<   2012年 04月 ( 20 )   > この月の画像一覧

橋下維新の会 vs 明治維新

 日本の歴代の、改革を目指した政治的ムーヴメント、つまり、明治維新、昭和維新、全共闘運動、小泉構造改革ブーム、民主党政権交代ブーム、そして橋下大阪維新の会ブームには、ある共通した動きがあるという。

 與那覇潤「中国化する日本/日中「文明の衝突」一千年史」という本が、なかなか刺激的な本であり、なおかつバカ本であるというお話その4
 與那覇潤は、本書で特に明治維新を取り上げています。昭和維新ほかは、単なる明治維新の亜流ですね。日本では、政治改革を目指すと、必ず維新の志士を気取る。橋下維新の会など、その典型ですな。
以下、同書の要約という形で紹介します。

 徳川末期のアナーキーな雰囲気の火付け役となった大塩平八郎は陽明学者、幕末に尊皇攘夷思想の旗振り役となった吉田松陰は、陽明学に心酔。
 がちがちの社会構造のなかで窒息しかけていた不平分子の憂さ晴らし的爆発から、明治維新は始まったのですが、その起爆剤となったのが、中国由来の儒教、特に陽明学。しかし、大方の人間は陽明学の研究者や心酔者でもない。「気分としての陽明学」が「時代のエートス(気分、気風)」と、なった結果だというのです。
 つまり「気分としての陽明学」とは、平たく言えば「動機オーライ主義」。「終わりよければすべてよし」の「結果オーライ」の反対で、「はじめよければあとはどうなってもよし」が「動機オーライ主義」。
 純粋にピュアな気持ちで考えて「今の世の中は間違っている! オレ様の考えが正しいのだ!」と、既存の概念、法、社会構造をすべて否定し、一切を考慮することなく突っ走り、動機がピュアなんだから、オレ様の思いは、必ず実現するはずだ、いや、実現しなければならない、と。
 結果を一切考慮することなく、突っ走り、結果は必ずついてくるはずだ、と根拠なく確信する。もし万が一、結果が出なくても、それはこのオレ様の魂の叫びに反応しない、社会の奴らの不純さ、鈍感さのせいであって、オレのせいではないのだ! と。
 つまり「気分としての陽明学」とは、平たく言えば「パンクロッカーの魂からの叫び」。 こういう人たちは、結果ではなく、動機重視で突き進むから、一切の妥協なしにどこまでも突き進む。また、「志半ばで倒れた同志」への心情的連帯感。坂本龍馬しかり、尾崎豊しかり。

 そういう、幕末の維新の志士的パンクロッカーたち、純心ピュアな動機オーライ主義、金のないやつぁ俺ンとこへ来い、俺もないけど心配するな、見ろよ、青いそら、白い雲、みたいな。
 といったような、坂本龍馬やら、そのミニチュア版の小泉純一郎、橋下徹らに、庶民は、喝采を送り、じゃあ、ぼくたち庶民はそれに対して、どう対応するかというと。
 そう、庶民は「ええじゃないか」を踊るのです。 それが<選ばれし志士たち>と、庶民たちの役割分担。
 映画好きらしい與那覇潤の、本書の説にもっともふさわしいマキノ雅弘を、付け焼刃の、お勉強でしか映画を見ない與那覇潤は、なぜか、まったく言及しないのですが、「江戸時代化」した高倉健や、バンツマや、藤純子や、鶴田浩二のために、「ええじゃないか」を踊る「取り巻きたち」というのが、庶民の役割なのです。

 そして、與那覇潤が、本書でネグっているのは、ここをネグっていては、お里が知れるだろうというのは、「結果オーライ主義」、つまり「どんな薄汚れた手を使っても、金を握り、一族として生き延びてやるぞ」という「中国化」の、対極にあるのが「動機オーライ主義」。
この「動機オーライ主義」の幕末の志士たちが、結果として成功し、明治維新という「結果オーライ」の「中国化された明治」を作り上げたという皮肉。
 動機がピュアであるからには、結果(金とか地位とか)なんて、考えに入っちゃいねーぜ、という人たちをこそ、限りなく愛惜する人たち。いっぽう、どんなに汚い手を使っても、金や地位をもぎ取るぜ、という「中国化された」人たち。ここの対立をネグっている点に、與那覇潤の、詰めの甘さがあるというのは、ひがめか。

★新・今、そこにある映画★新作の日本・外国映画感想駄文の兄弟ブログ
★映画流れ者★当ブログへの感想・質問・指導・いちゃ問はこちらへ

★人気ブログランキング・日本映画★
↑↓クリックしていただければ、ランクが上がります(笑)。
にほんブログ村 映画ブログ 名作・なつかし映画へ
★にほんブログ村・名作なつかし映画★
[PR]

by mukashinoeiga | 2012-04-29 23:08 | うわごと | Trackback | Comments(0)

安達伸生「火山脈」

 京橋にて。「よみがえる日本映画vol.4 大映篇-映画保存のための特別事業費による」特集。50年、大映京都。
 チャラ男な森雅之主演の野口英世偉人伝というから、そのデキを危惧?しだが、あんがいまともな扱いで、これはこれで快作ではないか。
 映像の一部に、奇妙な遊びというべき斬新さ(森雅之がドイツ語を暗誦しながら逍遥する、その森を写したキャメラが不思議に上下する、この当時の映画ではあまりお目にかかれないような)もあり、それ以外の全体の撮影も躍動感あり。制作年度を少々逸脱したかのような、フレッシュな青春映画としても、素晴らしい。
 野口英世の伝記としても、ぼくたちが教えられた偉人伝・野口と、違和感がない。あるいは、劇作家の北條秀司の原作・脚色ということだが、逆にこの原作こそが、野口英世の偉人伝的パブリック・イメージを作り上げたものかも知れない?
 ある人物の伝記が、世間公認のパプリック・イメージを持つためには、どの時点かで、だれかが年表的事実とゴシップの類を<編集>(いわゆる、講談師、見てきたような嘘をいい、だ)しなければならない。それが成功すると、<誰もが知っている人物の、誰もが知っているエピソードの連なり>が、公認される。野口英世のそれが、北條の戯曲なのか、本映画なのか、それとも別のものなのか。面白い。

 子役が演じる、少年時代の野口は、きりりと目力あふれる、向上心・向学心に燃えた、明るい好少年(?)。ところが、思春期/青年期とて、森雅之が演じるようになると、とたんに軽佻浮薄な若者に変貌(笑)。女学生を見ては、ニヤニヤ、明治の描写といえば定番の、牛ナベ屋での馬鹿騒ぎ。で。もちろん明治期の女学生は「ハイカラさんが通る」のようなはかまスタイル。
 いつも、憂いを秘めた後期青年やら、哀愁の中年を演じることの多いモリマが、かくはしゃぎまわる好青年を演じているのは、珍しい。そして、その若さゆえのはしゃぎっぷりにも違和感なく、いかにも、ナウな明治期ヤングを好演する。すばらしい。
 もっとも、モリマの親友書生が、当時のベストセラー、坪内逍遥「当世書生気質」を愛読する、宇野重吉とは。ウノジュウ、どう見ても書生さんには、見えんぞ。
 ちなみに好青年とはいうが、好少年、好中年、好老年という言葉は、ない。いかにも、恋愛対象期が青年期に限られるかの、言葉の選択というべきか。
 さして裕福でもないのに、トコトン野口英世を金銭的にも精神的にも援助する、血脇守之助夫妻を誠実に演じた、笠智衆&小夜福子も、絶品。青年期の森、そして笠&小夜の、代表作とも、いうべきで。このふたりの誠実さ演技の、素晴らしさ。
 後半のアメリカでの研究生活は、いささか、はしょり気味の駆け足だが(まあ、現地ロケもできないせいだろうが)全体はグッド。
 ただし、<母もの映画>で鳴らした大映としては、最後にはオハコの泣かせで盛り上げたかったろうが、母・田村秋子も、子・森雅之も、演出も、いまいちクールで、三益愛子とは行かなかった。

 なお、最後の京都旅行シークエンスになると、ピントが甘くなり、画面がぼけて、最後まで修正されず。一時期のフィルムセンターは、映写技師の質が悪く、ピント甘甘の時代があった、それは改善され、ここしばらくは、ぼくが見ている限り、悪質映写はなかった。今回はニュープリということで油断したのか、原版自体がぼけていたのか、いや、映写が、ニュープリということで、つい油断したんだと思うが。
 とにかく、はしゃぐ青年モリマが新鮮。新しい面を見た感じで。実際は、かなり年がいってたはずだが、さすが。この映画の森、笠、小夜、田村秋子、河野秋武、みんないい。
◎追記◎アメリカ留学に際して、血脇(笠)は忠告する。「野口君、君には大いなる才能がある。しかし、欠点も多い。君はずうずうしい。他人に(金銭面で)甘えすぎる。このクセは、アメリカに行ったら、直さねばいかん」
 しかし、ずうずうしさは、アメリカに行けば、ふつうである。だから、野口は、アメリカで成功し、アメリカ人の妻・同僚ともうまくやっている。アメリカや中国の、これがグローバル・スタンダードである。
 またもや(笑)與那覇潤「中国化する日本/日中「文明の衝突」一千年史」を引用すれば、分をわきまえよ、出る杭になるなという笠は「江戸時代化」された発想しかできず、一方どんな手を使っても(自己責任の自由経済)とにかく出世してやるんだという野口は、「西洋化(実は中国化でもある)された明治」の象徴である。
 江戸時代であってみれば、貧農小作人の子は生涯小作人、そこを努力と才能と天性の借金能力で、ノーベル賞候補にまで上り詰めるのは、「中国化された明治」、中国・宋の地代に開発され、やがて西洋にも普及した、グローバル・スタンダード(脱身分制の、自己責任の自由競争社会)の申し子・野口英世。
 野口(森)は、女学校出身で、女医を目指すみね子(日高澄子)に恋している。日高は、「あなたは世界に羽ばたく、大きいお方。わたしがあなたと結婚すれば、あなたの邪魔になるでしょう。わたしは、わたしにふさわしい、平凡な男と結婚を決めました」と、森をフる。
 分をわきまえる、身分相応という発想。まさしく江戸時代的発想。「江戸時代化」された日高が「中国化された明治」森を、フッタのである。
 そして、野口のアメリカ留学のために、高利貸しから500円もの大金を借金し(何せ明治時代の500円だから、今の時価にしたら?)、毎月返財しなければならない血脇(笠)、本人は野口を好きでやっているのだが、いわば赤の他人(精神的養子? 同胞?)に莫大な金を貸し(返ってくる見込みは、ない)、しかもそれは高利貸しからの借金である。
 「江戸時代化」された心性しか持たぬ笠は、「中国化された明治」=グローバル・スタンダードの野口に、多少の苦言と、大いなる微笑みをもって、自己犠牲的大金を払う。
 まるで、中国やアメリカにいいように金をむしりとられ続けている日本みたいではないか(笑)。「江戸時代化」された日本=笠は、「中国化/西洋化された明治」野口に、いいように金を吸い取られ、しかも、それが、とってもうれしいことなのだ。中国様にヘコヘコしながらの、小沢一郎の満面の笑み(笑)と、同じとは、笠のアルカイック・スマイルに、対していうべきではないのかもしれんが(笑)。

★新・今、そこにある映画★日本映画・外国映画の、新作感想兄弟ブログ。
★映画流れ者★当ブログへの感想・質問・指導・いちゃ問はこちらへ

★人気ブログランキング・日本映画★
↑↓クリックしていただければ、ランクが上がります(笑)。
にほんブログ村 映画ブログ 名作・なつかし映画へ
★にほんブログ村・名作なつかし映画★
[PR]

by mukashinoeiga | 2012-04-28 23:39 | 旧作日本映画感想文 | Trackback | Comments(0)

千葉泰樹「美しき豹」

 京橋にて。「よみがえる日本映画vol.4 大映篇-映画保存のための特別事業費による」特集。48年、大映東京。
 本作の前年作千葉泰樹「花咲く家族」で、きわめてまっとうなホームドラマを作った千葉が、やや毛色の変わったホームドラマを作った、それが本作。「花咲く家族」で「姑のお気に入りの嫁候補」を、ジミ~に、華もなく演じた相馬千恵子が、うって変わって、魅力的なあばずれ娘を演じるのも、面白い。
 老父・見明凡太郎と二人暮しの娘・相馬千恵子は、ちょっと気は強いが、いたってふつうの娘。とはいうものの、いったん仕事に出れば、河津清三郎社長の商事会社の社長秘書。この会社、闇物資を右から左に流して、利ざやを稼ぐ、いわゆる闇ブローカーの会社。相馬、社長秘書の枠に収まらず、自ら積極的に闇屋商売に才能を発揮する。
 男勝りに、裏ビジネスに精通し、肉食系クーガー女。海千山千の河津も舌を巻くくらいの、闇商売クイーン。父親や、子連れで出戻りの姉・花井蘭子も、あたしが、軽く、養ってあげるからさあ、とドヤ顔で。男性社員をあごで使い、昼日中から、酒色三昧、朝から会社でウィスキー、常に高額の現金を手元で管理している。
 家に帰れば、それなりに殊勝な、ふつうの娘、会社では、とても堅気には、見えない。この二面性を、相馬千恵子は、生き生きと演じて、「花咲く家族」の、鈍な「姑のお気に入りの、地味娘」と、同一人物とは、とうてい思えない華やかさ。素晴らしい。家庭では高い声、会社で部下の男性を叱咤するときは、低い声。この使い分け。いや、使い分けをしなければいけないというのは、まだまだ、女性が地位を確立していないということだろう。
 この時期の大映女優らしく、スタアオーラはないながら、主役オーラは、ちゃんとある。「花咲く家族」と違って、顔さえ、華やか。
 見明・相馬父娘の隣組・岡譲二(よい)の、娘役の女優が、これまた女優オーラのない、ほとんど一般人の風貌・オーラで、ここが当時の大映女優クオリティか。そのなかでは、相馬千恵子や花井蘭子の女優オーラさえもが、引き立って見えていく。

 ここで、あらためていっておきたいのは、父・見明凡太郎や、岡譲二の娘の婚約者・船越英二らの、素晴らしさ。いや、本作での船越は、特に見せ場はないのだが、見明や潮万太郎は、大映プロパーで、どんな大映プログラム・ピクチャアにも、必ず出ていて、どんなちいさな役でもこなすもんだから、有り難味が感じられなくて、演技賞でも、完全に対象外な感じなのだが、もしフリーであったら、ときに助演男優賞の対象になるべきだった名優なのだとおもう。主演スタアがさえなかった時代でも、大映は助演俳優は充実していたのだった。

 なお、蛇足だが、與那覇潤「中国化する日本/日中「文明の衝突」一千年史」が示唆するように、麻薬や武器など非合法商品が闇取引されるならともかく、本作のように、砂糖や、反物など、日用品が横流し、闇取引されて、それらを闇屋、ブローカーが扱うというのは、たしかに非合法なのだが、戦時中は軍(日本的社会主義)が、戦後はGHQ指揮下の日本傀儡政権の擬似社会主義政権が、再江戸時代化=社会主義化の、統制経済、食糧配給制を維持するため、自由主義経済下なら、当然合法的である民間取引すら、規制してしまったため、その法の範囲から、はずれてしまい、自由主義経済なら、当然の合法商法も、闇屋、ブローカー化してしまったのだという。
 つまり、現在の左翼・リベラル諸君が批判する戦中軍国主義および敗戦下の食糧不足、それら戦時統制経済が、彼らリベラル左翼諸君が信奉する社会主義そのものだったという、皮肉。まあ、それは別の話で。
(戦時国民総力戦体制とか、食糧配給制とかは、国家が国民の生活を全て面倒を見るという点において、究極の計画経済、つまり社会主義的そのものなのだという。つまり、左翼諸君が忌み嫌う軍国主義は、実は、左翼社会主義そのものだったのだ。なんと)

★新・今、そこにある映画★日本映画・外国映画の、新作感想兄弟ブログ。
★映画流れ者★当ブログへの感想・質問・指導・いちゃ問はこちらへ

★人気ブログランキング・日本映画★
↑↓クリックしていただければ、ランクが上がります(笑)。
にほんブログ村 映画ブログ 名作・なつかし映画へ
★にほんブログ村・名作なつかし映画★
[PR]

by mukashinoeiga | 2012-04-27 00:33 | 千葉泰樹 ヤスキ節の愉しさ | Trackback | Comments(0)

千葉泰樹「花咲く家族」

 京橋にて。「よみがえる日本映画vol.4 大映篇-映画保存のための特別事業費による」特集。47年、大映東京。あと1回の上映。
 老母・瀧花久子は、長男・若原雅夫が、折原啓子と恋愛結婚なのが、気にいらない。いちいち、さりげなく、嫁いじめ。耐える折原啓子。けなげ(笑)。
 本当は遠縁の娘・相馬千恵子がお気に入りで、相馬を長男と結婚させたかったのだ。なので、今度は、次男・小林桂樹の嫁に、相馬を画策。
 恋愛結婚をしたい桂樹は、この母の案に大反発。妹・三条美紀や兄・若原の応援を得て、<わざと相馬千恵子に嫌われるような、デリカシーのない男>を演じるのだが・…。
 お定まりの娯楽ホームドラマのパターンだが、千葉演出もよく、登場するキャラも、みんなたいへん、ほほえましい。なので、気持ちよく見られる快作に。
 ホームドラマの快楽。
 ただし、母の大推薦する<安心して、嫁にできる、親戚の娘>が、そのさんざんのあおり文句の果てに登場する、相馬千恵子が、なんてことない、平凡娘で、がっかり。ほんと、(この当時の)大映は、女優に、華、ないよなあ。

★新・今、そこにある映画★日本映画・外国映画の、新作感想兄弟ブログ。
★映画流れ者★当ブログへの感想・質問・指導・いちゃ問はこちらへ

★人気ブログランキング・日本映画★
↑↓クリックしていただければ、ランクが上がります(笑)。
にほんブログ村 映画ブログ 名作・なつかし映画へ
★にほんブログ村・名作なつかし映画★
[PR]

by mukashinoeiga | 2012-04-26 00:10 | 千葉泰樹 ヤスキ節の愉しさ | Trackback | Comments(0)

吉村廉「看護婦の日記」

 京橋にて。「よみがえる日本映画vol.4 大映篇-映画保存のための特別事業費による」特集。47年、大映東京。
 太宰治の明朗青春小説「パンドラの匣」から、明朗青春度を若干削除、淡彩画のようなさわやかさを加味、戦後このあとの吉村廉からは想像出来ないような、好印象な小品佳作。
 かつて、サナトリウム文学というか、療養所文化というか、そういうものに対する、憧れみたいなものがありました。青春のサナトリウム≒モラトリアム。
 マイナスからの出発。原作では、8・15昭和天皇のラジオ放送で、はっきり目覚め、結核療養のため、山奥の健康道場に住み着く、敗戦と病弱からの、青年のマイナスからの出発。それを天性の明るさで描く太宰、それをこんなさわやかにに映画化して、まあ、原作ファンとしては、多少不満もあるけれど、満足満足。これと比べれば、2009年版リメイクは、それなりにいい映画なのではあるが、欠点も目立ち、ちと分が悪いぞ。 

 原作の設定は、
ひばり  20歳男子。結核としては軽いほう、ちゃんと養生すれば半年後退院予定。
マア坊  18歳の看護婦。くるくる変わる気分屋。ひばりは、いいように振り回される。
竹さん  20台半ばの看護婦。美人で気立てのよい働きもの。実はひばりに・・・・
●ひばりの同室患者
越後獅子  なにやら大物らしい、年配患者
つくし   まじめな妻子持ち・・・・しかし後にマア坊にラヴレター 
かっぽれ  美男子にして激情家のアンちゃん 何かと感激、興奮、泣いたり怒ったり
固パン   助手たちに人気の学生 
●助手・他
くじゃく  やたらと厚化粧ゆえこのあだ名の助手
キントト  他に助手として、うるめ、ハイチャイ、となかい、こおろぎ、カクラン、など    
場  長  この健康道場を独自の治療法で運営する院長
ひばり友  ひばりの文通相手。道場にひばりを見舞う好青年
ひばり父
ひばり母
越後~娘  越後獅子を頻繁に見舞いに来る
隣室患者  ひばりたちと、対抗する、にぎやかし集団

 本作は、
●ひばりの同室患者
ひばり   小林桂樹 ○さわやかだが、ちょっと、この役には、大人臭いな
越後獅子  徳川夢声 ○ちょと軽いけど、ベスト
つくし   
かっぽれ  杉狂児 ◎絶品代表作にして、助演男優賞クラス
固パン ○なかなか   
●助手・他
マア坊   関千恵子 ○後年の彼女はキツネ顔、それとまるきり違う丸顔のぶりっ子、別人みたい
竹さん   折原啓子 ◎原作のぶっきらぼうとは違う、愛されタイプが、愛らしい
くじゃく ○
場  長  見明凡太郎 ○ぴったり
ひばり友  (登場せず)
ひばり父  (登場せず)
ひばり母  平井岐代子 ○水準。登場しない、ひばり友の役割も果たす
越後~娘  (登場せず)
隣室患者 ○無名役者たちだが、なかなかクセがあり、いい

 小林桂樹は、若いときでも大人の気配が濃厚に漂い、それは原作のひばりには合わないし、だいいち、ひばりなんていうあだ名が徹底的に、似合わない。ではあるが、さわやかさだけはキープ。そもそも、若さが似合わない大映に、ひばりを演じうるスタア俳優は、のちの川口浩のデヴューを、またなければならない。
 後年キツネ顔になってからは、ヒロインのいじめ役なんかにその位置を見出した関千恵子も、ぶりっ子は、徹底的に似合わず。ゆえに、ぴくちゃあ氏にも、演技がヘタといわれてしまうが、これはこれで、異常な?までの思春期ぶとりが、なんだか、微笑ましい?
 終始、ニコニコ微笑む折原啓子が、癒し度最高の看護婦を具現。この折原啓子なら、見送られても、悔いなし(笑)。それは、原作の竹さんとは、ちょと、ちがうんだけど、その笑顔、まあ絶品だあね。
 ときに繊細な演出もあり、太宰ファンとしても、満足。素晴らしい、さわやか高原の実写(どこでのロケ、信州か)の圧倒的素晴らしさ、そこに佇む小林と関千恵子、ああ、素朴、カンペキ。
 固パンの姉・奈良光枝が、なぜか登場し、原作にない歌唱シーンすら、許せてしまう(笑)。
 絶対の映画ではないが、これもありかな、と。それにしても、小林桂樹、若い頃から、けっこう主役張ってるなあ。究極の愛されキャラ。

◎架空映画感想駄文◎
★川島雄三「パンドラの匣」★
★木下恵介「パンドラの匣」★
★成瀬巳喜男「パンドラの匣」★
★鈴木清順「パンドラの匣」★
★増村保造「パンドラの匣」★

★新・今、そこにある映画★日本映画・外国映画の、新作感想兄弟ブログ。
★映画流れ者★当ブログへの感想・質問・指導・いちゃ問はこちらへ

★人気ブログランキング・日本映画★
↑↓クリックしていただければ、ランクが上がります(笑)。
にほんブログ村 映画ブログ 名作・なつかし映画へ
★にほんブログ村・名作なつかし映画★
[PR]

by mukashinoeiga | 2012-04-23 23:14 | 旧作日本映画感想文 | Trackback | Comments(0)

清水宏「踊子」

 京橋にて。「よみがえる日本映画vol.4 大映篇-映画保存のための特別事業費による」特集。57年、大映東京。
 あと2回の上映だが、初回はほぼ満席。本特集ずいいちの人気作で、要注意か。
 清水宏人気と、大映全盛期のスタア女優、京マチの本特集ゆいいつの登場、先ごろ亡くなったアワチカとのダブル主演と、華やかなゆえか。永井荷風原作を、田中澄江脚本と、戦後清水映画としては、磐石の体制で、自作脚本で、いきなり唐突に温泉場に行く(清水宏「桃の花の咲く下で」)などという、すっとぼけもない(笑)。
 冒頭最初のショットが、俯瞰気味に浅草を左に緩やかに横移動、次に緩やかに右移動、三番目は主人公たちのアパート廊下を奥に向かって縦移動、ああ、清水宏映画の移動撮影の楽しさ。こののちも、緩やかな横移動が散見され、とても目にうれしい。
 浅草仲見世の人の込みようは、今もそうだが、浅草ロックの映画街の込みようは、今では考えられない。東京の盛り場は、この時期のあと、新宿、渋谷などに移動していく、おそらく繁華街としての浅草最後の輝きを捉えた実景部分の、緩やかな横移動撮影の美。東京スカイツリーが、この地域をフタタビ活性化させようとしているが、それは別のお話。
 その浅草のアパートで同棲しているのが、浅草十年選手のレヴューダンサー淡島千景と、楽士(ヴァイオリン)船越英二。淡島は自分でもワンサガールだと、認識している、芽が出ずじまいの二人。
 主役ではない、その他大勢のバックダンサーを、にぎやかしのワンサという語感は、いかにも当事者たちの隠語として、実感がこもったものだ。
 淡島は、基本的にへんな顔、ファニーフェイスなのに、時々はっとする美しさ。その淡島を頼って、田舎から出てくる京マチが、まだ初々しい、小悪魔。義兄のあたる船越、ダンス振付師・田中春夫(本作ゆいいつの三枚目、登場するたびに観客の笑いを取る取る)を、ホンロウ、ロウラクする。
 こういう天然コアクマにかかっては、スケベ心満載の年上の男たちは、まるで赤子の手をひねるように、コロコロ手のひらの上で転がされてしまう。
 スタア女優を使っての、三角、四画関係のメロドラマ、戦前松竹メロの巨匠・清水のお手の物で。もっとも、京マチ、小悪魔の度合いがすごすぎて、最後の頃は中悪魔か。
 最後、けっきょく京マチ騒動がダメを押す形で、二人は住みなれた浅草を去り、船越と幼稚園に勤める。お遊戯の時間に、校庭にすえたオルガンを弾く船越、取り囲む子供たち、その横移動で映画は終わる。 
 ちょっと木下が入っているようなラストが、戦前松竹から、連綿と続いた、古典的メロドラマの、最後の輝きのひとつかも。
 書きもらしたが、もちろん、船越も例によって素晴らしく、田中春夫もグッド。
 まあ、レヴューガールたちの脚の太さはご愛嬌だが。キャメラは大根足を強調するかのように、大根畑を横移動していく。淡島のダンスは、ワンサガール役として、キレの少ないダンスを披露。全盛期の淡島で見たかったと思わないでもない。

★新・今、そこにある映画★日本映画・外国映画の、新作感想兄弟ブログ。
★映画流れ者★当ブログへの感想・質問・指導・いちゃ問はこちらへ

★人気ブログランキング・日本映画★
↑↓クリックしていただければ、ランクが上がります(笑)。
にほんブログ村 映画ブログ 名作・なつかし映画へ
★にほんブログ村・名作なつかし映画★
[PR]

by mukashinoeiga | 2012-04-22 08:47 | しぃみず学園清水宏おぼえ書 | Trackback | Comments(0)

田中重雄「夜はいじわる」

 阿佐ヶ谷にて。「昭和の銀幕に輝くヒロイン63・山本富士子」モーニング特集。61年・大映東京。
 タイトルから想像される、セクシー・ピンク・コメディーではまったくなくて、和風ラヴコメ快作、なかなか面白い。4/21(土)までの上映。
 京橋で1940年代の田中重雄を見つつ、同時に阿佐ヶ谷モーニングで、60年前後の田中を見る、また楽しからずや。な~んてね。
 老舗鰹節屋の跡取り娘・山本富士子は、いい加減な父(現在の社長)中村鴈治郎の不渡り対策に追われる。鴈治郎は婿養子で、山本の祖母・北林谷栄会長に頭が上がらず、不渡りの責任を取らされて、会長に社長職を解任される。解任されても、娘よ、後は頼む、といい加減な鴈治郎。この鴈治郎が、なぜか、いつもの、関西弁では、ない。調子が狂ったのか、いつもの闊達さが鴈治郎に、ない。無理した?標準語の鴈治郎、不自然で、面白くともなんともないぞ。
 やはり田中重雄「東京おにぎり娘」では、なんと、関西弁の江戸っ子(幼い頃から長年、関西に丁稚奉公ゆえ)、本作でも、どうせ婿養子なんだから、東京の老舗の社長でも、関西弁でも、よかったのでは。とにかく、どんな映画に出ても、必ずザ・鴈治郎ワールドを展開する鴈治郎の、生彩が、ない。恐るべし、標準語効果?
 それはともかく、山本富士子VS船越英二VS川崎敬三の、和風ラヴコメの、素晴らしき可能性をかいま見させる快作ではある。コメディエンヌとしても、絶品の山本富士子。
 なお田中重雄「旅情」どうよう、山本富士子が挿入歌を熱唱するも、平凡な、かつ古臭い歌い方で、感興を殺ぐ。最後はあからさまにフランク・キャプラ「或る夜の出来事」のパクリ、というか、モロのいただきと言うか。芸がなくて、すいやせん、で。
 しかもドライなキャプラ版が、父親の一発の捨て台詞(「この結婚は、金で片がつく」とかの)で爆笑させたのに比べると、ウエットな日本映画では、エンエンつまらない説明シーンを連ねるという違いはあるが。

★新・今、そこにある映画★日本映画・外国映画の、新作感想兄弟ブログ。
★映画流れ者★当ブログへの感想・質問・指導・いちゃ問はこちらへ

★人気ブログランキング・日本映画★
↑↓クリックしていただければ、ランクが上がります(笑)。
にほんブログ村 映画ブログ 名作・なつかし映画へ
★にほんブログ村・名作なつかし映画★
[PR]

by mukashinoeiga | 2012-04-21 01:33 | 旧作日本映画感想文 | Trackback | Comments(0)

青柳信雄「花嫁会議」

 神保町にて。「ひばり・チエミ・いづみ 春爛漫!おてんば娘祭り」特集。56年、東宝。
 花嫁は、ダレも会議なんかしない。
 そもそも、ラストにばたばた、結婚が決まるので、未来の花嫁は多数いるのだが、現役?花嫁は、一人も、いないのだ(笑)。題名偽りありすぎ。
 それでも、本当にお気楽なラヴコメ、というよりホームコメディが楽しめる。4/20(金)までの上映。
 以下、ネタバレがあります。

e0178641_2023416.jpg 本作のいちばんの見所は、池部良の二枚目半。千秋実・司葉子の父娘の家に、押しかけ居候の池部、傍若無人の髭面ムサい男、池部のこういう役柄は珍しいが、とうとう床屋で蓬髪・無精ヒゲを剃るハメに。
「どんな風に?」という三木のり平理容師に、ヒゲ面の池部、「バサッとやってくれ。ああいう風に」と眼をやる先には、東宝スタア・池部のカレンダー写真が、という楽屋落ち。
 ははあ、これ小津安二郎「淑女と髭」まんまやないか。案の定、髭をそったら、出てきた顔は二枚目、司葉子もびっくり。
 と言うとこで、床屋ののり平の新妻が、岡田茉莉子、って組み合わせが無茶すぎだが、考えてみれば岡田茉莉子は「淑女と髭」の髭男・岡田時彦の娘ではないか! 岡田茉莉子がのり平の指導の下、池部の髪と髭を切る役。モロ、小津オマージュやないかぁ。
 でも、その岡田が、和服なのはともかく、丸髷の日本髪というのが、時代を考えると珍。この時代でも、丸髷していたのか、東京で。
 最後に、家族の集合写真を撮る。これも、小津オマージュか。
 その写真を撮る写真屋・太刀川洋一が、「上原君、真ん中のおじさん(柳家金語楼)のアタマ、光ってるから、どうにかして」。助手の「上原君」、金語楼の頭を拭き拭き。つまり、若造太刀川の助手役に、上原謙が、台詞なしのワンシーンのカメオ出演。なんか、すごい贅沢だが、よくよく考えてみれば小津安二郎「淑女は何を忘れたか」で、上原謙は「大船の上原」という役名で、台詞なしのワンシーン出演をしている。

 ラストには、兄・金語楼が浪花千栄子と結婚を約す。浪花千栄子は、別の映画でも言っていたが、「これでも、処女でおます」という、卑怯な笑いも。弟・千秋実は、お手伝いさんの相馬千恵子(千葉泰樹「花咲く家族」など)と結婚へ。千秋の娘・司葉子は小泉博と。金語楼・千秋の妹・久慈あさみは、池部と。
 金語楼の娘・雪村いづみ、その家の居候・越路吹雪の、ダブル雪は、ともに歌手。物語とは、一切関係なく歌を歌う、ヴァラエティー。越路が歌う、アジャパー、タイヤキなるいろいろ奇妙なワードを組み込んだ歌が、おしゃれ。気楽に楽しめる娯楽編。 

★新・今、そこにある映画★日本映画・外国映画の、新作感想兄弟ブログ。
★映画流れ者★当ブログへの感想・質問・指導・いちゃ問はこちらへ

★人気ブログランキング・日本映画★
↑↓クリックしていただければ、ランクが上がります(笑)。
にほんブログ村 映画ブログ 名作・なつかし映画へ
★にほんブログ村・名作なつかし映画★
[PR]

by mukashinoeiga | 2012-04-20 00:07 | 小津安二郎映画の正体小津漬の味 | Trackback | Comments(0)

田中重雄「犯罪者は誰か」

 京橋にて。「よみがえる日本映画vol.4 大映篇-映画保存のための特別事業費による」特集。45年、大映東京。あと2回の上映。
 タイトルから連想される、いわゆる犯罪ミステリーではなく、阪東妻三郎が戦時中から、軍国主義に反対した良心派代議士を、演じる。
 そのため、戦後、無事解放されたものの、戦時中は、拷問も受け、ずうっーと、留置されていた。家族とも一切面会出来ず、妻が空襲で亡くなっても、ただその戒名を記したメモのみを、渡されるだけ。

 戦後、いきなり良心派を映画化。はやっ。「日本映画情報システム」HPで調べてみると、45年12月27日、公開とのこと。変わり身、早すぎだろ、大映、田中重雄。しかもお正月映画か。
 ちなみに、「日本映画情報システム」HPでは、本作も含めて、「よみがえる日本映画vol.1~4」特集のすべての作品が、<フィルムセンター所蔵有無:無>と、表示されている。民間の変わり身の早さに比べるまでもなく(笑)、まったく更新しない役人仕事の遅さときたら(笑)。どうせ、ホームページの更新の予算は、ついてません、とかいうんだろ、バカ文化庁。

 変わり身は、早いが、映画自体は、あまり、面白くない。田中重雄は、山本薩夫でも今井正でも、なかったということか。そもそもGHQの時代劇禁止を受けて、バンツマを現代劇に出さねばならん、しかもGHQのOKを取りやすい企画を、というきわめて現実的かつ浅ましい?出自によるものか。
 バンツマ主演作としても、前半は、それなりの反戦演説で快調だが、後半、留置され、発言の機会を奪われると、あの独特のバンツマ節の快感をも封じられるので、盛り下がることおびただしい。やはり、声涙震わせて、ガンガン心情吐露する、バンツマ節がないと、バンツマ映画を見た気になりませぬ。ほんと、<男気演説>させたら、日本一、いやさ世界一だからさバンツマ。
 急造、有り合わせ料理の、しかも<主人持ち>のテーマだからなあ。まあ、その変わり身の速さを確認、賞味するには、最適かもしれん。

 まったく余談だが、バカ高い価格の割りに、まったく有り難味のないのが戒名というヤツで。最近はナシで済ませる例も多いと聞くが、戒名がちっとも重宝されていないのは、物故者、歴史上の人物の人名辞典で、その紹介があまり見られないというのでも、明らか。本作でも、刑務所役人の傲慢さ、小役人ぶりの冷淡さを表わす描写として、戒名メモのみのお下げ渡し、というのが効果的であることからも、故人の写真や遺品などと比べ物にならない、何の感情も誘発しないものの象徴として、登場している。
 それでも号泣するバンツマ。しかし、それは、戒名だから、というわけでは、まったくない。

★新・今、そこにある映画★日本映画・外国映画の、新作感想兄弟ブログ。
★映画流れ者★当ブログへの感想・質問・指導・いちゃ問はこちらへ

★人気ブログランキング・日本映画★
↑↓クリックしていただければ、ランクが上がります(笑)。
にほんブログ村 映画ブログ 名作・なつかし映画へ
★にほんブログ村・名作なつかし映画★
[PR]

by mukashinoeiga | 2012-04-19 08:04 | 旧作日本映画感想文 | Trackback | Comments(0)

田中重雄「別れも愉し」

 京橋にて。「よみがえる日本映画vol.4 大映篇-映画保存のための特別事業費による」特集。45年、大映。あと1回の上映。
 この特集の、本作を除く全作で、フィルムセンターは、大映の東京か京都か明示しているが、本作のみその明示なし。何か理由があるのだろうか。ふつうに考えれば、設定される最寄りターミナル・ステーションが上野なので、大映東京なのだが、あるいは東京ロケを含む、京都作品なのか。単なる、表記漏れなのか。

 また、本作は、歴史的資料として本当に貴重。ある時期の日本映画は(戦前、そして戦後の一時期?)は、冒頭に制作時期、または完成時期を明示していたのだが、本作は、昭和20年8月制作とクレジット。
 敗戦前に企画・クランクインし、敗戦後に完成したと、おぼしい。その実景ロケは、意外に廃墟感・焼け跡感がない。そういう地域を選んだのか、そもそも割りと空襲を受けなかった京都を、東京に見立てて、ロケしたのか。見る限り、実景は、東京にしか見えないが。
 ヒロインは、村田知英子、産科の医者である。夫は、この時期の大映二枚目・若原雅夫。若原の妹に、歌手の役・月丘夢路。♪楽しからずや我らの別れと、NHKラジオで、唄う、その歌が、とてもこの時期、敗戦前後とは思えない、軽快明朗な曲調。
 村田が帰宅する道すがら、村田は背中にヘルメット、いや、当時で言えば鉄兜?か。それを背負っている。目立つ戦前的描写は、これくらいか。これは、戦時中に撮っていて、かなり大規模な屋外移動撮影なので(エキストラも多数)戦後の撮り直しが見送られたのか。しかし、村田以外の群集は、鉄兜を背負っていない。
 というのも、これ以外に、戦時中を示す描写は、目に止まらない。かろうじて、セット撮影での、村田と若原の夜の道行き、暗い夜道の、街灯の、笠はあるが、電球はカラ、という描写くらいか。もっとも、これは敗戦直後としても通用する描写だろうし。この種の荒廃描写は、ほかの時期の日本映画では、まずありえないので、新鮮であった。

 夫・若原は遠洋航海船の船員、ニ年間の遠洋航海(というのが、戦争最末期の設定としては、不自然。何のための航海なんだ)の果てに、ようやく北海道に寄港、のち、船は神戸へと、旅立つ。その間を利用して、若原は鉄道で上野に、5~6時間の東京滞在ののち、神戸へ、という計画。
 二年ぶりに再会する夫と妻、妹。しかし、産婦人科の医者である妻に、難産の患者の出産が迫り、二年ぶりの再開も、おじゃんになる・…はたして、ふたりは、短い、つかの間の逢瀬を味わえるのか・…という、サスペンス?がテーマになるが、とにかくその描写が、かったるいかったるい。とにかく時間がない、という話なのに、のんびりしすぎ。もう時間がない時間がない、というのに、のんびりと会話してたり、いや、もう駅に行かなくちゃ、というのに、次には、うーん、もう40~50分は大丈夫、と。この映画の作者たちは、タイムリミット・サスペンスというものを、丸きり、わかっていない。ああ、歯がゆい(笑)。
 かくて<デッドリミット>は、漸進的に、延長されていく。
(まあ、もちろん、今から約70年前の人々が、現代のぼくたちと、時間の感覚が違うのは、当たり前のこと。それでも、少数の映画的天才たちは、何十年前だろうと、そのタイムラグをらくらくと<越境>しえたのだ。もちろん、それは例外中の例外ではあると、頭では、わかっては、いるのだが)

 月丘の回想に寄れば、若原は当初軍人として設定され、終戦とともに、軍人ではまずい、と無理やり遠洋航海士に設定変更されたという。このへん実に機を見るに敏(笑)ではあるが、その機敏性はストーリー進行には、まるきり生かされなかったようだ。
 この、ほんのつかの間の再開、というのは、戦時の軍人でこそ、生かされるのだろうが、しかし、それでも、ヘンやで。季節は八月、そのつかの間の家族への帰還、という物語は、あからさまに、<お盆に帰ってくる夫>その直喩だか暗喩だか、そのものではないか。
 これがよく、戦争末期の検閲に通ったと思うが、というのも小津安二郎「お茶漬の味」の元ネタが、出征軍人の門出にお茶漬けとは何か、という、無理無体な軍検閲のため、とおらなかった無念を考えると。それがもし実現していれば、桑野通子・佐分利信の、(たぶん)絶対の傑作を、ぼくたちは目にすることができていたのだ! ただ、ただ、無念。
 なお、この時期の大映には、ありがちなのか、ヒロイン・村田知英子に、主役に欠くべからざる主役オーラが、まったくない。ただただジミ、ただただどうでもいい、少しの間しか出ない脇役ならともかく(戦後の村田はそこに、収まった)、オーラの欠如した主役をエンエン見ざるをえない苦痛。別に美人でなくてもいい、主役には天性の主役オーラが必要なので、天然の愛嬌といっていいか、天性の魅力がない主役をエンエン見続ける苦痛たるや、まったく拷問に近いわけで(笑)。
 若原や月丘にはちゃんと備わっている、その天然の愛嬌を、村田は徹底して、欠いている。主役オーラ百点中0点。そういう村田が、主役をしている。監督・プロデューサー、何を、しとるんじゃ。
 しかし、その大映の<禁欲的女優起用>というマゾヒズムはさておいて、この<昭和20年8月制作>映画の、意外な明朗感(映画ゆえにショー・アップされた面もあろうが)は、戦中戦後へのイメージを、代えさせるものがある。

★新・今、そこにある映画★日本映画・外国映画の、新作感想兄弟ブログ。
★映画流れ者★当ブログへの感想・質問・指導・いちゃ問はこちらへ

★人気ブログランキング・日本映画★
↑↓クリックしていただければ、ランクが上がります(笑)。
にほんブログ村 映画ブログ 名作・なつかし映画へ
★にほんブログ村・名作なつかし映画★
[PR]

by mukashinoeiga | 2012-04-18 01:11 | 旧作日本映画感想文 | Trackback | Comments(0)