル)に。
無理があった。戦後のリアルが、寒々しいだけ、余計に。
ヒロイン・藤田泰子と、父・志村喬は、一緒に、中目黒駅から、東急線で、渋谷に通勤。藤田は改札を抜けると、すぐの駅長室に。そう、藤田は東急渋谷駅の駅員。改札で、昔懐かしい切符用ハサミをカチャカチャカチャ。佐野と話しながら、窓口で、切符も売る。渋谷駅ビルの屋上で、お弁当。まだまだ駅ビルといっても、低層階で、地面の電車が、近い。
東急電鉄と東急労組も、ともに協力とクレジット。東急渋谷駅内は、セットだと思うが(それとも夜中にロケ・セットという可能性も高い)当時の駅風俗を見ているだけで、楽しい。
中目黒駅(所在無げな改札係りは、磯野秋雄! 戦前松竹以来のおなじみの顔が出てくるだけで、うれしい)も、渋谷駅内も、木造で、薄暗い。少なくとも、中目黒駅は、深夜に実景で撮影したのだろう。
この暗さが、震災後の現在、再びお馴染みなものになっていて、今現在の、駅の暗さ、繁華街の暗さ、通りの暗さ、みな不安の元だろうが、OLD映画を見慣れているぼくには、妙に懐かしい風景だ(笑)。
本当は、電力需要ピーク時を過ぎた、特に深夜などは、節電などする必要はないらしく(電気は蓄電できないので、宵越しの電気は、ありえないらしい)しかし、慣れてみれば、この暗さというのも、ぼくなどには、落ち着けるものかも。
ヒロインが一時、心を移す、お金持ちのぼんぼん(これまた華のない竜崎一郎)その邸宅にいる両親が、東山千栄子、青山杉作。この時期の金持ち家庭のインテリ親父は、必ず青山杉作で、ソファに座って英字新聞など読んでいる、青山杉作は、まさに豪邸に一個、必須の置物然としている。とても、生きている人間とは思えない、存在感が、おかしい。
ドラマティックな音楽にあわせ、バーンと、佐野周二。
東急電車の運転席の佐野に、ズームアップ。その、メロ・テクも、この地味な流れに、そぐわず。
地味な時代には、吉村、似合わなかったか。

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by mukashinoeiga | 2011-04-13 08:51 | 旧作日本映画感想文 | Comments(2)

映画は所詮嗜好品なので、漬物が好きなひと嫌いな人、ゴーヤ好きな人嫌いな人がいます。ある映画を好きなひと嫌いなひとがいていいわけです。
映画を勝手に上から目線で、いいの悪いの言ってるぼくの駄文を牧子嘉丸さんに批判される。これもまた正しい。どうぞ、ビシバシご批評を。 昔の映画