<   2012年 02月 ( 17 )   > この月の画像一覧

福田純「にっぽん実話時代」

 阿佐ヶ谷にて。「記者物語-ペンに懸ける」特集。63年、東宝。
 ラピュタのチラシでは、タイトルの「実話」に「スキャンダル」とルビがふってあるが、実際上映されたフィルムのタイトルには、ない。
 地味な経済月刊誌が(表紙が二色刷りというような)あまりの不人気大赤字。社長の平田明彦は、これをスキャンダル週刊誌に変えて、黒字化を狙う。呼ばれた新編集長が高島忠夫、早速村上冬樹編集長を追い出して、新体制に。
 これまで、お堅い経済記事ばかり書いていた編集部員たち、藤木悠、田中邦衛、ミッキー<ロボジー>カーチス、ミッキー安川、経理担当の有島一郎、いきなりの三流エロ週刊誌に転換で苦労する・・・・って、みんな、ナンパなヤロウばかりじゃないか、おい。どこが、お堅い経済ジャーナリストか、なんだ(笑)。
 前年の快調川崎徹広「豚と金魚」の松木ひろし脚本だが、妙に、シリアスな部分もあって、不発。
 「豚と金魚」で、胸の谷間を見せまくった若林映子も、トルコ嬢という役回りなのに、寸分の胸チラもなし。やはり「豚と金魚」の特殊性が、ますます浮かびあがる。
 高島忠夫の、チョイワルのエロ・スキャンダル週刊誌編集長(実は、内に秘めたる、腐ってもジャーナリスト魂)という複雑な役回りを、相変わらずのC調ノーテンキさで、ビミョーに表現? いや、こういう、裏を感じさせない、いわゆるスタア演技の役者が、裏がいくらでもある役を演じる、というのも、見ていて、面白い(笑)。こういうのを、真のエンターティンメントと、いうのかしらん(笑)。
 スキャンダルをでっち上げられる美人人気女優に、中真千子。意外と美人だが、正統派オーラも華もない。残念。
 ミッキー・カーチス、ミッキー安川のダブル・ミッキーだが、ミッキー安川は、安川実と、たぶん、本名でのクレジット。高島忠夫の、彼女に、池内淳子。凡監のもとでは、その魅力は、引き出してもらえず。
 なお、村上冬樹の娘の役で、浜美枝。ぼくは、この人の顔、いつ見ても、つんと上向いた鼻の穴が気になって気になって、どこが美人なんじゃ、と、いつも疑問なのであったが、撮り方によるのか、本作の浜美枝は、超絶きれい。<美人女優といわれるけれど、実はファニー・フェイス女優の、美の賞味期限は、きわめて、短い>ということを、証明するかのような、浜美枝だ。ビューティフル。

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by mukashinoeiga | 2012-02-28 01:55 | 旧作日本映画感想文 | Trackback | Comments(0)

今井正「あゝ声なき友」

 三原橋にて。「生誕百年 今井正監督特集・第一部」特集。72年、松竹=渥美清プロダクション。
e0178641_21113193.jpg コメディ俳優・渥美清が、その絶品の、ナチュラル・ボーン・コメディセンスを捨てて、シリアス演技に挑戦。3/2(金)まで、上映中。
 中国戦線を、病気送還されて帰国する兵隊・渥美は、玉砕を覚悟した同僚兵から、家族に当てた、遺書を多数預かる。
「内地に帰ったら、家族に届けてくれ」
 しかし、敗戦国に帰った復員兵は、まず自ら食うものを確保しなければならない。
 自作の掘っ立て小屋に住み着き、担ぎ屋、必死の思いで買ってきたコメを、朝鮮人バイヤー・朴さん(田中邦衛)に買い叩かれる。
 少し前までの敵軍、アメリカ軍払い下げの食材くず(というより、アメリカ軍の食べ残しの残飯生ごみ)を、米軍放出栄養満点シチューに、「改造」して、駅前マーケット闇市で売る。そのシチューには、使用済みコンドームも入っている。
 そのコンドームだって、アメリカ兵が、日本女性に突っ込んだものに、違いない。二重三重に貶められる、敗戦国民。
 生きるに必死で、日本全国に散らばる遺族に、なかなか遺書を届けられないのは、戦後直後の事情、アメリカ軍の無差別市民テロとも言うべき空襲で、多くの都市が破壊され、遺族そのものも多くが死に、生き残った者も、地方への疎開を余儀なくされ、あらゆるインフラが寸断されているので、大勢が「行方不明」という扱いだ。
 先の東北大震災でも、今でも、三千名強が、行方不明という状況だ。その多くは、亡くなっているのだろうが、その亡くなっているという確認が、されていない。いったん、決定的事態になったら、徹底的に、全てが、寸断される。
 e0178641_21123415.jpgということで、乏しいお金をやりくりしながら、手探りの状態で、渥美は、全国の遺族に、兵隊たちの遺書を、届けること、戦後八年。
 今から考えれば、各地方の役場に問い合わせの手紙を書き、あるいは地方新聞に、三行広告でも、出せば、とも思うが、いや、そういうことも実際にしたのを、映画は省略しているのか、実直に、渥美は、長い時間と乏しい旅費で、地方を訪ねまわる。
 あるいは、とりあえず郵便で所在確認。確認が取れたところは、すばやく持参。
 しかし、・・・・そんなに、ほいほい届けたら、映画の絵には、ならないわけですな。
 日本各地を旅し、そのたび各地の絵がロケされる、全国縦断ロケ。日本映画の定番、観光地案内というか、寅さんですね。必ず、寂しい冬の海が映し出され、そこで人々は出会う。
 いや、人が人と出会うのに、冬の海辺というのは、まず選択肢には、ふつうないのですが、絵になる、という点で、映画は、必ず、うそ寂しい海辺で、ひとと人は、会うのですね。
以下、ネタバレがあります。

最初のうちは、それなりに順調。
 元内相・加藤嘉、医師・松村達雄は、亡き息子の最後の手紙を届けてくれたことを、率直に喜ぶ。
 しかし、それ以後は、やっとの思いと犠牲を払って届けた手紙を、「もう、あたしには、どうでもいいの」と無視されたり、届けないほうがよかったケースもあり、悲惨な状況。
 仕舞いには、北村一夫の遺書を届けたら、なんと当の北村一夫本人が出てくる始末。部隊は全滅したが、俺は古参兵なりの知恵で、生き延びた、こんな遺書を、戦後八年もかけて、届ける渥美は、時代遅れの、お人よしのバカだと、ののしる始末。
 たしかに、渥美清は、極めつけの、お人よしの、愚直なだけのバカだ。
 あるいは、岡田民主党幹部のような、コチコチの原理主義者のロボコップか。
 コメデイ演技を封印し、シリアス一直線の、渥美の、渾身の力作は、しかし、どんどん、バカ映画?に、なっていく。
 遺書を書いた北村本人に遺書を届けたり、亡き戦友の妻(相変わらずエロい長山藍子、子供心にTVに出ている長山藍子は、エロいなーと、思っておりました>笑)は、再婚した夫との家庭が、崩壊するし。渥美自身も、新たな職を失うし。
 渥美が、亡き夫たちの遺書を、届けることによって、妻ら遺族らは、どんどん不幸になっていく。あるいは、吉田日出子のようにあらゆる知性を喪失し、無反応、小川真由美のように、夫の遺書を開封することが重荷で、ついに死ぬ直前まで、開封さえ出来ない。
 戦争が奪った、命と、時間は、もう二度と帰らない。<配達>に八年もかけた渥美の思いは、ほとんどが、無視され、不幸を招く。悲惨、徒労の仕事を、渥美清は、演じている。

 その理由は、つまり、明白である。敗戦、焼け野原、食にも住にも窮する、サヴァイヴァル、苛酷な環境激変のゆえに、弱いものほど、貧しいものほど、過去を顧みる余裕も、習慣もないのだ。
 死んだもののことなど、もう、どうでもいい。生きている自分たちの、今日のコメ、明日の安住のみこそが、大切なのだ。死んだ夫の、せいぜい便箋一枚、二枚の遺書なぞという、今日明日の差し迫った食料、住居、幸福追求の前には、何の役にもたちはしない。

 もうひとつは、日本人独特の、昨日の不幸、苦しみ、被害を、「次の日」には、けろっとして、忘れ去る能力。真に、デジタルな思考法?
 広島長崎への原爆、大規模な日本全国への、無差別非戦闘員大量虐殺テロというべき空襲の、犯人・アメリカを、簡単に許し、その戦後チャリティーに、全面的に頼ってしまう。
 ぼくは、常々大笑いしてしまうのだが、こういう、過去の恨みつらみを、水に流す、忘れっぽいデジタル民族がいて、そして、そのお隣りの国は、歴史を改ざんして、資料や証言を捏造して、ありもしない<被害>をでっち上げてまで、過去の<民族的苦痛>を、日々国民挙げて<リニューアル>している、明白な嘘をついても、次の瞬間には、嘘を言った当人が、その嘘を真実と信じてしまう、そういう心性の人たちの国々が、ある。そういう、おかしみ。
 そういう国が、隣どうしというのが、まあ、神様のいたずらというか、プラティカル・ジョークというか、実に、面白い(笑)。
 というわけで、マジメな今井正と、マジメな渥美清のコラボである本作は、まじめでないぼくが見ていると、だんだんギャグ映画の様相を呈していく。実は、年をとってとみに涙もろくなっているので、目を潤ませつつ、ぼくは、笑っているのです。

 ちなみに遺書のあて先は、父親、妻、恋人、姉、弟。
 いちばん、切実にその遺書を欲しがっているだろう姉(博多の倍賞千恵子)、弟(釜石の志垣太郎)は、結局その遺書は届けられず、どうでもいい、恋人未満(香山美子)、開封すること自体が苦痛で出来ない妻(小川真由美)、空襲で発狂し、遺書すら認識できないた妻(吉田日出子)などには、届けられるという不条理。
 妻たちは、所詮仮のつながり、血肉を分けた父親のみが、渥美に感謝する。といっても、冒頭の加藤嘉は、遺書の中の父親批判(いかにも、戦後的発想を、戦争中の軍人がするというのは、左翼フィクションでは、よくあること)に愕然とする。
 ここで、母親に当てた遺書が一通もないのも、左翼・今井正らしい。遺書を見て、涙にかきくれるというのは、戦争否定の、左翼・今井正とは、ご不満か。ちゃんと、靖国神社は、茶化しの対象だし。
 いっそ、完全茶化しの遺書配達人・渥美清を、見てみたかった。監督は、もちろん、森崎東ね。
◎追記◎とは、言うものの、左翼作家のお決まりは、日本という国の体制、支配階級の横暴が、悪い、一般庶民は、悪くない、というのが、基本のスタンスのはず。
 ところが、本作では、簡単に過去の悲劇を忘れるのは、今の生活にかつかつの一般庶民の方。
 特に、出し遅れの証文みたいな、数年~8年前の、死んだ夫、死んだ恋人、つまり<元オット><元カレ>の、便箋1・2枚の遺書など、現在の<女の幸せ>には、まったく何の役にも立たないという、庶民の、女の、リアリズム。
 そう、<庶民のリアリズム><女のリアリズム>のまえには、いささか、<共産党左翼作家>今井正も、カタナシというところか。職人に徹して、とりあえず、作った映画。
 だから、ラストの、渥美清の呆然とした顔が、とってもリアル(笑)。

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by mukashinoeiga | 2012-02-27 01:26 | 今井正 青い左傾山脈 | Trackback | Comments(0)

マキノ雅弘「女組長」

 渋谷にて。「次郎長三国志&マキノレアもの傑作選!」特集。70年、大映。
 マキノ雅弘「赤城の血祭」の、同時上映ゆえの、再見作。しかし、記憶力が、異常に弱い(笑)ぼくが再見しても、細部をはっきりくっきり覚えているのは、さすが、マキノ。 
 明治の頃の新橋駅、その駅前の、やや外れたあたりを大オープンに組んで、汽車は出せないものの、ちんちん電車も走る、末期大映としては、まあ、破格のオープンセット。
 まあ、その市電も、あまり早く走れないいいわけに、たびたび葬列や、火事場騒ぎで、徐行運転、ないし停止。ここら辺は、演出の見せどころか。

 江戸以来の名物・町火消し、ゐ組の頭が殺された。あとに残る、平泉征、成田三樹夫などの若者ばかりで、いささか頼りない。後見役の佐野周二も、め組の頭だから、イマイチ、片手間で。
 ここで頼りになるのは、オトコ顔・江波杏子、死んだ頭の娘。といっても、十三の年から、山田五十鈴に預けられ、今では、立派な芸者稼業、火消しの、ひの字くらいしか、知らない。
 ゐ組の頭、江波の父を殺したのは、悪徳ヤクザ・水島道太郎、悪徳代議士・金子信雄(今でいえば、小沢一郎のイメージ)と、結託して、新橋駅の鉄道貨物の荷役、駅拡張の土木関係を、ゐ組から奪い、独占契約をしようという。マキノ的典型的な、新興悪徳ヤクザと、旧弊本格ヤクザの、拮抗。
 そこへ、殺された親分の娘が、芸者という新機軸。いや、マキノ的には、ちっとも新機軸ではなく、これが、マキノ気力充実の、東映60年代の、男・高倉健、女・藤純子の、コンビなら、絶品の傑作に、なっただろう。
 しかし、おそらくマキノの映画的気力も衰え、東映とは違う、江波、成田らの、大映男女俳優独特のクールなティストは、やはり、マキノには、あわなかったか。
 しかも、高倉健に当たる流れ者ヒーローに、なんと、佐藤允。佐藤允と、その愛人(江波の先輩芸者)は水野久美(関係ないが、最初の漢字変換は水の汲み、これもダジャレネーミング?)、ともに東宝系だが、クレジットに、<山田五十鈴(東宝)>のように、東宝のカッコつかず。山田五十鈴は、舞台の関係で、東宝専属という形で重視されていたが、佐藤允、水野久美クラスだと、この時期、東宝専属を外されていたのね。
 つまり、東映の、健さん、純子にこそ、ベスト・マッチングな、この時期のマキノが、大映・江波、成田、平泉、もと東宝・佐藤、水野、もと松竹・佐野、らの、ビミョーにマキノと違うティストの、あるいは、映画文化が異なる役者を、まあ、ぼちぼちと、まとめている。
 そういうマキノの頼りは、悪役としても絶対の安定感・盟友水島道太郎! いつもはどもりの三枚目などをマキノにフラレることの多い、超身内・津川雅彦が、箱屋(いわば、芸者のマネージャー)ながら、きりりとした二枚目。このふたりの、超絶安定感こそ、マキノのしるし。
 いつもおなじみ、マキノ調と、マキノならざる部分が、混在する。
 大映最後の大作映画の輝きと、下降するマキノ演出の、時代的クロスが、交差する。
 ただし、江波杏子のヒロイン、佐藤允のヒーロー、なんか、ずっこけるんだよなー。ビミョーであるがゆえに、マキノ的快の、よって来るところが、ひしひしわかる。
 
 しかし、人間、年をへると、顔は大幅に変わるが、声は、あまり、変わらない。なのに、平泉征、この当時の低い声が、近年物まねされる平泉の声、おもいきし違うじゃない。

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by mukashinoeiga | 2012-02-24 23:25 | マキノ残侠伝 雅弘仁義 | Trackback | Comments(0)

名画座かんぺ 第2号(2月号)

 阿佐ヶ谷に映画を見に行ったら、チラシ・コーナーに、手書きコピーの、名画座案内があった。
 古書店アルバイトらしい「のむみち」さんが、都内6館の名画座の、月間予定表を、私費で出した、両面コピー紙。
 うーん、ネット全盛時代に、昔なつかしの、手書きコピー情報誌とは。さすが、古書店勤務のアナログ魂?
 手書きでちと読みにくいのは難点なのだが、ネット最大の欠点、各映画館の予定を見るのに、いちいち、ぽちぽちと、画面を開かなきゃいけないのは、明らかに、メンドーなんだよ。いっぺんに、各予定が見渡せる、パノラマ・スケジュールは、ネットには、無理なのか。
 手書き、個人のがんばり、難しいと思うが、これからも、続けてもらいたいもの。

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by mukashinoeiga | 2012-02-22 23:59 | 旧作日本映画感想文 | Trackback | Comments(0)

マキノ雅弘「赤城の血祭」

 渋谷にて。「次郎長三国志&マキノレアもの傑作選!」特集。55年、新東宝。
 なんじゃーあ、こりゃあ!!
 とても、マキノ映画とは思えない、もたもた、どたどたした、このもっさりとした演出は。
 たるい、たる過ぎる。
 シネマヴェーラのチラシ解説に、よくぞだましたり、「マキノらしい軽快な股旅もの」、ぽくが見たマキノ映画の中で、もっとも、もっさりとした鈍重な演出、明らかに投げたような演出。
 シネマヴェーラ、お前は、マキノの映画を、見たことが、あるのか。
 多少でも見た上で、本作を「マキノらしい軽快な股旅もの」と、言うのか。ばか者が。軽も快も、ないぞ。
 たぷん、助監督に丸投げなんではないか、という鈍重ぶり。
 おそらく、原因は、八木保太郎、関沢新一の、かっきりした、脚本にあるのでは、と見た。マキノ的改変の余地もないほど、かっきりしすぎた(笑)脚本のせいか?

 本作はW主演、若き、かっこよく、オーラのない、北上弥太郎の、旅人。田崎潤の国定忠治。
 本作の国定忠治は、新機軸。この、有名な<庶民のヒーロー>を、悪代官、悪徳商人と結託した、それなりに悪い親分として、描く。悪代官(役名が吉田茂兵衛、というのが、ずっこける。こういう、底の浅いギミックは、マキノ的ではないのは、いうまでもないところ)。悪徳商人(江川宇礼雄が、それでも、軽快に演じる)らに、操られ、だまされているにしても。
 嫌がる島崎雪子を、無理やり暴力で強姦、というのも、庶民のヒーロー・忠治としては、どうなのか。しかも、それまで、忠治を嫌い抜いていた島崎雪子、犯されたとたん、一心に忠治ラヴ、って、島崎雪子おまえ(笑)。レイプも、レイプが生んだ?愛も、ともに、マキノの、許容範囲を、超えてるだろう。
 北上の恋した筑紫あけみ、北上の相棒の恋した池内淳子、田崎忠治の、レイプが産んだ恋女房・島崎雪子と、三組のカップルが、っていうとこも、シンプルを旨とする、マキノには、あうまい。せいぜい、マキノは、二組までだよ。シンプル・イズ・ベストが、マキノだもの。
◎追記◎本作は、デジタル素材による上映。新東宝の著作を継承した国際放映は、小津、成瀬などの有名作を除いては、フィルムを保管せず、なに、名画座の上映? デジタルで充分だろ、の態度を堅持。それにおとなしく従う名画座も名画座だが、そのおかげて、マキノにも、シンからひどい作品があることがわかる。ところどころは、いいんだけどね。
◎再追記◎たびたびの歌、踊り、マキノ的な群集モブ・シーンと、いたるところに、マキノ・エッセンスをちりばめているのは、認めよう。しかし、それらが、ことごとく、いつもの<マキノ的快>に、至らぬという。マキノイズムの、死屍累々。

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by mukashinoeiga | 2012-02-21 23:53 | マキノ残侠伝 雅弘仁義 | Trackback | Comments(0)

光市母子殺人事件~事件は、現場にしかない

 事件は、現場にしか、存在しない、と、仮定すること。
 今日、光市母子殺人事件に、判決が下り、被告に死刑が、確定した。
 「事件が起こった時点で、勝者は誰もいない」という、本村洋さんの発言は、きわめて、重い。

 事件は、現場にしか、存在しない、と、仮定すること。
 事後の、加害者の反省は、現場には、ない。日本の司法では、被告が、事件後、反省を示すと、情状酌量の対象になる。しかし、その、反省は、「現場」には、なかったもの。
 反省なら、猿にも出来る。事後の反省による情状酌量は、軽犯罪、中犯罪なら、いいだろう。しかし、相手は、すでに死んでいる、殺人事件なら、加害者のみ、事後の心情変化が酌量されるのは、おかしいだろう。
 たとえば、軽犯罪なら、加害者も、事後、心境が変化した。被害者も、事後、心境が変化した(「オレも悪かった」という日本的心情パターン)、というわけで、互いの心境変化を勘案して、<喧嘩両成敗>という、日本的発想は、まあ、ありうるだろう。大岡裁判の<三方一両損>ですな。
 しかし、殺人事件では、被害者の、心境変化は、ありえない。
 左翼お得意の平等原則から言えば、明らかに、加害者の事後反省による、加害者の罪の減却は、おかしいだろう。被害者と加害者を、イコールと考えるのは、心苦しいが、仮にイコールだとしても、死んだ被害者は<事後の心境変化>など、ありえない。なのに、なぜ、加害者のみ、<事後の心境変化>を、考慮されなければならないのか、左翼お得意の平等の原則に、反するのではないか。

 同様に、なぜか、計画的な犯罪に比べて、計画的でない、思いつき犯罪のほうが、罪が軽い。これも、<犯罪計画>なんて、加害者の頭の中にしか存在しない。はたして、今、襲ってくる加害者が、計画的に自分を襲っているのか、あるいは、無計画に思いつきのままの気まぐれで、自分を襲ってきているのか、被害者には、まったくわからないことだ。というか、襲われているという事実の前では、そんなこと、どうでもいいことじゃないか、被害者にとっては。
 事件は、現場にしか、存在しない、と、仮定すること。
 <加害者の頭の中>にしか存在しえない<犯罪計画性>なぞ、現場に、あるのか。
 むしろ、単なる思いつき、気まぐれ、自分勝手な性欲などのせいで、殺されるほうが、罪が重いべきなのでは、ないか。いや、被害者にとって、その差異は、殺されたことに比べれば、どうでもいいことでは、ないのか。

 という論理で言えば、加害者が、母親の自殺、父親の虐待により、精神年齢は18歳以下だった、という<過去の事情><加害者の事情>は、現場に存在するとも、存在していないとも、ぼく的には、どっちにも決められないファクターだ。
 しかし、この場合でも、それは、はたして、<理論>なのか、<事実>なのかも、判別しがたいことだし。さらに、加害者が、その父親を殺したというなら、その情状酌量は、充分、土俵に乗りうるだろう。
 ところが、この事件の被害者の母子は、そういう加害者の、対父親への葛藤、母親への想いなど、まったく関知>していない。
 <被害者が、まったく知りえない、加害者の内的事情>など、現場には、<まったく存在しない>のでは、ないか。被害者と、加害者が平等だというのは、ホントに、心情的に不謹慎なのだが、仮に平等だとして、加害者のみが知りうるコンプレックスが、被害者のまったくあずかり知らぬものであるなら、<それ>は<現場>に、ないのでは、ないか。
 事件は、現場にしか、存在しない、と、仮定すること。
 事件が、加害者と被害者のコラボレーションであると、ドラスティックに仮定すれば、<加害者の内的事情>など、被害者のまったく関知しない、一方的事情なのだから、それは、現場には、存在しないのだ、ということ。
 現場に存在しないことは、一切考慮から、外す、それこそ、シンプルでは、ないか。

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by mukashinoeiga | 2012-02-21 00:04 | うわごと | Trackback | Comments(0)

TV「運命の人」(第6回)で大笑い

 冒頭、西山太吉こと、本木雅弘が、妻・松たか子に、
「おまえ(妻)が納得できるように、彼女(愛人)のことを、説明しろというのか!」
と、激怒。
 そうなんだよ、そうなんだよ(笑)。
 戦争もしないのに、平時に、領土が、帰ってくるんだよ。
 世界情勢、厳しいよ。大きなギヴがあるときに、ささやかでも?テイクがないと、ふつう、そっちのほうが、おかしいでしょ。
 ところが、当時の日本国民は、ある意味温室の中(それは、今も、変わっていないか)。
 西山太吉こと、本木雅弘に、言いたい。
「おまえ(日本国民、またはマスゴミ)が納得できるように、彼女(対米密約)のことを、説明しろというのか!」
 まったくのただで、領土が帰ってくると、思っている、毎日新聞、西山太吉らマスゴミのほうが、圧倒的に、おかしい。そうじゃないの。でも、そう思っている、狂ったやつらがいるから、隠さざるをえない、<密約>にならざるをえないのだろう。
 ただじゃ済まないんだけど、毎日新聞をはじめとしたマスゴミは、日米は対等であるべきなんだから、沖縄は、ただで、返してもらうべきだと、言う、んだろう。でも、そりゃ、子供の理屈で、厳しい世界情勢のなかでは、まるきし通らないよ。
 そりゃ、アメリカも、カッコツケだから(当時は、超大国だから、そのカッコツケが、奇跡的に、奇跡的にだよ、通っちまった。これは、今でも、ホント、不思議)「いいよ、いいよ、預かっていた沖縄、ただで返してやるよ、オレって世界一の正義漢だからサー。ま、東西冷戦もあるから、そこんとこ、よろしくー。ソ連は、北方領土盗んだままだけど、おれっちは、沖縄、ちゃんと、返してやるんだからサー、ヨー、ホホホーイ」なんて、偽りのカッコつけ。でも、その裏で、「ちょっと色つけてよ」「あっ、そですね」と、阿吽の呼吸。ま、そんなもんだ。
 妻にも説明できない<浮気>もある、その時点で<密約>も、致し方ないこともある、と、気付けよ、西山太吉=本木雅弘。
 こうしたことで、<日米密約>を叩くくらいなら、ねー、毎日新聞よ、アメリカは、ともかくも、沖縄を返した。なら、ソ連は北方領土を返せ、韓国は竹島を返せ、そういうキャンペーン、すべきだったんじゃないの、ねー毎日新聞さんよ。
 まー、無理難題でしたか。<心の宗主国>ソ連や<からだの宗主国>韓国への、非難キャンペーンなんて、左翼の侮日新聞には。

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by mukashinoeiga | 2012-02-20 01:21 | うわごと | Trackback | Comments(0)

マキノ雅弘「悪名一番勝負」

 渋谷にて。「次郎長三国志&マキノレアもの傑作選!」特集。69年、大映。
 マキノ監督、勝新主演。このふたりには、共通点があると思う。単純化すれば、
 <浪花節とモダニズムの、泥臭くも、粋な結合>
 単純に考えれば、相性は合う筈なのだが、前に見た、同様コンビ作(大映の「玄海遊侠伝 破れかぶれ」本特集でも、20・21日上映)と同様に微妙に相性は狂い、イマイチな感じ。
 マキノ雅弘「次郎長三国志 第五部 殴込み甲州路」の同時上映ゆえの、再見作。
 悪名シリーズ最終作、大映としても、どん詰まりの映画だ。シリーズの要というべき、勝新の弟分・田宮二郎が、出ていない状況。マキノVS田宮、見てみたかった。悔しい。マキノと、田宮二郎、絶妙に相性よかったのではないか??? 残念。
 マキノ組常連・津川雅彦が、どもりの若い衆。金子信雄が、珍しく善人役、ただし、息をするように嘘をはく朝鮮人。水島道太郎が、立派な?悪人で、その立派な悪人ぶりに、惚れ惚れ。
 おきゃんな安田道代は、絶品にセクシー。山本学は、いかにも、線の細い世間知らずのインテリ組長で、その妻・小川真由美は、例によって大雑把な女。江波杏子は、最初のうちこそ、いいとこの、しかし没落した、生娘のお嬢さんで、まったく似合わないが、三年後と字幕が出たあとは、ヤクザな女壷振り師になって、観客を、落ち着かせる。
 絶対の安定感。
 ただし、勝新、江波、安田は、マキノ的には、雑味のきつすぎる俳優たちであるのか、イマイチ、マキノ節に、乗れず。江波は、固すぎ、ぱさぱさでマキノ的色香出ず、勝新、安田は、自由すぎて、禁欲感なく、ばさばさで色香出ず、それぞれ、完璧なマキノキャラ、藤純子、高倉健に、はるかに及ばず、あるいは、引退が近づいたゆえの、マキノ節の衰えか。
 同じ大映なら、酸味のきつい勝新ではなくて、アルカリ性?な、田宮か、雷蔵とコラボしたマキノを、見てみたかった。せん無い夢ではあるが。

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by mukashinoeiga | 2012-02-19 21:52 | マキノ残侠伝 雅弘仁義 | Trackback | Comments(0)

マキノ雅弘「次郎長三国志 第五部 殴込み甲州路」

 渋谷にて。「次郎長三国志&マキノレアもの傑作選!」特集。53年、東宝。
 内容云々は後述するとして、まずはオドロキの映像体験に悶絶する(笑)。
 今回のプリントは、キズ・汚れは、ほとんどない。そういう意味では、きれいなプリント。
 ところが惜しいかな、ペナペナのプリント。たぶん、よくわからないが、昔のフィルム用潤滑剤が悪いと思うのだが、つまりフィルムが映写機を1秒あたり24コマの高速で流れていく、そのために潤滑剤は欠かせない、ところがそのフィルムに塗られた潤滑剤が、酸化して、酸っぱい臭いを発生させるようになると、ヤバイ。
 フィルム面がデコボコして、つまり凹凸が発生すると、おおむね、画面左右はピントが合うものの、中央部が、ぼける。
 フィルムのまだらぼけ。通常は、まことにウザいものなのだが、ところが本作のまだらぼけは奇跡を起こす
 基本、クリアな映像。撮影飯村正の、焦点深度の深い、白黒ゆえのクリアな映像。もちろんいまどきの、アップばかりの、味気ないTV的映像ではなく、バスト、ミディアム、ロング・ショット、ロング・ショットの、美しい連発。大事なことだから繰り返しました、ロング・ショットの美しさ、いまどきの映像屋には、まったく理解できないだろう映像美。特にモブシーンには、マキノの絶対の演出(サポーテッド・バイ岡本喜八)が、美しすぎる。
 で、そこに、ピントまだらぼけ。
 クリアな映像と、ボケ気味の映像が、ひとつのフレームで、混在する。
 そうすると、なんと、擬似3Dといいますか、ふつう3Dというと、右目と左目の受信する、差異ある映像が、偽りの3ディメンションを擬似的に再現するもの。3D自体が、すでに擬似映像なのだが、さらにその擬似という。圧倒的に、素晴らしく、美しい3D映像に、まるで窯で焼いた土器が変化(へんげ)するように、より高度な進化映像となる。
 画面のおうとつ(凹凸)が、あったとしても(実は古フィルムではよくあることだが)こんなことには、めったにならない。奇跡的。ローテク・フィルム固有の劣化が、最新の映像的ギミックの擬態に、似てしまうという。
 あるいは。名前は知らないけど、有名な写真家がいるでしょう。空撮でビル街とか、住宅街を写して、極端に一部分にピントを合わせているために、その周りはボケボケで、まるで、ミニチュアの街に見えるという写真家の写真。それと同じ効果が。それが、いきいきと動いている映像。
 立ち回りも、みこしを担いだお祭りも、街道を、山道を、歩いていく股旅姿の次郎長一家も、地味に劣化して、ぼけた映像の果てに、結果的に、映像の多重的な豪奢さを、感じさせ、擬似3Dの偽りの映像が、とても面白い。なんという踊る映像。ローテクゆえの劣化の果ての、ズレの果ての、漸進的新しさの、快楽。

 ということで話の内容だ。
 全9部作のシリーズものだが、マキノ好きのぼくも、このシリーズは始めて。しかも、いきなり第五部がシリーズ初見。シリーズ物は、必ず順番に見る、というHeroさんからみれば、信じられない事態か。
 なぜ、ぼくがこのシリーズ(シネマヴェーラのチラシによれば「のちに再評価され、日本映画の最高峰という声も」とか)に食指が動かなかったか。
 はっきり言って、いわゆる次郎長サーガには、まったくストーリー的に食指が動かない。
 こういう、若衆宿的な親和性といいますか、若いヤローどもが(実際演じている俳優は、いいおっさんどもなのだが)わいわいがやがややっていて、しかも、そこに何の緊張感もない、物語の面白さも何もない、ただただ、次郎長オヤブンとその子分たちの親和的な集団である、しかもヤクザの集団なのに、正義の味方集団でもあり、そういう正義の味方集団が、面白いかというと、まったく面白くなく。
 子分たちは、次郎長親分が、いい親分だいい親分だと、盛んにはやし立てるが、どこが、いい親分なのか、さっぱりわからない。子分たちも、いい大人が、わいわいがやがや、集団で話し、集団で動き、集団で泣く。何の芸もなく。気持ち悪い。
 若衆宿的な、ホモソーシャルな、親和的な集団行動、団体行動。こういうのが、ぼくは苦手であり、それが、いかにも楽しいものだと(まあ、大部分の人々は、そう思うのかもしれないが)、そういう心性がまったく信じられないし、そういうことを楽天的に信じることは、はっきり、言って、異常だ(笑)、とすら、思いますね。
 次郎長を演じる、小堀明男、主役たるオーラなし。見ていて、快なるものをまったく感じない。こういう男を、いい親分だ、と持ち上げる子分どもの感性も、おかしいだろう。
 田崎潤、河津清三郎、田中春夫の子分どもも、本来なら、その悪相?からして、悪者系、野獣系の奴らだろう。そういう奴らが、ニコニコほのぼのの、いい若い衆を演じることの違和感。その気持ち悪さ。
 森の石松・モリシゲが、まったくはじけず。こんなへんてこ親和性集団に埋没して、ひたすらジミ。偏見を承知で言えば、A型ばかりの、堅物集団に混じりこんだ、ただひとりのB型みたい。
 そうか、B型のぼくが、いわゆる次郎長モノになじめないのは、四角四面の、予定調和の、はみ出しモノ集団のはずなのに、だれひとりとして、はみ出さない、超A型集団たる<次郎長一家>の、胡散臭さ、紋切り型に、なじめないからなのか。

 ぼく的には、ドラマ部分では、定番を外さず、まったくさえないが(大部分の人はそう思っていないから、人気シリーズになったのだが)が、一家の旅姿、みこしを担ぐ祭りシーン、夜間のたいまつ集団が一家を捜索するシーン、立ち回りシーンの素晴らしさは、驚嘆に値する。
 それぞれのロングショットの素晴らしさ。本作では、バカなヤツらどもが、ニヤニヤ<歓談>する、生ぬるいシーンをのぞけば、まったく素晴らしいショット、シーンが連発される。
 特に、夜間の立ち回り、光と影のショット、そのシーンなぞなぞ、スピルバーグ小僧なんぞ、はだしで逃げ出す素晴らしさだ。
 その素晴らしいショット、シーンの数々、それが、フィルムのデコボコ化、というローテクゆえの劣化により、素晴らしい異効果ハイテク?ショットに<窯変>、まさに時の流れによる<窯変>というしかない、美フィルムに変化(へんげ)する、奇跡。

 次郎長の子分ブタ松(加東大介)が、クライマックスの闘争で、戦死。次郎長一家みんなが、その死を悼んで、大泣き。そこで、思い出した。
 昔読んだマキノの回想記(マキノ映画どうよう異常なまでに面白い。あるいは、シリーズ助監督・岡本喜八の回想だったか)で、黒沢明「七人の侍」に加東を出演させたいため、本作撮影中のマキノ組に、東宝本社から電報が届く、「ブタ松、殺せ」。
 つまり、次郎長シリーズレギュラーの加東大介を、劇中で殺してでも、マキノ組の出番を早く終わらせ、黒沢組に、早く加東を差し出せ、と。
 上下関係の厳しい芸能界で、若い黒沢組のために、大先輩のマキノ組を、犠牲にする。巨匠黒沢に対して、便利屋、早撮り屋と軽んじられていたマキノの面目躍如?(逆面目躍如か)というところか。
 だから、ブタ松の死を悼んで、おお泣きする、田中春夫たちの、わざとらしい大泣き演技に、ついにやにや。
 また、石松・モリシゲが、目を斬られて、のちの片目となるシーンも、あり。しかし、こんな、石松にとっては、決定的な素晴らしいエピソードなのに、モリシゲの扱いは地味。やはり、A型集団の中の、差別されてるB型の宿命か。
 というわけで本作、ストーリーなどは絶対的につまらないが、窯変前の映像、窯変後の映像は、ともに絶美。
◎追記◎思わず、したり顔で、若衆宿などと書いてしまい、今の若い衆はまったく知らないだろうことなので(もちろん、ぼくなんかも知らないが>笑)、若衆宿には、ホモソーシャルな意味のみあり、ホモセクシャルな意味は、まったく、ない。誤解なきよう。

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by mukashinoeiga | 2012-02-19 01:25 | マキノ残侠伝 雅弘仁義 | Trackback | Comments(0)

久々にTV「運命の人」見たら爆笑

 日曜夜九時のTBS系ドラマ「運命の人」(山崎豊子原作未読、豊子ファンとしては、今度、読んでみようかな)を、今回は、第五回か、初回以来久々に見た。
 演出も、まあTVドラマの平均的水準なのか、ほんとに、うすっぺらくて、どのシーンも、あまりに薄くて、失笑する。真木よう子の夫・原田泰造も、いつものキレがなく、なんだか、ぺらいコントみたいな演技で。すごくいっぱいの豪華脇役陣が、ことごとくペラい演技なのは、一種の奇観ですらあると思う。
 それはさておき(笑)、マジメなドラマなのに、大爆笑しましたね

 大爆笑その1 毎日新聞・西山太吉記者をモデルとした、本木雅弘、その妻・松たか子は、メディア人と、その妻にもかかわらず、いったん自分が取材対象となるや、一切の取材拒否。なんという<倫理観の欠如>(笑)。
 まあ、家族である松たか子はともかく、本木雅弘は、一応、取材は、受けるべきだろう。取材を受けた上で、ノーコメント、と、声明すれば、いいだけの話だろう、同じマスゴミ人としては。
 あまりにあからさまの取材<無視>が、彼らマスコミ人の卑しい出自を露呈しているか。松たか子とその子供たちに、無理やり取材する週刊誌記者の描写は、マスコミ人のいやらしさを、描き、えー、これって、<国家権力を暴く、高潔な記者の物語>なんだったのじゃないの。なに、この、マスゴミ描写は。
 ひょっとして、いつもの、お得意の、ダブル・スタンダード?(笑)

 大爆笑その2 佐藤栄作をモデルとした北大路欣也が、沖縄返還と引き換えに総理引退を表明する、記者会見。例の、有名な、TVカメラだけ残して、新聞記者は出て行け、というシーン。TVカメラは、ストレートに事実を伝えるが(それも、違うと思うが)、新聞は、でたらめ嘘八百を書くから、信用できない、と言う。
 それに反論するのは、読売新聞・ナベツネをモデルとしているという、大森南朋記者。大見得を切る。
「われわれ新聞は、信念にもとづいて書いてます」
 え、新聞って、「事実」にもとづいて、書くんじゃないの??(笑)
 佐藤栄作が、事実にもとづかない、でたらめなことを新聞は書く、だから記者会見から出て行け、というのに、その反論は「いや、新聞は事実を書いてます」しか、ありえないだろう場で、「信念で書いてます」って。ここで「信念」って言ったら、「事実を曲げて、オレのイデオロギーで、書いてるぞ」というに、等しいことだろう(笑)。さすが、ナベツネ、共産党出身だ。
 それで、一斉に新聞記者たちが、会見場から出て行く。
 そうか、新聞記者って、「事実」ではなく、「信念」にもとづいて、書いていたのか。
 これこそ、語るに落ちる、ということか。

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by mukashinoeiga | 2012-02-12 22:51 | 旧作日本映画感想文 | Trackback | Comments(0)