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木村威夫VS鈴木清順

 木村威夫の発言で印象に残っているは、次のくだり(もちろんぼくのきわめてアバウトな記憶に残っているものゆえ、あまり正確ではないかもしれない)。
 たとえば、俳優がベッドから起きて、独り言を言いながら、ドアにたどり着く。そういうシーンを想定した場合、そのせりふに費やされる何十秒かこそが、ベッドとドアの距離を決定する、と。俳優が50秒しゃべるとするならば、ベッド・ドア間は、その俳優が50秒で歩く距離と、イコールであると。そこから逆算して、その役者の演じる人物の寝室の、セットが決定される、と。実際の建築と、映画のセット建築には、そういう違いがあるのだと。
 鈴木清順「東京流れ者」で、渡哲也が敵の巣窟を襲うとき、不死鳥の哲こと、渡哲也は、こううそぶく。
「オレのハジキの射程距離は10メートルだ」
 したがって、その敵のアジトは、絶対に十メートル以上の、細長い空間が、なければならない。かくして、そこには、リアリズムを無視した、細長い空間のセットが用意されることになる。
 監督が誰だったか忘れてしまったが、ある凡庸な監督の日活映画で、もちろん美術はキムタケ、ある家庭の固定電話(当時はもちろんみんな固定でした)の場所が奇妙な位置にあるのを見て、ひとり爆笑しました。もちろん、ドラマの設定上、その奇妙な位置にあることが、映画の滑らかな進行を生むことによるのですが、しかしその位置は現実の建築では、実に奇妙な位置になってしまうのですね。その監督は清順ではないので、奇妙な位置の電話は、ただ単にヘンな位置にある電話としてやり過ごされるわけで。清順であるならば、その奇怪な位置にある電話から、怪談めいた香気(妖気?)を漂わせる怪シーンになるのでしょうが。
 もちろん清順映画のキムタケ・セットは、このふたりが阿吽の呼吸で打ち合わせした結果、生まれたのでしょうが。たしょう(いや、かなり)ベクトルが違いつつ、ありきたりじゃ面白くないという信念だけは一致する変人同士、ツーとくればカーと答えるベスト・コンビゆえの、コラボ。とは言いつつ、ぼくがひそかにかくあるべし、と思っているのは、まあ大体の方向性は話しつつ、まずキムタケが異様なセットを勝手に作り上げちまう。助監督が見てきて、清順に伝える。「木村さん、またへんてこりんなセットを作ってますよ」
 ニヤニヤしながら清順、「まあ、出来上がったら、お手並み拝見と参りましょう」
で、出来ました、と美術助手から連絡が入り、おもむろに清順、セット見学。
 助監督連からは、「なんでぇこのちんけなセットは!? 段取り組めねぇじゃないか」
 撮影部の助手たちは、「キャメラどこに置かせる気だっ」
 照明助手たちは「親分、こりゃあどこにライトおくんで?」
 プロデューサーは、「また木村の野郎、無駄金使いやがって! 清太郎の添え物映画なんだから、有り物使いまわしてりゃいーのによお」
 それらの有象無象を見つつ、ひとり、キムタケはふんぞり返って、ニヤニヤ。
 清順はといえば、「まあ、こんなもんですかな」といいつつ、実は一睡もせずにぶつぶつ考え込んで。翌日、脚本の直しが配られて。俳優たち、「やってらんねーよ。これじゃ、昨日覚えたせりふ、無駄じゃん」
 具体的にどうせりふの直しが入るのか、検証もしないまま言うのだが、元のせりふにかかる秒数では、セットに合わない、から、とりあえず、合うような適当なせりふに変えちまおう、という結果ではないのかと。せりふの内容では、ないのだ。

なお、「ツィゴイネルワイゼン」で、鎌倉?の駅のシーン。駅表示板がきれいなプラスティックなのに、ずっこけた。戦前の話なのに。異化効果か、タコ効果か。

by mukashinoeiga | 2010-03-27 22:32 | 清順の光と影すべって狂ってる | Comments(0)

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