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黒沢明・民主党・反原発・中韓・社民党・左翼の共通点とは

 まずは、2chからの、孫引き二つ。
e0178641_14291428.jpg★民主の政治塾への応募者、維新を上回る…大阪
民主党大阪府連は29日、4月に開講する政治塾「大阪デモクラ塾」について、 定員50人に160人の応募があったと発表した。
日本維新の会が2月に開講した「近畿ブロック維新政治塾」の応募者数は105人で、これを上回った。
同塾は来春の統一選に向けた候補者の発掘、育成が目的で、アベノミクスに異論を唱える浜矩子・同志社大教授ら、安倍政権や維新に否定的な講師陣を招くのが特徴。
1月末から今月20日まで募集し、書類審査で113人の塾生が選ばれた。4月12日に開講する。
塾長の辻元清美衆院議員は「党勢が厳しい中、予想以上の応募があり、うれしい。 党再生に向けた一歩としたい」と語った。 (2014年3月30日19時18分 読売新聞)

★長妻昭 @nagatsumaakira (2013年7月5日)
https://twitter.com/nagatsumaakira/status/353131944298549248
「アベノミクスの真相」を読み終わる。久々にかなりレベルの高い本だ。
著者の浜矩子教授のファンになってしまった。
藤末健三 @fujisue (2013年6月12日)
https://twitter.com/fujisue/status/345018569991524353
民主党内の勉強会で「アベノミクスの真相」浜矩子著を読む。売れているそうです。
川内博史 @kawauchihiroshi (2013年9月18日)
https://twitter.com/kawauchihiroshi/status/380315481648820224
同志社大学浜矩子教授と対談させていただいた。
憲法、TPP、エネルギー、税制と、今この国の根本が問われているのだから、
どんなに変わり者扱いされようとも、理想を掲げ続けるドンキホーテのような政治家たれ、と激励を受けた。
対談の詳細は、本にして出版します。

★自称経済学者・浜矩子、2014年末株価を1万円割れと予測★

 不人気な民主党が、不人気な左翼性をさらに強調して、どないするねん。
「どんなに変わり者扱いされようとも、理想を掲げ続けるドンキホーテのような政治家たれ、と激励を受けた」って、現状すでにその「理想」を掲げ続けたから、民主党政権は、駄目だったんと、ちゃうん?

 そう、表題の黒沢明・民主党・社民党・中韓・左翼の共通点。とは。
 これに、日本の政治家全般、無能きわまる外務省の対外政策というものを、くわえてもいい。
 その共通点とは。
 「大人の事情」が複雑に絡み合った現実世界を、「子供の感性」「子供のジョーシキ」「子供の正義感」で、解決しようとすること。
 そう、まさに、理想だか妄想だかを「掲げ続けるドンキホーテ」。
 これが、生意気な子供が、大人の話に黄色いくちばしを挟んできたのなら、「子供は黙ってろ」の一言で済むのだが、残念ながら浜矩子やら辻元清美やら福島みずほやら、十分老けているからなあ。
 イヤ、ここに、女性の名前ばかり出したのは、決してセクハラ・偏見の類ではない、偶然で(笑)。
 だが、まあ、「子供のロンリ」と「女のロンリ」は、結構似通っていて(笑)。どっちも「大人の事情」を「フケツー」とか、思いがちでしょ(笑)。
 「女コドモのロンリ」では「大人の事情」は、「フケツー」に、しか、見えない。実際は「フクザツー」なんだけど、コドモには、それは、理解できないことなのだ。
 「珍味」や「高刺激物嗜好品」を、コドモの舌が受け付けないようなものだ。
 大江健三郎などが「戦争」を語るのは、食わず嫌いで一度も食ったことのないような珍味を、食わずに語るようなものだと、思う。

 「大人の事情」が複雑に絡み合った現実世界を、「子供の感性」「子供のジョーシキ」「子供の正義感」で、解決しようとすること。これが数少ない例外として許されるのは、たとえば、定番娯楽映画の世界ですね。
 ヒーローは必ず勝つ。愛が勝つ。純真が大人の不正に勝つ。
 そういう意味では、黒沢明映画の「子供の正義感」は、映画的には、正しい。
 正しいのだが、うーん。
 黒沢映画のミステイクは、直球ど真ん中ストレート純真映画の王道を、変化球映画でも、応用しうると、勘違いしたことでは、なかろーか。
 あるいは、直球ど真ん中映画の王道と、ゲージツ映画のハイブリットな混合という、黒沢の資質としてはあまりに無理スジな、高度さを求めるあまりの失墜というか。

 よく左翼のことを「左翼小児病」「脳内お花畑」という。
 また「十代で左翼思想にかぶれなかったら、バカ。三十代でも左翼思想なら、バカ」ともいう。
 もともと左翼思想は、「子供の感性」と、たいへん、相性がいいのだ。
 中韓の、バカ反日プロパガンダに呼応する、欧米のバカどもも、コドモとコドモの感性の相性の良さで、意気投合するのだと思われる。
 東大出て頭がよいはずの福島みずほが、何で、あんなに馬鹿なのか、みな疑問だと思うが、福島は「頭はよいが、感性が子供のまま」なのだ。
 そして、コドモは絶対に、自分がバカだということに、気がつかない(笑)。

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by mukashinoeiga | 2014-04-04 10:05 | 黒沢明 黒い沢ほどよく明か | Trackback | Comments(3)

まったく意味不明な指田文夫サン

 当ブログの★黒沢明「悪い奴ほどよく眠る」★感想駄文のコメント欄にて、さすらい日常さん、こと指田文夫さんとの「ロンソウ」が、しばらく続いております。
(この間の経緯をご存じない方、なおかつたまたま、いま、ヒマで、バカ共の戯言に付き合ってもいい、という方は、上記駄文のコメント欄を、まずはお読みください。ぼくの感想駄文本文は、この際、あんまり関係ないので、お読みいただかなくても、結構です)
 いや、「ロンソウ」というも、愚か。
 指田さんが言っていることは、ぼくには、まったく意味不明なのだ、とぼくはいい続けているのですが、話はまったくかみ合わず(笑)指田さんが「オレの意見を聞け」(大意)と。
 で、長文規制がかかるコメント欄では、話のラチが合わない、ということで、彼の主張(長文らしいと推測しました)は、彼のブログに書け、オレはそれを見に行くから、ということになりました。それが、

★主な書評です:大衆文化評論家指田文夫の「さすらい日乗」★

 で、彼のブログのコメント欄に感想書いても、おそらく長文不可でしょうし(推測)、その反論?は、ここに書くことにします。

 さて。おやおや。なんと、いきなり1行目から、嘘八百・でたらめ捏造大展開。指田さん、さすが、捏造は、中国・朝鮮人並みです。

>あるサイトから拙書『黒澤明の十字架』の書評を示せとのご意見があったので、以下に書くことにする。

 あるサイトとは、当ブログのことでしょうが、ぼくは一度たりとも「書評を示せ」なんていいませんよ。
 駄本ゴミ本の「書評」なんて、読んでどうするんですか。
 実情は、こうでしょう。
指田さんから「書評のコピーを送るから、メールアドレスを教えろ」という、コメントが来て、
いままで、一応ブログという「公開の場」で「ロンソウ」してきたのに、「メール」という「密室」に「逃げ込む」気は、「ぼくには」、ありませんよ、どうやら長文らしいから、長文規制のある当ブログのコメント欄には、収まりきれないだろうから、ご自身のブログに書いたらどうですか、お知らせいただければ、成り行き上、見に行きますよ、と、こういうことじゃないですか。
 その以前にも、ぼくのボンクラな記憶が確かなら(笑)ご著書の「書評」を読みたい、などと、言った覚えはありませんが。。これのどこが「書評を示せ」ということになるのでしょうか。おかしくないですか。
 そもそもぼくは「書評」というコトバを、指田さんに対して使ったことはなく、指田さんご自身が、いきなり持ち出したのではないですか。
 指田さんは(たぶん)中国人でも朝鮮人でもないのでしょうから、堂々1行目の、嘘八百・捏造でっち上げを、まず、謝っていただきたいものですね

 で、以下に、お示しになった書評掲載紙は、朝日新聞、週刊朝日、神奈川新聞と、見事に親中媚韓の、反日左翼紙、というのが、「問うに落ちず、語るに落ちる」そのままで、笑えます。
 特に神奈川新聞というのが、指田さんご自身は、横浜市だかの公務員(元)で、パシフィコ横浜の、名付け親、かつ幹部だったそうで、なにやら、公務員と地元紙の裏つながりの、癒着のはての書評沙汰(いささかお下品な妄想で失礼)なものも、感じます。ああ、これは、単なる「根拠のない」妄想ですから、お怒りにならないでね(笑)。

 で、指田さんが捏造でっち上げまでして、ぼくに読ませたい、といった書評が、ホントウにまったく意味不明なんですよね。そもそも、何で、こんな書評を、読ませたいと思ったのか
 おそらく、日本を代表する新聞や雑誌に、著名作家、有名映画評論家が、俺の本を書評しているのだ、ボンクラで無名のブログをしこしこ書いているお前なんかが、批判などするのは、百年早い、というところでしょうか。
 それ以外に、書評のコピーを送るから、メールアドレスを教えろ、という「行為の意味」が、まったくわかりません。
 他にあるのであれば、ご例示ください。

 そして、ボンクラなご著書の「書評」も、また、ボンクラにならざるを得ない。

>およそ黒澤映画らしからぬ、うじうじと悩む男ーという風に兵役義務の観点から考察した、新鮮な黒澤作品論である。出久根達郎

 黒沢映画には、いちいち例を挙げるのはばかばかしくてやめますが、「うじうじと悩む男」が、多く出てくるではありませんか。当ブログにも書きましたが、大勢の脚本家が寄ってたかって作った「男騒ぎの黒沢映画」とは別に、「黒沢単独脚本」映画には、そして共同脚本作品にも、うじうじオトコ続出じゃないですか。そうは、お思いになりませんか、指田さん。

>沢木耕太郎の「キャパの十字架」に比べれば否応なく読者を納得させる論証の緻密さは足りないと思うが、これまでにない視点で表現者というもの責任を論じているのに感銘を受けた。    佐藤忠男

 まあ、おざなり書評の典型ですね。類似タイトルの沢木本をもって来て、行数を稼いだというところですか。

>「状況証拠」が主体で「物証」に乏しいが、読後の印象は「クロ」。推論に説得力がある。  服部宏

 「お友達」の本だから、何とか、紹介したいが、という苦労がありありの、おざなり書評。最後は、印象は「クロ」と、駄洒落に逃げるさまは、むしろほほえましい?いや、苦し紛れでしょうか。ちなみにぼくは、黒沢の命日、9月6日は、「クロの日」として、毎年ひそかに偲んでおります。
 「状況証拠」が主体で、というのも、話を盛りすぎですね、お友達は。正しくは「妄想が主体」というべき。

 しかし、なぜに、当方が求めてもいない、おざなり書評を、読ませたいと思ったのか、真意が不明です。
 指田さんの一連の「妄想」を補強するでなく、特に黒沢映画の「真実」に触れてもいない。
 有名人の「お墨付き」を示して、どうだぁおそれいろー、てなもんなんでは、ないですか。

(注)指田さんのご著書を駄本といいましたが、戦時中の東宝が軍需産業であったこと、その間に多く作られた、陸海空軍ご用達軍事マニュアル映画(当然ながら一般公開は一切されなかった)、そのスタッフの豪華さという側面の資料的価値は、たいへん素晴らしい、必読に値する、と思います。
 
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by mukashinoeiga | 2013-12-16 01:47 | 黒沢明 黒い沢ほどよく明か | Trackback | Comments(15)

神山征二郎「三たびの海峡」仰天の仕掛け

 池袋にて。「渾身の役者魂 名優・三国連太郎を偲ぶ」特集。95年、アルゴ・ピクチャーズ。
 ★神山征二郎「三たびの海峡」出自のでたらめぶり★の、前フリに、引き続いての、映画の感想駄文。
 主人公・李鐘浩(新人、老年時代を三国連太郎)、永島敏行、有薗芳記、趙方豪ら、当時の日本国臣民、朝鮮系日本人らは、日本に自由意志で連れてこられ、しかし募集要項とはまったく違う過酷な労働、虐待を受けた。
 虐待したのは、日本人炭鉱管理者(隆大介)や、その手先となった、先輩格の朝鮮人同胞である。日本人管理者たちによる虐待も、ひどいが、先輩同胞による、同胞いじめも、ひどい。帝国日本軍時代、アジア各地でアジア人多数を虐待、虐殺されたとされるが、そのかなりが、実は朝鮮系日本人であるという説も、うなづける。朝鮮人の「事大主義」、つねに強い方につき、そのつよい宗主国に媚を売るかのように、その宗主国以上の残虐を繰り返す。
 その朝鮮先輩が怒りのあまり、からだを上下方向に強く震わせ、つまり「立ったままでのてんかん状態」?で、朝鮮後輩に、怒りの鉄拳。
 これが、話に聞く「火病」というものであろうか。この「朝鮮人のみに固有の精神病」描写は、映画では、はじめて見た気がする。もっとも「火病」という言葉を知らなければ、「怒りのあまり体を異常に震わせている」としか、認識できないであろう。
 この「火病」の朝鮮先輩を演じているのは、その顔かたちからしておそらく在日の新人であろう。クレジットで草薙という苗字のみ、認識。下は、読めなかった(日本映画情報システムで確認したら、草薙仁)。この人物の晩年を草薙幸二郎が演じている(病院のベッドで、三国にイヤミな見舞いを受ける)から、おそらく草薙幸二郎の息子あたりだろうか。なかなかの名演「火病」である。

 主人公・李鐘浩は、あまりに過酷な虐待に命からがら炭鉱から逃げ出し、朝鮮人部落の樹木希林、在日ヤクザ・白竜の助けを得て、朝鮮系ヤクザの「安川組」に、身を寄せる。組長夫婦に岩城滉一、伊佐山ひろ子とは、わかりやすい。みんなニコニコしていて、いかにも親切な在日ヤクザ一家、というのが、妙に、可笑しい。
 胡乱な顔つきは、たまに出入りしている程度の白竜くらい。
 で、この一家のやさしさを象徴しているのが、どう見ても朝鮮系には見えない、風間杜夫。朝鮮系には見えないばかりか、ヤクザにも見えない(笑)穏やかさ。岩城組長に命じられて、いやそれ以上の面倒見のよさで、主人公の面倒を見る。これがうわさに聞く「良心的日本人」というものであろうか(笑)。
 この映画、戦時中パートは、若手の李鐘浩、草薙仁が演じた役を、映画の現代では、三国連太郎や草薙幸二郎が、引き継いでいる。ところが善玉日本人・風間や、アクマな所業の日本人・隆大介は、老け作りメイクで、両方の時代に登場。ナンだろう、この本作における朝鮮人と日本人の「区別」は。
 日本人は、戦時中も現在も、その本質は、まったく変わっていません、ということか。まあ、朝鮮人は、時代によって、ころころ変わる、というのは、確かだが。
 さて善玉・風間、年下のはずの李を戦時中も親身に面倒を見ただけでなく、戦後も三国を「会長」「会長」としたい、まるで三国の従者のごとく、足の悪いのに、三国の過去彷徨に、付き合う。というか、付き従う。
 ああ、そういうことか。そういう仕掛けだったのか。
 戦時中パートの主人公・李鐘浩は、明らかに風間より、年下感。
 ところが、戦後パートでは、三国と、老け作り風間とは、重量感は、三国が段違い。老けメイク風間、軽すぎ。風間、三国にぺこぺこ。
さらにいえば、戦時中パートの主人公・李鐘浩は、炭鉱管理者・隆大介に、まったく手が出ない。
 ところが、戦後パートでは、三国と、老け作り隆大介とは、重量感は、三国が段違い。老けメイク隆大介、悪役としてもぺらっぺらっ。
 戦時中は、残念ながら、朝鮮人は、日本人に、完敗だった。
 しかし、戦後の朝鮮人は、違いまっせ。朝鮮人役・三国連太郎と、ぺらい老け作りメイクの風間・隆との、格の違いを見よ(笑)。というわけで、名優・三国は、この映画に起用された、と(笑)。日本人との現在における「格の違い」偽りの日朝逆転を見せ付けるために
 
 まあ、あだしごとは、さておき。
 主人公・李鐘浩が、安川組時代に相思相愛になる、日本人戦争未亡人に、当時絶頂の美貌の南野陽子。南野陽子が出てくると、とたんにアイドル映画調になるのが、可笑しい。まあ、彼女の演技も、アイドル調だが。
安い、記憶に残らない主題歌も流れる。歌っているのは、在日の歌手か。
 タイアップ臭がぷんぷんする、三流映画のつくり
 隆大介が過去の悪行をないことにして、いまや地元市長選の最有力候補、その過去を追及する三国、これは、過去に三国が追及される側を演じた内田吐夢「飢餓海峡」のパクリか。そういや、タイトルもパクリだ。
 その隆と三国が対決する、荒廃したボタ山のススキ?が、強風に渦巻くさまは、黒沢明「姿三四郎」そのまんま。
 きわめて重要なシーンとなるべきはずの、「李鐘浩と風間が、ボタ山に朝鮮人の墓を立てた」シーン、「南野陽子が、夫・李鐘浩を捨てて韓国から日本に逃げ帰る」シーンが、あとから、単に会話として回想されるだけなのは、ちょっとヘン。まあ、尺が長くなる、ということで削除されたのだろうが。
 結論。「良心的日本人」神山征日郎、もとい神山征二郎の、安い映画では、あったか。

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by mukashinoeiga | 2013-08-25 12:15 | 旧作日本映画感想文 | Trackback | Comments(0)

神山征二郎「三たびの海峡」

 池袋にて。「渾身の役者魂 名優・三国連太郎を偲ぶ」特集。95年、アルゴ・ピクチャーズ。
 日本統治下(もちろん殖民地下では、ない)朝鮮から、北九州の炭鉱に「連れてこられて」過酷な労働を強制された、「朝鮮系日本人青年たち」の物語。
 なぜ、いま、ここで、「連れてこられて」などというあいまいな言葉を、使ったかというと、今回ネットで参照した「ヤフー映画」でも、「映画コム」でも、あらすじ紹介に「日本に強制連行された朝鮮人男性」という嘘八百を書いているからである。
 嘘書いたらイカンよ、ヤフー、映画コム。
 たしかに、造船所で働かせる、といいながら、より過酷で人気のない炭鉱夫に、した。給料や、食事のピンハネは、した。日本人鉱夫が、嫌がっていかないような劣悪な労働下に、置いた。募集要項は、いんちきであった。
 しかし、彼らは、まず、当時は、朝鮮人男性ではなく、曲がりなりにも、日本国臣民で、あった。そして、「内地」(日本国本土)で働くものはいないか、という募集があり、貧しい半島で職にあぶれた若者たち(本映画の主人公のような、二男坊、三男坊が)がより条件のいい「内地」で働くことを希望し、大勢の若者たちが「応募」した。
 結果、たいへん不幸な詐欺にあったのだが、それでもこれは「強制連行」では、ない。「応募」して、「選考」され、内地で働くことは当時大変な人気があり、募集人員を何倍も上回る応募があり、なかには当然おとされた者がいる、これのどこが「強制連行」なのであろうか。いわゆる「女子挺身隊」を「従軍慰安婦」と「意図的誤解」をするのと同じ論法であり、要するに左翼の嘘八百である。
 過酷な炭鉱労働を、造船所での仕事と偽ったのも、当時軍国主義華やかなりし日本および朝鮮で、軍艦を作る造船所の仕事は、人気の花形産業だったからだ。そう、当時の主人公たち「朝鮮人男性」は、人気の花形軍需産業にあこがれて、日本渡航を望んだのである。
 結果としてはいんちきで、だまされはしたが、自ら望んだ内地渡航の、どこが、「強制連行」なのであろうか。
 まあ、たとえば、適切なたとえではないかもしれないが(笑)オレオレ詐欺でだまされた老婦人のお金は、「強盗」にあったのだろうか。自ら、差し出した金では、ないか。まあ、このたとえは、まったく適切では、ありませんでしたな(笑)。

 いわゆる「良心的日本人」(笑)が作った「良心的」(笑)左翼映画は、作品そのものの感想にたどり着くまで、「映画の、そもそもの出自のでたらめぶり」を、指摘しなければ始まらない。疲れる(笑)。
 さて、「日本に強制連行された朝鮮人男性」実はこれは嘘でホントウは「人気の花形軍需産業にあこがれて、日本渡航を望んだ朝鮮系日本人青年たち(ただし二級市民扱いされた)」主人公・李鐘浩(新人、老年時代を三国連太郎)、永島敏行、有薗芳記、趙方豪らは、内地で、過酷な労働を強いられ、これに逆らうと虐待、拷問、そして殺されたものもいる。
 これら「朝鮮系日本人」を演じた若手俳優たちは、おそらく在日、韓国人、日本人、通名日本人の俳優たちの混成チームだと思うが、映画では、朝鮮人同士が私的に会話するシーンでも、ハングル二割、日本語八割の感じ。
 もちろん炭鉱の仕事上では、「国語励行」という標語が張られていたので日本語強制ではあるのだが。在日朝鮮人部落の樹木希林との会話でも、日本語メイン。これこそ、どんな世界の僻地でも英語が話されるハリウッド・メイジャー映画や、絶海の孤島の南洋の土人も日本語を話す、東宝怪獣映画同様の映画の帝国主義そのものでは、ありませんか。
 左翼が帝国主義映画を作って、どうする(笑)。あ。もともと帝国主義か、左翼は(笑)。
 ということで、映画の感想駄文そのものになかなか到達せぬまま、続きは後日(笑)。
◎追記◎★感想駄文続き★

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by mukashinoeiga | 2013-08-10 23:24 | 旧作日本映画感想文 | Trackback | Comments(0)

小栗康平「伽倻子のために」南果歩園佳也子古尾谷雅人蟹江敬三浜村純

 京橋にて。「逝ける映画人を偲んで 2011-2012」特集。84年、劇団ひまわり。
e0178641_732662.jpg タイトルロールの伽倻子は、カヤコと、読む。南果歩演じる伽倻子の養母役に、園佳也子、というのは、何かの冗談か。
 南果歩も在日というが、園佳也子もそうなのか。ちなみに、この映画では、ふたりとも、日本人の役。
 なお、今回の追悼特集に選ばれたのは、撮影監督・安藤庄平追善。安藤のキャメラは、いつもながら、素晴らしい。
 景色を撮っても、常に観光絵葉書にしかならない、木村大作とは、もちろん雲と泥の差だ。

 舞台は、1950年代の北海道、東京。戦前は樺太にいた少年と少女の一家、その変遷を背景に、成長したふたりの物語。
 青年(呉昇一)は、祖父母が玄界灘をわたって日本に密航してきた、在日朝鮮人の子。
 少女(南果歩)は、本名ミワコ。おそらく日本人の母親の子だが、母に捨てられて、在日(浜村純)の、もらいっ子になった。その際、ミワコから、朝鮮的な伽倻子に、改名された。
 朝鮮人による逆創氏改名か(笑)。やはり浜村も、海を渡って日本に密航してきた口。浜村は日本人妻(園佳也子)をもらい、この二人が南果歩の養父母となる。
 ふたりの男女の、青春の愛と別れを描き、ある部分では共感しつつ、たしかに、それなりには、いいのだよ。ついつい思わずセックスしちゃうとか、孤独な青年が、夜に、人の家々を覗き込む、寺山修司的のぞき行為とか。
 ほら、青年は、人々が寝静まったころに、夜の町をはいかいして、自分とは「無関係」な、夜の町を覗きまわるもんなんだよ(笑)。私が、そうだったから、間違いない(笑)。寺山修司もお仲間だったのだろう(笑)。
 映画としては、それなりにいいのだが、しかし、

e0178641_10155833.jpg1 青年と少女が歩くシーン(複数)で、その歩き方の、まあ、下手なこと。小栗康平は、どんな凡庸な監督でも、そこそこはこなす、主人公とヒロインを並んで歩かせることすら、まともに出来ない。演出の未熟が、あからさまに露呈してしまう。
 もちろん新人二人の歩き方の不出来は、監督の責任である。

2 これがデヴューの南果歩はともかくとして(まあ、かわいい。ただし丸顔なのに、貧乳。せっかくのヌードだけど)、青年・呉昇一に、主役オーラ皆無。最初から最後まで、出ずっぱりの主人公が、見ていてちっとも楽しくないのは、はっきり言って苦痛であります。
 友人役として、ちらりと出てくる古尾谷雅人のほうが、よっぽど、オーラあり。

3 そもそもこの映画、くるくる場所、時制が変わり、いき戻りしつつ、交差し、かく乱する。ある時期の(ある種の)アヴァンギャルド映画にはありがちだが、だからナンなの、とまったく効果がわからない。まあ、下手だから、意味がなく、趣味でやっているとしか、思われない。
 たぶん<青春の彷徨><青春の自分探し>のメタファー的表現なのだろうが。
 ただ、単に、そのつどつどの、エモーションを断ち切っているだけに、思われる。

4 青年は在日ゆえに、自分の居場所が確定できない。少女は、半分在日?、しかも、貰われっ子ゆえに、自分の居場所が確定できない。さらに、このふたりは、故郷の樺太を、ソ連軍に奪われ、戻ることも出来ず、彼らにとっての、何重の意味でも<異郷>である、北海道、そして東京に住まざるを得ず、居住地すら、アイデンティファイできない。
 ゆえに、この映画の表現として、樺太、北海道各地、東京が、何の説明もなしに、まるで地続きであるかのように編集され、ショットが変わるたびに、登場人物は、今、どこに居るのか、観客は、手探り状態で、画面を見なければならない。
 また、大勢の登場人物が、説明なしに輩出するため、特に家族関係も、観客は手探り状態で、見ながら判別しなければならない。

5 冒頭か、主人公の子供時代の回想シーンで、彼の祖母が、かの民族独特の「恨み節」?を、呪詛のようにつぶやき歌い、体をゆする。
 大意は、こうだ。「私は、若いころ玄界灘を渡って、この国に来た。でも、まさか、40年も、この<盗人の国>で、過ごそうとは、思わなかった。40年も、この<盗人の国>で、生きるのさえ、心苦しいのに、今、また、私のかわいい娘が、先に逝ってしまった。ああ、なんて、不幸な私だ」。
 これがかの民族特有の恨というものか。「私の娘」と言うのは、主人公の母親に当たる。
 しかし勝手に密航・密入国しておきながら、しかも勝手に40年も住んでおきながら、日本を<盗人の国>呼ばわりは、逆に、かの民族の<盗人根性>そのものでは、ないか。かの民族こそ盗ッ人たけだけしいではないか
 左翼小栗康平は、おそらくこの老母に同情する立場で、このシーンを撮ったのだろうが、自分の不幸を常に他人のせいにする、かの民族固有の恨こそが、問題なのだ。

6 実は、朝鮮民族の名前というのは、朝鮮固有のものでは、まったくない。
 かなり昔のある時期、いっせいに、民族固有の名前を捨てて、いわゆる中華風の名前に変えたという。<半万年の朝鮮の歴史>の、大部分が、中国の属国であったため、中国風の名前に、民族いっせいに切り替え、宗主国さまに、こびへつらったのだ。
 時を経て、今度は、日本が支配するようになると、今度も、またいっせいに<創氏改名>に、いたる。
 そして、現在は、日本では、いわゆる二つ名の通名を駆使し、アメリカでは、ジョンとかスーザンとか、名乗っている。こういう<民族性向>ながら、なぜか(笑)日本統治下の創氏改名のみ、強制されて、仕方なく改名させられた、とほざくのは、まことに不可解なのだが。
 もとっから、かの民族に、ご大層なアイデンティティなどなかったのを、青春ゆえに、主人公は、悩む。
 青年は、悩むものなのだ(笑)。どんな、どこの民族の、青年さえ。うーん。

7 親を捨て、青年と駆け落ち、東京で同棲生活を送る南果歩に対して、怒りの養父母・浜村純と園佳也子。
 しかし、親兄弟、故郷を捨て、玄界灘を密航して、密入国の、浜村純に、娘の駆け落ちを怒る資格があるのか、と、まじめ?な愁嘆場で、思わず、爆笑してしまいました。園佳也子が日本人とは思えない、火病振りで、笑えるのは、ご愛嬌で。

 ラスト、当の昔に分かれた、南果歩の実家近くの道で、無心に遊ぶ少女に、年を重ねた「青年」は、遭遇する。
「年、いくつ?」
「みっつ」
「名前は?」
「ミワコ」
 まあ、女性のほうが、強いわなあ。
◎追記◎短い出番ながら、実に実に印象的な<深夜の彷徨者>蟹江敬三が出てくるところから、前述ラストまで、たぶん、きわめて日本的な感性による描写が続くが、それは、映画の登場人物がおおむね在日である本作にとっては、失敗ないし失速なのではなかろうか。

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by mukashinoeiga | 2013-05-07 10:09 | 珍品・怪作の谷 | Trackback | Comments(0)

吉村・今井・山本「愛すればこそ」

 京橋にて。「映画女優 香川京子」特集。55年、独立映画。
 近代映画協会などの、当時の独立プロダクションが結集しての、三部作オムニバス。
 で、当時の独立プロは、左翼のソウクツ。左翼は、理想を語る。というのは、タテマエというか、文字通り、理想であって、82分で三話のエピソードというと、とうぜん、うわすべりした、紋切り型のタテマエしか、語られることはない。まるきり、面白くない。典型的<主人持ちの映画>。コクもなく、キレもない。
 第1話・吉村公三郎「花賣り娘」
 首になった、銀座のバーの雇われマダム・乙羽信子と、幼い花売り娘・町田よし子の、貧しい者どうしの交流。特にどうということのない掌編。銀座のバーの雇われマダムが、佃の渡しの先の、しもた屋の二階に仮住まい、という成瀬巳喜男「女が階段を上る時」の設定と同じ、まあ、そこだけは、いいんだけどね。
 なお、このエピでも、勝鬨橋が開くところがチラッと映る。勝鬨橋の開閉は、あまり意味がなくなったが、意味がなくなったからといって、開閉をやめたとたん、この地域は、ランドマークを失い、没落した。再び、この地域は新ランドマーク、東京スカイツリーを得たが、それは、勝鬨橋に変わりえるだろうか。
 役に立たない、邪魔だから、という理由でランドマークを消滅させることの不幸を、勝鬨橋は示している。
 第2話・今井正「とびこんだ花嫁」
 川崎の貧しいアパートに住む工員・内藤武敏のところに、田舎から、いきなり、花嫁・香川京子が、送り込まれる。困惑する内藤青年は、同宿の同僚、高原駿雄や井出忠彦らに相談、何とか、追い返そうとする。
 いくら、いきなり送り込まれたとはいえ、超可愛い、しかも性格の良さそうな香川京子を、追い出すことしか考えないという<左翼原理主義>に、失笑。
 第3話・山本薩夫「愛すればこそ」
 母・山田五十鈴、長男の東大生・田口計、長女・誰かしら、次女・中原早苗。長男が左翼運動で逮捕される。残された家族は、偏見のなか、生活が困窮する。長女は結婚できず、次女は、進学をあきらめる。
 家族のことも考えず、理想主義に走る左翼青年。
 いやあ、ここで、笑っちゃうのは、<語るに落ちる>とはこのことか。ちがうか。
 理想に燃える、さわやか左翼青年役の田口計。中年以降は、胸に一物、腹黒い悪徳官僚・悪徳弁護士、時代劇では悪代官などを、得意とする。理想に燃えた左翼青年も、年をへると、より、いっそう悪い体制側に組み込まれるという、ルーピー、菅、野ダメら現在の民主党政権の現実を見るような(笑)。
 田口計の思想的ガールフレンドに、久我美子。いいとこのお嬢さんで、左翼思想に、お遊びで染まるという、木下恵介「女の園」と同様の役回り。こういうのが、いちばん、始末に悪いんだよなあ。いや、現代の民主党、社民党の女性政治家で、いっぱいいるタイプ。

 吉村公三郎、今井正、山本薩夫という、面白い映画を作る映画作家たちが、短い短編だと、語るに落ちる、タテマエしか、表現し得ないという、左翼の病。
 ああ、つまらない。凡作。
 しかし、香川京子ら、出演者全員は、素晴らしい。楽しめる。 監督たちだけが、ダメなのだ。


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by mukashinoeiga | 2011-11-14 23:59 | 山本薩夫傷だらけの左傾山河 | Trackback | Comments(2)

佐分利信「慟哭」昨日、上映中に

 京橋にて。「よみがえる日本映画~映画保存のための特別事業費による」特集。52年、新東宝=東京プロ。
 を、本日1時から見ていたら、(あ、また余震か・23:57頃かって、TVでは無視だな千葉だけか)あと10分で終了というところで、突如の大揺れ。かなり続く。自動的にだと思うが、非常灯もつく。
 年寄りというのは、揺れに対する感度が鈍いのか、みな、平然と、見ている(笑)。
 たぶん、ぼくが、同じ年寄りでも、一番若いクラスなのか、あるいは一番、ビビリ屋のせいか、たぶん、ぼくが一番先くらいに(笑)、客席から逃げ出したと思う。
 その理由は、ぼくが人一倍のビビリなだけではなく、ちょうどそのとき、スクリーンに映されていたのは、三橋達也青年のちゃらちゃらした小芝居。いやあ、一応映画好きのぼくが、人生最後に見た映画が、三橋達也、ちゃらちゃら小芝居、それは、やだなあ、と(笑)。
 場内から出てきて、2階受付の後ろの大窓に、ああ、いま、TVの気仙沼、ひどいなあ。先の阪神大震災のときは、村山だよね。ボンクラ無能反日左翼政権に対する、神の怒りか。いやいや。あ、また、余震だ。
 そうそう、場内から出て見た、窓の外は、大勢の人たちがビルから出て、車は全部ストップ、街路樹は揺れて、あ、また今余震だ、今というのは、パソコンでタイプしている今という意味で。
 なかには、かなり狭い中央分離帯にも、多くの人が立っている。ま、この辺は、高層ビルが多いので、ビルの「根元」からは、なるべく離れていたいのだろう。でもそれなら数十歩のところに、更地になった大規模な工事現場がある。そっちのほうがいいのでは。もっとも、そこは地下鉄などもある、その工事中だから、最悪の場合、陥没する可能性もあるが。
 やがて、収まり、場内に戻ると、薄明るく非常灯がついているなか、上映が続けられており、かなりの観客が、そのまま座って、見ていた(笑)。いやー、ぼくより、すごい映画ファン多数。まあ、みんな、お年寄りばかりのせいか、映画を見ながら死ぬとしても、まあ、本望なのか(笑)。
 やや、おさまり、10分ほどの最終巻を再上映するとのこと。3時5分から、再上映。またもや、三橋達也のちゃらちゃら演技の最中に、第ニ地震。また、かなりの揺れ。恐るべし、三橋達也。
 またもや、上映中に自動で、非常灯がつく。そのままエンドまで上映。
 帰宅後、パソコンで見たら、帳場の山下さんは、銀座シネパトスで映画を見ていたらしいが、

>一本目の「白昼の襲撃」を観ている時、黒沢年男が刑事に追いかけられている場面で大きく揺れ、皆びっくりして飛び出そうか否かと迷っていた。一時上映も中断。
何度か中程度の余震もあったけど、とりあえず収まったので上映も再開、まあ二本目の「黄金のパートナー」を観終わる頃には、電車が止まっていたとしても復旧しているだろと思っていたので、地上に出てびっくり。
道に人が溢れているし、皆携帯を見てるし。
ま、まさか……。

 フィルムセンターから比較的近いシネパトでは、上映は中断したものの、誰も場内から出なかったらしい。地下なのに。地下の方が安定していたのか。シネパトの観客のほうが、フィルムセンターの客より、映画ファンなのか(笑)。
 フィルムセンターでは、約三分の一弱の観客(自分含む)が場内から出たが、上映は続いていた(笑)。
 終了後、スタッフから「とりあえず4時の回は中止。7時の回は未定」と。この規模の地震では、交通機関は全面ストップだろうから、7時も休止か。
 ということで、4時頃から、徒歩で帰宅。
 結局、10時過ぎに西船橋着。
 11時過ぎに船橋着。
 外付けのガス計器に赤ランプ点滅。同じ建物の全てのガスの赤ランプも点滅していた。
 それ以外には、アレはたぶん落ちているだろう、という、超不安定な位置に置いていた、サブのDVDプレイヤーが、落ちていたほかは、被害なし。
 山下さん同様、お気に入りの「キネマ洋装店」店主のを見ると、都内赤羽の自宅は、DVD本CDパンダグッズ、ソーサーなどが散乱していたようだ。都内より千葉のほうが被害は少ないのか。

 というわけで、佐分利信「慟哭」感想自体は、また、後日。
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by mukashinoeiga | 2011-03-12 01:40 | 佐分利信 サブリン人生劇場 | Trackback | Comments(0)

「ディア・ハンター」VS山本薩夫

 産経新聞の週一連載に「昭和正論座」というのがある。過去の同紙に書かれた、評論の再掲載、いわば「評論の名画座」というべきものだ。名画座好きとしては、気になる企画なのだ。
 「新聞」なのに、昔の評論記事の再録とは、「旧聞」だろう、というなかれ。これが驚くべきことに、特に政治家、いわゆる文化人諸氏の発想、行動が、今も昔も、ほとんど変わっていないゆえ、<ダメな政治家、文化人>への批判が、今でも、まるっと通じてしまうから、あら不思議。昭和の評論が、今でもまったく、変わりなく、通じてしまうのだ。
 で、2/5掲載の早大客員教授・武藤光朗による、昭和54年4月6日掲載<「ディア・ハンター」映画とベトナムの真実>が、特に映画の話なので、このブログに以下、若干の引用を。

 ベトナム戦争に従軍した三人のアメリカ青年の悲劇を描いたアメリカ映画「ディア・ハンター」がさる三月十七日からロードショー公開されているが、日本映画復興会議実行委員会(山本薩夫議長)は十六日、同映画が「ベトナム戦争の真実をゆがめ、ベトナム人民への敵意をむき出しにした反動的な作品」だとして、その公開に対する抗議声明を発表したそうである(東京新聞、3月17日付夕刊による)。

 マイケル・チミノ監督はその制作意図をこう説明している。-「私はこのドラマでベトナム戦争を描こうとか、政治的メッセージを出そうなどとは毛頭考えなかった。ごく平凡に生きてきた若者たちが、降りかかった“戦争”という危機にどう対処したか、“戦争”がどのようにして彼らの人生の一部になってしまったかを、描きたかったのだ」。

 そんな作品に対して、山本薩夫氏のような日本の高名な映画監督を議長とするグループが、なぜその公開に抗議し、日本人観客にこれを見せまいとしたのだろうか。

 そういう北ベトナム・解放戦線側の戦争中の残虐行為を映画に描いたからといって、山本薩夫氏らのように、これを「ベトナム戦争の真実を歪める」と称して非難し、その作品を日本人観客の眼から隠してしまおうとするのは、かえって「ベトナム戦争の真実を歪める」ことになりはしないか。

 もっとも、さる二月末に西ベルリンで開かれた国際映画祭では、この「ディア・ハンター」は、国際映画祭規約中の「他民族への憎悪をあおりたてる映画の上映禁止」条項に該当するとして、“社会主義国”が上映撤回を申し入れたことがある、と前掲新聞記事は伝えている。山本氏らもそれと同じ国際政治的立場から公開に抗議したのかもしれない。しかし、アメリカ人のベトナム戦争体験を深く掘りさげて描こうとした「ディア・ハンター」のような映画の公開にまで、政治的圧力を加えようとするその立場が問題だといわなければならない。

 すでにベトナム人民軍参謀総長バン・チェン・ズン将軍の回顧録によって、いわゆる“南の解放”は“解放戦線”を傀儡(かいらい)とする北の武力による共産主義支配の強制だったことが証言された。ベトナム難民によってその苛酷な人権抑圧を告発されているこのベトナムの共産主義者は、人口の一割余を粛清したといわれるカンボジアの共産主義者と凄惨(せいさん)な内ゲバをくりひろげている。その内ゲバには、かつて日本の雑誌『世界』によった“進歩的知識人”のグループ「平和問題談話会」が、“平和勢力”であることを期待した、中国とソ連の共産主義者も加わっている。

 ベトナム現共産政権の血まみれの過去に触れたからといって、「ディア・ハンター」のような映画を「反動的」として政治的に封印してしまおうとするような日本人こそ、自分にとってベトナム戦争とは何だったかを、今改めて深く考えるべきである。(むとう みつろう)

 【視点】1979年のアカデミー賞受賞作品「ディア・ハンター」は、ベトナム戦争で米兵捕虜がロシアンルーレットを強いられるなど、民族解放戦線側の残虐行為をも描いた作品である。東側諸国に評判が悪く、日本でも、山本薩夫監督らのグループが「ベトナム戦争の真実を歪める」として、映画の公開に抗議した。
 武藤氏は、作品を日本人の眼から隠すことこそ、ベトナム戦争の真実を歪め、「ベトナム共産政権の血まみれの過去」にベールをかけようとしているとして、東側に同調した山本氏らの行動を強く批判した。自分たちに都合の悪い作品には、表現の自由を認めようとしない日本の文化人の欺瞞をついた正論である。(石)

 えー、山本薩夫は、映画としては、すごく面白い娯楽映画を作るのに、こと共産党員としては、画一的な言論弾圧をするわけですね。作品に対する批評と、公開に対する批判は、まったく別物なのですがねー。
 今のグルーポン民主党政権もまったくそうなんですが、世界中の歴代全ての左翼政権国家は、ひとつの例外もなく、言論弾圧、人権抑圧、民主主義否定の軍事独裁化、内ゲバで内部粛清、に邁進する。
 ついさっき亡くなった、連合赤軍の永田洋子たちもそうでした。チャウシェスクのルーマニア、スターリンのロシア、金王朝の北朝鮮、毛沢東創業の中共王朝、政権を弟に譲ったカストロ王朝、もちろんヴェトナムもそう。
 自称リベラルの方(左翼と正式に名乗るのが、恥ずかしいんでしょ)は、オレはリベラルだぜぇ、ひとより人権意識や、言論の自由、民主主義は大切にしてるぜー、という方が多いと思いますが、左翼・リベラルであればあるほど、実は左翼・リベラルな政権の誕生を期待したり、アシストしたり、投票したりすることが、間違いなんだと、気付いてほしいですねー。 
 なぜなら、あらゆる左翼リベラル政権は、言論弾圧、人権否定、民主主義否定、独裁化、軍事政権化、するんですから。一国の例外もなく。特に内ゲバ、路線の違いによる同胞グループの抹殺は、左翼のルールみたいなもの。小沢一郎一味が、菅直人一味に、今、そうされてますよね。友愛、友愛言いながら、民主党の友愛路線は対外国のものだけで、国内では、同士殲滅こそ、国内制圧の手段なんですね。

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by mukashinoeiga | 2011-02-06 20:16 | 山本薩夫傷だらけの左傾山河 | Trackback | Comments(0)

今井正「山びこ学校」

 神保町にて。「夏休み特別企画・昭和の子供たち」特集。52年・八木保太郎プロダクション第一回作品。
 う~ん、なんか、すごい映画を見ているなあ、と、見ている最中から、思った。
 これは、なんなんだ、と。
 すごい、異常な、映画なんだよ、これ。
 無着成恭という、山形の中学校教師が、生徒の作文集を世に問い、評判に。その独特のなまりを生かして、TV・ラジオタレントになった。TBS「子供電話相談室」などで、ぼくも聞きました。
 その無着先生をモデルにした、教師(木村功)が、自分も貧しい、生徒の家庭も貧しい、売られていく生徒もいる、そういう、ぎりぎりのところで、悩み、教育以前のところで、立ち止まらざるを得ない、場面が描かれる。
 現代でも、親による虐待、貧困による教育不全、など、まったく変わらない、悩ましい問題なのだ。
 教育資料の本を買い集め、その支払いがかなりの額になり、本来は家に入れなければならない金が、消えていく。
 教師自身も、両親に、責められる。
 悩む、木村功。
 貧しい自分や生徒、満足に教育する以前の生活環境に、逡巡して、悩む・・・・ 
 のでは、あるのだが。
 木村功の台詞回し、というか、演技が、明らかに、狂っている。
 木村功は、明らかに、せりふ量が多いせいだろう、通常の1.1~2倍の早回し気味の速度で、何のよどみもなく、すらすらすらと、せりふを<消化>していく。
 朴訥な田舎の青年教師が、悩み、逡巡するときすら、早回しのためらいなき台詞回しを維持する。
 生徒に講義するとき、生徒と私語するとき、両親と話すとき、同僚教師と語り合うとき、全て一定のスピードの、何の感情も、こもらない語り口。そう、速度が速すぎ、滑らかな語り口であるため、悩むときも、そのせりふに、一切の感情が、こもっていないのだ!
 あきらかに、おかしい。おかしいぞ、木村功。
 朴訥な、強いなまりの無着を、モデルにして、このマシーナリー(笑)なしゃべり方は、なんだ、と。
 狂信性すら、感じられる。
 共産党映画作家である、今井正からすれば、左翼教師は、かく機械的に、生徒を教育すべし、ということなのか。
 この木村功こそ、日教組教師の理想像、ということなのか。
 いずれにしろ、当時としては、この教育映画に、一定の評価があったことは、想像できる。
●追記●脚本家イコールプロデューサー、ということで、脚本の変更は出来にくいものと、一般論として、思う。しかし、独立プロの常として、予算は少ない。ということで、脚本の膨大な台詞・エピソードを、低予算で乗り切るには、という苦肉の作かも知れない。木村功のひとり早回し、は
 しかし、いずれにせよ、ロボットまがいの機械的な木村功演技は、ただ、ただ、不思議で。
 ロボット教師、これこそ、共産党や日教組の是とするところか。うーん、あの方たちは、よくわからん(笑)。そして、この映画が、左翼の皆さんたちに、一定の評価があることも。


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by mukashinoeiga | 2010-08-10 07:57 | 今井正 青い左傾山脈 | Trackback | Comments(0)

山本薩夫「真空地帯」

 京橋にて。「映画の中の日本文学 Part3」特集。52年、新星映画。
 冒頭、<新星映画>とともに、<北星映画>のロゴもクレジット。名前が似ているので、実質同一組織かしらん。
 そして、続くクレジット部分のバックには、髭のロシア人系軍人らしき銅像が映される。ソ連映画でよく見たような、タイトル映像で、まるで、ソ連映画みたい。左翼はわかりやすいなあ。心の宗主国、丸わかり。この映画もコミンテルンの指導に基いて作った映画か。まだ、共産党ソ連が光り輝いていた頃だからねー。
 そして、ヤマサツ演出は、もちろん後年のスーパーさを獲得する以前。大勢の登場人物が入り乱れ、それをまた、大勢の新劇系野郎役者たちが演じ(女性出演者は、日本人娼婦・利根はる恵一人のみ。かつてこの種の映画のヒロインが利根はる恵という時代がありました)、見事なアンサンブルではありつつ、まだ、後年のスーパー・ヤマサツ演出には、及ばない、未完成系。
 大阪城が見える兵舎群の中の濃密な人間関係。
 主人公は、二年三ヶ月服役の軍刑務所を出所した四年兵・木村功。戻ってきた原隊では、同期兵はみな大陸に送られ、ほとんどが戦死。かえって、自分の過去がばれずに、好都合か。
 今は、二・三年兵が初年兵をいじめる日々。いろいろ慣れない初年兵のミスを、ひとりが犯せば、初年兵全体の連帯責任、全員を罵倒、びんた、いじめの極地。いやあ、役者・スタッフ含め左翼諸君は、こういう日本軍の恥部を、生き生きと躍動的に描くなあ(笑)。自国の恥部を生き生き躍動的に描く心根というのも、まあ、左翼諸君お得意、ソ連譲りのものか(笑)。
 さて、木村功、軍刑務所帰りということで、訓練もせず、ただ兵舎でのんびり何もしない毎日。刑務所帰りこそ、ビシバシ鍛えるのが<悪い>日本軍にふさわしいのでは・・・・。ところが、なぜか、軍の仕事から一切免除される、モラトリアム状態。鬼班長・西村晃も木村功には、ミョーに優しい。
 腫れ物に触るような、異分子排除状態で。ここら辺説明が一切ないが、裏返して言えば日本軍は、犯罪更正者には、杓子定規なほど、気を使っていた、ということなのか。
 しかし、そういう建前はともかく、いや建前が、更生者に<配慮>すればするほど、回りのみんなは反感を持つのは世の常というもので。ムショ帰りなのに、何であいつばかりが、きつい訓練を免除されるのか、と。鬼班長西村も、木村功に対するときだけ、ミョーに猫なで声で。
 だから、木村に対しては、直接のアレはないものの、二・三年兵は反感持つわなあ。で、木村功も、そういう状況にわれ関せず、みなと溶け込む気もない。で、どんどん、マグマがたまり。
 木村を罵倒する歌をみんなが歌う。
 ここからが、意外な展開。普段は、帝国軍人にあるまじき、本当に蚊の泣くような声の木村功が、突如、キレる。
 オレは、お前らより上の四年兵やぞ!
 刑務所帰りは、もう怖いもんは何もないんだ! 
 お前ら、みんな並べ!
 威圧された、三・二・初年兵は、日ごろの習性か、そう言われれば、並んで、びんたを受ける。ことに目立つ二年兵は半殺しの目に。初年兵をいじめている二年兵も、かわいそうな初年兵も、日ごろ何くれとなく木村の面倒を見る三年兵・下元勉も、みんな、びんた、びんた、逆切れならぬ、正切れ?の木村功。

 ヤマサツ版「キャリー」か。
 左翼映画作家ヤマサツの不思議なところは、国際コミンテルンや、日共のテーゼどおり、おとなしく教条的左翼映画を作っていればいいところを、突如として、<映画の側>に<表がえる>ことにある。ここで、主人公・木村功が<場を支配>してしまったら、<旧日本軍の組織的悪の構造>の、強固さなど、たちまち崩壊してしまうではないか。相対的な悪に堕落してしまうではないか。

 木村功がキレた、その次のシークエンスでは、殴られたはずの下元勉が、優しく木村に進言し、木村逮捕・服役のからくりを教える。エ、ひょっとして、巻の掛け違い?と疑うほどの、対立のあとの滑らかさ。ま、ここが下元勉の強さか。インテリの下っ端兵を演じて、下元勉のベスト・アクト。いいなあ。

 スーパーではないものの、教条主義とは無縁な、左翼作家・山本薩夫の、佳作。ニコニコ顔(でも、やはり、切れるときは切れる)高原駿男、神田隆、三島雅夫、ら多数の俳優人の好アシストを受けて、好調。
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by mukashinoeiga | 2010-04-13 23:21 | 山本薩夫傷だらけの左傾山河 | Trackback | Comments(0)