<   2011年 03月 ( 19 )   > この月の画像一覧

山村總「沙羅の花の峠」

 京橋にて。「よみがえる日本映画~映画保存のための特別事業費による」特集。55年、日活。
 見るのは二回目だが、改めて素晴らしいのを、再確認。
 2時からの回の清水宏「霧の音」が本命で、本作を前座代わりと再見したのだが、食事して、ちんたらとフィルムセンターに戻ったら、なんと上映20分前に、満員札止め。本命、見られず。
 本末転倒。
 本来は平日に見る予定が、震災による上映中止で、やむを得ず日曜にアタックしたが、予想が甘すぎた。フィルムセンターは、上映中止分をいずれ、追加上映するべきだ。
 さて、「沙羅の花の峠」の素晴らしさを語る前に、本作のきわめて特異な点を、先に。
 これはぼくもたびたび言っていることだが、いわゆるOLD映画三大お宝?映像

 豊田四郎「雁」53年、大映東京。★浦辺粂子、巨乳バスト全開。
 成沢昌茂「裸体」62年、松竹大船。★浪花千栄子、乳首全開
 山村總「沙羅の花の峠」55年、日活。★東山千栄子、巨乳バスト全開。

 これが、果たしてお宝映像かどうかは、全身全霊で疑問だが、特に浪花千栄子の超痩せぎすボディでは、乳首はあるが、乳房が、まるきり全然、ない。東山千栄子も巨乳は巨乳だが、たるみにたるんでいる。なかでは、意外にも浦辺粂子の巨乳は、まあ、美乳といっていいだろう。ま、この三人のなかでは、というエクスキューズつきで。
 東山は小津安二郎「東京物語」53年、松竹大船の、2年後。息子役でもあった、山村總が、かつて母親役であった東山を、脱がせたの図。
 草深い山奥の村、病人が出ると、もちろん無医村、頼みは、祈祷師のばあさん。安静にすべき、苦しむ病人の枕元で、があがあ、祈り倒す。それが東山千栄子。
 頑迷で無知、反近代、反知性、反都会、その象徴みたいな存在。そして、時は真夏。
 汗も噴き出す季節。しかも、東山は、肥満体質。
「で、あるから」いかにも理路整然と山村總。「草深い田舎の、ばあさんは、当然、もろ肌脱いで、人前で乳を出し、平然と大笑いする。それが、リアリズムというものでは、ありませんか、ねぇ、東山先生、そうじゃありませんか」
 山村總に、理路整然、しかも熱情を込めて諄々と説かれたら(推測)、東山先生も、ぐうの音も出ないだろう(推定)。

 しかしモンダイは、50年代~60年代初期は、邦画メジャーの一般映画では、女性のバストは、ご法度だったこと。バストトップはおろか、胸の谷間すら。なのに、なぜ。
 もちろん、例外はあった。いわゆる、南洋の原住民女性なら、バスト全開もオーケー。実際の原住民女性だけではなく、その役を演じる日本人女優でも、オーケー。佐藤武「スラバヤ殿下」55年、日活でも、確かジプシーローズが、南洋の土人の酋長の娘(♪い~ろ~は黒いが~南洋じゃー美人ー)を演じ、バストを出しても、オーケーだった。 
 南洋では、それが事実だったし、南洋の土人なら、劣情は、催さないよな、という、公然たる差別意識。
 で、次の段階としては、若い女優のヌードはまだまだ無理だが、おばあちゃんなら、劣情は、催さないよね、<対象外>だから、オーケーだよね、というエクスキューズ。
 かくて、おそらく監督たちは<必然性のあるヌード>を、戦前からのキャリアのヴェテラン女優たちに要求した。
 ただし「裸体」浪花千栄子だけは、ちと事情が異なる(と、思う)。
 溝口映画で、新人女優の所作教育係でもあった、溝口映画新人女優担当鬼軍曹であった浪花は、「裸体」というタイトルの映画で、ひとつも裸体が出ないのはまずい、しかし主演のサガミチは、もちろん、脱がせられない。映倫が許可しないし。じゃ、おなじ溝口組の仲じゃないですか、ここはひとつ、浪花さんが・・・・、と監督はもちろん言わないが・・・・言わないが・・・・よく言えば阿吽の呼吸、悪く言えば同調圧力、新人女優サガミチの盾となって、ない胸をさらした(推測)。
 まあ、銭湯のシーンだから、一応必然性はあるわけだ。死せる溝口、生きる浪花を脱がす。
 で、浪花は、おそらく、狂った。
 銭湯の脱衣所のシーンの、激しい身振り手振りの異常さ。クサい。クサ過ぎる。信じられない。
 浪花千栄子は、どんなときでも、たとえどんなえげつない役柄を演じるときも、過度に走らない、たおやかな、品のある、節度ある演技が、その味で。あれだけ品があって、しかもスピード感があって、圧倒的な演技。
 その浪花が、一時的にせよ、狂った。溝口映画の思い出のために脱いで、結果、溝口なら絶対にオーケーしない演技をした。皮肉。
 いっぽう「沙羅の花の峠」の東山は、がははと、余裕のヌード。
「カントクぅ、これでい~い。ホントに、あたしみたいなおばあちゃん、脱がせて、ナニが楽しいのかしら。じゃ、あたし、舞台があるから、これで、帰るね」
「いやあ、東山先生、リアリズムですよ、リアリズム。ぼくは、ねえ、こう思うんですよ」
 以下、延々と演劇理論を語るも、東山先生は、とっくに帰ってしまっている(推定)。
 それをひたすら拝聴しているのは、新人女優の南田洋子、芦川いづみ。東山先生から「あんたたち、あたしの代わりに山村理論、聞いておくのよ」といわれたもので(妄想)。
 同じく新人の宍戸錠は、「リアリズムゥ? イカさねぇな。それより、ババアの裸の口直しといこうぜ、そっちのほうが、おれらのリアリズムだぜ」と、ロケ地の村娘のナンパ(たぶん)。

 長くなったので、「沙羅の花の峠」その美質については、また後日。
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by mukashinoeiga | 2011-03-31 23:35 | 珍品・怪作の谷 | Trackback | Comments(0)

続々・石原慎太郎「暴言」はなぜ非難されないか・その理由

 今生陛下を唯一の例外として、この60年間の、わが国のメディアの第一線に常に立ち続けてきたただ一人の男、石原慎太郎が、手に入れたキャラが<やんちゃなガキ大将>。
 そして、左翼ババア諸君に代表される、石原「暴言」に抗議する人たちが、自然に体現してしまうキャラが、<くそマジメな学級委員長>タイプ。
 石原慎太郎VS左翼ババア諸君
 この対立の中で、一般論として、権力者はどちらか、というと、疑いもなく、慎太郎のほうだろう。
 ところが、これが、
 <やんちゃなガキ大将>VS<くそマジメな学級委員長>
という、<キャラ対決>に<窯変>すると、あら不思議(笑)。<くそマジメな学級委員長>のほうが、体制守旧派の、権力側に、見えてしまうのよ。慎太郎のほうが、<既成権力に対抗するキャラ>に、見えてしまうのよ。
 慎太郎のデヴュー作、芥川賞の「太陽の季節」は、既成文壇人、PTA、社会の権威者たちが、みないっせいに非難した。社会中のおとな側からの、抗議、非難の嵐。
 東宝で監督になる際も、東宝助監督部から、大抗議。
 石原慎太郎は、常にマスメディアの第一線に立ち続けていたが、同時に、少なくとも前半部分は、常に、批判、抗議を受けてきた。
 批判には、完全に場慣れしているのだ、慎太郎は。
 それなのに、左翼ババア諸君たち、左翼の側からの慎太郎「暴言」批判者たちは、何の戦略も戦術もなく、ただただ、フラットに、慎太郎批判を繰り返す。マスコミや、慎太郎本人が、てんで相手にしないのも当然ではないか。
 左翼ババア諸君、市民運動家菅直人(笑)などは、常に、より弱い側に批判を繰り返し、そして成功してきた。その成功体験に乗っかって、慎太郎を批判しても、無駄なのにね。そして、護憲、九条死守、戦後レジームの堅持、など、この数十年間、左翼諸君は、完全に守旧派になっている現状の中で、自分たちが、実は、<体制側>であることを、よく自覚していないのではないか。
 <価値紊乱者>としての<やんちゃなガキ大将>VS<体制側>の<くそマジメな学級委員長>
 慎太郎と、左翼ババア諸君の関係性は、ここまで、価値転倒してしまうのだ。
 だから、これは慎太郎の「暴言」ではなく、都の政策なので、若干色合いが違うが、漫画・アニメの性的表現過剰の規制問題が、わりあい都の旗色が悪いのは、慎太郎側が、規制する側だからだろう。
 だから、国が規制する、放射線危惧の水道水、「んなことねぇだろ、ちゃんと飲めるぜ」と、飲み干すパフォーマンス、規制に対する抗議こそ、慎太郎のキャラ。
 ここで面白いのは、最近の、いわゆる同性愛者批判の「暴言」後の、現象。
 日本の同性愛者が、組織だっていないということもあるが、やはり<差別される側>にいるから、自分の言動が<世間様>から、どう見られるか、空気を読むのに、敏感というか、しょうがなく長けている面もあるのだろう。
 慎太郎「暴言」に、批判の声を上げる自分が、どう見られるか。
 本当は、左翼ババア諸君のように、そんなことなんか考えないで、批判すべき対象は批判すべきなのだが。

 しかし、慎太郎「暴言」は、本当に「暴言」なのだろうか。
 いや、当然「暴言」として感じて、批判するものたちは、いるわけで。
 しかし、いわゆるサイレント・マジョリティーの何割かは、「慎太郎、良くぞ言った」と、思っているのも事実だろう。そういう人たちは、慎太郎「暴言」に、心の中で喝采を送っている。
 なぜ慎太郎が、メディアで人気があるかというと、いわゆる「公人」の中で、ただひとり「本音」を発し続けているからだ。いい悪いを別にして、生の声を発している。そういう「公人」は、慎太郎以外、いない。
 なぜか。
 キャラが世間に確立していない、天性の愛嬌がない、ごくふつうの「公人」が、公の場で、「ぶっちゃけ」話をしても、無視されるか、大部分は「失言・暴言」として、非難の嵐、たちまち辞任、解任、「公人」として失職の憂き目に会う。
 だから、慎太郎以外の「公人」は、おおむね、タテマエしか、口にしない。
 公人の中で、ひとり慎太郎のみが、平然とホンネの「暴言」を発し続けている。
 サイレント・マジョリティーは、だから、心の中で、自分は何にも言わないけれど、慎太郎を支持し続けているのだ。
 都知事選での、慎太郎への大量投票は、そういうわけなのだ。
 サイレント・マジョリティーの支持がなぜかくも大量なのか、左翼諸君は、何にも、わかっていない。
 単に衆愚、愚民の類が、おろかにも慎太郎にだまされて、目くらましされて、唯々諾々と、慎太郎に投票しているのだろう、くらいにしか、考えていないのだろう。
 というわけで、長くなったので、この続きは、後日。

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by mukashinoeiga | 2011-03-27 09:06 | うわごと | Trackback | Comments(0)

鈴木清太郎「8時間の恐怖」(清順)

 京橋にて。「よみがえる日本映画~映画保存のための特別事業費による」特集。57年、日活。
 被災地の皆さんも、それには遠く及ばないけれど、ぼくたちも、2週間の恐怖を耐えているときに、たかが8時間の恐怖も、ないだろう、と思いつつ、ぼくにとっては、3.11大地震のときに、まさに居たフィルムセンター、ぼくには、確実にトラウマの場所(笑)で、だから、ビビリつつ、見に行く。
 いやー、「たかが」一本の映画を見に行くのに、行こか行くまいか、こんなに逡巡したのは、ぼくの人生で、初めてのこと。
 根っからのビビリ屋であることをはっきり自覚しつつ、
「破る! この壁を破らなければ、俺に、明日は来ない」
 (鈴木清順「東京流れ者」より、不死鳥の哲こと渡哲也のせりふ)
 ということで、京橋に。いや、大げさだな、オレ(笑)。
 <映画価値紊乱者>その確信犯である鈴木清順が、まだ確信犯になる以前の鈴木清太郎時代の、小品であるから、たぶん、絶対につまらない映画だろう、と思いつつ見たら、やはりそうなので。
 「8時間の恐怖」その冒頭のタイトルロゴが、まったくコミカル系脱力レタリングで、ずっこける。まったくのコメデイ調の、それもおもいっきり、肩の力を抜いた、マンガみたいな、しかも明らかに下書きそのままのような、いい加減なロゴ。ここで、見るもの誰しもが、脱力するだろう。
 日活経営陣は激怒しただろうね。当たり前だよ。ぼくも、こんなに手抜きの映画タイトル・ロゴは、初めて見た。
 サスペンス企画を、ダサいコメディに変えてしまった、しかも清順映画の常として、コメディとしても全然泥臭くて、笑えない。
 <何か、自分らしい映画を作りたい>思いはありつつ、全面突破する覚悟も、突破する実力もないまま、だらだらつまらない映画を、ルーティンとはいえないルーティンで作りつつける。
 確信犯以前の清順の限界。
 B級映画専門の、さしてヒット作という実績もない、社員監督として、自由裁量は制限されている。脚本を自由に改変する裁量権は、ない。そもそも、脚本作成にも、まったく関与させてもらえないわけだ。
 そこで、清順が、とりあえず取った戦術は。
 脚本を一字一句変えずに作った、通常の映画空間の下に、<板子一枚下の地獄>を、垣間見せること。
 脚本に対する、面従腹背。
 いや、ホント、<脚本に対する、面従腹背>なんてこと、考えるのは、清順以外、いないよ。
 ホント、ヘンな人。
 そして、とりあえずの方針は、サスペンスをコメディーに変えること。
 鉄道が、台風災害で止まった。振替えのバスが、老朽バスで、しかも地域に銀行強盗の犯人たちが逃走しているらしい。そこで、山道を走るバスとその乗客に発生するサスペンス、それをコメディに<窯変>させること。
 その試みは明らかに、中途半端で、失敗しているのだが、しかしこの失敗の果てが、60年代のあまたある大快作大傑作、その前哨戦なのであり、80年代の大正ロマン三部作を、はるかに準備している。
 コメディ部分を一身に担うのは、女性下着のセールスマン(これも凡庸な設定か)柳谷寛。後の東宝名物ちょい役の柳谷も、出ずっぱりで、コメディ部分を担わされると、いささか苦しい。同じ狂騒パターンをえんえん繰り返すだけだから。長々出番があっても、ちっとも快ではない。
 乗り合わせた学生コンビに、二谷英明・香月美奈子。香月は可愛らしくていいが、まだ新人の二谷は、硬すぎて、味がない。この二人が、何かあると唄を歌う。もちろん当時の左翼学生だからロシアの唄で。この二人の歌いっぷりが、清順映画ではこれまた何十年、細々と続いて、ついには念願の?「オペレッタ狸御殿」に結実するわけだ。
 この二谷があるとき裸になると、柳谷のセールス見本から盗んだ女性下着を着ている、というギャグにもならないギャグも、全然笑えない、お粗末な演出。川島雄三の、これぞ「川島あり」というべき大快作「貸間あり」で、藤木悠がほいほい服を脱いでいくと、セクシーな女性下着を何のけれんもなく着ている、という馬鹿馬鹿しさにも、及ばない。
 絵に描いたハードボイルドなヒロインに、利根はる恵。いかにも清順好みの、気の強い女。
 いつもビミョーな役を演じることの多い金子信雄が、これまたビミョーに主役。ここら辺も、弱い。
 植村謙二郎とコンビを組む銀行強盗の近藤宏のみが、唯一日活らしいチンピラぶりで、快。
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by mukashinoeiga | 2011-03-27 08:58 | 清順の光と影すべって狂ってる | Trackback | Comments(0)

今、この時期に、選挙?!

 菅直人が、近く、たぶん、やるだろう、逆ギレ。その予想。
「何で、この時期に、選挙、やるんだ!」
 お前のせいだよ。
 震災復興対策、その重要性、膨大さに比べれば、統一地方選など、些細なことだ。ほんの数十秒、「あ、地方選は、数ヶ月ないし半年延期ね」と、総務相に指示すればよいだけのこと。現に阪神大震災では、そうした。

 あるいは、逆に、この時期の選挙というのは、震災復興には存在感を見せない、菅民主党の深謀遠慮か。
1 震災後、政権は現政権しかないことから、現政権の支持率が、若干、上がった。
  あるいは、どの時期にやるよりも、民主党のダメージは、少ない、という判断。
2 地方から、菅直人に選挙応援の依頼は、おそらくないだろう。直人が来たら、逆効果だし。
  応援依頼がないことで、菅直人は嘲笑されるはずだった。ところが今は、震災復興の陣頭指揮を
  執らねばならないゆえ、地方に応援にはいけないのだ、という大義名分が出来た。
  不利な選挙戦を、菅直人のみ、知らぬ存ぜぬで、官邸に引きこもり続けても、
  誰からも非難されないという夢のようなシチュエーションだ。
3 仮に民主党が負けても(その公算はおおきい)だからといって、菅下ろしもしづらいフンイキだ。
  そのまま、総理の座に居座り続けられる、絶好のチャンスだ。

 国破れて、民主党あり。
 民主党破れても、なお、菅直人あり。
 国民にとっても、民主党立候補者にとっても、誰にとっても、バッド・タイミングなこの統一地方選挙も、この国に、ただひとりだけ、菅直人にとってのみは、絶好のタイミングと、思われるのだ。
 おそらく閣僚たちも、同じ幸運に浴するだろう。
 日本国民の生き残りには、何の力も関心もない、菅直人も、自分の地位居座り、自分の権力の座生き残りには、まさに悪辣なまでの関心と力を、示すのだ。
 恐ろしい。
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by mukashinoeiga | 2011-03-25 07:21 | うわごと | Trackback | Comments(0)

古川緑波「百万ドルの明星 陽気な天国」

 京橋にて。「よみがえる日本映画~映画保存のための特別事業費による」特集。55年、近江プロ。
 ちゃらい、いい加減な二級映画なのに、妙にクレジットが、厳格。
  指揮・製作・原案 近江俊郎
  監督・脚本・台詞 古川緑波
 おふざけで、ハリウッド式に遊んでみました、というところか。実際のところ、いい加減な映画なので、脚本と台詞を区別するような、レヴェルを感じさせるものでもない(笑)。もちろん(製作総)指揮と、製作の区別も、いささか、怪しい。当時の人気歌手近江俊郎が、実務としての製作をしたとは、とうてい思えない。 
 なお、この近江、ロッパは、出演も兼ねている。美術・東郷青児、音楽・古賀政男も、出演。当時はマスコミをにぎわせた、人気歌手たち、人気画家やら、文化人も、パーティー・シーンなどに登場。つまり、そういう、ゆるいヴァラエティー・ドラマ。
 大勢の当時の歌手たちが歌を歌う。当時の人気歌手は、流し出身が多いらしい。しかも、近江もそうだが、妙に二枚目を気取った、陰気なクルーナー・タイプ多し。主演としての近江俊郎は、陰気で、華がない。
 そのなかで、演技も歌も「パンチの利いた」たぶん暁<ミネソタの卵売り>テル子という歌手の「日本人離れした」火病的狂騒演技が、むしろ快。彼女とロッパと森繁と、当時の政商にして、のちの三悪追放協会会長、後期小津安映画の常連出演者、菅原通済の演技ともガラともつかない、例によっての快演こそが、文字通り「陽気な天国」。
 熱海に遊ぶ、森繁。古賀政男の内弟子の森繁は、古賀政男のフリして、「あの曲も、このヒット曲も、みんなオレが作ったんだ」と大物気取り。森繁の、軽い詐欺師演技は、絶好調のアドリブで。台詞ロッパといいながら、近江も森繁も、ビミョーにアドリブっぽいぞ。
 森繁を人気作曲家と思い込んだ、街の流し、近江俊郎・三木のり平コンビ。森繁の「紹介」で、レコード会社の社長・ロッパへの紹介名刺。レコード歌手になれる、と喜び勇んでいくと、たまたま古賀政男本人がいて、嘘がばれて、夢はご破算。
 理由が振るっている。
「キミ、近江俊郎の物まねだね、物まねはイカンよ」!
 最後は、夢敗れて地元に戻った、近江俊郎似の近江俊郎が、近江俊郎のヒット曲「湯の町エレジー」を海辺で歌って、海に落ちて、エンド。 
 まだ、若くて、エネルギー満載の、森繁の生きの良さ。いっぽう古賀政男の、シロウト臭い、でも妙に場慣れした、演技ともいえぬ演技が、ミョーに、おかしく、盛大に森繁を怒鳴りつける場面が珍味。まだ、生きが良く、半生タイプの森繁を、これまた半生タイプの演技の古賀政男がしかりつける。珍味そのものの演技のコラボが、見所といえば、見所か。

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by mukashinoeiga | 2011-03-21 23:37 | 旧作日本映画感想文 | Trackback | Comments(0)

<日本再生>のための私案

 東電管内の計画停電は、GW明けまで続くという。
 しかし仮に、その時期までに現状回復しても、夏の大需要期には再び計画停電をせざるを得ない。むしろ今より、厳しい停電になるだろうと予測される。
 そこで、東北・関東地方の、すぐにやらなければならない、緊急の原状回復と並行して、夏の電力不足への対応も、今すぐ取り掛かるべきだ。早いということは、ない。

●集団疎開 
東北地方の被災者を関西以南に集団移住させる案があるという。これも大事だ。
 しかし、そういうことはすでに、関係各所の連携で話が進められていると思う。
 ここでは、夏の首都圏電力不足の解消という一点で、話を進める。
 首都圏がしょっちゅう停電していては、日本は三等国、四等国になり、やがて、精神的にすさんだものになってしまうだろう。とにかく、緊急的に、首都圏から、電力受給者を減らすことが必要になって来る。

1 東電管内の小・中・高・大学生を、関西以南に集団疎開させる(もちろん拒否権はある)。
2 教師は、志願者を帯同させる。志願しない教師は、残された子供たちのケアをする。
3 教師だけでは足りないので、元気な退職者の志願者、保護者の志願者も、サポーターとして帯同させる。
4 停電でダメージを受ける重篤な病人、年配者も疎開させる(もちろん拒否権はある)。
5 今現在、東北被災者の集団疎開の先として考えられているのは、関西以南の、都市部の空きのある公営住宅、社宅などと思う。しかし、これだけでは明らかに足りない。
 子供たちの受け入れ先として、住居だけでなく、学校というものが、絶対に必要だ。そこで、頼りにしたいのが、関西以南の、人口減少によって廃校になった、限界集落の学校だ。これを、それなりに金をかけて再生して、子供たちの学校とする。 

 甘い考えかもしれないが、これは一石二鳥で、関西以南の限界集落の再生も、可能となるのではないか。子供たち、サポーターをさらにサポートする、雇用も生まれよう。もちろん100パーセント、ボランティアというのは、無理だ。ボランティア、雇用の両面作戦で、やるべきだ。
 もちろん、東電管内のニート諸君にも、がんばってもらいたい。
 中学生は小学生を、高校生は中学生を、大学生は高校生を、サポートする。
 退職者、保護者などの志願サポーターは、それらをサポートする。さらに、限界集落のお年寄りたちをも、サポートする。限界集落の生活環境も、改善する。
 夏が終わっても、また別の電力需要のある冬が、すぐに、やって来る。数年で、日本の電力供給が回復するとは、思われない。これは、十年かけても、やらねばならない、日本再生なのだ。

●与党と野党の役割分担を
 わが国は二院制だが、しばしば、というか、かなり多くの部分で、衆議院と参議院は重複した役割で、常に、参議院、いらないんじゃね、という議論が起きる。
 そこで、重複を、一挙に解決する<奇策>がある。
 東日本を、与党=衆議院の管轄とする。
 西日本を、野党=参議院の管轄とする。
 無論、臨時のことだが。
 与党=衆議院は、今回の東北・関東大震災の復旧に、全力を注ぐ。 
 野党=参議院は、ここでこういう言葉を使うのはたいへん失礼なのだが、西日本を、強力なバックアップシステムとして、強力化することに、全力を注ぐ。むしろ、この災禍を奇貨として、西日本が東日本を凌駕するくらいの心意気で、攻めの姿勢で。

 以上、ふいと思いついた、たわごと・うわごとでございます。
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by mukashinoeiga | 2011-03-20 22:50 | うわごと | Trackback | Comments(0)

菅直人、日本を殺す気か

 しかし、菅直人、つくづく人の邪魔、国の邪魔しか、しない奴だな。
 昨日、うちに帰って、ニュースを見て、びっくり。
 菅直人、谷垣に、副総理兼地震問題担当相を、打診したという。
 谷垣は即座に、菅一味に加担することを断ったとか。よくやった。もっとも、谷垣は、これくらいのことしか、ほめることが、ないのだが。
 あやうかった。
 民主党の菅直人が総理  自民党の谷垣が副総理
 というのは、かの、
 社会党の村山某が総理  自民党の河野洋平が副総理兼外相
 という、<阪神大地震>時の、<悪夢の内閣>の再現では、ないか。
 左翼の総理と、自民党内でもリベラルな副総理との、悪夢な野合。危うすぎる。
 また、大地震を呼ぶような布陣ではないか。
 谷垣にあっては、考えを変えて、やはりお受けします、なんてことは、絶対にいうなよ。出来れば、自民党総裁も、直ちに、やめてもらいたいくらいだ。
 しかし、民主党内閣は、ひどい。巨大地震から、一週間以上過ぎているのに、地震問題担当相すら、決めていないのだ。しかも、民主党では、それが務まる人材すら、いないと、自白したようなものだろう。
 ところで、昨日の産経の社説に、小笑い。
 重大な事故を招いた東電の責任は大きい、としながら「しかし、ののしるだけなら首相にも出来る」。
 菅直人「にも」出来る、こういう男が、国の最高指導者であることの、不幸。
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by mukashinoeiga | 2011-03-20 08:30 | うわごと | Trackback | Comments(0)

田中重雄「南十字星は偽らず」

 京橋にて。「よみがえる日本映画~映画保存のための特別事業費による」特集。53年、新東宝。
 これはこれは!
 なんとも!
 映画自体は、ごくふつうの水準で、すいすいと進む娯楽作だが。
 ある意味、とてつもない<異常作>! 珍作中の珍作というべきだ!
 まったく、信じられない、珍作中の珍作!
 フィルムセンターの解説によれば、<終戦後の1946年、不在の夫の地盤を継ぎ妻が代議士に立候補したが、選挙日の直前に、夫が南方から現地妻のアインと子供を連れて帰国。「二人妻」事件として当時のジャーナリズムが大きく取り上げた。その後アインによる51年発表の同名手記に、大幅な脚色を加えて映画化したのが本作。>。
 <大幅な脚色を加えて映画化>!!! 
ラストシーンの、いきなりのネタバレになるが、





 なんと、本作の最後で、日本に渡る前のアインは、元カレに刺されて、死んでしまう!
 映画は、<原作を書く前の原作者>を、殺してしまうのだ!
 それでは、当然原作は書かれず、つまり、その原作を元にした、本作映画化は、存在しないことになってしまう! なんというパラドックス!
 よく原作者が承知したものだが、いや、自分が死ぬ設定を、受け入れる原作者はいるのか。当時の無謀な映画会社が、本人に断りなくやったのではないか。しかし、原作者を馬鹿にした改変というにとどまらず、この映画の企画自体の出自を否定する掟破り。自らの足を食うタコではないか。
 タイトルを「南十字星は偽らず」、しかし映画は、進んで自らを、偽る、謎の企画か。

 日本の統治下にあるジャカルタ、日本語がぺらぺらの現地娘アイン(高峰三枝子)の恋人・若原雅夫はジャカルタ人の反日闘士。しかしアインは、日本の統治官僚・千田是也の宿舎の女中になる。そこで日本人・千田の愛を受け入れ、子を産む。
 よく言えば、民族を超えた愛、悪く言えば現地妻。千田には故国に妻がいる。
 千田の、映画における唯一のモテ男役か。めずらしい。
 しかし、日本軍は敗退、千田ら日本人は収容所に。
 子連れの高峰は、なすすべもなく、娼婦に堕ちる。
 脚本は快作「裸体」、つい最近神保町で見た「四畳半物語 娼婦しの」の監督・成沢茂昌、本職は脚本家で、後期溝口映画で、溝口健二に徹底的にしごかれたという。そういえば、大映監督・田中重雄は、確か、溝口映画の助監督経験者。ぼくの怪しげな記憶では溝口健二「雨月物語」の、超名シーン、霧の琵琶湖の湖上の、田中絹代やモリマが乗った小船、寒い時期に水に没して、その小船の操演をした助監督の一人ではないか。間違いならごめん。
 どこまでも堕ちて行く淪落の女が、最後にさびしく死んでいく溝口「西鶴一代女」の、助監督たち、脚本家の、溝口コピーであろうか。戦前清楚系アイドル女優・高峰三枝子が、堕ちていく。
  それゆえに、ヒロインが、原作者でありながら、淪落の果てに、死ななければならなかったのか。溝口を参照した結果、悪い冗談と化したのか。
 でも、まあ、甘いんだけどね。
 まあ、溝口ほど、辛口になるのは、人間として終わっているけど(笑)、溝口をなぞろうというのに、この甘さは、さすがに、どうなんだと。
 溝口の弟子たちが、無理やり「西鶴一代女」をなぞりたいための、淪落の女の死、それゆえの<原作者殺し>、原作大改編だったのか。
 高峰、若原、妻の妹である高峰を襲う殿山泰司、などがジャカルタ語をしゃべるしゃべる。
 特に殿山の泰ちゃん、長台詞の外国語を話すのに必死で、いつもの味を全然出す余裕がないのが、ひたすらおかしい。
 なお、高峰三枝子は、その全出演作中でもっとも、その巨乳のボディラインを見せた映画か。ぼくは、高峰三枝子が胸の谷間を見せているのは、初めて見たような。元清楚系アイドルの高峰が。まあ、大人の女優への脱皮なんだろうけど、それは、本作でおしまいだったのか。
 なお、ラスト近くで見せるきらきらのラメ入りドレスが、豪華。単純にして、白黒映画最大の効果を上げるきらびやかさ。
 ぼく的には、選挙戦最中に、突然、候補者の夫と外人の愛人が、かえって大混乱というような、人間喜劇を見たかった。川島か、この時期の十年後の三隅研次か。うーん。

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by mukashinoeiga | 2011-03-18 08:36 | 旧作日本映画感想文 | Trackback | Comments(0)

斎藤達雄「嫁ぐ今宵に」島崎雪子坂本武芦田伸介

 京橋にて。「よみがえる日本映画~映画保存のための特別事業費による」特集。53年、新東宝=新映プロ。
e0178641_2091730.jpg 戦前松竹の三羽烏スタアの一人、佐分利信「慟哭」52年、新東宝=東京プロと同様、戦前松竹以来の個性派脇役、斎藤達雄の、初監督作。
 助監督は、田中絹代「恋文」53年・新東宝と同じ、石井輝男。
 この時期の新東宝は、企画・人材不足を、有名スタアの監督・主演作という話題性で補おうとしていたのだろうか。本作も、斎藤達雄監督作であると同時に、斎藤主演作。出番も多い監督になりかわり、石井輝男が実質の監督補なのだろう。誰か(笑)、斎藤達雄の監督ぶりを石井輝男に聞いていないかな。田中絹代の監督ぶりより気になるぞ(笑)。
 斎藤達雄は、初老のサラリーマン。危ない、怪しい会社との取引はやめたほうがいい、というアドヴァイスに、アプレな二代目若社長は激怒、首。
 このアプレ社長に、ちょっと若社長が似合わない芦田伸介。ぼくたちは、おおむね、顔を切られたあとの、凄みのある顔の芦田伸介しか、見ていない。本作の芦田伸介は、顔にキズがないように見え、また、あのおなじみのイボもないように見える。切られる前の芦田の顔、しみじみ、見る(笑)。
 しかし、役者の命ともいうべき顔を切られて、イボが出来た後の、芦田の顔の、なんというシブさ。マイナスをプラスに変えた芦田伸介の奇跡。だから、この映画の、ボンクラ若社長を演じる芦田は、なんとなく物足りない。
 首になった斎藤が、頼るのは、斎藤とは真逆に下町ライクな、ボンクラにして律儀ないとこ、坂本武! 斎藤達雄と坂本武の共演シーンの、なんという安定感。
 斎藤の娘・島崎雪子(相変わらず、かわいい。この彼女がのちに、松竹京都/日活助監督の、あの神代辰巳と結婚したとは、まったく、信じられない)の、恋人に、これも戦前松竹末期の若者役でもあった、山内明。
 山内は、会社の帰りに、島崎雪子と70円のライスカレーを食べたい。
 節約娘の島崎は、ライスカレーなんてとんでもない。40円のラーメンを主張。山内、ラーメンにブーブー。
 このラーメンとライスカレー(カレーライスにあらず)の地位対比も面白い。
 ラーメンを食べる恋人たち、失業するおトーさん・斎藤達雄、娘の結婚を案ずる斎藤達雄、なんとなくお話は、戦前松竹で斎藤も常時出演していた、小津映画ライクな展開。脚本は戦前小津組常連の池忠こと、池田忠雄。
 戦前は、主に、うっひっひ、とか、へっへっへっ、とか、ふふんふんっ、とか、シニカルな役を演じることの多かったモダンボーイ斎藤達雄が、かくもべたべな人情劇に、主演・監督するとは。
 ないものねだりというか、隣の芝生は青いというか。モダンボーイも、人情劇、やりたかったのね。
 戦後の小津映画に、やはり新東宝「宗方姉妹」のみにしか、特別出演させてもらえなかった斎藤にしてみれば、戦後小津映画に、もっと出たかったのかなあ。
 戦後小津映画が、戦前小津映画の常連、斎藤達雄、坂本武、飯田蝶子、吉川満子、突貫小僧などを、軒並み出演させなかったのは、なぜか。そのうち、ちゃんと考えたい、小津マターだ。
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by mukashinoeiga | 2011-03-17 00:37 | 旧作日本映画感想文 | Trackback | Comments(0)

続・石原慎太郎「暴言」はなぜ非難されないか・その理由

 石原慎太郎は、約60年にわたるメディア露出で、その存在感を築いて来た。
 現在に至る、半世紀以上のメディア露出というのは、おそらく、現存する日本人では、彼ひとりではないだろうか。たぶん、ほかには、一人も、いない。
 ザ・存在感。
 最初はスキャンダラスな芥川賞最年少受賞者として話題を呼び、膨大な小説・映画脚本で人気を博した。映画を監督し、主演もした。弟は、国民的人気者。政界に進出しても、常に話題を呼んできた。
 <太陽族>という、社会潮流・社会風俗・小説・映画をクロスオーヴァーする、一大ムーヴメントの<創始者>であり、このような多分野にわたる、社会への影響を、たったひとりで(もちろん、弟・裕次郎も貢献しているが)でっち上げた、おそらく、日本ではただひとりの存在感。
 慎太郎を毛嫌いしている向きにはも気に入らないかもしれないが、石原慎太郎は、この半世紀の日本を駆け抜けた、ただ一人の<カルチャー・ヒーロー>なのだ。いい悪いの問題では、ない。
 
 そう、かのババア問題というのもあった。
 慎太郎が「ババアは、役に立たない」うんぬんとか、言ったという奴。
 これに、左翼のババア諸君が激怒。謝罪と賠償(確か、象徴として、一人1円だっけ)を、求めて、裁判を起こして、負けた。
 バッカ、じゃないだろうか。
 「ババア」といわれて、気に入らなかったら、都庁にデモして、あるいは慎太郎知事の出席行事に行って、「ナニを、この、クソシジイ」と、言い返せば、いいだけの話ではないか。
 しかし、左翼ババア諸君は、公式の場で、クソジジイというのは、自らを貶める、下品で差別的な、はしたない行為と考えて、わざわざ裁判を起こした。
 ただ一言、「クソジジイ、慎太郎」と、言えば、いいだけのことを。

 「フランス語は数を数えられない言語」というのも、あった。
 確か、在日フランス人たちが抗議した。
 この抗議の報道を見て、ぼくは、がっかりした。
 ウイットに富んだフランス人なら、気の利いた、皮肉の効いた、しゃれっ気たっぷりな、抗議を、日本人、および慎太郎に示す、絶好の機会では、なかったのか。

 あーあ、これなんだよなあ。
 こういう言葉を、ここに使うのは、ちょいと恥ずかしいんだけど、慎太郎は、ポップカルチャー・ヒーローで、トリックスターで、人気モノなんだよ、半世紀にわたるさ。
 一言で、言おう。
 石原慎太郎に抗議する人たちは、常に、マジメな左翼諸君で、常にマジメな抗議をし、そして、慎太郎本人はもとより、マスゴミや、国民一般から、かえりみられることはなかった。
 自分がどう見られているか、いかに相手にされないか、慎太郎への抗議者は、自分の姿が、まったく、見えていない。
 良くも悪くも、慎太郎は半世紀以上のメディア露出で、<やんちゃなガキ大将>というイメージを、日本中に、振りまいてきた。
 むろん、慎太郎が、天然の、<やんちゃなガキ大将>であるわけではない。おそらく努力して、まあ多少天性なモノはあったろうが、かなり突っ張ってきた結果、さらには、弟の国民的イメージも、バックアップあり、慎太郎といえば、多少のやんちゃは、みんなほほ笑んで、許してしまう<やんちゃなガキ大将>に、なりおおせたのだ。
 そう、ここが、大事。
 慎太郎は、半世紀以上のメディア露出(これ自体が、日本では、おそらく彼ひとり)をかけて、<やんちゃなガキ大将>というセルフイメージを、確固として、築いてしまったのだ。

 それに対する、マジメな左翼諸君の批判といえば。
 イメージとしては、マジメなメガネをきりりとかけて、「石原さん、そんな不良やめなさい、先生に言うわよ」という、まじめな学級委員長のイメージか。
 慎太郎が多く原作や脚本を提供し、裕次郎も多く主演した日活映画で言えば、若き日の吉永小百合が、演じたような。ただし、左翼ババア諸君や、在日フランス人たちには、惜しむらくは、少女時代の吉永小百合の天然の愛嬌と、きりりとした美貌と、愛くるしいユーモアが、ないけどね。
 <やんちゃなガキ大将>と<くそマジメな学級委員長>が対立したとして、ぼくたち、ぼんくらなクラスメート(国民)は、どちらを応援するか、答えは、明々白々ではないか。
 しかもぼくたちは、慎太郎に、裕次郎のイメージを重ねて、見ている。
 裕次郎の、これこそ天然の<やんちゃなガキ大将>イメージもが、慎太郎の<やんちゃなガキ大将>イメージを、さらに確固たるものにバックアップする。
 この兄弟のダブル・イメージには、なんと言っても、半世紀以上の強大なメディア露出があるのだ。
 無名の左翼ババア諸君には、歯が立つものではない。
 昨日の、慎太郎VSレンホー会談も、まるきり、この構図を、なぞっているだけ。レンホーこそ、今を代表する<きりっとマジメな学級委員長>そのもののイメージで、だから、誰も、レンホーと慎太郎を比べたら、レンホーには、鼻も引っ掛けない。
 というわけで、長くなったので、この続きは、後日。

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by mukashinoeiga | 2011-03-15 00:48 | うわごと | Trackback | Comments(0)