ミュリエル・バルベリ「優雅なハリネズミ」

 昨秋に早川書房から出版されたフランス小説の翻訳(訳・河村真紀子)。当時もっと話題になる本かと思ったが、さほど知られてはいないようだ。帯のコピーを書き写すと、

 フランスの「本屋大賞」受賞!
   日本人紳士オヅさんとの出会いが、パリの天才少女と アパルトマン管理人の人生を変える。
 口コミからはじまり、世界的なミリオンセラーに成長した 日本への愛にあふれる奇蹟の物語。

が、表で、帯の裏は、

 ★本書を読み解くキーワード
 猫 レッド・オクトーバーを追え 椿 マルクス セップク 小津安二郎 芭蕉 カント 侘 ヒカルの  碁 戦争と平和 ブレードランナー 風とともに去りぬ エミネム 観葉植物 アンナ・カレーニナ 谷口 ジロー 宗方姉妹 ミラーニューロン 苔寺 茶 夏の雨   (引用に際して一部省略)
 
 アパルトマン(日本で言えば高級マンション)の女管理人ルネは、図書館員のアンジェル(!)に、ヴィム・ヴェンダースの初期作品が好きだと話す。「アンジェルは、へえ、じゃあ、<東京画>は見ました? と私に訊きました。そして、<東京画>は小津監督に捧げられたすばらしいドキュメンタリー映画で、それを観るともう絶対に小津監督を知りたくなるのだと言いました。その言葉どおり、私は小津監督に夢中になり、人生で始めて映画というものに心のそこから笑い、そして泣きました。」
 これと前後する文章を引用すれば、「午後九時、ビデオデッキに小津監督の映画<宗方姉妹>のカセットを入れる。小津監督の映画は今月これで十本目です。なぜ十本も? それは小津監督が私を生物学的運命から救ってくれた天才だからです」。
 すごいほれ込みようだけど、いま引用していて、思ったのはフランス人がいちいち名前に監督つけるかとか、パリの図書館には少なくとも十本の小津があるのかとか。このルネも、もともと"日本びいき"のようだ。緑茶を飲む時、コーヒーも同時に淹れる。飲むのは緑茶、コーヒーは飲まずに香りだけ楽しむ。なんて贅沢・・・・らしいんだけど。緑茶には緑茶のほのかな香りがあって、コーヒーと一緒だったら、緑茶の香りはぶち壊しだろう。日本人には考えられない飲み方だ。でも、フランス人的には小粋でおしゃれな飲み方なのか(笑)。
 もっとも昔、喫茶店でコーヒーを頼んだら、飲んだあとに昆布茶を出されたことがあって閉口したが(でも、飲んだ)ま、日本人もあまり大きなことは言えないか。

 もう一人のヒロイン、パロマは日記好き。「だから決めたのです。この学年が終わって十三歳になる日、つまり、次の六月十六日に自殺します。(中略)実際わたしにとって大切なのは死ぬという行為ではなくて、死ぬための方法です。わたしの日本びいきな部分で考えれば、もちろんセップクです。"日本びいき"というのはつまり、日本に対する憧れの気持ちで考えると、ということです。わたしは中学校の第四学年だから第二外国語があって、もちろん日本語を選択しています。(中略)あと何ヶ月かしたら、好きなマンガを原文で読めればいいなと思っています。(中略)でもそれは、運命の日が近づくということでもあります。」
 このすぐあと、セップクは苦しそうだからヤメ、で、毎日ママの睡眠薬を一錠ずつ盗んでいると、告白する。ころころ考えが変わる、夢見る乙女のかわいい日記ですな。著者は小津の誕生日と死んだ日が同じというエピソードを知って、こういう設定にしたのだろうか。

 この二人のアパルトマンに、日本人の老紳士オヅさんがやってきて、実は小津監督の遠い親戚だという彼は、たちまち二人のアイドルになる。この関係性は、まるで少女漫画みたい。ここから先のビター・スウィートな物語は、なかなか読ませる。「フランスで今世紀最大のベストセラー」というのがいまいちどういうことなのかわからないけれど、中身の面白さは保証しますぜ。って、ぼくが保証しても(笑)。誰かの評でも、本書のもっとも日本的な部分は、その少女趣味にあるのでは、というのを読んだ記憶があるが、その通りだと思う。大人の物語でありつつ、日本的な少女趣味を濃厚に漂わせている快作。大体小津ファンの住むアパルトマンに小津の親戚の老紳士が来るなんて設定は、太田和彦か、夢見る乙女しか考えないだろう。「これは友達の話なんですが」ではじまる友達の話はたいていその人自身のことだとすると、小津の親戚、ということは著者にとっては小津の分身といっていいのだろうか。そう思って読むと、日本人のイメージする小津とオヅさんの乖離がとても面白い。文科系女子のカルチャー批評でありつつ、優れて面白い物語なのだ。
 訳者あとがきによると、翻訳刊行の昨秋の時点で、著者は夫ともども念願の京都に長期滞在しているという。そうか、小津の中でも特に「宗方姉妹」にこだわるのも、京都好きのせいか。
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# by mukashinoeiga | 2009-07-18 06:15 | 小津安二郎映画の正体小津漬の味 | Trackback | Comments(0)

小津安二郎「宗方姉妹」

 前にミュリエル・バルベリの小説「優雅なハリネズミ」を読んだ際、この女性フランス人著者が、数ある小津映画の中から、特に「宗方姉妹」をフィーチャーしているのを見て、頭の中に?マーク。「宗方姉妹」は、特に高峰秀子のぶりっ子演技が鼻について、とにかく見苦しかった記憶がある。どすの聞いた低音の声で、顔も若いころから大人の美人顔、つまり幼い愛らしさが徹底的に似合わない人で、しかも頭のよい人が、いやいや、無理してぶりっ子演技をしている暑苦しさが感じられたもので。高峰秀子がまた、演技がうまくて、100パーの演技力で、ぶりっ子を完全カバーしているのだから、暑苦しささらに二倍増し。
 しかし、著者の「宗方姉妹」への思い入れに突き動かされて(笑)DVDにて、再見いたしました。
 <そういうもの>と、覚悟を決めて、見てみると、デコちゃんの演技も、そうは苦にならない(笑)。むしろ、これは日本の女優さんではなくて、フランスあたりの女優演技なのだ、と思い込むと、まったく苦にならない(笑)。デコの役は、上原謙の仕事が「かぐや」ということが何のことかわからず、むしろ「ファニチャー」と考えるとわかる<日本語より英語のほうがわかる娘>(笠智衆の言)だし、そういう笠も山村總も英字やドイツ語を読んでいる。上原もフランスへ長期赴任しているし、小津戦後の映画では、最も欧米よりの映画で登場人物についても、フランス人に親しみやすかろう人ばかりの小津映画だ。そして、ストーリーは、成就しなかった恋のカップルが再会して、やけぼっくいになるかならないかの、フランス映画お得意のアムールな展開。見合いがどうしたとか、自分の結婚より親を優先するだとか、他の小津映画の話は、あんまり欧米人にはぴんと来ないこともあるだろうし。
 上原謙がやはり、すばらしい。「淑女は何を忘れたか」の、ほんのゲスト出演を除いて、同じ松竹でありながら、小津映画にはついぞ出演なく、時は流れて新東宝で初の本格出演。しゃべりも小津調の束縛からまったく自由で、上原本来のさわやか好青年の見本みたいなすばらしさ。このフランス帰りの青年実業家と、美老人・笠の合体した姿が「優雅なハリネズミ」の日本人紳士・オヅさんなのかも。と、すると、長女・田中絹代が女管理人ルネに、次女高峰秀子がパロマに発展したのだろうか。さすがに、フランス人にはデコ演技がぶりっ子過ぎて、パロマは13歳という設定になったと。
 山村・田中の家は猫がぞろぞろ、多頭飼いだが、これもバルべりの猫好きには、フィットしたのだろうし。そして、バルべりの<少女まんが脳>から、この映画を見てみると、絹代とデコの姉妹、その父、上原、上原のガールフレンド高杉早苗の立ち位置、関係は、ほとんどそのままで、きわめて少女漫画的ですらある。なんと小津映画が少女漫画そのままの展開をするのだ。そういう視点で見てみると、「宗方姉妹」なかなか快作に見えてきた(笑)。これは、これで、すばらしいぞ、と。小原譲二の撮影は、DVDで見てさえ、美しいし。
 そして出演者、絹代、デコ、上原、高杉早苗、堀雄二、斎藤達雄、坪内美子、河村黎吉、みんなみんな戦前松竹おなじみの面々であり、戦後松竹を離れて、あるいは他社専属やフリーになったものばかり。現役の松竹専属・笠を加えて、これはもはや、本家松竹ですら実現しない、幻の松竹映画そのものではありませんか。みんな、帰らぬ夢なのよ。冒頭の斎藤達雄教授が可笑しい。落語の枕的な登場も面白いし、小津調のしゃべり方が妙にぎこちないのも可笑しい。
 非・松竹組で、藤原釜足はいつもの感じ。安居酒屋の千石規子、この人は若いころからひねたおばさん役の人だが、ここでは珍しく、ひねた若い女の役。柄の悪い、トウの立った女だが、若い女は若い女で。絹代・デコ姉妹が退屈そうに店にいて、客にほとんど愛想を振りまかないバーに比べたら、わたしゃ、こっちのほうがいいわな断然。

 なお、ネットをうろついているときに目に付いたのが「優雅なハリネズミ」本国で映画化、7月公開、とのこと。予告も見たが、日本受けは、本に比べて、いまいちかな。
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# by mukashinoeiga | 2009-07-18 05:35 | 小津安二郎映画の正体小津漬の味 | Trackback | Comments(0)

小津安二郎「青春の夢いまいづこ」

 京橋にて。「生誕百年 映画女優 田中絹代」大特集。32年、松竹蒲田、無声、20ftp。
 前半は愉快でモダンな青春喜劇。
 江川宇礼雄の愉快な父・武田春郎(「晴曇」では医者の役)が楽しい。押しかけてきた葛城文子・伊達里子母娘を撃退するところは爆笑モノ。
小津映画としては、例外的に<息子の結婚>を扱うが、しかし愉快にその花嫁候補を撃退するところに、一喜劇にとどまらない小津らしさが隠されている?
 家族が増えてはならないのだ。今回は未見だが、「落第はしたけれど」が、例外的に絹代嬢を妻とする高田稔、というのもあるけれどね。もっとも本作でも絹代嬢はベーカリーの看板娘。ほんとは江川といい仲なのだが、落第生・斎藤達雄と同情婚。
 武田・江川の好漢父子、しかし後半の社会人篇では、ラストの江川のヒステリー的びんた連続が、痛々しい。小津の映画の暴力は、いつも度を越えて、痛いものばかりだ。

◎追記◎
小津安二郎 - 青春の夢いまいづこ/Yasujiro Ozu - Where Now Are the Dreams of Youth(1932)

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# by mukashinoeiga | 2009-07-18 04:34 | 小津安二郎映画の正体小津漬の味 | Trackback | Comments(0)

小津漬の味・ディープ 笠智衆の巻

 小津安「二」郎映画が、(なぜか)「二」男坊を重視したり、「二」枚目の芸名・役名で「二」に固執したこと、なぜか画面に大きく「2」の字を映すことは、「小津漬の味」に書いた。
 いや、たった今、気づいたんだけど。・・・・。
 小津映画の常連俳優にして、小津映画の一方の象徴でもある、笠智衆。・・・・。
 独特の口調で知られる。・・・・。
「いや、よく見ればぜんぜん似てないがにぃ」
「じゃあ、いずれはお婿さんだにぃ」・・・・。

 語尾でにぃにぃ言わしている・・・・!
 えっ。なに、これ。
 これも小や津ギャグ!?
 考えてみれば、笠智衆、他の監督の映画では、それほどなまりを強調してはいないはずだ。と、思う。・・・・。小津映画でのみ、語尾「にぃ」が突出している気もする。・・・・。
 小津、「にぃにぃ」言わせたいだけなんじゃないの。小津はあてがきで、一語一句脚本どおりにしゃべることを俳優に強要したという。
「いや、よく見ればぜんぜん似てないさ」「ぜんぜん似てない」
「じゃあ、いずれはお婿さんかな」「お婿さんかい」
 上記の台詞回しを小津が気に入るかどうかは別にして、「にぃ」を「回避」するせりふは、いくらだって、書けたはずなのだ。
 もっとも、たぶんギャグでなしに、小津は家族間の会話を、まったく異なる方言の集合体とすることにも、固執する。方言自体に、小津を誘発するものがあることは確かだろう。
 う~ん、小津映画、深い。・・・・(馬鹿)。
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# by mukashinoeiga | 2009-07-18 03:00 | 小津安二郎映画の正体小津漬の味 | Trackback | Comments(0)

小津安二郎「母を恋はずや」

 京橋にて。「フィルム・コレクションに見るNFCの40年」特集。34年、松竹蒲田、無声、24ftp。
 <終戦時GHQに接収され、1967-69年にかけて、アメリカ議会図書館から返還された日本映画のひとつ>だが、現存する版は、冒頭とラストの巻が欠落しているという。だから、ラストは、逢初夢子がサンドイッチをパクついて、唐突にぶちきれる。
 原案・小宮周太郎は、小津のペンネーム。
 父亡き後の、母・吉川満子、大日方傳・三井秀男(弘次)の、大学生兄弟の、三人家族。
 兄は、ぐれて、家を出て、横浜のちゃぶ屋に、入りびたり。その女給の一人が、逢初夢子。美しい。
 なぜ、兄がぐれたかというと、兄は先妻と父の子、弟は、後妻・吉川と父の子。そのために、後妻は、兄に気兼ねして、弟に特につらく当たる。弟に比べ、自分の待遇だけが、良い、それがいやで、自分が家から出れば、弟が、家を継げる。
 いわゆる、松竹戦前メロを、多少ツィストしたような、ホーム・メロドラマ。
 戦前松竹ホーム・メロでは、なさぬ仲の義理の子、めかけの子、まったく血がつながらない子と、非道な継母などとの対立がテーマになっていることが多いのだが、本作では、最初は親子三人仲が良かった、家族なのだ。
 メロはメロだが、パターンから脱出しようという、試みが伺われる。しかも、メロドラマ特有のべたついた湿度は、排されている。クール。
 そして、構図のいちいちの、確固とした、美しさ。その、ただならなさ。
 ちゃぶ屋にわざわざ尋ねてきた、母・吉川と、兄・大日方の対話。二人だけで話しているはずなのに、ふいにショットを変えると、二人の背後には、大勢の女給たちと、掃除婦・飯田蝶子の、群れ。そう、まるで、エイリアンの群れのようにいきなり、画面を占めるのだ。目の覚めるような、オドロキ。
 とぼとぼ帰っていく母。そのあとを、やはり、とぼとぼとついていく、弟と、その友人の学生服姿。弟も、母と一緒に兄を訪ねてきたなら、ここは、弟も、うちに帰ってくれよ、兄ちゃん、と熱血調でかきくどく、というのが凡庸なメロドラマの定番だろう。凡庸なメロドラマ監督なら、100パーセント、そうする。
 小津は、そこは、外すのね。弟は、何も言わずに、とぼとぼと、帰っていく。
 戦前松竹メロの範囲内で、工夫する小津なのであった。逢初夢子はじめ、役者は、みんな、良い。

                                               2010・8・23記

◎追記◎
小津安二郎 - 母を恋はずや/Yasujiro Ozu - A Mother Should be Loved(1934)

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# by mukashinoeiga | 2009-07-17 22:55 | 小津安二郎映画の正体小津漬の味 | Trackback | Comments(0)