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沢島忠「殿様弥次喜多 怪談道中」

 池袋にて。「錦之助映画祭り2010」特集。58年、東映。
尾州の若殿・中村錦之助と、紀州の若殿・中村賀津雄が、意気投合して、おりしも出合った弥次さん喜多さんと、入れ替わり、気楽な町人姿で東海道を行く。窮屈な大名行列の、文字通りの「駕籠の鳥」から開放されて、生き生き。
 これに、おなじみお家騒動やら、なにやら怪談ティスト(の、もちろん喜劇味)やらが、からむ、お気楽東映時代劇の、明朗編。
 ようは、錦之助を主とする、兄弟アイドルの、アイドル映画なのだが、錦ちゃんファンが、にこにこ、うっとりすれば、それでよろしい、という映画。
 他愛はないが、他愛がないからこそ、製作されてから50年たっても、新文芸坐の休憩中のロビーは、錦ちゃんファンクラブの、年配男女のにぎやかなおしゃべりの場と化すのですね。
 年をとって、臭みが似合わないのに、しかし臭み全開のヨロキン時代に比べるべくもなく、青春の錦ちゃんの、さわやかさ、爽快さ、ソーダ水のごとき清涼感は、ファンならぬぼくでも、うれしくなる。
 その天性のアイドルに寄り添い、邪魔をしない中村賀津雄の、透明感。
 しかし、沢島忠映画を見ていつも思うのは、当時は斬新なティストとしてカツモクされたのかもしれないが、今見ると、なんともふつうの、出来のよい明朗映画で。まあ、当時としては、特にどんよりと年寄り臭かった東映時代劇のなかでは、モダンだったのかもしれない。斬新な登場ぶり、というのは、同時代に生きていないと、わからないのでしょう。
 たしかに、松田定次なんかの、ドンくさい東映時代劇なんかは、退屈そのものだが、その異母兄弟・マキノ正博なんか、永遠のウルトラ・モダン、面白いものは50年たっても70年たっても面白いわけで。
 ま、マキノに比べれば、沢島忠なんか、永遠に小僧っ子ですがな。当たり前だけど。

by mukashinoeiga | 2010-11-21 07:28 | 旧作日本映画感想文 | Comments(0)

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