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増村保造「音楽」

 京橋にて。「映画監督 増村保造」特集。72年、行動社=ATG。あと1回の上映。
 再見だが、例によってぼんくらなぼくの記憶力は、ほとんど機能していない初見状態(笑)。
 しかし、うーん、こ、コレは・・・・(笑)。
 これは、ある意味、感想駄文済みの増村保造「千羽鶴」の、真逆にある映画か。
 「千羽鶴」若尾文子は、絶えず発情欲情していて、すべてのシーンにおいて、悶えまくりハアハアしている。
 いっぽう本作の黒沢のり子は、不感症である。
 おそらく「千羽鶴」と「音楽」は一対の、好対照の映画として語られるべきものかもしれない。

音楽 (103分・35mm・カラー)<フィルムセンターHPより>
大映の倒産後、増村が長年のパートナーである藤井浩明(製作)、白坂依志夫(脚本)と設立した行動社の第1回作品。音楽だけが聞こえないという女の意外な過去が精神分析治療によって明かされる。原作は、増村が大映時代にも映画化を企画した三島由紀夫の小説。自由連想を描くシュールな映像が注目を集めた。
'72(行動社=ATG)(監)(脚)増村保造(原)三島由紀夫(撮)小林節雄(美)間野重雄(音)林光(出)黒沢のり子、細川俊之、高橋長英、森次浩司、藤田みどり、森秋子、三谷昇、松川勉、夏木章、松村若代、千月のり子、伊藤千明

 なお、本作のストーリー、及び原作の三島と増村の関係性をきわめてヴィヴィッドに捉えた★フツーに生きてるGAYの日常 増村保造「音楽」●MOVIEレビュー(ATG)★は、当ブログ以上に必読、的確明晰、ぜひお読みいただきたい。と、他ブログに頼りきりの当ブログなのであります(笑)。

 黒沢のり子は、不感症と告白できない。羞恥心と自尊心による。その代わり、「音楽が聞こえない」と、当初、表現していた。
 本作は、患者の彼女と、精神科医・細川俊之の二人の、精神分析バトルを描いた、いかにもマスマスムラムラな、ストーリー。おおむね、二人の言葉のやり取り、対決を描く、増村保造ならではの、ストロングスタイル。黒沢のり子も、細川俊之も、増村的責めのせりふで相手にぶつかっていくのだ。

 ただ、問題は(笑)。いかにもマスマスムラムラらしく、「色情狂」を責めのスタイルで描くのはともかくとして、「不感症」もまた、責めのスタイルで描く。
 黒沢のり子は、姿勢としても絶えず前のめりになり、マスマスムラムラ的としか言いようのない、攻めのスタイルで、ガンガンぶつかって行く。
 精神的(かつ肉体的?)ポジティヴ?の「色情狂」と、精神的(かつ肉体的?)ネガティヴ?の「不感症」の、それぞれの描写が、ベクトルは正反対?なのに、同じ「強度」で描いていいのか?
 どうなんだ、増村。という違和感は、否定できない(笑)。

 そして、後期増村でいつも思うのは、またしても、
 黒沢のり子が若尾文子であれば、ついでに細川俊之が田宮二郎であれば、という喪失感である。
 鈴木清順が、「あなたの映画はつじつまが合わない」といわれて、
「つじつまが合わない(と、感じる)のは、(主演)俳優のせい」と、開き直った(笑)迷言ないし名言を、想起させる。
 ぼくたちは、増村と若尾のベスト・マッチングを見すぎてしまった。三船と別離した黒沢映画がまったく失速したように、若尾と身二つになった増村映画の、コクとキレの喪失。冗談ではなく、福島第一の電源喪失に匹敵する悲劇だ。後期増村を見るたびに、ああ、若尾文子がいさえすれば、とないものねだり。
 若尾文子なら、「色情狂」も「不感症」も、エブリシングオーケーなのだ!
 死んだ子の年を数えるのが、増村ファンの、かなしいサガ。

 なお、鈴木清順といえば、彼と増村の映画的「親近性」にたびたび言及せざるを得ないが、京橋HPが言及する「自由連想を描くシュールな映像が注目を集め」、そのシュールな映像は、鈴木清順を、改めて連想させる。冒頭のはさみの開閉は、鈴木清順「ツィゴイネルワイゼン」冒頭のカニさんに近似。着物を繰り広げるシーンもどうよう。
 ただし、超合理主義・増村の「シュール」さは、鈴木清順のシュールパワーとは、比較にならない。「音楽」の「シュール」描写は、「ツィゴイネルワイゼン」の、制作時期は逆だが、下手な模倣、出来損ないである。

三島由紀夫 音楽

 画質は、悪い。

★Movie Walker★に、詳細な作品情報あり。簡単な作品解説、あらすじ紹介(企画書レヴェルの初期情報の孫引きゆえ、しばしば実際とは違うが)。

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by mukashinoeiga | 2014-08-27 05:11 | マスマス増村保造ムラムラ | Trackback | Comments(2)

新藤兼人「讃歌」乙羽信子渡辺督子河原崎次郎新藤兼人原田大二郎

 渋谷にて。「武智映画100年 孤高の表現者とそのむすめ」特集。72年、近代映画協会=配給・ATG。
 谷崎潤一郎「春琴抄」の映画化。武智鉄二は、ヒロインの父親として、脇役出演。なかなか重厚演技でいいが、いささか素人くささも。まあ、素人の余技レヴェルで。
e0178641_058451.jpg 京都の大店のいとはん・春琴は、目が見えない。しかし、琴にその才能を見出し、家元師匠となる。もともとは、生家の大店の丁稚だった河原崎次郎を「専属奴隷」とし、自らの欲望を、種々満たす。春琴をあがめるあまりか、自らのM志向にはまったためか、河原崎次郎は、「奴隷」としての喜びに、そして苦悩に、満ちている。SMな主従関係に同定された、男女の愛欲の日々。
 当時は、その大店の女中であり、今は近代的な老人ホームで余生を送る乙羽信子(老け作り、しかし、シワひとつない、ぷっくら丸顔なので、とても老女には、見えない)が、取材に訪れた、ノンフィクション作家(新藤兼人本人)に、その、垣間見た主家の娘と、丁稚の愛欲生活を語る、回想をするという構成。
 いとはんと丁稚の「不正常な関係」の真相を語ることを、迫る新藤、それにイヤイヤ、あるいは内心?楽しそうに?応える乙羽老女。
 で、この映画の一番のモンダイは(笑)たいへん美人な春琴で、そのあまりプレイボーイの原田大二郎などに懸想される、そういう美人に、渡辺督子。この女優さん、はっきり言って、かなりのブス。
 日活ロマンポルノでも、脱げる女優として、多々出てきたが(芸名は渡辺とく子に改名)、はっきり、いいわけエクスキューズなしのブス。しかも、マグロ。さらに、女優オーラ皆無。見たら、必ず、どんより。
 神代辰巳「壇の浦夜枕合戦記」で、高貴な皇室女性で出てきたときは、なんていう冗談かと。おそらく、クマシロ、「高貴な女性」にブスな女優、「庶民的」な渡辺とく子に、高貴な女性の役あてがうことに、いろいろな意味で、快感、だろ(笑)クマシロ。ウーン、カイカンなのか。ヘンタイだなあー。よくわからん。
 本作の新藤兼人も、ブスな渡辺督子に、美人の役回り。超ブスなのに、男たちがあこがれるおんな、そういう「プレイ」を楽しまれる方たちなのかと、新藤、クマシロ。 
 こんなマゾ女優?に、それぞれ、ドSな役を振る、新藤、クマシロ。鬼畜や(笑)。あるいは、プレイやろ。ちなみに、金持ちとはいえ、戦前一般女性なのに、脱いで見たら、わきの下が、すっきりきれい、腋毛絶無、って、おかしいやろ、新藤兼人。
 レポーター役の新藤兼人は、声の濃淡は多彩だが、顔は、一本調子。出演者としては、どん臭い。ということで、顔技の不足を、唐突に、顔に血のりを塗って、笑いを取ろうとするが、全く不発。新藤兼人、笑い、全くとれず。
◎追記◎あるいは、この、いささか鈴木清順的でないでもない、唐突な挿入ショットは、新藤脚本を、徹底的に「レイプ」しまくって、異形な傑作となった鈴木清順「けんかえれじい」からの、新藤なりの触発なのか。

 なお、渡辺督子の「美しさ」に目がくらんだ、金持ちのボンボン・原田大二郎がひらく、自宅のプール開きのシーンに、谷崎潤一郎製作関与の無声映画の、感触を見る。素晴らしい。
◎追記◎こちとらは、水着すがたのモダンガアル女優たちを、スチール写真でしか見たことがないが、同時代人の新藤は、当然、谷崎潤一郎製作の映画を見て、その再現的演出なのだろう。うらやましい

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by mukashinoeiga | 2012-08-21 00:09 | 旧作日本映画感想文 | Trackback | Comments(0)

吉田喜重「煉獄エロイカ」岡田茉莉子岩崎加根子

 京橋にて。「映画監督五十年 吉田喜重」特集。70年、現代映画社=ATG。
e0178641_1403030.jpg そう遠くない昔、武力・暴力革命を唱えていたころの、テロリスト集団・日本共産党の、いち細胞集団を描く、のだが、まあ、これが、おもいきり、つまらない
 銃をバンバン撃っては、<某国大使夫妻>(岩崎加根子ら日本人が金髪のカツラをかぶって、まあ、アメリカあたりを想定してるのでしょう)を拉致誘拐しようという。まあ、演習なんですけどね、金髪のカツラなんだから。
 おそらく、吉田喜重が、今回パクッたのは、ゴダールと「去年マリエンバートで」。日本には、あの映画のような、かっちりした西洋風宮殿建築はなかなかないので、それでも挑戦して、いやあ、しょぼくて、その工夫がうれしいなあ(笑)。地下鉄の通路やら、なにやら涙ぐましいロケハンが功奏。ロケハン的には、日本的マリエンバートを実現(笑)。マリエンバートの、箱庭版、盆栽版。
 ちまちまと、まあ、美しい。映像的には。
 この映画では、白黒スタンダード画面の、右下、左下に、小さく人物の容姿が、映る。それが印象的。
 人が、小さい。画面の9割は、建物の、天井、壁、構造物が占める。
 映像的には、端正で、非常に、美しい。撮影賞ものだろう。
 しかし、通俗心理学的(笑)には、この映画の監督は、人間に興味がないのが、丸わかり。画面の、隅っこの、ちいちゃなちいちゃな人間たち。
 しかも、この映画に、ユーモア、ギャグ、のほほんとした要素は、一切なし。
 そう、かつての<前衛劇>(特に左翼がお得意とした)の、デッド・シリアスそのまま。最後に、エンドマーク代わりに、DEAD ENDと出るが、デッドエンドじゃないよ、デット・シリアスよ。
 吉田喜重、名前にある「吉」「喜」まるきり、ないので。
 人間に興味がない、しかも、女に興味がない男、さらにユーモアがない男、が作る人間ドラマが、まったく無味乾燥なのは、もうまるっきりその通り。
 監督、苦悩してるかもしれないが、こんな無味乾燥映画を見せつけられる観客のほうこそ、煉獄だよ。
 エロ(ス)もない。エロ以下。岡田茉莉子はもちろん脱がないが、安い女優は脱ぐ脱ぐ。エロではないけどね。
 岩崎加根子らしき女性も脱ぐが、これは、明らかにボディダブルか。からだがきれいすぎる(笑)。
 70~80年代の女優たちは、バンバン、脱いだ。当時は、脱ぐことが、女性の、女優の、先覚的行動だった。今は、AV女優と一般?女優を区別?するためか、一般?女優は、ほとんど、脱がなくなった。
 どっちもどっち、という気がするが、まあ、<女性史>に、<進歩>は、ない、あるのは、<流行の変遷>だけなのだ、と思う
 古臭いと思われた、数十年前のファッションが、ある日、なかなか新奇な風俗とみなされ、やがて、再び、流行するというような。
 こういう映画が、当時は<珍重>されたことが、不思議だ。
 かつては、前衛劇は、くそ真面目なものだった。
 田中重雄「八月生れの女」で、宇津井健が出ている、当時の前衛劇を、あまりに馬鹿馬鹿しいので、若尾文子が、大声でアハハハ、と笑うと、後ろの席のきまじめメガネ男が、しぃーっ、と注意する。
<前衛劇>で、笑うことはタヴーだったのだが、つかこうへいあたりが、出てきたころから、小劇場では、笑いがメインになってきた。
 もっと、もっと、笑わせて。
 主に、女性観客を中心に、笑わせろの、圧が、きつくかかる時代になった。
 というわけで、笑い絶無の前衛劇、人間に興味のない吉田喜重、ともに、いまや、化石ですね。
 40年前には、もてはやされた<前衛>が、いまや<化石>。
 なお、岡田茉莉子、岩崎加根子をのぞく出演陣は、全員無名ながら、結構好演しているが、そもそも人間に興味がない監督の映画に出ているのだから、まあ、その熱演は、無駄でしたね。

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by mukashinoeiga | 2010-11-03 23:17 | 旧作日本映画感想文 | Trackback | Comments(0)

羽仁進「午前中の時間割り」

 阿佐ヶ谷にて。「旅する映画 映画の旅」特集。72年、羽仁プロ=ATG。
 うわっ、なに、これ。
e0178641_22562051.jpg いや、ぼくも、何十年も、ふつーの人より映画は、それなりに見てるつもりだが。いや、だからといって、映画について、いっぱしの感性など、持ち合わせていないのだが。
 ひどい。ひどすぎる。なに、これ。ごみ?  
 つまり、映画的才能も、一般的センスも、根っから、生まれつき、持ち合わせていない、自称羽仁進なる人物が、自称映画作家として、おのれのカンセーに忠実に作って、ごみ?映画の完成。
 こんなくずに、金払って、見たぼくも、ごみ? こんなくずを公開したATGも、ごみ?
 まあ、こんなごみでさえ、資料的価値を考えると、ラピュタには罪はないのだが。ごみでも、傑作でも、等価に上映することこそが、映画館の使命なのだ。
 ふたりの女子高生が、夏休み、8ミリカメラを持って、きままな二人旅に出る。
 いかにも、70年代ライクな、ディスカバー・ジャパンな。で、その途中で奇妙な男と出合って、いろいろありまして、ヒロインの一人は、旅の途中で、あえなく?さえなく?死んでしまう。
 出会ったチャラ男が、自衛隊から脱走して、公安に狙われている、という発想は、やはり、頭の中にお花畑を抱え込む、左翼小児病なんだけどね。
 残されたもう一人は、もともと8ミリ・カメラの所有者であるボーイフレンドと、残された映像を見て、死んだ少女を追悼すべく、映画?を完成させようとする。だが。
 うわっ、なに、これ。
 そのいちいちが、ぺらっぺらっ。スタッフ、キャスト全員が、お遍路さんするレヴェルだろ。
 ヒロインの一人が、蕭淑美、個性的な顔立ちの子で、喜怒哀楽の表情の変化が、とても豊か。顔をくしゃくしゃにして、笑い、怒り、泣く。でも、8ミリカメラの前で、ポーズを決める、そのキメ方が、プロのモデル並み。いやいや、ナチュラルな映画であるべき、この青春映画で、いちいちキメのポーズを、プロフェッショナルに、決められても。
 つい、思い出しました。いにしえのアメリカ映画の「プロフェッショナル・バージン」。
 もうひとり、国木田アコ、和風の、ふつうの、少女。
 いや、自称映画作家の、羽仁進の考えは、透けて見えるよね。
 もはや、撮影所映画の時代では、ない。
 その辺の、ネクスト・ドア・ガールたちを拾ってきて、ロード・ムーヴィーを作れば、ちゃらい、ちゃらい、みんな、だませるぜ、と。
◎追記◎下記コメント欄のスノーマンさんの指摘により、上記少女俳優の名前は逆とのことです。訂正いたします。

 音楽は、いまどきはやりのフォークPOPをテキトーに流しとけ。でも、音楽費、ありませんぜ、カントク。なーに、俺の知り合いのレコード会社に、渡りをつけて、新人の曲を流してもらえばいいって。大丈夫、任せろよ。
 かくして、ビクターだか、ポニー・キャニオンだかの、聞いたこともないような歌手・グループの、当時のはやりの、フォークPOPが、何曲も流れ、少女たちの旅を、甘く、彩る。でも、その曲は、ことごとく、今に残ってなくて、聞いたこともないような、イージー・リスニング。映画と同じで、時代と寝てはいるが、才能もセンスもないゆえ、なんら耳目を集めなかった、だめな曲たち。
 繰り返しになるが、才能もセンスもないものたちが、時代相と寄り添って、テキトーなイージー・リスニングを作ることの、むなしさ。
 なお、こんなくず映画でも、笑えるところがあって、ぼくのお気に入りは、無人の校舎の柱?に、いきなり、飛び蹴りする男子生徒。見事な着地のあと、柱にすりより、キックのあとを、マーキング。その後、また、飛び蹴り。見事な着地。そして、マーキング。
 もくもくと、飛び蹴りの練習に励む男子。いやー、笑った。この数十秒のみが、この映画の、華。
◎追記◎
昭和47年ATG映画【午前中の時間割り】メイプル・リーフ

 ね、主題歌からして「凡庸」でしょ。
映画「午前中の時間割り」OP主題歌 「草子の散文詩」
Maple Leaf - Sōshi no sanbunshi (The Morning Schedule Sountrack, 1972)


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by mukashinoeiga | 2010-07-26 00:19 | 珍品・怪作の谷 | Trackback | Comments(16)

大島の渚に寄せる新波かな

 大島渚監督作品を、フィルムセンターで、ある程度まとめて見たので、過去ログをまとめてみました。

1渚のはいから「人形」

2「帰ってきたヨッパライ」

3「天草四郎時貞」

4「無理心中 日本の夏」

5「夏の妹」

6「白昼の通り魔」

7「小さな冒険旅行」

8「愛と希望の街」

9「明日の太陽」

10「どんと行こうぜ」(脚本)

11「月見草」(脚本)

12「黄色いさくらんぼ」(脚本)


 その他の各作も、過去に見ているのですが。意外と?繊細な快作が多いですね。繊細かつ大胆、面白いことは抜群に面白いのですが、いまいち<切っ先>がにぶい。竹を割った性格でありつつ、同時に、もちをついたような性格(byつかこうへい)である、不思議な二律背反、明確でありつつ曖昧な。
 というわけで、大島渚については、これからも、見ていく予定。

●近日公開予定●
川島あり川島雄三映画の正体
おゲイさん乾杯木下恵介映画の正体
愛と清順の駄目出し鈴木清順映画の正体
彼と彼女と取りマキ~ノたちマキノ雅弘映画の正体
大魔剣三隅研次映画の正体
危険な英夫鈴木英夫映画の正体
ますますムラムラのまんぢ増村保造映画の正体
妄想の器橋本忍映画の正体
Vシネの花道90年代最強伝説三池崇史映画の正体
しぃみず学園清水宏映画の正体
溝口賛歌(けんじぃ)溝口健二映画の正体


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by mukashinoeiga | 2010-06-05 23:04 | 大島の渚に寄せる新波かな | Trackback | Comments(0)

渚のはいから「人形」

 今回、大島渚の映画を何本か見て、だんだん大島映画がわかってきたような気がする。
 大島渚は「夏の妹」について、(大意)「オレ大島渚とあろうものが、素直子(すなおこ=ヒロイン栗田ひろみの役名)なんて名前の女性の映画を撮るべきでなかった」といったという。これに対して、ネットでの突っ込みは「大島の映画に出てくる女性は、みんな素直な女ばかりじゃないか」というもの。
 これは正しい。大島映画の男たちは、世間に反逆/反抗/異議申し立てしているが、女たちはおおむね、すなおというか、わりと<後衛的>である。当時のことだから、<性に奔放な女>は、実に反社会的とみなされていたので、そういうヒロインも多用されたが、それは、よく考えてみれば、<欲望(あるいは本能)に忠実な女>であって、実にすなおそのものではないか。
 「天草四郎時貞」丘さとみは夫に殉死するし、もうひとりの立川さゆりはレイプされて自責する。 「白昼の通り魔」川口小枝はレイプされても佐藤慶をかばう。 「無理心中 日本の夏」桜井啓子は、すれたオトコどもの中で、さながら掃き溜めの鶴状態。生まれたまんまのピュアさとも言える、欲望娘。「帰って来たヨッパライ」緑魔子は、フォークルの三人を助けるために、一途に駆けずり回る。いったい何のために。
「夏の妹」栗田ひろみは究極の健康・元気アイドルだし。りりィは、なぜか、常に申し訳なさそうなキャラ。歌手で、たぶん映画初出演だと思うが、登場してすぐ、いきなり風呂に入って乳を見せる。まったく無駄なヌード。多分、まったく映画について事情を知らないうちに、大島に言われるまま、そういうもんだと思わされて、ついうっかり風呂場だから裸で風呂に入って、撮らせてしまったのでは、と。そのくらい無防備かつあまり意味のない脱ぎで。いやあ、すなおだなあ。
 大島映画のヒロインの多くが<レイプの被害者>であることにも、注意。大島映画のヴィジュアルを一枚のスティルで表わすと、「青春残酷物語」(ぼくは未見)の、川津祐介が桑野みゆきに平手打ちして、みゆきがふぎゃぁと叫ぶ一枚。結局、この一枚こそが、ザ大島のイメージなのだろう。今回のフィルムセンターのチラシにも使われている。
 つまり、松竹メロドラマのヒロインにふさわしく?社会やオトコに迫害されていくことで、観客の紅涙や同情を買っていく。いや、松竹メロのヒロインはまだしも同情を買うが、大島映画のヒロインはその被虐を一顧だにされないという違いはあるのだが。
 「絞死刑」は、韓国人死刑囚を肯定するあまり、彼が通りすがりに殺したふたりの日本人女性は、まるきり省みられない。韓国人は日本人に差別を受けたという。だから、韓国人には日本人女性を犯して殺す権利があるという映画。女たちは実に率直に犯され殺されていったようだ。そして、大島最晩年の二本は「戦メリ」「御法度」と、男集団の話に特化して、女の存在は消えていく。
 「白昼の通り魔」のもう一人のヒロイン・小山明子は教師。ラスト、生徒たちに名前を次々呼びかけて、そして「さようなら」と去って行く。まるで、松竹大船映画のセオリーどおり、木下恵介でもあるまいし、ではないか。
 思えば監督直前のオリジナル脚本提供作、岩城其美夫「月見草」は、もともとばりばりの松竹メロ・ジュニア版ではあるが、ヒロイン十朱幸代は、ボーイフレンドの、俺が浪人脱出・大学合格するまでは、手紙も禁止、というわりと身勝手な一方的宣言に率直に従い、「振られ」ると崖から飛び降り自殺という、これ以上ないくらい、いじらしい素直娘。
 つまり、大島渚、オトコの登場人物に関しては、大いに「国家」や「社会」に反抗するキャラだが、女性に関しては、その出身である松竹メロから、ほとんど進歩していないのだ。どこがヌーヴェルバーグかと。ま、もともと本家のゴダール、トリポン、ロメールにもそのケはあるけれどね。自称<革新的思想>を誇る50~60~70年代の<左翼革命闘士>も、こと女に関しては、かなり保守的だったりするのは歴史の閲するところだ。
 そして、大島最晩年の二本は「戦メリ」「御法度」と。男同士の関係を装いつつ、あるいは男同士の関係性だからこそ、ついつい本音と出自が露呈してしまう。これは、まさしくメロドラマではないか。
 棺おけに片足突っ込んでいる、という表現があるが、大島は、ついに、もともと、ゆりかご(松竹メロ)に、片足突っ込んでいて、その片足を抜き切ることは、なかったのだ。
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by mukashinoeiga | 2010-02-14 00:24 | 大島の渚に寄せる新波かな | Trackback | Comments(0)

大島渚「夏の妹」

 京橋にて。「映画監督 大島渚」特集。72年、創造社=ATG。
e0178641_233721.jpg 当時の青少年たちの時代のアイコン=アイドルだった、栗田ひろみ主演。
ぼくも少年漫画誌などのグラビアで見た記憶がある。いま見ても、長い黒髪、ぷっくらとした顔立ち、つぶらな瞳、その大きな目をまん丸に見開いて、おしゃま!に、悪びれず!に大人たちに伍して行く姿は、まさに絵に描いたようなアイドル女優として最強でありますね。舞台が沖縄ということもあり、南国をイメージしたかのようなひらひらの衣装で。
 不思議の国ならぬ、大人の国に迷い込んだアリス。もちろん、その<ゆるい大人の事情の国>を構成するのは、いつもの大島組常連の、小山明子、佐藤慶、小松方正、戸浦六宏、そして殿山泰司だ。この、こわもてのおじさんたちに、敢然と?伍して行く栗田ひろみは、立派だ(笑)。あまりに、絵に描いたアイドル演技が、かわいくも、ウザくすらあるけれども(笑)。そして、この栗田ひろみを、沖縄(=大人の国)案内するのは、メフィストフェレス殿山と、青春小僧石橋正次。この、絵に書いた青春映画の石橋と、絵に描いたようなアイドル映画の栗田が、<ゆるい大人の事情>の国を、さまよう。すばらしい。
 思うに、大島渚にさしたる映画的才能はない。大島に許されていたのは、当時枯渇していた<ジャンル映画>を、ほんの少し、ずらして、もちろん、それは脱構築というべきレヴェルではないにしろ、その、ずれのなかに、ある種の活路を見出そうという、かそけき希望だったのだ。<ゆるい大人の事情の国>(かつては隆盛を誇りつつ、もはや誰にも相手にされなくなった<松竹メロドラマ>の大島的再構成)と、典型的アイドル映画・栗田ひろみと典型的青春映画・石橋小僧との、緩やかな、止揚。
e0178641_23373655.jpg 大人が勝つわけでもなく、アイドルと青春が勝つわけでもない、その、緩やかな止揚。
多分、これこそ、「戦場のメリークリスマス」「御法度」にまで到る、大島渚の正体なのだ。
 しかし、りりィ、だよ。
栗田ひろみの父・小松方正の再婚相手。栗田ひろみのピアノ教師から、その父に見初められて再婚する予定の<婚約者>。この<婚約者>という、<予定された身分>てのも、いかにも(古風な)松竹メロドラマ、いかにも(新規な)大島渚、だよなあ、と思うけれど。たぶんりりィは、欧米系とのハーフなんだと見えるのだが、まだ20代半ばと思われるりりィは、ハーフなのにいかにも幼い顔立ち、そして、なんだか疲れきっている表情、ああ、なんか、好みだなあ(笑)。
童顔ハーフ顔で、人生に疲れている、これ、絵にかいた元気アイドル栗田ひろみと並ぶと、こっちもまた最強じゃん(笑)。いや、何が、最強なんだか、俺(笑)。
 栗田ひろみ以上に、りりィは、沖縄の人の影薄い観光地にたたずむ、ディスカバー・ジャパンCM状態。そう、これは、栗田ひろみ大アイドル映画であると同時に、りりィ大アイドル映画なのだ。「戦メリ」の、デヴィッド・ボウイ=たけしに引けを取らない、りりィ=栗田ひろみの大アイドル映画。そうか、「戦メリ」「御法度」は、実は「夏の妹」の男版だったのか!(笑)
 栗田ひろみは、未来の義母・りりィに愛憎半ば。「このくそばばあ」と、本人の前ではなく、隠れて罵倒する。「ロボコン」長澤まさみもそうだが、年長の同性をくそばばあと罵倒して、許される、可愛らしいのは、十代半ばの女の子に限られる。これがはたち超えたら、しゃれにはならない。ああ、最強のアイドル映画だなあ「夏の妹」は。「ロボコン」もね。
 そして、小松方正だよ、小松方正。大島組常連にして、娘が美少女・栗田ひろみ、婚約者が栗田ひろみと同格かそれ以上の(笑)りりィ、という両手に花状態の、信じられないほどの二枚目役だ。「日陰の娘」で、あの香川京子と相思相愛になるという、空前絶後の中村伸郎にも匹敵する、一世一代の役だろう。この小松方正が、いつにもましてヘン(笑)。
 もともと、小松方正は、あの小さ過ぎるカナツボ眼が、どんな笑顔のときも決して、目は笑っていない。喜怒哀楽全てが同じ表情といっていい(笑)。まるで、腹話術使いが抱いている、妙に老成しきった人形の少年そのものなのが、小松方正なのだ。その小松方正が、完璧に腹話術人形そのものに化身してしまったのが、この映画。その表情、そのしぐさの、蜜蝋感。生きながらして、木彫りの人形感。てらてらと光った、蝋人形でもあり、木彫りの人形である。恐ろしい。素晴らしい。

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by mukashinoeiga | 2010-01-26 23:47 | 大島の渚に寄せる新波かな | Trackback | Comments(0)

大島渚「白昼の通り魔」

 京橋にて。「映画監督 大島渚」特集。66年、創造社。
 佐藤慶が連続殺人・強姦魔になって世間を騒がす。その妻に小山明子、刑事に渡辺文雄、友人に戸浦六宏など。つまり、いつもの大島組。
 これがめちゃくちゃつまらない。99分の映画なんだけど、確実に一時間は長すぎる。
 フィルムセンターのチラシにいわく、「戦後の闇の暗喩が・・・・写し出される」。馬鹿言うな。この映画のどこに、<戦後の闇の暗喩>がある。この闇雲な馬鹿映画のどこに<戦後の闇の暗喩>もしくは<直喩>があるか。あるならはっきり例示しろ。
 さらにチラシにいわく、「大島作品のなかでは最も細かいカットの編集で構成された1本」、確かに。もっとも細かいかどうかはしらないが、かなり緻密にショットを積み重ねている。
 でも、それが、ことごとくつまらないのね。たとえば、タイトル「白昼の通り魔」が、間を置いて二度、出る。これがまったく、面白くないのね。もし、大島が真の映画的才能を持った映画作家なら、タイトル二度出すんだぜ、すごい面白いことじゃないか、ということになるのだが・・・・結果は、しょぼん。
 あ、二度、出ましたね、でも、それが何か、という程度。
 あと、同じようなショットの繰り返し。たとえば、シネスコ画面右から、会話する小山明子と川口小枝が、画面を横切って、左に消えていく。これを何回か繰り返す。ああ、確かにこのテクを抜群に面白く援用した映画作家はいましたね。でも、大島は、はっきり言って、そのテクは、仏作って魂入れず。まったく、面白くない。映画的才能を持たない映画作家が、それなりに新規なテクを繰り出しても、まったく面白い映画にはならない。無残なり「白昼の通り魔」。

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by mukashinoeiga | 2010-01-25 22:49 | 大島の渚に寄せる新波かな | Trackback | Comments(0)