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今井正「泣いてたまるか/兄と妹」渥美清原田芳雄

水準的な快作TVドラマ。千葉テレビにて。67年、国際放映/TBS。
 昔は家に帰ると、電気TVパソコンを即電源を入れていたのだが、最近はTVは、ほとんど点けないなあ。パソコンは電源消してないし。
 でも最近は例外的に、水曜日にTVをつけてる。
 8時に千葉テレビ「泣いてたまるか」(最近知った)9時にテレ朝「相棒」10時に日テレ「地味にすごい校閲ガール」11時にテレ朝「有吉マツ子の怒り新党」(これは昔から)、と連続で。

 先週の「泣いてたまるか」は、脚本家城巳代治で、監督今井正という、豪華メンバー。
 まあ、豪華メンバーといえば豪華メンバーなのだが、ルーティンで軽くこなしたアルバイトともいえる。

e0178641_13224731.jpg泣いてたまるか(第55回)兄と妹 (テレビドラマデータベースHPより)
キー局TBS放送曜日・時間日 20:00-20:56放送期間1967/10/01
演出(監督:今井正)(助監督:榎本冨士夫)
プロデューサ高島幸夫、茨常則
脚本 家城巳代治 音楽 木下 忠司
主題歌 渥美清「泣いてたまるか」(作詞:良池まもる、作曲:木下 忠司)(ク…
出演 渥美清、岩崎加根子、原田芳男(原田芳雄)、寺田路恵(寺田路…
解説正平は早くに両親を亡くし、妹の直子を男手一つで育ててきた。正平の夢は直子を「一流企業」の社員に嫁がせることだったが。

 今回の渥美は16で、立て続けに両親を亡くし、小学生の妹と取り残された、奮闘努力の男。
 町工場で旋盤工として生計を立て、妹を大学にやろうと、両親の墓前に誓うが、まあ夜間高校に通わせるのがせいぜいだった。
 その妹・寺田路恵も別の町工場の事務、渥美はこの妹に、丸の内勤務の「一流会社サラリーマン」中野誠也とのお見合いを画策する。
 しかし、兄の思惑と違い、妹は同僚の工員・原田芳雄と、恋仲で。渥美は不安定な町工場の旋盤工なので、妹には安定したサラリーマン一択だと、迫っている。
 
 まず、目を引いたのは、渥美の工場の旋盤工たちは全員、通勤時はネクタイスーツ姿に着替えていることだ。
 今井正ら戦後左翼映画に出てくる労働者は、いわゆる菜葉服や普段着で通勤していたことが多いと思うが、まあ本気のホンペン映画ではリアリズムだが、TVでは、少しおしゃれしようということか。
 それとも当時の党の方針は、労働者の生活意識向上運動の一環として、通勤時にはスーツネクタイ着用推進運動なんてものがあって、今井や家城は、その党の方針に従っただけなのか。
 パルタイ星人(笑)は、よく党の方針をコロコロ変えるので、ワカラナイ。

 ということで狭い家にふたり暮らしの兄と妹は大ゲンカし、お前とはもう二度と口を利かない、ええいいわ、ということになり、二人は無言の朝食。
 このふたりの無言のやり取りを、渥美清の絶品のサイレント演技で魅せる。
 素晴らしい。
 そして後年、不貞腐れたクサい演技で、一世を風靡した(さらに後年松田優作という亜流も生む)原田芳雄が、なんと、率直そのままの好青年を、演じる!
 この一点で、これは珍作といってもいいかもしれないが(笑)。
 その好青年ぶりストレート演技が、サマになっているんだかなっていないんだか。新鮮っちゃ新鮮で、微苦笑とともに原田の演技を見ているので、あった(笑)。
 寺田路恵とともに工員仲間で合唱コンクールに出演する原田は、まさしく民青青年そのもので。歌って踊って恋をして共産党に入りましょう的な。
 なお原田芳雄の同僚で、原田と寺田が勤務中に会話しているのに、茶々を入れるのが蟹江敬三。
 うーん、今井正や家城巳代治にとっては、単なるアルバイト仕事にとどまらず、党の方針に従った若手党員確保のイメージ戦略の一環だったのか(笑)。
 恐るべし左翼、TBS、共産党。国際放映といえば、共産党主導の東宝争議と袂を分かった新東宝の流れを汲むものと理解しているが、違ったか。

 さらに言えば渥美が常連で通う居酒屋「ちどり」の看板娘に、岩崎加根子。実は渥美は彼女に惚れていて常連化の図。しかし岩崎は、看板娘にしては、ちと固いなあ。
 こんなお堅そうな岩崎に通い詰めるなんて(笑)。
 その居酒屋の親父に浜田寅彦、寺田や原田や中野など、渥美を除いては、新劇系(つまり左翼系)で固めたキャスティングか。
 
泣いてたまるか


おまけで、
玉置浩二 - 男はつらいよ

 こういうのもいいね。

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by mukashinoeiga | 2016-12-28 13:26 | 今井正 青い左傾山脈 | Trackback | Comments(2)

「ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー」と半世紀前のSFの共通点

続けて見たSFに偶然奇妙な共通点があった。
e0178641_013020.jpg 一個前の感想駄文k・メーツィヒ「金星ロケット発進す」と、
二個前の感想駄文G・エドワーズ「ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー」の、こと。
 56年前の東ドイツのSFと、現代最新作のハリウッド製SFの、奇妙な共通点。

 まず「金星」は、日本人女優が主演。
 「スター」は、ご覧になればおわかりの通り、黒沢明「七人の侍」を、ストーリー展開に隠しつつ、様々な日本の時代劇を参照している。
 詳しくはそれぞれの感想駄文に。
 次に、原爆イメージの、重要な援用。
 もちろん原爆が人類史上最強最悪の武器であるゆえに、これらのSFに採用されたのだろう。
e0178641_021944.jpg 原爆といえば日本、日本といえば原爆、というのも安易だが、ダースベイダー率いる悪の帝国軍が、原爆の巨大版デススターって、アメリカこそが悪の帝国という描き方が、許容されているのも、面白い。
 スターウォーズ製作陣は、アンチアメリカか、と言い切れないのは、究極の破壊、滅びの描写が、あまりに美しいからだ。自分事としては、あまりに悲惨だが、他人事としては、あまりに美しい。
 滅びの美学。
 というのは、あくまで大人の感覚で、あって、それは初期スターウォーズの子供感覚とは、明らかに違うじゃん、という。

 SFとは、異文化、異次元の空間世界を夢想するファンタジー。
 しかし、人間は、そうそう飛躍的な発想ができるわけではなく、現実に縛られた発想しかできない。
 で、欧米人が異次元、異文化、を夢想する際に参照したのが、西洋とも東洋とも違う、異次元文化としての「日本」だった、という落ちでは、ないか。
 それは、リドリー・スコット「ブレードランナー」も同じことで。

 それと、どっちの映画も、宇宙は無重力状態、という科学的基本を、無視しすぎ(笑)。

「ローグ・ワン」の10分後以降を描く!「オビ=ワン」との出会いと要塞「デス・スター」への攻撃! スター・ウォーズ 新たなる希望 全・予告編 まとめ [日本語字幕]

 このノー天気さが、最近のスターウォーズには、ないんだよね。
 うーむ。

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by mukashinoeiga | 2016-12-23 00:04 | 新・今そこにある映画2 | Trackback | Comments(0)

k・メーツィヒ「金星ロケット発進す」谷洋子

日本人女優主演56年前のSF映画、しかも主舞台はロシアで、それに米ロ冷戦が絡み、しかし製作は東ドイツ=ポーランドで、日本人もロシア人もアメリカ人も全員ドイツ語を、しゃべるという。
e0178641_1250554.jpg これだけでもかなり珍品だが。あと1回の上映。
 60年、東ドイツDEFA=フィルム・ポルスキ=イリュージョン。京橋にて「DEFA70周年 知られざる東ドイツ映画」特集。
 金星に有人ロケットを飛ばすという、楽観的だった当時としては近未来、しかし、現時点ではかなり遠未来かな。何しろ楽観的な当時としては、2001年には、宇宙旅行が可能というと想定していたのだからねー。
 しかも、そういう未来にも、熾烈な米ソ冷戦が続いているという、現在から見れば無茶ぶりな設定。
 SFを「夢見る」者は、つねに「現代人」であるという、これは皮肉ね。
 以下のムーヴィーウォーカーによれば(すなわちキネ旬資料によれば)なんと1970年設定。これは2001年設定を超える、まさにお花畑志向という以外ありませんな。

e0178641_12513691.jpg6 金星ロケット発進す(94分・DCP・カラー) (フィルムセンターHPより)
DER SCHWEIGENDE STERN
2016年12月14日7:00 PM@大ホール 2016年12月24日1:00 PM@大ホール
1960(DEFA=フィルム・ポルスキ=イリュージョン)(監・脚)クルト・メーツィヒ(原)スタニスワフ・レム(脚)ヤン・フェトケ、ヴォルフガング・コールハーゼ、ギュンター・ライシュ、ギュンター・リュッカー、アレクサンダー・ステンボック=ファーモア(撮)ヨアヒム・ハスラー(美)アルフレート・ヒルシュマイヤー、アナトール・ラジノヴィチ(音)アンジェイ・マルコフスキ(出)谷洋子、オルドリッチ・ルークス、イグナーチ・マホフスキ
ポーランドとの合作による大作で、DEFA初のSF映画。日本でも61年に公開された。原作はS・レムの最初のSF小説。西欧のSF映画と同様に原子力への恐怖が語られるが、世界各国の乗組員が一致団結して金星調査を敢行するさまは、共産圏ならではの理想に溢れている。谷洋子は『風は知らない』(1958、ラルフ・トーマス)等で国際的に活躍した。


e0178641_12521240.jpg金星ロケット発進す (Movie Walker HPより)
ポーランドのSF作家スタニスラフ・レムの原作を東ドイツのクルト・メーツィッヒ監督が映画化した空想科学映画。脚色に当ったのはメーツィッヒ自身とポーランドのヤン・フェトケ。撮影は東ドイツのヨアヒム・ハスラーが当っている。音楽はポーランドのアンジェイ・マルコフスキーが受けもった。出演するのは日本の谷洋子をはじめソヴェトのミハイル・ポストニコフ、東ドイツのギュンター・シモン、中国のタン・ファ・タなど国際キャスト。アグファカラー・トータルビジョン。
一九七〇年、人類は月に基地を設営した。この年、ゴビ砂漠で隕石が発見された。研究に当った国際惑星調査連盟は、金星と同質の隕石内部に磁気録音コイルを発見した。世界翻訳連盟が解読にあたったが内容は不明。科学者会議で金星訪問が決定し、ソ連が宇宙船コスモクラトール号を提供した。乗組員は八名、隊長はソ連の科学者アルセニエフ(ミハイル・ポストニコフ)、隊員はポーランドの電子技術者ソウティック(イグナチー・マホフスキー)、アメリカの原子物理学者ホーリング(オルドジフ・ルーケシュ)、ドイツのパイロット、ブリンクマン、インドの数学者シカルナ、中国の言語学者チェン・イー、ケニア人タルア、日本人女医荻村すみ子(谷洋子)。宇宙船は金星に向け発進、大気圏を抜け無重力圏に入り、金星への双曲線軌道に乗った。途中で隕石音声の解読に成功した。内容は金星の地球攻撃計画の一部だった。金星の引力圏に入り、月基地との交信も絶えた。(以下略)


 ヒロイン谷洋子は、ビミョーな美人顔。美人といえば美人だが、少なくとも日本人ウケしない美人。スター・オーラもなし。
 よく街中で、在日外国人と日本人女性のカップルを見かけるが、この日本人女性の顔が、ことごとくビミョー(笑)。また、アメリカ映画などで活躍する東洋人女優も、ルーシー・リューなど、ことごとくビミョー。
 これは審美眼が、外国人と日本人では違うということか。よくわからない。

 谷洋子。男ばかりの宇宙飛行士の中の、紅一点。なのに人工睡眠の時は、男どもと一室で裸でシーツ。発想がいかにも共産主義的お花畑で。
 共産主義的(当時としては)健全エロ(笑)。
 というか宇宙飛行のための体力温存で、出発直前の数十時間の人工睡眠て、ほとんど意味不明。一種の、古式なSF的様式美か。あるいはレム睡眠的な楽屋落ち?(まさかね)。

 ついでに言えば、谷洋子が開発したという、宇宙食は、ソフトビニール製っぽい、500ミリリットルのペットボトルみたいなモノに入った、チョコレートドリンクみたいな感じ。無重力の宇宙に対応している宇宙食(というより完全な飲料)という設定らしいが、こりゃ完全に無重力では、空間に拡散ヒャッハー飲料ではないか。
 しかもあるボタンを押すと、宇宙船内は完全に無重力を脱し、通常生活を営めるという。

(以下、ネタバレあり)
(以下、ネタバレあり)

 どうやら、金星人のロケットが地球に来たようだ。
 遺棄されたデジタルデータを解析すると、地球調査資料で、地球侵略の意図が確信される。
 ソ連が火星探査を目的に発射しようとしていたロケットの目的地を金星に変更して、金星人との和睦を目的に、金星に向かう。
 一切の武器をロケットに積まずに。
 そしてこれはソ連一国の問題ではないと、東西冷戦中ではあるが、アメリカ人も日本人も中国人もケニア人ポーランド人もも同行させる。
 いかにも社会主義的理想論なお花畑志向だが。

 谷洋子は、広島の原爆で祖母をなくしている。ここでアメリカにチクリ。
 そして、なんと、いざ金星についてみると、


(以下、ネタバレあり)
(以下、ネタバレあり)

 なんと、金星に、金星人が、人っ子一人いない。
 宇宙遠征して、地球を侵略しようとしていた、高度の文明を持つ金星人は、なぜ、死滅した。
 なんと、巨大核爆発事故があったらしく、金星人の姿は、壁に焼き付いた影のみ。
「広島と同じだわ」谷洋子は、茫然とする。
 なんなの、このクライマックス感のない落ちは。
 ま、いかにもレム原作らしい、非娯楽映画的な「無常観」なのだろうけれど。
 ヘドロ的異物攻撃も含めて、現代文明に対する警鐘ってやつですかね。
 まあ、この原爆イメージゆえに、日本人女優が召喚されたということだろうか。

 いずれにせよ左翼的お花畑感満載の映画で、この映画の、ぬいぐるみみたいな、フード付きジャージの宇宙服みたいに、おまぬけでした。
 まあ、珍品。

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by mukashinoeiga | 2016-12-21 12:53 | 旧作外国映画感想文 | Trackback | Comments(0)

G・エドワーズ「ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー」

とりあえずネタバレなし(笑)。なんせ公開直後ですからね。
 16年、ルーカス・フィルム/ディズニー映画。原題ROGUE ONE: A STAR WARS STORY。
 77年のジョージ・ルーカス「スター・ウォーズ」の冒頭十分前までを描いた映画だと、言う。なるほどなるほど。
 前日譚、ならぬ、まさに10分前譚というところか(笑)。
 
e0178641_34098.jpg こういう、後出しじゃんけんの、つじつま合わせが、面白くないのはありがちだが、まあ面白い方だろう。
 しかし、ぼくが面白くないのは、77年の原点作が、中坊でも楽しめる明朗かつ単純な少年の冒険物語だったのに、だんだん大人向けのアクション映画になっていった点だ。
 特に、本作は冒頭から、イロイロな場所、イロイロな人物を複線で登場させ、つまり現代のアクション映画らしく、複雑に語ることがミステリの第一歩なのだと、意味深長描写が、意味を持つのだ、という現代映画のセオリーだが。
 しかし、原点ともいうべき「スター・ウォーズ」のシンプルは、どこに行った?
当時盛んにスぺオペ、スぺオペ、といわれていたが、今や、このスター・ウォーズ・サーガを、よりシリーズ化して、サーガ化しているはずなのに、だれも「スター・ウォーズ」を、スぺオペなどと、いうものは、いなくなった。
 77年の原点作が、少年モノの明朗単純な勧善懲悪モノだったのに、あろうことかルークの父アナキンが、ダースベイダーになり果てた、という暗黒面に落ち(笑)、ディズニー映画に移ってから、いやそれ以前からか、主人公は女性に。
 少年小説の単純爽快さが、失われてしまった、と思うのはぼくだけか。
 いや、女性がヒロインというのに、偏見はないのだが(笑)。
 主人公が、ルーク、アナキンの父子から、女性に移った理由は?
 いや、これ、結構大事で、だって、もともとは、少年のシンプルな冒険物語だったものが、なぜかくも窯変したのか、と。
 万事がマーケティング重視のアメリカ映画だから、女性を主人公にして、女性受けを狙ったのか。もちろんディズニー映画の主人公は、ほとんど女性というのもあるだろう。
 キャスリーン・ケネディという女性プロデューサーゆえか。
 少年だと、いろいろ修行して、ジェダイマスターを目指さなくてはならず、その辺の描写がかったるくて、女性に変えたとか。
 少年が強くなるには、イロイロ修業が必要。
 日本映画の影響、というか、オマージュというか、パクリというか、本シリーズはそういう傾向がある(後述)。ということで、主にアニメなどで、日本映画には「戦闘美少女」という、まあジャンルが、ある。
 根拠なく少女は強い。なぜなら彼女は「戦闘美少女」だから、というのが、日本映画の、お約束だからで。
 それを、パクったのか。うーん。
 77年の原点作が、黒沢明「隠し砦の三悪人」を基本線にした映画であることはよく知られているが、本作は、まさに黒澤明「七人の侍」の、オマージュないしパクリであり、さらにドニー・イェン演じる、盲目の超絶棒術使いは「座頭市」まんまであり、その相棒は、さながら赤い胴鎧で髪はざんばら、どう見ても戦国時代の落ち武者のイメージ。

 いやー「アルマゲドン」とかもそうだけど、アメリカ映画って、日本映画のように、あるいは日本映画以上に、特攻精神好きだよねー。
 ある作戦遂行のために、自らの身を顧みず犠牲にして、どんどん死んでいく。
 やむに已まれぬ大和魂ってやつか。

 なお例外的に、このシリーズ唯一の生き延びるキャラとして、C3POとR2D2コンビが、ワンシーンのみ登場するが、近年このコンビが全く活躍しないのは、本シリーズが全編アクション映画に移行したため、登場人物全員が戦闘員と化したためだろう。
 全員アクション体質ゆえに、戦闘能力絶無の、このコンビは、全くお呼びではない、わけだ。
 かなり牧歌的シーン満載の77年の原点作から、それをそぎ落としマッチョ体質になった本シリーズは、全く別物になっているわけですね。

 というわけで?以下の動画の後に、この感想駄文唯一の?ネタバレに、突入しますが、それは理由があってのこと(笑)。
 くれぐれも未見の方は、以下、読まないように(笑)。

(以下、ネタバレあり)
(以下、ネタバレあり)

映画『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』日本向け特報

『スター・ウォーズ』アナザー・ストーリー!『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』予告編 第2弾


(以下、ネタバレあり)
(以下、ネタバレあり)

本作は、77年の原点作の、前日譚、というか、まさに10分前譚、なのだが、そうなると、ぼくたち観客は77年の原点作の登場人物の若き姿、というか、10分前の姿を、探しがちなのだが、それは残念ながら、存在しない。
 いや、実は例外的にただ一人だけ、77年の原点作の登場人物は登場するが(もちろんC3POとR2D2コンビは、そして当たり前だのクラッカーのダースベイダーも、のぞいてですが)それを言うと、ネタバレになりますので、略(笑)。
 実は特攻精神の理由でもある。
 登場人物ほぼ全員が、果敢に戦って死んでしまう。よく典型的ネタバレのたとえとして、「主人公が最後には、死んでしまう」というのが、ありますが、本当に、そう。
 潔ぎよいくらい、全員死んでしまうのですね。
 その理由は簡単。
 10分前に生き残っていたら、その10分後の、77年の原点作にも、当然登場しなきゃならない。
 しかし後付けの本作登場人物たちが、77年の原点作に登場できるわけもない。
 かくて、これが、全員戦死の、特攻精神の、最大の理由、なのですね。
 うーん、システマテック(笑)。

「新たなる希望」の10分前までを描く!? スター・ウォーズ ローグ・ワン 全・予告編 まとめ [日本語字幕]


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by mukashinoeiga | 2016-12-19 03:41 | 新・今そこにある映画2 | Trackback | Comments(0)

70年代女優はなぜ脱ぎまくる:今の女優は脱ぎ惜しみ

渡辺邦彦「阿寒に果つ」を何個か前の感想駄文したが、そこでの五十嵐じゅんの、堂々とした脱ぎに、改めて思った。
 なぜ70年代女優は、バンバン脱ぎまくり、現代の女優は、綾瀬はるかも石原さとみも長沢まさみも、なぜ脱ぎ惜しむのか(笑)。

e0178641_1524370.jpg ぼくなりに時系列で検証したい(笑)。

1 1960年代前期まで
 明治時代以降の禁欲的な時代風潮のせいで、公的な性的表現は、かなり抑圧されていた。明治以前の、日本の性的志向は、かなりあからさまだったと思うが、目指せ西洋文明で、抑制されたと思う。
 女優の脱ぎは、かなり抑制されていた。というか、ほとんど不可。
 例外的に、豊田四郎「雁」53年で浦辺粂子が、山村總「沙羅の花の峠」55年で東山千栄子が、成澤昌茂「裸体」62年で浪花千栄子が、バストトップまでさらけ出したが、失礼ながら、明らかに意味が違うだろう。
 
2 1960年代後半
 そうしたそれまでの倫理観が崩壊して、五社体制もぐだぐだになり、いわゆるひとつのヌーヴェルヴァーグ、アヴァンギャルド映画、ヨーロッパ映画などの影響もあって、脱ぐことが、先端的で、かっこいいんだ、という風潮を生んでいく。


e0178641_1922407.jpg3 1970年代
 ピンク映画、日活ロマンポルノ、東映ポルノ、ATG映画、各種アヴァンギャルド映画、そして何よりTVの11PMなどのピンク番組、週刊プレイボーイなどの青年誌グラビアの大流行などで、脱ぐことが、ますますかっこよくなっていく。
 映画業界的には、没落の一途の中、低予算映画の必要性が高まり、そうなると若い新人男女優を主演にした、低予算青春映画が人気を博すことになる。
 そういう低予算映画の青春映画では、新人女優のヌードが唯一の売りとなっていく。
 ここで、秋吉久美子、桃井かおり、芹明香などの、先端的な「とんがった」女優が、クローズアップされていく。、
 脱ぐことが、トレンドと、なった。
 ジュスト・ジャカン「エマニエル夫人」74年の大ヒットも、忘れてはいけない。ヌードがファッション化した。
 70年代は、発情していたのだ。

4 1980年代
 1940年代~現代にいたるまでで、カルチャー的には、もっともダメな年代だと思う。経済的には、バブルの時代。ふはふはして、軽佻浮薄で、結果は、そんなに、残せなかった、と思う。
 時代はさらに発情していく。
 いわゆるアダルトビデオが勃興し、脱ぐ人脱がない人の、「壁」が顕在化していく。
 それに加えて、五月みどり、畑中葉子や天地真理など落ち目の女優、アイドルの起死回生策という、街金ローン感が、漂って、脱ぐことが、やはりあんまりかっこよくなくなった。
◎追記◎そういえば、80年代の終わりの数年間に、TVのヴァラエティー番組で引っ張りだこだったのが、現役国立大学の女子大学生というのが売りの、AV女優、黒木香。
 完全にヴァラエティー向きの、お笑い芸人として、一世を風靡した。
 もし彼女が二枚目的に人気を博したのなら、また違っただろうが、完全なお笑い汚れキャラに徹したため、脱ぐ人に対する評価は、低下したと思う。完全にお笑いのオンナ芸人を、本人は得意げに演じたのかもしれないが、ぎこちなく(結果的に浮き上がっているという意味で)演じた。
 結果的に「脱ぐこと」の三枚目感、ダサさを、強調することになる。また、その相方、村西とおる監督の、ダサさも、女性をげんなりさせたかもしれない。
 さらに言えば、同じく一世を風靡した代々木忠も、その名前から察せられるとおりの、日本共産党的冷徹さ(笑)が、女性受けの悪さゆえ、ダメージだったかもしれない。ここは、まあ、指田さん的ホラに近いかもしれませんが(笑)。

黒木香

 オトコ受けはしているかもしれませんが、女性出演者は、ドン引きだよね(笑)。この空気感が、脱ぐことのカッコ悪さに、つながっていく?
◎追記◎哲学的対談 「黒木香(当時22歳)vsキダ・タロー」 1987年6月

 この程度を哲学的って(笑)。全ベクトルで規範を追及したら(あらゆる逸脱を禁欲的に否定)、いわゆる八方美人にならざるを得ず、まあ人格は崩壊するわなあ。

5 1990年代
 現在の「脱がない女優たち」を決定化した時代かと、思う。
 アダルトビデオの大流行が、脱ぐ女優は「本番女優」なのだと、「差別化」していく。
 そして二つの「事件」が決定的な役割を果たしたと、思うのは、ぼくだけか。
 宮沢りえ。写真集『Santa Fe』91年(篠山紀信撮影)は人気絶頂時のヌード写真集で大ヒットし、150万部のベストセラーとなる。
 これがあまりにヒットしたため、次にだれが脱いでも、これを超えるインパクトは、期待できなくなった。いわば、脱ぎ損な訳で、脱いだら負け感が、あるのではないか。
 りえ前、りえ後だ。

「サンタフェの未公開写真」


 もう一つは、高岡早紀。
 深作欣二「忠臣蔵外伝 四谷怪談」94年で、脱いだのはいいが、あまりの巨乳が唐突に映されたショットの超絶衝撃。
 あまりに唐突過ぎて、映画のすべてをぶち壊す衝撃。わざわざ脱いだのに、嘲笑の的になってしまった。この衝撃は、大きいと思うよ。
 結果的に脱ぐことが、ダサくなってしまい、アダルトビデオ女優と「一般」女優が「一線を画す」こととあいまり、脱ぐことが人気女優のトレンドと、外れてしまったのだと思う。

6 2000年代 
 映画に出ることより、TVに出ることの方が、女優たちのステータスに、完全になってしまった時代。
 特に、短時間撮影で稼げるTVCMこそが、女優の事務所にとっては、最優先。でCM契約にあたっては、スキャンダルはご法度。
 ヌードになるのは、お茶の間(そんなの、今あるのか、実態も不明だが)の女性層(同上)の不興を買うレヴェルに。
 さらに映画的に言えば、製作委員会方式が、主流に。
 十社(以上)の会社が、それぞれ少額の投資をして、堅実なノーリスクローリターンなのか、あわよくば高配当を狙う。
 しかしいずれも映画の素人で、ベストセラーの原作で、人気アイドルを使い、土地で儲けるより映画なんてはるかに文化の香り、わが社の知名度向上にも最適、なんて、出来る映画は、とにかく無難な造り、とにかくいかなるところからもクレームが来ないような(詰まらねー、とか駄作とか、というような「映画批評」は、クレームのうちには、入らない)無難な無難な、まるでコンビニ弁当みたいな映画を作って、まあ一定程度の投資回収ができれば、御の字、みたいな。

 そう、映画は柳川慶子の時代に、なってしまったのだ。
 鈴木英夫の傑作「その場所に女ありて」で、ヒロイン司葉子の後輩を演じた柳川慶子は、同僚の男性社員どもに、少額の金を融資し、その利息で稼いでいる。
「われわれ貸金をサイドビジネスにする者」に、日本映画は、半ば乗っ取られてしまっているのだ。
 映画をサイドビジネスにする奴らが、映画について真剣に考えるはずもなかろう。
 そういう映画で、女優のヌード、なんて、まず最初の選択肢には、入りませんね。どこそこの女性団体(的なところ?)から、理不尽なクレームが来るかわからないし、第一お子さん向けの映画じゃなくなってしまうじゃないですか。 

 かくて映画で脱ぐ女優は、単館映画の、独立プロの、新人女優に、限られるような事態に。
 まあ、元に戻ったわけですな。
 ぼくとしては、映画女優として、綾瀬はるかも石原さとみも長沢まさみも、脱いでほしいが、まあ、かなわぬ夢かしら(笑)。

 ああ、一番大事なことを書き漏らしていました(笑)。
 70年代までは、明らかに文化的にも、男性優位社会でした。
 しかし、80年代以降、日本でも世界でも、「女性の視点」が、徐々に重要視されるように。
 70年代こそ、文化的には最後の「男の楽園」だったのかもしれませんな。

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by mukashinoeiga | 2016-12-10 01:55 | うわごと | Trackback | Comments(3)

「東京物語」またまた指田文夫さんの珍論

大衆文化評論家指田文夫の「さすらい日乗」というブログをたまたまのぞいたら、「日本映画学会第12回大会」という記事があって、その一部に仰天した(笑)。以下一部を抜粋引用する。

e0178641_982320.jpg新潟大学の羽鳥隆英さんの「淡島千景資料」を使用しての五社協定下の俳優の動きは、非常に興味深い発表で、東宝の池部良、松竹の佐田啓二らが、会社を超えて俳優のつながりを作り出そうとしていたことが淡島千景さんの資料から実証された。
私もまったく同意で、戦後の独立プロ運動が、東宝を出た左翼独立プロから、1960年代の大島渚らの松竹脱退組のみで語られるのは不満で、いろいろな動きがあったことはもっと研究されるべきことだと思う。
昼食後は、小津安二郎についてが2本あり、相変わらずの小津人気の高さを知らされた。
京都大学の伊藤弘了さんは、小津作品の小道具や部屋の絵画等を手配していた北川靖記の役割についてのもので、小津の広い人脈が改めてよくわかった。
一橋大学の政清健介さんのは、『東京物語』における引き戸の音の処理についてで、大坂志郎の場面への入りの扱いが特別だったことが協調されていた。それは私の考えでは、小津は大坂志郎が嫌いで、そうしたのではないかと思った。
もし、小津が大坂が嫌いでなければ、原節子は次男の死の後、三男の大坂と結婚したはずだったからである。
戦後、男が戦争で死んだときは、その兄弟、多くは弟と再婚したものだったからである。それは、農家等では財産を家で保持するという意味も大きかったと思う。(以上引用終わり、文字変色は引用者)


 相変わらず指田さん独特の根拠不明な断定調が、ひどい(笑)。
 戦前から一貫して、家制度の崩壊を描いた小津が、仮に大坂志郎が大好きだったとして、ハラセツと夫の弟の結婚を描くはずもない。
 小津の基本姿勢は、家族が増える結婚は許さない、ということであり、現に笠智衆は、ハラセツにほかの男との再婚を促して、家族を減らそうと努力しているのだ。
 しかも、笠智衆の息子・娘は、より近代的なミニマムな家族構成を志向しつつあるのであり、指田さんいうところの「農家等」の発想とは、まさに真逆な立ち位置だろう。

 妄想も極まれり、というところか。

 なおついでに読んだ同ブログ、『「小川宏ショー」に出た兄』もまた、意味不明の珍文である。短いので全文を引用する。

アナウンサーの小川宏が亡くなったそうだが、その人気コーナーのご対面に私の兄が出たことがある。
相手は女優の高峰秀子で、彼女の小学校時代の「恩師」が私の父・指田貞吉で、1960年に死んでいるので、その代わりで当時20代の兄が出たのである。
私は家で、8ミリカメラで撮影したので、そのフィルムは今でもあるはずだが。
私たちの父が彼女の小学校時代の「恩師」であったことは、彼女の自叙伝『私の渡世日記』に書かれていて、少々褒めすぎのように私たちには思えるが、彼女のような大女優に記憶されているのは、勿論うれしいことである。
高峰秀子は、恐らく日本映画史最高の女優の一人だと思うが、このブログでも彼女のことに触れないのは、その性である。

 たったこれだけの理由で、「恐らく日本映画史最高の女優の一人」に「このブログでも彼女のことに触れない」のは、常人には理解できないクレイジーさだと、私は、思います(笑)。異常なまでの自意識過剰、以外には、わたくしの凡庸な頭では、理解できない(笑)。

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by mukashinoeiga | 2016-12-07 09:10 | 小津安二郎映画の正体小津漬の味 | Trackback | Comments(3)

パク・クネ韓国と民進党は、なぜ失敗し続けるのか理由

 パク・クネと、彼女を弾劾する韓国国民は、全く正反対の立場にいるが、実は近親憎悪というか、同族嫌悪というべきで、実態は同じである。
 日本の民進党も、所属する議員たちの主張はてんでんばらばらで、まとまりがなく、常に失敗を繰り返している。
 しーるずや、沖縄の反日左翼も、鳥越もご同様で。

渡辺真知子 / 迷い道

 クネクネのテーマソング(笑)。何年か前に反日、反安倍ソングとして引用したときは、ピンとこなかった「いかさま占いはつづく」という歌詞が、今になっては、利いてきました(笑)。

e0178641_0233523.jpge0178641_62325.jpg 結果オーライという言葉がある。
 動機が多少いい加減でも、途中に多少の不正があっても、結果が良ければ、いいじゃないか、と。おそらく安倍自民党は、それを目指している。
 まあ能力に欠けるか、日本の政治体制にかなりの不備(憲法9条をはじめとして)があるので、打つ手が極めて限られるとか、時の運に難があり、結果は限定されているか、紆余曲折や試行錯誤があるが、
少なくとも安倍晋三には「政治は結果を出してなんぼ」という、発想が、あるだろう。
 これを結果オーライ主義というとすると、その反対語は何か、というと、動機オーライ主義という。

 動機オーライ主義とは、動機が純粋で、動機が正義に由来するものであれば、途中に多少の不正があろうとも、結果を出せなくても、オーケー、というものだ。
 むしろ、結果を出せないのは、動機がより純粋で、より正義であることの証明になるくらいだとも、思っていよう。
 だって、純粋な動機を全うしたら、この汚濁に満ちた現生の社会で、純粋な動機に見合った、純粋な結果が、出せますか(笑)。
 だって動機が百パーセント純粋なら、百パーセント純粋な現実を達成できますか。

 左翼リベラルな方々が、脳内お花畑と揶揄されるのは、百パーセント現実ではありえない、現実化できない脳内妄想を、まず頭の中に描き、しかしそれはまず百パーセント現実化は出来ず、ゆえに途中経過はぐちゃぐちゃになり、しかも結果は満足できるものでは、ない。
 現実の政治というのは、妥協に妥協を重ねたものであり、純粋な動機に見合う果実は、ほとんど得られない。
 TPPは、日本に不利な対米追従ものだと、国内の農家はいい、トランプはアメリカに不利な日本を利するものだ、という。
 パク・クネは、即退陣せよ、というが、ふつうは、弾劾の先頭に立つ重要人物がいて、そいつが次期大統領になる、と宣言すべきだろう。
 次期大統領有力候補がいないのに、現大統領の退陣を要求する、韓国国民も、大概なもので、まさに結果はどうなったっていいという、動機オーライ主義そのもの。
 聞けば、韓国の大統領が任期一年を残して退陣すれば、次期大統領の任期はそれを引き継ぎ一年のみの、消化試合だという。そして、二期目はありえないから、一年のみの任期で、おそらく混乱は続き、何の結果も出せないだろう、と。
 そんな半端仕事、だれも引き受けまい。むしろ能力があると思っている自称有力候補ほど、やりたがらないだろう。

 常に、後先考えずに、失敗してしまう。
 北はなんちゃって共産主義、南はなんちゃって民主主義、一つの民族国家が、分断された結果、2ウェイで国家を運営して、どちらも失敗している。
 分断されたのも、日本や米ソなど他人のせいにしているが、常に対立に走る自国民の性癖のゆえであろうね。
 そうして、南では、通常の民主主義国家なら、どこでも通常に行われている、通常の政権交代が、絶対にできない。
 常に前政権の大統領が、国外逃亡、銃殺、自殺、裁判で有罪に、なっている。
 パク・クネも、退任後の選択肢は、非常に、限られているよね(笑)。
 自業自得でもあるのだが、韓国の政権交代というのが、現代の通常の民主主義国家の政権交代ではなくて、あれは単なる易姓革命だから、ということだろう。
 易姓革命だから、前政権(前王朝)の関係者は、徹底的に排除される運命にある。
 西朝鮮、北朝鮮、南朝鮮は、ことごとく現代に、生きている政治体制ではなく、清朝、李朝の後継ゾンビ国家として、生きている。
 つまり前前前世紀の遺物国家三国が、東アジアで唯一、というか一応近代的な統治体制となった日本(及び台湾と香港)を、異物として憎むのも、当たり前だのクラッカーなのですね。

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by mukashinoeiga | 2016-12-07 06:02 | うわごと | Trackback | Comments(0)

渡辺邦彦「阿寒に果つ」五十嵐じゅん三浦友和渡辺淳一地井武男大出俊二宮さよ子

これはアカン子や(笑)。75年、東京映画、配給東宝。渋谷にて「妄執・異形の人々 文芸篇」特集。
e0178641_3345653.jpg 映画として、まったくつまらない。これはアカンて(笑)。
 かわいい若手人気女優を出して、ヌードにもします、男とも女ともベッドシーンありでっせ、しかも北海道の美しい冬景色をたっぷり、と見せます。
 なに、こんな文芸エロ映画、これじゃあ男しか来ない?
 じゃあ全盛期の美青年・三浦友和も、つけちゃうぞ、と、どうや、お客さん、満足でっしゃろ、「万端の企画」のはずが、いかんせん映画が、面白くない(笑)。
 アカンて、これは(笑)。

阿寒に果つ(35mm)公開:1975年 (渋谷シネマヴェーラHPより)
監督:渡辺邦彦/原作:渡辺淳一
出演:五十嵐じゅん、三浦友和、地井武男、大出俊、二宮さよ子、
15歳にして北海道展に入選した女子高生の純子は、五人の恋人たちに一輪ずつカーネーションを残して失跡し…。少女マンガでもあり得ないような設定だが本当の話。天才美少女画家にして奔放な小悪魔・純子に誘惑され、酒とタバコと接吻の味を覚えた真面目な同級生・俊一とは、誰あろう原作者である渡辺淳一先生!

e0178641_3353997.jpg 第一の、決定的な敗因。
 五十嵐じゅん、それなりに、演技は、うまい。記憶の中では、浅田美代子と一緒になって、かわいいが、演技はうーんなアイドル女優という印象だったが、なかなかにうまい。
 ただし主演女優のオーラが、ない。何を演じても、それがどうした、という感慨しかわかない。典型的なかわいいだけじゃダメなのよ女優か。

 第二の、決定的な敗因。
 五十嵐じゅん、表情が二つか、三つくらいしかない。それも、おざなりの。
 そこそこに演技はうまいが、幅がない。有り余る才能がありながら、自殺してしまう、早熟な思春期自意識過剰な天才少女を演じるには、あまりに分厚すぎる顔が、あまりに無表情過ぎて、その顔からニュアンスが、一切見いだせない。
 五十嵐じゅんは、浅野温子でも、大竹しのぶでも、なかった。

 第三の、決定的な敗因。
 ヒロインが同級生の、三浦友和へのファーストキス。
 キスしたら、ウィスキーのポケット瓶を取り出してぐびり、友和にも勧める。次にタバコも吸い、友和に勧める。
 真面目な優等生・友和は、ウィスキーにもタバコにも、むせる。
 こういうのは、日本では、受けない。当時のうぶなハイティーン観客には、ドン引きだったかもしれない。
 ただし無表情な五十嵐じゅんではなくて、くりかえすが、浅野温子なり大竹しのぶだったら、いけてるシーンになったかもしれない。
 決定的に、この映画には、ユーモアに欠けている。
 所詮最後は自殺する自意識過剰少女なんだから、ユーモアなんかいらん、というのが、作者たちの思いなのかもしれないが、最後は悲劇に終わる映画にも、ユーモアとギャグをぶち込んだ小津や成瀬の偉大さが、こういうボンクラ映画を見ていると、つくづく思いだされる。
 小津や成瀬がこの映画をリメイクするなら(笑)、小津なら五十嵐じゅんは岸恵子か岡田茉莉子か、成瀬ならデコちゃんか。いずれにせよユーモアは必須だったろう。

e0178641_3362194.jpg 第四の、決定的な敗因。
 撮影監督の予備知識なく見ていたが、げげっ、これは、もしかして、木村大作か、と思い、確認したら、案の定木村大作だった(笑)。
 どんなに美しい雪景色も、観光絵葉書の写真にしか見えず、大体のショットが、映画のクオリティーではなく、TVのCM並みの、うすっぺらの映像しか撮れない、自称巨匠の撮影監督。
 五十嵐じゅんと、姉・二宮さよ子とのレズシーンも、いかにもありがちなアプローチで、木村大作、頭の中には、凡庸なショットしか、ないのね。
 いや、本作では、木村大作も、ショットによっては、なかなかいい絵作りをしているようには感じたが、やはり全体的には、ペラい。

 第五の、決定的な敗因。
 美少女だが、ふてぶてしいまでに表情が読めない、いわば(女優としては)鉄面皮の五十嵐じゅんが、繊細に揺れ動く、思春期早熟天才系ヤリマン少女という、きわめて、めったにいないキャラを不用意に演じる、演出側に、繊細さが、少しも感じられぬ。
 こんな激ヤバ物件を、無難なアイドル映画に落とし込むボンクラさは、いかんともしがたい。
 絵の師匠・福田善之みたいな、どう見てもくさやの干物みたいなおじさんとキスした、五十嵐じゅんの敢闘(笑)は、ありつつ、残念でした。

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by mukashinoeiga | 2016-12-02 03:37 | 旧作日本映画感想文 | Trackback | Comments(2)