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池広一夫「小太刀を使う女」

 阿佐ヶ谷にて。「昭和の銀幕に輝くヒロイン57・中村玉緒」モーニング特集。61年・大映京都。
 傑作というわけではないが、たいへん見所の多い、すばらしい作品。いわゆる<大映通常作品>の底力を見せつける、好編。今週末まで上映中。
 もともとは、戦前の丸根賛太郎監督・水谷八重子主演作と記憶するが、そのリメイク。戦前作は、当時の時代劇らしく、イマイチ地味だった。やはり戦争描写の迫力のなさ、および端正なのはいいのだが、メロドラマとして押すべきところも、まったく静かなものだった。
 本作は、刺激的音楽爆発、効果音炸裂、メロドラマ増量。
 明治十年。西南の役で、薩摩軍が進撃してくる。官軍が来るまでは、自分たちで町を、守らなければならない、旧臼杵藩(大分)藩士たち。
 旧藩士も、男は全て、散切り頭。けれど男でも老人、そして、はかま姿の女学生を除く全ての女は、日本髪の髷を結ったまま。建物も西洋「風」と、江戸時代式日本家屋の混交。おそらく、日本がもっとも、刺激的で、美しかった時代では、なかったか。
 散切り頭、しかし和服の、小林勝彦たち若い旧藩士たちに、髷を結った白髪交じりの老人が言う。
「官軍が来るまでは、この臼杵の町は、我らで守らねばならない。家老として、言う。いや、元家老として、お願いしたい」
 オー、と応える旧藩士たち。
「ところで」と元家老。「東京の殿様(旧藩主)から、電信をいただいた」 
 と、電報を、さながらかつての上意書のように両手で押しいだき、代読する。旧藩主の、臼杵の町を死守せよ、という激励文!
 江戸時代さながらの臼杵城から、堂々進軍する、首から下はやはり江戸時代の侍の武装ながら、頭は散切り頭。やがて、彼らの何割かは薩摩軍に惨敗し、明治の御世に、侍として死んでいくだろう。
 十年前までは侍だった、今は平民として武家の商法などに手を染めている18~50歳の男たちが、再び、侍として戦地に赴く。
 リアル「戦国自衛隊」とも言うべき、時代のミックスぶりが、何か映画的興奮を呼び起こす。
 留守を守る、小林勝彦(さわやか)の姉・京マチ子たち。
 勝彦の嫁・中村玉緒は、裕福な商家から、勝彦に嫁いだ。明治も十年すぎて、平和な四民平等の世(とりあえずは)に、いきなり西南の役の戦火・大砲の爆音。
玉緒「あたしは商家の娘です。お姉さんみたいに強くはありません」
京マチ「たとえ商家の娘でも、いったん武士の家に嫁いだからには、家名を汚さず、女ですから戦地に赴かずとも、命を掛けて留守を守るのです」
 平和になれきった惰弱な玉緒、侍の娘としてりりしく戦時に伍していく京マチ。
 今でも通じる、女と女の立場・心構えの違い。強く嫁に武家の女としての責務を迫る小姑、ビビる嫁。 
 玉緒の、いかにも下世話で惰弱な色気が商家娘にふさわしく、京マチも、凛々しい男装ぶり。
 ま、京マチも、ちょっとふっくらなのが、この映画の場合難点なんだが(笑)。
 有象無象の大映大部屋俳優たちも、素晴らしい。これだけの規模(戦闘シーンは、自社ストック・フィルム再利用っぽいのが、いかにも、らしい)の、濃縮ドラマがたった81分。他社なら確実に2時間になったろう。その濃密感こそ大映。
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by mukashinoeiga | 2011-01-31 23:40 | 旧作日本映画感想文 | Trackback | Comments(0)

タヴェルニエ「L627」

 京橋にて。「現代フランス映画の肖像 ユニフランス寄贈フィルム・コレクションより」特集。92年、ベルトラン・タヴェルニエ監督。
 日本では「田舎の日曜日」のみで知られる、ベルトラン・タヴェルニエの、ほのぼの?警察モノ。
 主人公はパリの麻薬取締課ヴェテラン刑事。麻薬取引を覆面バンで張り込む深夜、突然署長から、帰って来いとの電話。いやいや帰ってみると、「オレが帰宅するのに、そのバンが必要なんだ」「いや、このバンは張り込み用に必要なんだ」「バカヤロー。幹部の俺が地下鉄で帰れるかっ」
 ということで、捜査用の覆面バンは、たちまち小役人の帰宅車に。反抗した主人公は、ド田舎の暇な署に飛ばされる。そこでは、犯罪事件などほとんどなく、住民の小ネタの苦情を聞き、書類化するだけの、退屈な日々。とほほ警察物語。
 そこから、すばやくコネを使って、パリの大型署に転戦。
 この、警察署が・・・・。
 本館が、崩壊寸前のぼろぼろの廃ビル状態。
 で、その前に、長屋のように並ぶのが、プレハブ小屋。その中の二つを、麻薬課が占めているらしく、いや、プレハブの警察なんて、パリは途上国か。いかにも、80-90年代らしい、安っぽさ。
 その安っぽいプレハブ小屋で展開する、安っぽい警察ドラマ。麻薬課チーフは、水鉄砲で同僚や容疑者をぴゅっぴゅっ。紅一点のオンナ刑事は、きゃぴきゃぴ娘(オーラがないので、ウザいだけ)。プレハブ長屋ということもあって、まるで部活のノリ。警察がそれでいいのか、各種人権無視は、今では、考えられないフリーダム。まあ、コミカル調なんだけど。
 そういや、調書はタイプライターで。打ち間違いしたら、もう一回新たな紙でやんなくちゃいけない。オフィスに、パソコンはおろか、ワードプロセッサもないなんて、光景が、逆に新鮮で。
 ただ、まあ、部活のノリの警察の、コメディに徹しきれない、生ぬるさは、ああ、いかにも「田舎の日曜日」の監督だなあ。
 ボロビルとプレハブの警察署も、いかにも、凡庸なリアルさ。ここは、キムタケとは言わぬ、せめて大映美術陣にやってもらいたかった(笑)。

 アジアカップ、勝ちましたな(笑)。よかったよかった。

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by mukashinoeiga | 2011-01-30 02:55 | 旧作外国映画感想文 | Trackback | Comments(0)

市村泰一「快人黄色い手袋」伴淳森繁小阪一也

 渋谷にて。「妄執、異形の人々 5」特集。61年、松竹。
 アイマスクで顔を隠す、正義の義賊・黄色い手袋。不当な手段で金をためる悪党のみを襲い、現場には愛用の黄色い手袋を、名刺代わりに残していく。そは何者。
 警察と、腕利きトップ屋・伴淳が、追う。
e0178641_6233360.jpg といっても、アイマスク以外の顔の下半分は、誰が見ても、伴淳にそっくり。でも、誰も気がつかない(笑)。この怪人が現われる現場には、伴淳記者は顔を出さない。「あの人、肝心なときにいないんだから、もう」てな、お約束で。
 この義賊、歌を歌いつつ登場。ところが、その声は、どう聞いても、森繁。事実、冒頭クレジットに、主題歌・森繁久弥と出ている。伴淳は、森繁を口パク。さらに、怪人としてしゃべるときは、声は、森繁とも伴淳とも、につかぬ声。これまた、伴淳は口パク。
 まあ、伴淳のあの、泥臭いしゃべり方は、怪人には、不向きというところか。
 原作脚本は「月光仮面」どうよう川内康範先生。かといってお子様向きかどうか、現像室に隠れ入る伴淳・鳳八千代の夫婦。出てきたら、お互いにこにこにやにや、という大人の事情もあり。珍探偵小阪一也も恋人と痴話げんか。といっても、大人向けというわけでもない。
 快作というほどもない、凡品。かなりプリントもボロで、上映中、四度切れた。申し訳ないということで、シネマヴェーラから招待券。
 このプリントの初日なので、この映画館が、古いプリントの、上映前点検をしていないことが、わかる。もっとも、この三日間で、計6本も、この館にとっての初日、がある、という、シネマヴェーラの特性を考えると、上映前プリント点検は、無理か。
 元映写経験者としては、上映復旧にかかる時間、どれくらい早く現状復帰するかに、この映画館の上映担当者の実力を測る楽しみも(笑)。名画座でのよくある復旧パターン、少し巻き戻して、切れるより前からの、再出発方式をとらずに、切れたとこから再上映のこの館のやり方からすると、ちょい時間かかりすぎか。
 でも、切れたプリントを前にした映写技師の苦労もわかるだけに、ちょい同情。まあ、切れたプリントを大慌てでつなぐ楽しみ、というのも、あるんだけれども。
 最後に事件解決、ほっとしている伴淳たちの前に、またもや怪人黄色い手袋登場。
 一人二役のトップ屋伴淳と、黄色い手袋、同時に存在! ところが次の一瞬、その怪人は、プラカードを持っている。「黄色い手袋主題歌 唄・森繁久弥 ポリドール・レコード 発売中」。
 なんだ、宣伝用のニセモノか。みな一安心。でも、怪人、その顔のアップは、紛れもなく伴淳で。
 つまり、前年か同年に公開されたはずのビリー・ワイルダー「あなただけ今晩は」のラストの、安易なパクリか。イマイチ、本家ほどの効果でず。センスの差か。

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by mukashinoeiga | 2011-01-26 10:10 | 旧作日本映画感想文 | Trackback | Comments(2)

ファヴラ「彼女の人生の役割」

 京橋にて。「現代フランス映画の肖像 ユニフランス寄贈フィルム・コレクションより」特集。04年、フランソワ・ファヴラ監督。
 なんてことないドラマなんだけど、なんか、フツーと違うような? 
 いや、特に異常なことはしていない、ごくごくフツーの<いわゆる女性映画>なのだが。
 見始めてしばらくすると、その、<異常>と言うか、<違和感>というか。何か、違う、ことに気付く。
 いや、ごく些細な<違和感>を個人的に感じているだけで、映画は、<標準的>なストーリーが、さくさく進んでいくだけ。
 そう、さくさく。まるで、流れるような、エピソードの連鎖と演出と演技と編集。見ているものに、何の負荷も与えない、流麗さ。
 そうか、まるでミッキー成瀬みたいに「流れる」ような映画なのだ。
 <違和感>を感じたのは、逆に何の<違和感>もない、さくさく感だったのだ。それに<違和感>を感じるということは、こういう、さくさく流れる映画がほんとに少ないから。
 たいていの映画のドラマには、何らかの<違和感>を感じるでしょう。え、これは、ないんじゃないの、って言う。それが、エピソード・レヴェルではともかく、<映画の流れ>のなかでは、負荷を感じさせない。
 女性雑誌ELLEの編集部。そこで、インタヴュー記事などの文字起しなどをアルバイトにしているクレールが人気映画女優エリザベットと、成り行きで知り合い、その雑用係というか、秘書的役割に、なっていく。
 ある意味(と、強引に持っていくと)ミッキー成瀬「流れる」の、芸者置屋に女中・田中絹代がやってきて、いろいろ玄人の世界を垣間見ていくこととも、通じるというのは、牽強付会というヤツか。クレールは、女優の家族、使用人、映画関係者などと次々知り合っていく。その多人数も、とくに取り立てて紹介するわけでもなく、さくさくと消化していく。 
 そして、ミッキー成瀬には欠かせない?森雅之も、いる。いい加減な二股男が。盆栽と西洋ガーデニングを融合した、こだわり植木職人の二枚目。これもやはり今日この特集で続けて見たキュルヴァル「正しい恋愛小説の作り方」05年でも、似たような色男をやっており、この当時のフランス映画の色男といえば彼なのか。ジョナサン・ザッカイという男前。 
 ヒロインは女優の少女時代のスナップを見て、「友達との写真でいつも真ん中に写る子もいる」と思う。自分はいつも端っこ、ないしは友達と友達の<肩と肩のあいだの谷間>に隠れて写る子だった、と。
 ナチュラル・ボーン・ヒロインに仕える、ナチュラル・ボーン・地味っ子の、役割関係、その進行と齟齬。
 そういう些細なドラマが、女と女の力関係、その女たちの間で右往左往するフレンチ・モリマを通して語られていく。ヒロインがルーム・シュアしているのが、いわゆるゲイ男で、この男がカレシを連れ込むときは、ヒロインは、映画館のレイトショーなどで過ごさなければならない。いかにもおフランス映画らしい展開で、でもまああからさまなジャック・レモン&シャーリー・マクレーンへのオマージュか、若い娘とゲイ男がひとつ部屋に住むという、これもまた紋切り型の展開で。しかしミッキー成瀬も、もっと長生きしていたら、あるいはこういう風俗も、映画に取り入れていたかもしれん。何せ、三国連太郎になよなよ演技をさせた人ですから。
 この特集では、あと2回上映される。ぼく的には、おすすめ。
●追記●上映時間102分で、これだけ濃密なドラマを展開するのも、やっぱり、成瀬だよね。ヒロインの無愛想な、しかしヒロインに親密な女友達は、中北千枝子か(笑)。ストーカー男は加東大介か。ゲイ男は小林桂樹で。


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by mukashinoeiga | 2011-01-24 00:11 | 傑作・快作の森 | Trackback | Comments(0)

日高繁明「第三次世界大戦 四十一時間の恐怖」

 渋谷にて。「妄執、異形の人々 5」特集。60年、第二東映。
 ここ一年ばかしで、京橋、三原橋と、次々?上映され、気になっていたのだが、見逃し続けていたもの。
 黒沢明「ある生きものの記録」はじめ、当時の原水爆に対する恐怖たるや、大変なものだったらしい。
 米ソの対立、核使用により、世界が滅亡するという恐怖。
 もちろん「核爆発」程度では「世界」は滅亡しない。人類を含む、地球生命体の多数が死滅し、地球の環境は(人類など上位生命体にとっては)「悪化」しようが、それで地球や「世界」が「滅亡」するわけではない。あまりに人類中心主義による恐怖といえよう。と、客観的冷静に語れるが、ぼくたちの世代は、チェルノブイリ以降の「原発メルトダウン・パニック」に右往左往したのも事実だ。
 さて、「韓流」を「ハンリュウ」と呼ぼうという風潮にあっては、「韓半島」(はんはんとう)の「韓国」(はんこく)と、呼べばいいのか、その38度線で、在韓米軍機(核搭載済み)を、北朝鮮軍が撃墜。ここに、米ソの緊張が高まり、ついに、核戦争に。
 この「世界滅亡」「人類文明死滅」への、引き金を引くのが、東アジアの迷惑な隣人・朝鮮人とは、いかにも、リアルな設定だ(笑)。
 そういう世界状況は、「地球滅亡」に際しても、冷静さを失わず!きわめて淡々と、枯淡の境地で語り続けるNHKラジオのアナウンサーの、ニュース報道でしか語られず、ソ連の核ミサイル基地描写も素人っぽい特撮で、この映画は、もっぱら、そういう報道パニックに右往左往する市井の人々を描く。
 新聞記者・梅宮辰夫と、看護婦・三田佳子のカップル。高校生グループ。流しの夫婦。
 で、あっと驚くのは、梅宮の、余分な肉皆無のすらっとした精悍さではなくて、高校生グループの、女子主役格が、二階堂有希子! ちなみに、男子主役格は亀石征一郎。
 二階堂有希子といえば、かのTVアニメ「ルパン三世」ファースト・シーズンの、峰不二子役。二代目以降は問題にならないセクシー・ヴォイス(「ルゥパァァンッ!」)で、ルパン三世ならびに当時の青少年を悩殺していたものだ。
 前にもここに書いた井上和男「ハイティーン」59年・松竹でも、まぢめな優等生の高校生を演じていた。本作でも、美少女というわけでもない、健康な女子高生を、はつらつに、特にオーラもなく演じている。おそらく新劇俳優なのだろう、華やかさとは無縁な、マジメな若手女優。
 固い少女の役が似合う彼女が、いかなるときを経て、峰不二子の悩殺ヴォイスを身につけたか、その中間がぼくには、まったくわからない。
 前日、阿佐ヶ谷に映画を見に行ったとき、ロビーでこの映画の話をしている客がいて、「笑えますよ」といっていたのを聞いたが、ぼくには、笑う要素はなかった。第二東映の、低予算Bムーヴィーだが、まじめにつくっていて、無論低予算ゆえの限界は多々ありつつ、逃げ惑う人々のエキストラだけは大量であり、その避難民たちの背景であるオープンセットも素晴らしく、三田佳子も美しい。
 白黒映画特撮の常として、廃墟の映像は、美しい。ミニチュア感丸出しのソ連ミサイル基地の特撮も微笑ましい。
 それはそうと、NHKのアナウンサーは、地球滅亡の際にも、淡々と感情をこめず、ニュース原稿を読み続けるのだろうか。北朝鮮のアナウンサーも、あの様式美?丸出しの感激調で、地球滅亡の際も、将軍様を褒め称えるのだろうか。
 ちなみに二階堂有希子に関しては、冒頭クレジットに出てきたので、注目していたが、流しの男が、とても好ましく、しかも顔はよく見る俳優なのに、名前が出てこない。名高い日本映画データベースもおざなりな記述、二階堂有希子という重要アイテムさえ出てこない。で、一般社団法人日本映画製作者連盟のホームページを見たら、一発回答、かの小津安二郎「早春」などでおなじみの増田順二だった。味あるよなあ、増田順二。
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by mukashinoeiga | 2011-01-22 22:34 | 旧作日本映画感想文 | Trackback | Comments(0)

牧口雄二「らしゃめん」

 阿佐ヶ谷にて。「エロ・グロ・純情 東映カルトプリンス 牧口雄二の世界」特集レイト。77年、東映京都。
 当時そこそこ話題になっていたという、鰐淵晴子のムード歌謡?「らしゃめん」を基にした企画。
 いや、映画の中に流れる曲を聞くと、ムード歌謡とは違うな。女優さんがよく出す、ささやき歌唱のセンチメンタル・ソング。でも、女優さん物の中では、しっかりした歌唱。さすが、少女ヴァイオリニストが、最初の売りだっただけはある。
 で、明治初期の日本が舞台。東映好きだよねー、明治初期モノ。任侠モノで培ったセット、オープンセットのノウハウが生かされ、こういった際物低予算映画でも、らしく見えてしまう。
 で、アメリカ公使?である「毛唐」の現地妻に、金銭づくでなる話。これを仲介する悪徳商人に、遠藤辰郎って、かれ以外誰がいるかという直球ど真ん中のキャスト。嫌ったらしいモミテをして、嫌ったらしいだみ声で「さんきゅう・べりぃ・まっち」と毛唐に猫なで声。いやあ、外さないわ。
 当時アラサーくらいか、よくわからんが、で、あのソース顔(ふるっ)で、男知らずのおぼこ娘という設定にも無理はあるのだが。
 しかし、この映画の第一目的は、ヒロインをいかに美しく撮るか。ということで、撮影・タッド若松・越塚堅ニって、たしかうすい記憶では、タッド若松はグラビア・カメラマン? この映画、ほぼ全編を通して、画面が白っぽい。なんと、おそらくほぼ全編で、ソフト・フォーカス。
 だから、かどうか、鰐淵晴子はこの上なく美しく、セクシー。ただ、画調を統一する必要上、成田三樹夫や室田日出男、川谷拓三まで、ソフト・フォーカスというのも、いかがなものか(笑)。
 そんなことしなくても、鰐淵晴子は十分きれいなのに。
 しかし、これは、よってたかって精神的SMを強いている気がするが、鰐淵晴子に。
 ドイツ人とのハーフに、やまとなでしこを演じさせ、「獣みたいな毛唐」に金で買われる女を演じさせ、街に出れば、「毛唐に抱かれる裏切り者」呼ばわりで、さんざん石を投げられる役。その後も、吉原の娼婦となり、「毛唐」に人生狂わされた女。うーん、よく、演じた。
 たまたま「らしゃめん」という曲が注目されたばっかりに。
 この人ももっと注目されてよかった女優で。
 「オードヴィ」あがた森魚、「HOUSE」大林宣彦とか、趣味的な映画作家にばかり起用されるかわいそうさ。
 なお、冒頭の説明字幕にびっくり。らしゃめん(洋妾)の語源は、もともと「毛唐」の皆さんが、長い航海(しかも女抜き)で、性欲の捌け口に船に乗り込ませた動物(羊かヤギあたり?)をらしゃめんといっていたそうで、その性欲処理用動物の「代用品」として、現地日本の女性を採用したという。獣の代用品だったのね。
 あほなウェイターに扮した川谷拓ぼんの馬鹿馬鹿しいコント演技に爆笑。
 なお、肝心の(笑)鰐淵晴子のヌードだが、ほんの少しだけ。しかも、顔とおっぱいを同一ショットに映さず、後姿のあごですら、似て非なるもの、ボディダブルでしたね。演技上はそれなりに熱演しているんだけど、薄皮一枚で、ビビりましたね。
 あと繰り返しになりますが、女の定めの悲しみを歌いながら、そのシーンになると観客の下心も満足させようという、こういう映画は、しらける。どっちかに、徹底してくれいと。
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by mukashinoeiga | 2011-01-20 23:55 | 旧作日本映画感想文 | Trackback | Comments(0)

佐藤武「スラバヤ殿下」

 阿佐ヶ谷にて。「元祖マルチ・タレント 徳川夢声のほろよひ映画人生」特集。55年、日活。 
 いや、つまらん。わりとカルト作っぽい評判のある映画だが、これはひどい。
 いや、ぼくも、ひょっとして、見てるかなあ、と疑心暗鬼で阿佐ヶ谷くんだりまで出かけたのだが、開場前のロビーでHeroさんから、「見てるんじゃないですか」と強い確信を持って断言されてしまう(笑)。本人より以上に確信的に、ぼくの鑑賞暦をなぜ、断言されてしまうのだ(泣)。
 で、まあ、これは森繁映画史上もっとも、詰まらん映画だと、こちらは確信を持って断言したい。仮にぼくが前に見たとしても、あまりのつまらなさに爆睡したゆえ、記憶に残っていないのだろう。ぼくの記憶力のせいではない。というのも、今回も、あまりのつまらなさに、所々寝てしまったからである。
 なぜこの特集にこの映画が入っているかというと、徳川夢声がナレーターを務める。このナレーションがウザい。不必要。画面を見ればそのままわかることを、うだうだしゃべり続け、そのあげくに、画面の活性化すら阻害されている始末。
 洋行帰りの、俊英の原子物理学者に森繁。
 その不肖の弟で、兄の名を勝手に使い、小ざかしい商売をする、ペテン師が、やはり森繁。もともといんちき商売なので、立ち行かなくなり、顔を黒塗りで、アフリカ某国のスラバヤ王子に変装する。つまり、森繁の一人二.五役といったところか。
 同じ年の「森繁のペテン王」の面白さに比べて、脚本もダメだし、演出もダメ、何よりかっちりと役を演じさせられているだろう森繁の闊達さがないのが、惜しい。がちがちに縛られて、演技しているだろう森繁の息苦しさまで、想像してしまうのは、妄想か。
 原作・菊田一夫、脚本・柳沢類寿、というかなり強力な布陣なのだが、これは。もっとも、菊田の純コメディーというのも、イメージじゃないのだが。
 デヴュー直後の、馬渕晴子が、意外にも、やや、可憐。


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by mukashinoeiga | 2011-01-19 19:29 | 旧作日本映画感想文 | Trackback | Comments(0)

斎藤寅次郎「爆笑水戸黄門漫遊記」

 阿佐ヶ谷にて。「元祖マルチ・タレント 徳川夢声のほろよひ映画人生」特集。59年、東宝。 
 三組の水戸黄門ユニットが、乱舞?する。
 水戸黄門がキンゴローで、助さん格さんに、柳沢真一、南道郎。
 水戸黄門が由利徹で、助さん格さんに、八波むと志、あと、名前度忘れの「ハヤシもあるでよ」の人ね。
つまり、脱線トリオがそのまま水戸黄門トリオに。
 水戸黄門が徳川夢声で、助さん格さんに、夏木陽介、佐藤允。
この三組目が、一応本物ということになっている。
 いやあ、みんな好きなんだなあ、水戸黄門。でなきゃ、こんなに、ニセモノ騒ぎ、なんて話は、出来ないよねえ。そして水戸黄門といえば、三題話とも言うべき、綱吉、生類憐みの令が、ひとつ話で。
 冒頭の大名行列ならぬ、お犬様行列が、おかしい。腰元たちが「今度生まれるときは、お犬様に生まれ変わりたいー」とコーラスしながら、ついていく。このお犬様をお殺害した疑いをかけられて、うなぎ屋キンゴローと、その客柳沢、南らは江戸を落ちていく。その旅の途中で、仕方なく水戸黄門ユニットを結成していく。
 お犬様家来に有島一郎、この種の街道ものでは定番の女すりに中田康子、悪家老にトニー谷、歌いながら客引きの旅館ガールに、ザ・ピーナッツ、と、まあ、にぎやかす。
 カラー・シネスコ・ニュープリントに再現された、アチャラカといえど、本物の時代劇そのままのセット、オープン・セット、エキストラの数、その手抜きなしの美術も、よい。ただ、まあ、お笑い度は。
 キンゴローたちを追う十手持ち・谷晃が、いつも鼻の穴に十手を突っ込んで持ち歩きするのが、馬鹿馬鹿しい。
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by mukashinoeiga | 2011-01-18 09:00 | 旧作日本映画感想文 | Trackback | Comments(0)

小田基義「極楽大一座 アチャラカ大当り」

 神保町にて。「新春!喜劇映画デラックス」特集。56年、連合映画・配給東宝。
 前にやはり神保町で見た、前作小田基義「極楽大一座 アチャラカ誕生」がとても面白かったので、今回も期待したが、いささか、大当たりとは、参らぬようで。
 エノケン、キンゴロー、トニー谷、のり平、らのドサ周りの一座の、ステージと、バックステージを描く、毎度の一篇。
 女優不足の折、たまたま訪ねてきた昔馴染みの古川ロッパ先生を、嫌がるのに、女優に仕立て上げる。なんと、髭をそり、腕に女性ホルモンを注射!し、女装させて舞台に。
 何とか舞台を勤めていたが、途中で、なんだか動作が荒々しくなる。「女性ホルモンが、切れた!」って、あんた。
 お笑いの基本は、女装というのは、今も昔も、変わらぬ鉄則のようで。キンゴローもエノケンも、とりあえず、女装。もともと女形の役者役のトニー谷、のり平は、男の役でも、シナを作る。この二重の倒錯こそ、気色悪いけど、芸能のハナ。
 なかでも、巡礼少女に扮したエノケンが、<様式美としての少女のしぐさ>出色の出来。ただ、カツラかぶって振袖着てるキンゴローとは、やはり、出来が違う。
 こうして昔から、偽装であろうとなかろうと、真剣なものであろうとお笑いであろうと、いわゆる(広義の)MTFは、芸能の世界で受け入れられてきた。今もTVヴァラエティーでは、花盛り。花か(笑)。すくなくとも、ハナだわな。
 しかるに、いわゆる(広義の)FTMは。宝塚と、美空ひばりを除いて、芸能の視点を欠いていたゆえ?に、社会の表面からは、沈んでいる。この差はなに。ぼくは宝塚の男役諸君を、TVのヴァラエティーで活用するとどうなるか、興味があるが。
 ま、それは、さておき、このドサ回り一座の周辺をうろつく、チンピラたち、その中のさらに異分子である、大泉晃の、すばらしさ。
 お釜帽に、中性的な衣装が、ああ、コーディネートは、こーでねぇと、というような今でも通じそうな感じで、この時代の中では、異彩を放って、面白い。存在自体も、ふわふわ風のように漂い、誰に対しても、どんなときでも、「すいません」「すいません」と、口癖のように、ひたすら、あやまり続ける。
 ドサ回りの一座は、軍隊で同じ部隊の釜の飯を食い、戦後は、ひっそり寄り添って、一座をなして、舞台を勤めている設定。一方、大泉らチンピラたちも、また同じ部隊で同じ釜の飯を食い、戦後行き場所を失って、チンピラとなった。やけくその果ての、アチャラカなのか。
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by mukashinoeiga | 2011-01-17 21:15 | 旧作日本映画感想文 | Trackback | Comments(0)

瀬川昌治「喜劇 男の腕だめし」

 神保町にて。「新春!喜劇映画デラックス」特集。74年、松竹大船。
 この時代の松竹らしい、エロティック人情喜劇。
 ストリップ小屋の支配人・フランキー堺、看板ストリッパー・太地喜和子、対するは、所轄署風俗係に新任の若き刑事・湯原昌幸、ストリッパーがご開帳に及ぶと、現行犯逮捕することに、意気込む。
 女性登場人物は、ほぼストリッパーだから、太地喜和子、春川ますみ、相川圭子、ほかが、とにかく脱ぐ脱ぐ。
 太地クラスの女優がばんばん脱ぐのは、時代だよなあ。それに比べて今は・・・・(泣)。春川ますみは、当時グラマーとされていましたが、今見るとデブのわりに貧乳で。
 最初と最後に、二度、太地はストリップ。おっぱいはもちろん、ぷりぷりのお尻も披露。ま、ストリッパー役だから、当たり前ね。
 ところが最後のほうの脱ぎには、おかしな撮影法が。最初の脱ぎは、ちゃんと、顔とおっぱい、顔とお尻を、同一のショットに納め、ちゃんと太地本人の裸とわかる撮り方。ところが最後脱ぎは、顔とおっぱい、顔とお尻を、律儀に分割したショットが続く、典型的ボディダブルな、撮り方。一本の映画で、これはなに。
 たぶん太地本人の女優魂は別にして、最初のシークエンスであまりに脱ぎすぎていたのを、所属事務所の文学座マネジメントあたりが、怒ったのではないか、と推測するが。「太地は、杉村春子先生の次に、文学座をしょってたつ女優ですぞ。そ、それを、あんなにお尻も、おっぱいも・・・・きーっ」てなことか。たぶん。
 ということで、一本の映画の、ひとりの女優のヌードに、異なる二つの階層の撮影方法が、共存しているのだ。
 映画自体は、そこそこに面白く、ほどほどにつまらない。
 何より、ある年齢を過ぎたフランキーは、面白くない時は、まったく面白くないし、当時TVで人気の湯原は、映画では意外にも、マジメさが先に立ち、コメディには不向き。湯原の代表作は、90年代の三池崇史のVシネで、殺し屋役をやったものだろう(タイトル失念)。
 女性の秘所ご開帳は、わいせつ物陳列罪で現行犯逮捕、ストリッパー逮捕に腐心する湯原は、夜遅く独身住まいの部屋に帰ると、そそくさとTVをつけ、深夜番組のストリップ(ただしおっぱいまで)にコーフン、若き欲情に身悶え。
 おっぱいはオーケーで、あそこがアウトというのが、よくわからない。といいつつ、おっぱいはこのブログに書けるが、あそこつう曖昧表現も、結局湯原と同じか(笑)。

●追記●湯原昌幸が圧倒的にカッコよかった三池Vシネは、調べてみたら「新・第三の極道2」でした。あの湯原は、本当によかった。作品自体もグッド。90年代の三池の何作かは、今のぐだぐだの三池映画が、足元にも及ばないほど、クールだった。

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by mukashinoeiga | 2011-01-16 09:32 | 旧作日本映画感想文 | Trackback | Comments(0)