大庭秀雄「黒い花粉」

 神保町にて。「松竹の女優たち」特集。58年・松竹。
 深夜重役の娘有馬稲子が電話に出ると、父の部下から。唐突に結婚してくれという。娘が断ると、その直後東京駅のホームで飛び込み自殺(実は会社の金を横領していて、重役の娘と結婚すれば何とかごまかせると踏んでいた)。飛び込みを目撃した佐田啓二は、警察に事情聴取される。知らせを聞いた有馬がやってくる。実は伊豆に行こうとして東京駅に行ったのに、あなたの会社の人が自殺したから、この深夜で、伊豆に行けなくなったのだ、と事情を話すと、娘は「私の父が伊豆の別荘にいる。これからこの事故の報告に車を飛ばすが、では、あなたも一緒にどうか」とすすめる。二人は早朝伊豆に着き、佐田は旅館の前で別れる。有馬の父・笠智衆は愛人との別荘暮らし。一応部下の自殺を報告するが、愛人との家だけに早々に立ち去る。そして、妙に気になった佐田の宿に向かう・・・・。
 一方佐田が伊豆に来たのは、会社の部下の女事務員・杉田弘子が男と心中を図ったからだ。相手の男は逃げ、杉田のみ薬を飲んだが命は助かった。病院に杉田を見舞うと、ついている看護婦がおしゃべり好き。「このひと、うわごとで××、××って男の名前をしきりに呼ぶのよ。ところが心中相手の名前と違うのよ。近頃の若い女は大胆よねえ。××って、あなた、知らない?」憮然たる面持ちで「いやあ・・・・知りませんな」と佐田。そこへ杉田の母がきて「あらあ、××さん、わざわざお見舞いありがとね」目を白黒の看護婦。
 ということで、船橋聖一原作の、出たとこ勝負メロドラマはじまりはじまり~。だが、これ以後の展開は典型的松竹メロの一本というべきで、なんと言うこともない。まあ、この種の役回りはモリマならぴったりで、佐田にはいささか荷が重すぎるというところ(ここで誤解してほしくないのは、これが同時代の映画なら腹が立つが、なんせOLD映画、ぼくは結構楽しんでいるのだ)。
 しかし、ぼくは別のところに目が釘付け。実は窓口でチケットを買ったあと、すぐ続いて年配の客が来た。これが、昔の映画のことなどまったく知らないだろう受付嬢に大声で自慢話をするタイプ。
「いや、今日映画を見に来たのは、この映画に関心があるから見に来たわけじゃないんだ。杉田かおるって、いるでしょ、杉田かおる、彼女の母親が出ているから見に来たんだ、杉田弘子って言う女優」
 受付嬢二人は「はあ?」顔。この老人と違って、リアリストの私は100パーの自信を持って言うが、この受付嬢たち、杉田かおるは知っていようが、断言する、杉田弘子のことなんかちぃとも知らないのだろう。それにこの老人だって、映画そのものに関心はない、と公言するくらいだから、「確認」するまで杉田弘子の顔も知らないと見た。
 ぼくは映画を見ている間、映画そっちのけでもう杉田弘子の顔に釘付け(笑)。たっ、確かに似ている。いや、もう瓜二つ、生き写しだ。石立鉄男が「ちい・ぼ・お~」と呼んだころは似ても似つかないが、今TVに出ている彼女ははっきりと杉田弘子の生き写しといっていい。そうか、かつて、男に食い物にされる薄幸の女を演じ続けた1950年代松竹の二線級女優杉田弘子(強烈ではないにしろ、そこはかとなく映画的魅力を振りまいていた)と、男を食いちぎる杉田かおるはこんな形でつながっていたのか、と実感するには充分であった。
 この話を別の折りに神保町で映画を見たあと、日本映画の俳優に異常に詳しいP氏に話すと、「確かに似てるけど・・・・」と鼻で笑われてしまいました。似てるどころか、クリソツだって。その後ネットで検索した限りは、杉田弘子の満足な写真すら見つけ出せず、なんか出てきた写真も妙に別人ぽい。その代わり現代のTVタレント杉田かおるの話はいっぱい。母娘で飲みに行ったら、実の娘の前で母が若い男を誘惑して、娘が怒ったエピソードとか。しかし、母の名前や、元女優だった話は見つけられなかった。
 考えて見れば、1950年代松竹で淪落の女専門二線級の、忘れられた女優(一番メジャーな映画は小津の「早春」でちらちらと映るくらい)の娘であることは、70年代のTVホーム・コメディの人気子役にとっては何のメリットでもないことだろう。杉田弘子って、あなた、知らない?と聞かれたら、杉田かおるは佐田啓二みたいに憮然たる顔を見せるのだろうか。
 このあと阿佐ヶ谷で「三人姉妹」というホームドラマを見たら、健全な家庭の長女・杉田弘子が柄に合っていなくて、妙に居心地が悪そうに見えた。そのせいか、そんなに似ていない気もしてきた(笑)。
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# by mukashinoeiga | 2009-07-12 21:13 | 旧作日本映画感想文 | Trackback | Comments(0)

中村登「女の橋」

 「嵯峨三智子」阿佐ヶ谷モーニング特集にて。61年松竹京都。
 バツイチの芸者、という適役のサガミチが、まじめな浮気者・田村高広との腐れ縁人生。ま、特に云々する映画では。よくある風俗映画のひとつ。
 う、む、そうか。サガミチとは、風俗映画クイーンだったのね。日本映画全盛期にはやたらと作られた、有象無象の風俗映画、いわゆる<女のサガ>を描く映画にぴったりだったのだ嵯峨三智子は。女のサガ女優、女のミチ女優、サガミチ。
 この特集、既見の二作、内田吐夢のまじめな珍作「恋や恋なすな恋」、成沢昌茂が師匠溝口健二に挑戦した風俗映画「裸体」をのぞいて、計四作を見る。渡部邦男「天下御免」(森美樹とのコンビ)は見れず、番匠義影「浮気のすすめ 女の裏窓」(伴淳とのコンビ?)は、乗っていた中央線各駅が、なんと東中野でほんの数両前で人身事故、開映までに阿佐ヶ谷につけないので断念、快速に乗ってればよかった、こういうこともあるんだねえ中央線。
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# by mukashinoeiga | 2009-07-12 21:11 | 旧作日本映画感想文 | Trackback | Comments(0)

木村恵吾「おしどりの間」


 「昭和の銀幕に輝くヒロイン46・嵯峨三智子」阿佐ヶ谷(朝が嫌)なのにモーニング特集にて。
 56年東京映画。
 バツイチの母・山田五十鈴の恋(お相手は胡散臭い千秋実)に耐え切れず、家出した純情娘(には、最初から到底見えないあだっぽく、けだるいエロキューションのサガミチ)が、逆さくらげの温泉旅館の住み込み女中に、というのが、信じられない!  普通、そこには、いかんだろ純情娘。原作誰だ。船橋聖一か。ま、しゃあないな。
 その淫猥な環境に水を得た魚のサガミチ、坂道を下るように急速にくずれて、というかたちまちにして世慣れた女になって、アルサロに移っていく。
 女に待ちぼうけを食わされた旅館客と、女中の出会い。この上原謙(いかにも上原らしい誠実そのものの浮気者)とサガミチ、出てきたシーンで、あたしゃてっきり、上原は別離したサガミチの父だと確信していました。偶然出会った者たちは、必ず誰かの関係者、という戦前松竹メロに毒されておるなあ。
 しかし純情娘も、あだっぽい役もともに出来る母五十鈴に比べて、娘はワンパタ。そこが良くもあり。女優とは因果なものじゃのお。
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# by mukashinoeiga | 2009-07-12 21:09 | 旧作日本映画感想文 | Trackback | Comments(0)

成瀬巳喜男「夫婦」

 神保町にて。「没後四十年・成瀬巳喜男の世界」特集。53年・東宝。
 見始めたら、あちゃー、となった。
 当ブログ特集「成瀬巳喜男映画の正体・成瀬る」で、成瀬映画は男同士の女をめぐる争いは極力避ける、としたなかで、その例の一つに、「三国連太郎がおねえだったり(『夫婦』)」と、書いた記憶があるが、三国連太郎、ぜんぜんおねえじゃないじゃん(笑)。
 若くして妻を亡くしたため、くよくよとしてはいるが、まあいつものぎらぎらマッチョな三国とはだいぶ違うが、ふつうではないですか。前に見たときどういう記憶違いをしてたのか。あるいは、やはり同じ年の成瀬映画、上原主演、三国共演「妻」とごっちゃになっているのだろうかしらん。
 さて、改めて再見してみると、本作は成瀬映画としては異色中の異色作だと、わかる。もちろんいつもながらのユーモアも満点で、たいへん面白い。
 かなり年上の上原謙と若い杉葉子の結婚6年目倦怠夫婦が、地方から転勤になって、住む家を探したが、住宅不足で見つからない。結局、会社の同僚・三国の家に転がり込む。一階が夫婦、二階が三国という住み分けだ。ところが引越し早々、三国が重い風邪で会社を何日も休む。杉は三国の世話でも大忙し。
 会社の同僚・木匠マユリらが見舞いに来て、「奥さんもたいへんね。一階にも二階にもだんなさんがいて」と揶揄される始末。
 さて、妻を亡くしてくよくよしていた三国も、杉の細やかな看病・世話に、実は亡妻が万事にがさつで、いい加減な手抜き妻だったことに気づいてしまう。それまで妻一人しか知らなかったから、いい妻だいい妻だ、と思っていたものを、杉の良妻ぶりに目からうろこ状態、たちまち杉に恋してしまう。
 そうなると純情一途な三国青年、杉にショールの贈り物をしたり、デートやダンスに誘ったりする。当然夫の上原は面白くない。地方への数日出張で、家を空ける、残された妻と三国は・・・・帰宅する際にも恐る恐る我が家をのぞき見たりして。
 つまり、これは成瀬映画としては、本当に珍しく、男と男が同じ女を張り合う話なのだ。
 しかし、成瀬は男同士の対立は常に回避する。
 で、ここで成瀬が導入した戦術は。
 杉葉子。
 当初、この結婚6年目の倦怠夫婦の妻役には、原節が予定されていたという。ところが原節体調不良、急遽の代役が杉葉子。杉葉子ではこの役にはあまりに若すぎて、健康すぎやしないか、という話もあったことだろう。現に同年の「妻」は高峰三枝子。原節と同年代の中堅女優にふさわしい役だし、まして夫役はとうがたった上原なのだから、杉葉子はいかにも、苦し紛れの大抜擢かと思われていただろう。
 しかし結果は。若い杉は、若い三国にダンスやデートに誘われても、きょとんとして、うれしそうに受けるだけ。夫に隠れて若い男女同士、ちょっと火遊びしてやろう、というような気配はちらりともない。後ろ暗さ、物欲しげな様子が、まったくないのだ。これが原節や高峰三枝子あたりならば、ちょっとむっちりした容姿に、欲求不満な気配を漂わせ、ということを、まわりも期待するし、女優本人もそう思うだろうし、いや、思わなくても演技ではなしに自然と、そういう風になってしまう年代の女優なのだ。
 それでは成瀬は面白くない。そんな典型的昼メロ(もちろん当時は昼メロという概念はなかったろうが)などこんりんざい撮りたくない成瀬は、原節不調を奇貨として、若く健康的な杉を抜擢したのだ。あるいは(更なる妄想モード)原節不調は何らかの言い訳で、この女優変更、成瀬が脚本をいじっている段階での軌道修正ではなかったか。
 若い杉には、精神的にも肉体的にも、余分な肉付きがない。裏もない。欲求不満は影すらない。三国に迫られても、きょとんとして屈託がない。これでは、三国は先へは進めない。その三国も純情で、さわやかな好青年。悶々とするのは、やはり精神的にも余計に肉がついている上原おじさんだけで。
 倦怠夫婦の生臭さなど、成瀬は根っから撮るようなことはないのだった。

 しかし、ぼくは成瀬を絶対的に肯定するなあ。成熟した女性の役に、若い未熟な女優を起用することすら擁護してしまう(笑)。
 追記。今回、映画を見ている間、杉葉子の顔が、その唇のせいか、綾瀬はるかと二重写しになって仕方がなかった。「晩春」の杉村春子なら絶対「似ている」というレヴェル。「こっから上は違うけど」。その綾瀬はるか、最近の週刊誌のゴシップで「天然過ぎて、誰も口説けない」。そうそう、そういうこと。
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# by mukashinoeiga | 2009-07-01 07:53 | 成瀬巳喜男映画の正体成瀬る | Trackback | Comments(0)