木村恵吾「おしどりの間」


 「昭和の銀幕に輝くヒロイン46・嵯峨三智子」阿佐ヶ谷(朝が嫌)なのにモーニング特集にて。
 56年東京映画。
 バツイチの母・山田五十鈴の恋(お相手は胡散臭い千秋実)に耐え切れず、家出した純情娘(には、最初から到底見えないあだっぽく、けだるいエロキューションのサガミチ)が、逆さくらげの温泉旅館の住み込み女中に、というのが、信じられない!  普通、そこには、いかんだろ純情娘。原作誰だ。船橋聖一か。ま、しゃあないな。
 その淫猥な環境に水を得た魚のサガミチ、坂道を下るように急速にくずれて、というかたちまちにして世慣れた女になって、アルサロに移っていく。
 女に待ちぼうけを食わされた旅館客と、女中の出会い。この上原謙(いかにも上原らしい誠実そのものの浮気者)とサガミチ、出てきたシーンで、あたしゃてっきり、上原は別離したサガミチの父だと確信していました。偶然出会った者たちは、必ず誰かの関係者、という戦前松竹メロに毒されておるなあ。
 しかし純情娘も、あだっぽい役もともに出来る母五十鈴に比べて、娘はワンパタ。そこが良くもあり。女優とは因果なものじゃのお。
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# by mukashinoeiga | 2009-07-12 21:09 | 旧作日本映画感想文 | Trackback | Comments(0)

成瀬巳喜男「夫婦」

 神保町にて。「没後四十年・成瀬巳喜男の世界」特集。53年・東宝。
 見始めたら、あちゃー、となった。
 当ブログ特集「成瀬巳喜男映画の正体・成瀬る」で、成瀬映画は男同士の女をめぐる争いは極力避ける、としたなかで、その例の一つに、「三国連太郎がおねえだったり(『夫婦』)」と、書いた記憶があるが、三国連太郎、ぜんぜんおねえじゃないじゃん(笑)。
 若くして妻を亡くしたため、くよくよとしてはいるが、まあいつものぎらぎらマッチョな三国とはだいぶ違うが、ふつうではないですか。前に見たときどういう記憶違いをしてたのか。あるいは、やはり同じ年の成瀬映画、上原主演、三国共演「妻」とごっちゃになっているのだろうかしらん。
 さて、改めて再見してみると、本作は成瀬映画としては異色中の異色作だと、わかる。もちろんいつもながらのユーモアも満点で、たいへん面白い。
 かなり年上の上原謙と若い杉葉子の結婚6年目倦怠夫婦が、地方から転勤になって、住む家を探したが、住宅不足で見つからない。結局、会社の同僚・三国の家に転がり込む。一階が夫婦、二階が三国という住み分けだ。ところが引越し早々、三国が重い風邪で会社を何日も休む。杉は三国の世話でも大忙し。
 会社の同僚・木匠マユリらが見舞いに来て、「奥さんもたいへんね。一階にも二階にもだんなさんがいて」と揶揄される始末。
 さて、妻を亡くしてくよくよしていた三国も、杉の細やかな看病・世話に、実は亡妻が万事にがさつで、いい加減な手抜き妻だったことに気づいてしまう。それまで妻一人しか知らなかったから、いい妻だいい妻だ、と思っていたものを、杉の良妻ぶりに目からうろこ状態、たちまち杉に恋してしまう。
 そうなると純情一途な三国青年、杉にショールの贈り物をしたり、デートやダンスに誘ったりする。当然夫の上原は面白くない。地方への数日出張で、家を空ける、残された妻と三国は・・・・帰宅する際にも恐る恐る我が家をのぞき見たりして。
 つまり、これは成瀬映画としては、本当に珍しく、男と男が同じ女を張り合う話なのだ。
 しかし、成瀬は男同士の対立は常に回避する。
 で、ここで成瀬が導入した戦術は。
 杉葉子。
 当初、この結婚6年目の倦怠夫婦の妻役には、原節が予定されていたという。ところが原節体調不良、急遽の代役が杉葉子。杉葉子ではこの役にはあまりに若すぎて、健康すぎやしないか、という話もあったことだろう。現に同年の「妻」は高峰三枝子。原節と同年代の中堅女優にふさわしい役だし、まして夫役はとうがたった上原なのだから、杉葉子はいかにも、苦し紛れの大抜擢かと思われていただろう。
 しかし結果は。若い杉は、若い三国にダンスやデートに誘われても、きょとんとして、うれしそうに受けるだけ。夫に隠れて若い男女同士、ちょっと火遊びしてやろう、というような気配はちらりともない。後ろ暗さ、物欲しげな様子が、まったくないのだ。これが原節や高峰三枝子あたりならば、ちょっとむっちりした容姿に、欲求不満な気配を漂わせ、ということを、まわりも期待するし、女優本人もそう思うだろうし、いや、思わなくても演技ではなしに自然と、そういう風になってしまう年代の女優なのだ。
 それでは成瀬は面白くない。そんな典型的昼メロ(もちろん当時は昼メロという概念はなかったろうが)などこんりんざい撮りたくない成瀬は、原節不調を奇貨として、若く健康的な杉を抜擢したのだ。あるいは(更なる妄想モード)原節不調は何らかの言い訳で、この女優変更、成瀬が脚本をいじっている段階での軌道修正ではなかったか。
 若い杉には、精神的にも肉体的にも、余分な肉付きがない。裏もない。欲求不満は影すらない。三国に迫られても、きょとんとして屈託がない。これでは、三国は先へは進めない。その三国も純情で、さわやかな好青年。悶々とするのは、やはり精神的にも余計に肉がついている上原おじさんだけで。
 倦怠夫婦の生臭さなど、成瀬は根っから撮るようなことはないのだった。

 しかし、ぼくは成瀬を絶対的に肯定するなあ。成熟した女性の役に、若い未熟な女優を起用することすら擁護してしまう(笑)。
 追記。今回、映画を見ている間、杉葉子の顔が、その唇のせいか、綾瀬はるかと二重写しになって仕方がなかった。「晩春」の杉村春子なら絶対「似ている」というレヴェル。「こっから上は違うけど」。その綾瀬はるか、最近の週刊誌のゴシップで「天然過ぎて、誰も口説けない」。そうそう、そういうこと。
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# by mukashinoeiga | 2009-07-01 07:53 | 成瀬巳喜男映画の正体成瀬る | Trackback | Comments(0)