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成瀬る5 山の音とは雪崩のことか  

 さて、爆笑喜劇俳優山村總が本業に戻った(?)『山の音』(1954・原作川端康成・脚色水木洋子)である。
 母・長岡輝子ひとりが、屈折がない、のほほんキャラで、彼女だけが裏表がない。残りは全員裏表ありまくり。「庶民派」成瀬としては異常なまでに。
  1 父・山村總は嫁・原節子と相思相愛状態。
  2 息子・上原謙は複数の女性と怪しげな関係。
  3 娘・中北千枝子は子供二人を連れて出戻り状態。
 特に1・2が、成瀬にしては、異様な変態度がただよう。しかし3の中北千枝子のネガティヴ・パワーもあまりにすごくて、圧倒される。中北千枝子は、成瀬映画ゆえに、おそらく日本映画界最強の「性格俳優」なのではないか。恐るべき負のパワー。
 ここで注目は、実は、一見脇役な、長男上原だ。考えてみたまえ。朝は、父とともに出勤、会社は父が社長、退勤も父とともにうちに帰ることを母たちに期待される、帰ったら帰ったで、嫁は自分より父に密着している、そして夜が明ける、一家の早起きは父と嫁、なにやら怪しい。こういう状況で、反抗するとすれば、帰宅を父と共にしない、なるべく遅く帰宅する、くらいしか、彼には「自由」の選択肢がないではないか。かくて上原が浮気するのは必然であるのですね(ワンシーンだけ登場する妹中北の夫・金子信雄に対する上原の親近感ある態度。実の妹への嫌悪とは裏腹な、金子の放蕩に対する許容度)。
 ここで、さらに注目すべきは、彼の浮気の異様さだ。「酔って暴れてまで愛人に歌うことを強制する。愛人は歌うことを泣きながら拒否する」なんていうへんてこりん。
 無論当時はこの種の描写はたとえせりふだけだとしても、ある種のつつしみが必要ではあったのだろうけれど。何かしらの行為の比喩であったとしても、納得いかないし、ひょっとして成瀬はギャグとして言わせているのか。
 愛人・角梨枝子に、その友人・丹阿弥、部下・杉葉子の三本立て。おまけが多すぎる。しかし、この三人は、実家の、妻、母、女中(やめているので会話の中だけで登場)にきっちり対応するのではないか。

               妊娠する愛人・角=同時に妊娠する本妻・原
  角をかばう丹阿弥(実は息子がある母)=母・長岡
    自身も上原に気があるような秘書杉=直近で辞めた女中
                      (後釜は杉が友人を紹介しようとする)
 そして、それぞれの三人の「家長」は、いうまでもなく、
                   息子・上原=父・山村

 実の家で、身の置き所がない上原が、仮の家で作り上げた虚構の家族。その数学的相似性。その相似性は、もちろん妻・愛人同時妊娠までにいたり、しかも本妻は中絶強行、愛人は出産決心、と上原にしてみれば、もーカンベン状態でありますね。原節の悩みなんて、上原の悩みに比べればタカが知れている、と思いませんか、山村のおとーさん。思わないかなあ。
 ほんとは義父の子を産みたかった、あるいは、その精神的不倫に折り合いがつけられずに中絶する嫁・原節子。まあ、表面は浮気する夫への拒否反応ということだろうが。
 「子供には見えない」童女の面に執着する義父。杉の紹介で「息のかかった」?女中を画策?する上原。そもそも「映画が始まる直前にやめた」女中は、なぜ、辞めたのか。この『山の音』がミステリなら(笑)当然その死体は発見されているだろう(笑)。犯人は誰か(笑)。意外な犯人ということでは、ぼくは長岡輝子を押す。
 「明るく楽しい東宝ヒロイン」杉葉子を陰影ある女に作り変える成瀬もひねくれている。丸い顔なのに妙に陰影ある丹阿弥(金子信雄と共演した映画なんて始めて見た気がする?)と、この映画、実は怪しい人ばっかり出ている。一種のミステリものではないかとすら思ってしまう。

 『山の音』の約二十年前の『雪崩』(1937・原作大佛次郎・脚色成瀬巳喜男)を見ていると、途中から、唖然としてしまう。なんなの、これ。『山の音』とおなじ話じゃありませんか!
 お人形みたいなきれいなお嫁さんがいて、でも夫は物足りなくて、別の女に入れあげている。嫁に同情した義父は実の息子をしかり、息子の女をいさめる。
 義父・嫁間に恋情めいたことがないのをのぞけば、完全におなじ話。タイトルもギャグかい。雪崩とは、山にのみ見られる現象で、もちろん原因にも結果にも音を伴う。
 原作(大佛、川端)が違うのに、なぜ(未読)。
 夫(佐伯秀男)が、これまたひどい奴で、成瀬史上最低の鬼畜男。あまりに自分勝手で笑ってしまう。それとも、成瀬はギャグでやっているのか。中途半端でわからないが。
 一方、その父(汐見洋)は、成瀬史上、最高の人格者だ。絵に描いた高潔男。
 嫁(霧立のぼる)も、成瀬史上、最強(もしくは、最弱)のお人形さん、純情派か。
 何か純粋培養されたようなキャラクターたちだ。極度に西洋化された婚家も、何か理想めいている。まるで実験室で培養実験をしている趣。おとこだけ極度に西洋化したらどうだろうか、という実験(二人のヒロインは、そうこの映画も成瀬的ダブル・ヒロイン・システム、やたらめそめそしているので、洋装でも大和なでしこ)か。
 実父と息子はそれぞれ強固な持論を展開して議論しあう。この映画は成瀬としては例外的に男同士が、言葉のやり取りだけではあるが徹底的に対立しあう。『山の音』以上に。
男同士の対立を回避する傾向にある成瀬でも、父と息子では例外を作る。
 その対立の結果、ある破局を迎えるのだが、その部分の描写はヒッチコックよりヒッチコック的ですらある。よく言われる、この映画の欠点とされる、登場人物のモノローグになると、画面に紗が降りる趣向も、確かになんじゃこりゃだが、ミステリとしての雰囲気醸成には一役買っているのではないか。B級ジャンル映画のお約束テクとして。
 最後、夫は妻を、勝手な理屈で殺そうとして、最後の最後で思いとどまるのだが、いや、これ絶対思いとどまってないよ、本当は殺しているよ、ラストシーンは、恋人(奇妙な色気のある江戸川蘭子)とその弟(それこそ純粋培養されたような清潔感)の開放的な海辺散策シーンを持ってきて、例によって結末をあいまいにして(というよりは話をそらして)いるが、ありゃ絶対、あの省略しているシーンで夫は妻を殺しているよ。『おかあさん』で父も息子も臨終シーンを省略しているように。『女の中の他人』で、妻が夫を毒殺するシーンを省略したように。断定してもいい。あれは殺している(笑)。成瀬はそういうどぎつい場面は常に省略するからね。
 そうすると、嫁の実家シーンで、なぜかワケありに出てくる、弁護士・三島雅夫の登場理由も見えてくる。もちろん探偵役だ。ミステリとしての『雪崩』には捜査・解決編が省略されている。成瀬だから。
 ぼくたち成瀬ファンは普通『女の中の他人』『ひき逃げ』は、いやいや撮ったご時世迎合映画と見ているのだが、この『雪崩』なんかを見ていると、成瀬にもある種のミステリ志向があったのでは、と思わせる。ただ、捜査とか、快刀乱麻を断つ、というのは嫌いな人だから。そういう事件解決断罪型のミステリは、見捨てりますからね。察してくれよ、というサッスペンスが成瀬。

by mukashinoeiga | 2009-07-19 11:27 | 成瀬巳喜男映画の正体成瀬る | Trackback(1) | Comments(0)

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