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黒沢明「一番美しく」

 おそらく黒沢映画数あるなかで、<一番奇妙な>映画は、本作であろう。
 みもふたもないことを最初に言ってしまえば、本作は、
   <女の子に一切興味のない男が作った、女の子映画である>
 いったい、どうして、そんな映画を作ってしまったのだろう。不思議でならない。だから、
   <この映画のなかの女の子は、男の子にしか見えない>。
 この映画に関しては、いろいろ不思議な点がある。

 戦前の日本映画にしては珍しく豪快なアクションもの「姿三四郎」と、その続編でデヴューした黒沢が、軍公認の<戦意高揚映画>を、作るに際し、なぜ少女たちの<銃後の守り>なのか。当時の世相からして、戦地を舞台に堂々とした軍隊映画を作ってもよいではないか。
 まあ実際の戦前・戦時中の日本映画界には、満足なアクション映画を撮れる技術も伝統もなかったのは確か。さらに、まともな戦争映画すら、軍の検閲で撮れるわけもない。そこで、賢明な黒沢が<女の子に、逃げる>のは、わからないでもない。そういう逃げをしなかった凡庸な映画人たちは、きわめて非映画的な窮屈な制約のなかで、きわめて凡庸な<戦意高揚映画>を、作る羽目に陥った。

 奇妙なタイトル。「美しく」というのは、まだ、わかる。「一番」美しく、の「一番」とは、なんなのか。「一番美し」い状態とは、いったいどういう状態なのか。美「しく」の次に来る言葉もあるはずであるが、それも不明なまま。一番美しく「どうある」のかが、不明なのだ。
 黒沢映画のタイトルといえば、「姿三四郎」「続 姿三四郎」「虎の尾を踏む男達」「酔いどれ天使」「静かなる決闘」「野良犬」「醜聞(スキャンダル)」「羅生門」「白痴」「生きる」「七人の侍」「生きものの記録」「蜘蛛巣城」「どん底」「隠し砦の三悪人」「悪い奴ほどよく眠る」「用心棒」「椿三十郎」「天国と地獄」「赤ひげ」「どですかでん」「デルス・ウザーラ」「影武者」「乱」、ご覧の通り、くっきりはっきりさっぱりストレート、実に男らしい、何の迷いのない体言止め、しかも語呂のいい、覚えやすい名タイトルのオンパレードである。「浮雲」とか「浮草」とか「鰯雲」とか、内容をストレートに表わさない、テンション下がるタイトルを伝統とする日本にあって、黒沢映画のタイトルは極めて個性的であり、わかりやすい。
 しかるに「一番美しく」、これだけが、何が言いたい?と、疑問のタイトルなのだ。いや、疑惑の種は、もっとある。前に書いた、いわゆる<黒沢ひとり脚本時代>を、中心とした作品のタイトル、「わが青春に悔なし」「素晴らしき日曜日」「夢」「八月の狂詩曲」「まあだだよ」。青春ですよ青春。素晴らしき、とか、夢、とか、なんなのこのふにゃちんなタイトルは。八月の狂詩曲、こじゃれてるねえ、君には似合わんよ黒沢君。「まあだだよ」にいたっては、観客から「もう、いいよ」と、返されてしまう。全盛期の男らしさ、すっきりさっぱりのかけらもない、とは言いすぎかな。この曲線的タイトルこそ、黒沢の本性なのか。
 黒沢にしては珍しいカップルもの「素晴らしき日曜日」は、実際には(最後を除いて)素晴らしくもない日曜日を過ごす。「夢」には二つ意味があって、理想・幻想と、睡眠中に見る夢(悪夢を含む)。まあ、実際に「青春に悔なし」という奴はほとんどいないだろう。ああ、そうか、<黒沢ひとり脚本時代>のタイトルは、正語と反語をともに秘めたタイトルなのかもしれない。「一番美しく」というのは、実際には「一番美しく」ない状態をも示唆する皮肉なのかもしれない。ただし、くっきりさっぱりストレートの人、黒沢には、皮肉とか反語とか、いわゆる大人向きの語法が成功しない、というだけなのかもしれない。 

 極めて個の確立した、個性的な人物が多い黒沢映画の登場人物群のなかにあって、「一番美しく」の少女たちは、なにやら一群の無個性さを感じるのが、珍しい。しかも、演出も衣装もどちらかといえば、男の子みたいな女の子たちである。そのリーダー格を演じた矢口陽子も、突出した印象はなく、他の監督の映画に出演したときほどは、明確ではない。この女優を、黒沢は嫁にした。後に起用した、中北千枝子、小田切みき、多用した千石規子、香川京子に連なる、色気抜き女優。まあ、矢口の場合はまだ子供だからね。

 世界ガールズ・ムーヴィー史上、もっとも華がない女の子映画。さすが、生涯で唯一撮った女性ヌードが、おばあちゃんヌード、の人だけはある。
 寮母・入江たか子が絶対的な聖母として、美しい。慈愛と理知の極度に理想化された母親像。しかも彼女の出自を考えると、当時の軍に受ける絶妙のキャスティングだろう。女の子には関心ないけど、お母さんは肯定するのね。
 そして、後年、映画のことなどちっとも理解していない左翼の皆さんから、家父長的な黒沢映画と揶揄されるわけだが、入江の母的役割に対し、父親的役割の工場幹部・志村喬や菅井一郎たち。妙に優しい、慈父の趣き。優しくて、傍観的で、力弱い印象。
 三船敏郎で<男>に目覚める前の、まだ<男>に関心のない時期の黒沢映画なのだろうか。ちなみに、この工場幹部たちは少女たちの愛国心・向上力を、文字通り工場力としてあおっておいて、なおかつ時の政府からは莫大な利益を得ていたのだろう。扱う生産物が、たとえば爆弾などという直接的な武器ではなく、戦闘機に搭載する精密機器レンズであるというのも、非常に微妙な黒沢なのである。

by mukashinoeiga | 2009-08-17 21:21 | 黒沢明 黒い沢ほどよく明か | Trackback | Comments(0)

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