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世界映画美術の極北・木村威夫

 大映/日活/独立系と、日本映画の歴史を渡り歩いた、日本映画美術監督唯一無二の人、ということは世界映画史上でもきわめてユニークな美術監督、キムタケこと木村威夫氏が死去した。91歳とのこと。
 映画の美術監督というのは、基本的に、この世界の、ありとあらゆるリアルな空間的再現を目指すのが、ごくふつうのことであり、その映像的ショットの連なりの中で、いかに現実(あるいは非現実)世界を再現するか、リクリエィティブするかが、その職種の本分ではあるのだが、ひとりキムタケだけは、人工的な、あやかしの世界を<再現>する美術監督だったと思う。
 もちろん、熊井啓の諸作を代表とするリアリズム美術をも作り出す一面も、それなりに充実しているのだが。しかし、はっきり言おう。熊井啓は、キムタケ・リアリズム美術を十全には、極めつくせなかったと思う。宝の持ち腐れで、あったと思う。凡庸な熊井啓の<映画力>では、所詮それはかなわぬことだった。
 キムタケ美術がその真価を発揮したのは、誰もが知るとおり、天下のへそ曲がりである鈴木清順監督の60年代の、諸傑作に止めをさす。ここでは具体的にタイトルは記さないが(それは、いずれ、かなり、近い未来に、必ず、出す)、その<主張する美術>を、鈴木清順が加工し、あるいは骨までしゃぶりつくすようにキムタケ美術をしゃぶりつくし、いかに優れた映画空間を生み出していったことか。
 そのセット自体で、人を映画的に興奮させるセットを作る美術監督がいったいどれだけいるのか。そして、キムタケの意図をきちんと理解し、あるいはキムタケの意図以上にそのセットを、きちんとしゃぶりつくした映画作家が、清順一人だった不幸。いや、一人でもいたことを、不幸というべきではないのかもしれない。
 ぼくたち映画ファンは、その、ありうべからざる、奇跡のコラボを、体感的に楽しめばいいだけなのだ。
 キムタケについては、続く。

by mukashinoeiga | 2010-03-26 23:35 | 旧作日本映画感想文 | Comments(0)

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