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山本薩夫「真空地帯」

 京橋にて。「映画の中の日本文学 Part3」特集。52年、新星映画。
 冒頭、<新星映画>とともに、<北星映画>のロゴもクレジット。名前が似ているので、実質同一組織かしらん。
 そして、続くクレジット部分のバックには、髭のロシア人系軍人らしき銅像が映される。ソ連映画でよく見たような、タイトル映像で、まるで、ソ連映画みたい。左翼はわかりやすいなあ。心の宗主国、丸わかり。この映画もコミンテルンの指導に基いて作った映画か。まだ、共産党ソ連が光り輝いていた頃だからねー。
 そして、ヤマサツ演出は、もちろん後年のスーパーさを獲得する以前。大勢の登場人物が入り乱れ、それをまた、大勢の新劇系野郎役者たちが演じ(女性出演者は、日本人娼婦・利根はる恵一人のみ。かつてこの種の映画のヒロインが利根はる恵という時代がありました)、見事なアンサンブルではありつつ、まだ、後年のスーパー・ヤマサツ演出には、及ばない、未完成系。
 大阪城が見える兵舎群の中の濃密な人間関係。
 主人公は、二年三ヶ月服役の軍刑務所を出所した四年兵・木村功。戻ってきた原隊では、同期兵はみな大陸に送られ、ほとんどが戦死。かえって、自分の過去がばれずに、好都合か。
 今は、二・三年兵が初年兵をいじめる日々。いろいろ慣れない初年兵のミスを、ひとりが犯せば、初年兵全体の連帯責任、全員を罵倒、びんた、いじめの極地。いやあ、役者・スタッフ含め左翼諸君は、こういう日本軍の恥部を、生き生きと躍動的に描くなあ(笑)。自国の恥部を生き生き躍動的に描く心根というのも、まあ、左翼諸君お得意、ソ連譲りのものか(笑)。
 さて、木村功、軍刑務所帰りということで、訓練もせず、ただ兵舎でのんびり何もしない毎日。刑務所帰りこそ、ビシバシ鍛えるのが<悪い>日本軍にふさわしいのでは・・・・。ところが、なぜか、軍の仕事から一切免除される、モラトリアム状態。鬼班長・西村晃も木村功には、ミョーに優しい。
 腫れ物に触るような、異分子排除状態で。ここら辺説明が一切ないが、裏返して言えば日本軍は、犯罪更正者には、杓子定規なほど、気を使っていた、ということなのか。
 しかし、そういう建前はともかく、いや建前が、更生者に<配慮>すればするほど、回りのみんなは反感を持つのは世の常というもので。ムショ帰りなのに、何であいつばかりが、きつい訓練を免除されるのか、と。鬼班長西村も、木村功に対するときだけ、ミョーに猫なで声で。
 だから、木村に対しては、直接のアレはないものの、二・三年兵は反感持つわなあ。で、木村功も、そういう状況にわれ関せず、みなと溶け込む気もない。で、どんどん、マグマがたまり。
 木村を罵倒する歌をみんなが歌う。
 ここからが、意外な展開。普段は、帝国軍人にあるまじき、本当に蚊の泣くような声の木村功が、突如、キレる。
 オレは、お前らより上の四年兵やぞ!
 刑務所帰りは、もう怖いもんは何もないんだ! 
 お前ら、みんな並べ!
 威圧された、三・二・初年兵は、日ごろの習性か、そう言われれば、並んで、びんたを受ける。ことに目立つ二年兵は半殺しの目に。初年兵をいじめている二年兵も、かわいそうな初年兵も、日ごろ何くれとなく木村の面倒を見る三年兵・下元勉も、みんな、びんた、びんた、逆切れならぬ、正切れ?の木村功。

 ヤマサツ版「キャリー」か。
 左翼映画作家ヤマサツの不思議なところは、国際コミンテルンや、日共のテーゼどおり、おとなしく教条的左翼映画を作っていればいいところを、突如として、<映画の側>に<表がえる>ことにある。ここで、主人公・木村功が<場を支配>してしまったら、<旧日本軍の組織的悪の構造>の、強固さなど、たちまち崩壊してしまうではないか。相対的な悪に堕落してしまうではないか。

 木村功がキレた、その次のシークエンスでは、殴られたはずの下元勉が、優しく木村に進言し、木村逮捕・服役のからくりを教える。エ、ひょっとして、巻の掛け違い?と疑うほどの、対立のあとの滑らかさ。ま、ここが下元勉の強さか。インテリの下っ端兵を演じて、下元勉のベスト・アクト。いいなあ。

 スーパーではないものの、教条主義とは無縁な、左翼作家・山本薩夫の、佳作。ニコニコ顔(でも、やはり、切れるときは切れる)高原駿男、神田隆、三島雅夫、ら多数の俳優人の好アシストを受けて、好調。

by mukashinoeiga | 2010-04-13 23:21 | 山本薩夫傷だらけの左傾山河 | Comments(0)

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