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渚のはいから「人形」

 今回、大島渚の映画を何本か見て、だんだん大島映画がわかってきたような気がする。
渚のはいから「人形」_e0178641_06391805.jpg 大島渚は「夏の妹」について、(大意)「オレ大島渚とあろうものが、素直子(すなおこ=ヒロイン栗田ひろみの役名)なんて名前の女性の映画を撮るべきでなかった」といったという。これに対して、ネットでの突っ込みは「大島の映画に出てくる女性は、みんな素直な女ばかりじゃないか」というもの。
 これは正しい。大島映画の男たちは、世間に反逆/反抗/異議申し立てしているが、女たちはおおむね、すなおというか、わりと<後衛的>である。当時のことだから、<性に奔放な女>は、実に反社会的とみなされていたので、そういうヒロインも多用されたが、それは、よく考えてみれば、<欲望(あるいは本能)に忠実な女>であって、実にすなおそのものではないか。
 「天草四郎時貞」丘さとみは夫に殉死するし、もうひとりの立川さゆりはレイプされて自責する。 「白昼の通り魔」川口小枝はレイプされても佐藤慶をかばう。 「無理心中 日本の夏」桜井啓子は、すれたオトコどもの中で、さながら掃き溜めの鶴状態。生まれたまんまのピュアさとも言える、欲望娘。「帰って来たヨッパライ」緑魔子は、フォークルの三人を助けるために、一途に駆けずり回る。いったい何のために。
「夏の妹」栗田ひろみは究極の健康・元気アイドルだし。りりィは、なぜか、常に申し訳なさそうなキャラ。歌手で、たぶん映画初出演だと思うが、登場してすぐ、いきなり風呂に入って乳を見せる。まったく無駄なヌード。多分、まったく映画について事情を知らないうちに、大島に言われるまま、そういうもんだと思わされて、ついうっかり風呂場だから裸で風呂に入って、撮らせてしまったのでは、と。そのくらい無防備かつあまり意味のない脱ぎで。いやあ、すなおだなあ。
 大島映画のヒロインの多くが<レイプの被害者>であることにも、注意。大島映画のヴィジュアルを一枚のスティルで表わすと、「青春残酷物語」(ぼくは未見)の、川津祐介が桑野みゆきに平手打ちして、みゆきがふぎゃぁと叫ぶ一枚。結局、この一枚こそが、ザ大島のイメージなのだろう。今回のフィルムセンターのチラシにも使われている。
 つまり、松竹メロドラマのヒロインにふさわしく?社会やオトコに迫害されていくことで、観客の紅涙や同情を買っていく。いや、松竹メロのヒロインはまだしも同情を買うが、大島映画のヒロインはその被虐を一顧だにされないという違いはあるのだが。
 「絞死刑」は、韓国人死刑囚を肯定するあまり、彼が通りすがりに殺したふたりの日本人女性は、まるきり省みられない。韓国人は日本人に差別を受けたという。だから、韓国人には日本人女性を犯して殺す権利があるという映画。女たちは実に率直に犯され殺されていったようだ。そして、大島最晩年の二本は「戦メリ」「御法度」と、男集団の話に特化して、女の存在は消えていく。
 「白昼の通り魔」のもう一人のヒロイン・小山明子は教師。ラスト、生徒たちに名前を次々呼びかけて、そして「さようなら」と去って行く。まるで、松竹大船映画のセオリーどおり、木下恵介でもあるまいし、ではないか。
 思えば監督直前のオリジナル脚本提供作、岩城其美夫「月見草」は、もともとばりばりの松竹メロ・ジュニア版ではあるが、ヒロイン十朱幸代は、ボーイフレンドの、俺が浪人脱出・大学合格するまでは、手紙も禁止、というわりと身勝手な一方的宣言に率直に従い、「振られ」ると崖から飛び降り自殺という、これ以上ないくらい、いじらしい素直娘。
 つまり、大島渚、オトコの登場人物に関しては、大いに「国家」や「社会」に反抗するキャラだが、女性に関しては、その出身である松竹メロから、ほとんど進歩していないのだ。どこがヌーヴェルバーグかと。ま、もともと本家のゴダール、トリポン、ロメールにもそのケはあるけれどね。自称<革新的思想>を誇る50~60~70年代の<左翼革命闘士>も、こと女に関しては、かなり保守的だったりするのは歴史の閲するところだ。
 そして、大島最晩年の二本は「戦メリ」「御法度」と。男同士の関係を装いつつ、あるいは男同士の関係性だからこそ、ついつい本音と出自が露呈してしまう。これは、まさしくメロドラマではないか。
 棺おけに片足突っ込んでいる、という表現があるが、大島は、ついに、もともと、ゆりかご(松竹メロ)に、片足突っ込んでいて、その片足を抜き切ることは、なかったのだ。

by mukashinoeiga | 2010-02-14 00:24 | 大島の渚に寄せる新波かな | Comments(0)

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