<   2009年 11月 ( 16 )   > この月の画像一覧

木下恵介「パンドラの匣」

 川島版に続いて、少年主演の映画といえば、このひと、の木下版「パンドラの匣」を妄想する。
 その登場人物を一覧すれば、

●ひばりの同室患者
ひばり   20歳男子。結核としては軽いほう、ちゃんと養生すれば半年後退院予定。
越後獅子 なにやら大物らしい、年配患者
つくし    まじめな妻子持ち・・・・しかし後にマア坊にラヴレター 
かっぽれ  美男子にして激情家のアンちゃん 何かと感激、興奮、泣いたり怒ったり
固パン    助手たちに人気の学生 
●助手・他
マア坊   18歳の看護婦。くるくる変わる気分屋。ひばりは、いいように振り回される。
竹さん   20台半ばの看護婦。美人で気立てのよい働きもの。実はひばりに・・・・
くじゃく    やたらと厚化粧ゆえこのあだ名の助手
キントト   他に助手として、うるめ、ハイチャイ、となかい、こおろぎ、カクラン、など    
場  長   この健康道場を独自の治療法で運営する院長
ひばり友  ひばりの文通相手。道場にひばりを見舞う好青年
ひばり父
ひばり母
越後~娘  越後獅子を頻繁に見舞いに来る
隣室患者  ひばりたちと、対抗する、にぎやかし集団

 で、木下版キャスティングは、

●ひばりの同室患者
ひばり    石浜朗  
越後獅子  宇野重吉
つくし    三国連太郎
かっぽれ  川津裕介  
固パン    田村高広    
●助手・他
マア坊    岡田茉莉子  
竹さん    高峰秀子  
くじゃく   東山千栄子  
キントト   岡村文子      
場  長   上原謙  
ひばり友  三上真一郎  
ひばり父  菅井一郎
ひばり母  田村秋子
越後~娘  久我美子
隣室患者  小沢栄太郎
       三井弘次

 木下美少年の極めつけ、もうこのひとしか考えられない石浜朗が、ひばり。フランキーなど問題外の直球ど真ん中。しかし、当時の批評は、イマイチ歯切れが悪いのね。
 それもそのはず、石浜ひばりは宇野重吉のベッドにやってきては、宇野の手を握って、うるうる涙ぐみ、好漢・三国のベッドにやってきては、三国の手を握って、うるうる涙ぐみ、好青年・田村のベッドにやってきては、田村の手を握って、うるうる涙ぐみ、川津のベッドにやってきては、川津の手を握って、うるうる涙ぐみ、場長・上原とも、手を握っては、うるうる涙ぐみ・・・・
 原作は、ひばり・マア坊・竹さんの三角関係ラヴコメなのだが、ひばりはちっとも女性に関心を示さず。高峰秀子の竹さんは、<大人の女>というよりは、母的役割になっている。
 助手に、松竹の看護婦といえばこのひと、愛染かつら全シリーズ(含む他社作品)の看護婦長・岡村文子、厚化粧助手に、まさかの東山千栄子、木下はおばあちゃん女優(失礼)をいじるのが好きだから、お茶目なシーンになっている。
◎追記◎なお、本作は「パンドラ園の乙女」と改題されている。

◎架空映画感想駄文◎
★川島雄三「パンドラの匣」★
★木下恵介「パンドラの匣」★
★成瀬巳喜男「パンドラの匣」★
★鈴木清順「パンドラの匣」★
★増村保造「パンドラの匣」★
◎本当の映画化作品◎
★吉村廉「看護婦の日記」★
[PR]

by mukashinoeiga | 2009-11-29 19:14 | 架空映画妄想キャスティング | Trackback | Comments(0)

川島雄三「パンドラの匣」

 生誕百年ということで、太宰治の映画化がいくつか。
 根岸吉太郎「ヴィヨンの妻 桜桃とタンポポ」(「今、そこにある映画」にて感想)は、見たものの「パンドラの匣」には食指が動かぬ。なんてったって天下の大愚作「パビリオン山椒魚」の監督だもんなあ。
 と、いうわけで、ありうべき?「パンドラの匣」を妄想してみよう。
 太宰治の快作中編小説「パンドラの匣」は、昭和20年の秋に新聞連載された。時代相をジャーナリスティックに捉えた部分は、新聞というメディアに連載されたせいかもしれない。
 主人公は、喀血したのだが、両親には隠していた。しかし、この年の8月15日の玉音放送、その方の声を聞いて、気分が不思議とすっきりして、父母に自らの喀血の事実を告げる。かくて、彼は地方の山の奥の結核サナトリウム<健康道場>の住人となる。
 と、いうと、いささか暗い話に思われるかもしれないが、この小説のノリは、まるで学園もののラブコメのようなのだ。主要登場人物は三人。

ひばり  20歳男子。結核としては軽いほう、ちゃんと養生すれば半年後退院予定。
マア坊  18歳の看護婦。くるくる変わる気分屋。ひばりは、いいように振り回される。
竹さん  20台半ばの看護婦。美人で気立てのよい働きもの。実はひばりに・・・・

 この<健康道場>では、入院患者も看護婦(助手と呼ばれている)も、あだ名で呼ばれている。男の子なのに、ひばり、というあだ名からして、今でいう<萌え>な感じだが、結核としては軽症というところが、明るさのもとに、なっている。しかも、マア坊からも竹さんからもモテモテ状態。
 この三人は、それぞれ、男子アイドル枠、女子アイドル枠、美人女優枠、と言うことで、きわめて青春アイドル映画的である。なぜこれまで映画化されないのかフシギなくらいである。
 では、ありうべき映画を妄想するに当たって、他の登場人物も紹介する。

●ひばりの同室患者
越後獅子  なにやら大物らしい、年配患者
つくし    まじめな妻子持ち・・・・しかし後にマア坊にラヴレター 
かっぽれ  美男子にして激情家のアンちゃん 何かと感激、興奮、泣いたり怒ったり
固パン    助手たちに人気の学生 
●助手・他
くじゃく    やたらと厚化粧ゆえこのあだ名の助手
キントト   他に助手として、うるめ、ハイチャイ、となかい、こおろぎ、カクラン、など    
場  長   この健康道場を独自の治療法で運営する院長
ひばり友  ひばりの文通相手。道場にひばりを見舞う好青年
ひばり父
ひばり母
越後~娘  越後獅子を頻繁に見舞いに来る
隣室患者  ひばりたちと、対抗する、にぎやかし集団

 ね、面白そうでしょ(押し売り)。
 では、川島雄三版「パンドラの匣」を妄想する。まず、キャスティングから。

●ひばりの同室患者
ひばり   フランキー堺
越後獅子  伊藤雄之助
つくし    三橋達也
かっぽれ  桂小金治
固パン   小沢昭一
●助手・他
マア坊   団令子
竹さん   淡島千景
くじゃく   浪花千栄子
キントト   淡路恵子  
場  長   森繁久弥
ひばり友  小林圭樹
ひばり父  フランキー堺(二役)
ひばり母  清川虹子
越後~娘  池内淳子
隣室患者  山茶花究
        三木のり平

【当時の評】監督の川島雄三は、原作者太宰治氏の同郷者である。しかも上京の後は、江戸偽作派と称し、くだらない喜劇映画をも作ってきた。ここいら辺のところも、含羞のコメディアンを気取る太宰氏と似ていなくもない。「女は二度生まれる」や「雁の寺」など、良質な文芸映画も撮れる御仁である。太宰治を映画化するにあたって、もってこいの人物かと思われた。
 しかるに、なんとしたことか。これでは、まるで、いつもの東宝どたばた喜劇そのものではあるまいか。絶対安静にしていなければいけない結核患者たちが、フランキーはじめ病院内を走り回ったり、枕投げの大騒ぎを起こしたり、大喧嘩をしたり、もはやあいた口もふさがらぬ。だいいち純情青年役に、老けも老けたりフランキーである。なにをかいわんや。
 フランキーと団、森繁と淡島が、玉川上水べりで逢引き、というのも、本人としてはしゃれているつもりなのか。ひどすぎる。狂気の沙汰である。


 う~む。川島、いきなりの暴投でありますね。確かに青春純愛コメディとは似ても似つかぬものに。同郷の先輩である太宰をまじめに映画化することにテレがあったのか。しかし、これはこれで「貸間あり」に続く、なかなかの快作コメディであり。
 森繁を場長役にしたために、本来は出番の少ない場長が大活躍。原作ではまじめな医者だったものを、助手さんたちにセクハラしまくりの人物に。淡島だけでなく、淡路ともデート。フランキー・淡島・団・淡路・森繁の五角関係コメディとなってしまった。
 そして、デートは必ず玉川上水。そして、必ずデートのどちらかが入水心中を迫るという。なお、このデートシーンには、いつも着流しの男が女と出没している。つまり、太宰治らしいのだが、これがどう見ても太宰には見えない中村是好、連れている女も丹下キヨ子、塩沢とき、横山道代と、毎回違う。フランキーや森繁が現われるたびに、心中を邪魔され、右往左往したあげく、毎回玉川上水にハマって、ずぶぬれ、というばかばかしさ。
 もはや太宰原作とはまるきり無関係だが、川島コメディとしては十分楽しめる。
●追記●引用モレがありました。
『本誌既報<撮影所制作状況>では「パンドラの匣」であったが、公開の際「喜劇 駅前入院」に変更された』。「パンドラの匣」ではいかにも硬いし、喜劇とは思われないタイトル、しかももはや太宰とはかけ離れた内容ゆえの題名変更か。しかし駅前シリーズ常連の伴淳が出ていないのに、駅前とは、苦しいところだ。

◎架空映画感想駄文◎
★川島雄三「パンドラの匣」★
★木下恵介「パンドラの匣」★
★成瀬巳喜男「パンドラの匣」★
★鈴木清順「パンドラの匣」★
★増村保造「パンドラの匣」★
◎本当の映画化作品◎
★吉村廉「看護婦の日記」★
[PR]

by mukashinoeiga | 2009-11-29 08:31 | 架空映画妄想キャスティング | Trackback | Comments(0)

酒井辰雄「太陽に背く者」

 京橋にて。「生誕百年 映画女優 田中絹代」大特集。59年、松竹京都。
 松竹京都の、地味な現代劇。志村喬(その妻子が、絹代、千乃赫子)、田中春夫、杉浦直樹の、三刑事の活躍?を描く。ああ、これ、山本薩夫が撮っていたら快作になったろうが。いかんせん、駄目な戦後松竹の駄目な新人監督だからなあ。リアルに行っていいのか、娯楽に行っていいのか、どの場面もきわめて中途半端。ホント、素材としては面白くなる要素満載なのに。
 実際には、山本薩夫にはあんまり出ていないはずの、清水元が、参議院国会議員になっていてはまり役、まさに山薩/山豊ライク。
 重要な証人に、戦前からの松竹俳優、小林十九二。美術に水谷浩! 無駄にしっかりしているセットが、可笑しい。
[PR]

by mukashinoeiga | 2009-11-28 23:43 | 旧作日本映画感想文 | Trackback | Comments(0)

山村總「母子草」

 京橋にて。「生誕百年 映画女優 田中絹代」大特集。59年、東映東京。
 本特集も第二部の戦後編に移って、大部分は既見作。未見のものを拾っていきたいが、この作品はなかでも見たかったものの一つ。山村總の監督作に外れがないからだ。
 静岡県のある町でのロケがメイン。とにかく、町のどこからでもきれいなきれいな富士山がまるっと見える。いつも日本晴れの富士山なのがお約束。現在では静岡の地にも高層ビルが出来て、こんなにすっきりとは見えないだろう。静岡の「県画」の資格あり。
 この町で、個人で洋裁の仕立て屋をしている寡婦が田中絹代。量をさばかなけばいけないエプロンなどの安い量産品の下請けで、いまなら中国が一手に引き受けている類だろうが、だんだん<どこかのお嬢様>が着るようなワンピースなども手がけるようになる。ついこの間まで、若いアイドルの絹代ちゃんを見ていたのに、すっかり苦労人の母が板についている。
 彼女には三人の子供がいて、長女が高校生の佐久間良子。その二個下の弟に水木襄。ついこの間神保町で見逃した「故郷は緑なりき」61では、確か高校生カップルになるふたりだ。
 この佐久間良子が、美しい。後年の妖艶な薄幸の女を演じるそのままの顔で、清純派も似合っている。ただ、彼女に限らないが、東映に所属していた美人女優の常で、作品には恵まれず。東宝も女優を育てないけれど、松竹かせめて日活だったらねー。
 水木は二年連続で大学受験に失敗。近所のおばさん・高橋とよが「また、落ちたんだってねー」とあたりかまわず大声で言うのが、笑わせる。佐久間の高校時代の先生に山村總自身。
 佐久間良子は教師になるべく静岡大学に進学。ただ、課程が二年。この当時の小学校教職課程は二年だったのか。
 教師になると、教え子のひとりの女の子は、母を早くになくして、母のあるクラスメイトに何かと意地悪。「やっぱり男親だけでは、行き届かなくて」という彼女の父に見初められて、プロポーズされる。佐久間もまんざらでない感じ。まあ、この男親が木村功だから、しゃあない、か。
 という、あまり気のない感想のとおり、山村總監督作としてはいささかイマイチ。すっかり職人監督に徹しているなあ。うまいんだけど、それ以上でもない。でも、寄る年波か、お定まりのお涙頂戴には、ついつい泪目にはなるのですが。
[PR]

by mukashinoeiga | 2009-11-27 23:26 | 旧作日本映画感想文 | Trackback | Comments(0)

クリント・イーストウッド「愛のそよ風」ウィリアム・ホールデン

 映画流れ者にて、heroさんオススメのクリント・イーストウッド監督作(出演は無し)を、DVDにて。
 ユニヴァーサル/マルパソ・カンパニー。70年代の作品かと。近年ぼくたちが見ているイーストウッド作品は、マルパソ・プロダクション。カンパニーは前身か。
e0178641_18375596.jpg 原題はBreezy。ヒロインが自らつけた愛称。そよ風のように、さわやかな、陽気な。これに「愛」をつけるのが、邦題の様式ね。
 初老の独り者、ウィリアム・ホールデンの家に、さわやかで陽気なヒッピー娘が、そよ風のように、突然飛び込んでくる。一夜の宿のためには、出合ったばかりの名前すら知らない男のベッドにもぐりこむ。でも、ピュアで交通事故にあった犬に涙ぐんだりする。ヒッピーだけど、純情娘。
 ここで、四つのイーストウッドの定番が、すでに出てくる。
 主役に大スタア、ウィリアム・ホールデンひとりを確保すれば、あとは新人・無名俳優で脇を固める低予算主義。スタアがいて、しかも全体は低予算。ハリウッドのスタジオの許可は極めて取りやすい。しかも気楽だ。最近はスタア的役割は自分自身で済ませて、より効率化している。
 撮影はオール・ロケセット。これまた予算は少なくてすむ。イーストウッド映画は、実はロメール映画に似て、ゴダール映画に似て、いや予算だけじゃなく、その精神においてもヌーヴェルバーグ。ロメールが好きなひとは、このイーストウッド作品も好きになるはずだ。 
e0178641_18383611.jpg 第二は、イーストウッドの老成趣味。先輩格のホールデンをリスペクトして、なおかつそれが自然。自分の実年齢より上のホールデン(役柄設定上は初老だけど、ホールデンの容姿は中老といったところか)に、寄り添うようなストーリー。だから、イーストウッドがこんなに年をとってからも、より輝いている映画作りが出来るのは、彼の若いときからの老成趣味もあるのだろう。おそらく、待ちに待っていたのだ。世代間の対立と融和、若い者と年取ったものとの対立と融和は、たとえばヒラリー・スワンクとイーストウッドに変奏されているだろう。あるいはアジア人少年とイーストウッドにも変奏されているだろう。ある意味、これらはリメイクと言ってもいいだろう。
 第三は。フェミニンな女性ヴォーカルの主題歌。きわめて女の子らしいヒロイン。男くさい、流れ者のヒーロー映画で世に出たイーストウッドが、流れ者の女の子の映画を作る。老成志向とともに、女の子趣味といっていいものが、イーストウッドにはある。
 ケイ・レンズというヒロイン女優もどことなくソンドラ・ロックを、ヒラリー・スワンクを、思わせる癒せがた非美人系ヒロイン。でも、脱ぐと巨乳なのね。このヒロインにふさわしくないような。そこら辺がまだ、覚悟が足りないかなこの当時のイーストウッドは。
 しかし一番の疑問は、この繊細な映画を、なぜHeroさんオススメするかという点だが(笑)。 

●追記●確認してみたら73年作品。ぼくが見たDVDに収録されている日本語吹き替え版は、82年に金曜洋画劇場で放映されたものを再録している。
 約40年前の、さしてヒットしたわけでもない、渋いキャストの旧作洋画のDVDに、新たな日本語版を作るコストはかけられない、ということか。しかし、このリサイクルは実にエコ(笑)。もっとあってもいいと思う。出来うるならば、当時のTVサイズで、解説者の前説後説込みで、間にCMとかも入れてくれると、最高なんだけど。まあ、無理ですね。
 で、面白いのはこの当時の日本語版、途中で時々原語の英語になる。つまり、TV放映時に尺をつまんだ部分は吹き替えしていないわけ。大胆にズバッと飛ばしているわけでなく、チョコチョコつまんでいて、あるシークエンスなどは、日本語英語日本語英語とめまぐるしく、その再編集の職人芸も楽しめるわけだ。一枚で二度おいしい。
 要するに、大筋にはかかわらない、いわゆる捨てカットとか、主役が不在のカットとか、なかでおかしかったのは、ヒロインがシャワーを浴びるために上半身すっぽんぽんになり、巨乳をさらすショットが丸まる原語。ああ、お茶の間には不適と判断されたんだなあ。ぼくら、かつてのTV映画劇場で、どれだけ多くのシーンを見逃されつけていたのか。
 その次のベッドシーンは、無言だったので、つままれたのかどうかは、わからない。そう、せりふがないと、TVでカットされたのかどうか、わからない。これもある意味スリリングだ(笑)。ただ、吹き替え版はBGMが微妙にゆがんだりもする。当時の日本のTV技術、ないしはその録音の保存のせいか。
 なお、以下ラストシーンに言及します。





 ラストシーン。仲直りした二人が歩きつつ、一緒に暮らそうという会話。正確ではない大意。

男「(うまくいけば)一年は持つんじゃないかな」
娘「わお! 一年も!(すごいね!)」

 普通、ラヴストーリーの結末は、永遠の愛を誓うもんでしょう。たとえ、結果的に破れるようなことがあっても。
 なんというシニカル。大人の恋愛物語やなあ。この娘には、前に、人を信頼はするけれど、見返りは求めない、という会話があって、それにふさわしく、あるいは70年代の、陽気かつ狂騒的に浮薄なフラワー・チルドレンの時代と呼応しているというべきか。
 しかし、イーストウッドは、さらに冷笑的な伏線を仕込んでいる。映画の中ほどで、ウィリアム・ホールデンは、前の恋人に振られている。大人の美人だ。彼女は、ホールデンの「お互いに束縛しない恋愛関係」に、疲れた、といって、別れるのだ。つまり、女は、結婚して、安定したい、と。「女が、あなたの、お互いに束縛されない関係に同意するのは、その女が、あなたを愛しているからよ(愛しているから同意したのであって、その、束縛しない関係を肯定しているわけではないのよ)」「(あなたのこの次の恋愛では)けっしてそれを忘れないでね」。
 ひー、ホールデン、完全に忘れているよ。でなければ、「(うまくいけば)一年は持つんじゃないかな」なんて、言えないよね。
 で、あるが。さらにいえば、<流れ者>イーストウッドと、<フラワー・チルドレン>ブリージーは、<連帯を求めて、孤立を恐れず>という、共通点を持っているのだ。かつて鈴木清順は、渡哲也に「流れ者には、女はいらねぇ」という名せりふを言わせたが、つまりは、そういうことだ。どんなにフェミニンな映画を撮ろうとも、イーストウッドはイーストウッドだ。
[PR]

by mukashinoeiga | 2009-11-16 22:32 | 旧作外国映画感想文 | Trackback | Comments(0)

梅津明治郎「忍法破り 必殺」

 阿佐ヶ谷にて。「CINEMA×忍法帖」特集。64年、松竹京都。なお、特集名の×は手裏剣ロゴ。
 当時TVで人気の長門勇を主演にした、戦国時代劇。
 とぼけた、しかしいったん刀を抜けばめっぽう強い浪人者を、長門が好演。このひと「おえんぞなもし」などとひょうきんなのだが、そのメタボな体型から繰り出す体技は、素晴らしい。
 ただ、相棒の若手竹脇無我が痛々しい。演技をするときに、やたらと目が泳ぐ。
 この時期の、やせた丹波哲郎が珍しく、いい方の重職。長門の師匠に曽我部家明蝶。
[PR]

by mukashinoeiga | 2009-11-15 08:50 | 旧作日本映画感想文 | Trackback | Comments(0)

山本嘉次郎「お嬢さん登場」

 阿佐ヶ谷にて。「昭和の銀幕に輝くヒロイン49・雪村いづみ」モーニング特集。56年・東宝。
 これはひどい。こんなつまらん映画は久しぶりに見た気がする。このところ見る映画の平均打率、当たりは、新作旧作含めて、かなり、高い。そのせいで、記録するのが一ヶ月以上滞った。
 いづみは、牧場の明るく有能な働き手。この牧場はもともと、この地方の家老の地位にあった古川ロッパ家から払い下げられたもの。その縁で、ロッパ老人の病気の世話をするために、ロッパ家に住み込む。その明るさで、ロッパ老人のかたくなな心も・・・・。
 というお決まりの話だが。大人になりかけのいづみに、生彩がない。有島一郎、三木のり平コンビの、お笑い担当・ホームレス詐欺師が、延々つまらない、くすりともしないアチャラカ。笑えないどころか、気分をどんどん盛り下げる。これだけでもう悲惨なのに、さらに追い討ちをかけるように、くず屋宮城まり子が延々熱演、延々歌を歌う。宮城まり子うまいよ、確かに。でも、彼女がうまければうまいほど、気分はどんよりして来るんだよ。宮城まり子はうまいんだけど、このひと、人前で歌っちゃいけないよ。
 そして〆には、お殿様・益田キートンの、どんよりと下手な歌。
 映画自体も、こんな劣悪な登場人物の歌とせりふをつぎはぎしているだけ。
[PR]

by mukashinoeiga | 2009-11-15 08:48 | 旧作日本映画感想文 | Trackback | Comments(0)

斎藤光正「斜陽のおもかげ」太宰治吉永小百合新珠三千代太田治子

 神保町にて。「日本文芸散歩」特集。67年、日活。
e0178641_0361285.jpg 本年が生誕百年である太宰治。その「愛人」の遺児・太田治子原作で、原作者がモデルになった役を吉永小百合、母を新珠三千代。
 いやー、きわめてビミョーな映画ですな。この母娘が<健全>であればあるほど、居心地が悪いはめに。
 太宰の愛人は母になり、太宰の死後、一人で働いて、娘を育てている。小説「斜陽」のモデルでありつつ、現実には母子家庭の支え手。この母はアパートの本棚に、太宰全集や、太宰研究のあらゆる書物を集めて、日々それらを読み返している。
 そうして、母と娘は、ふたり顔を見合わせ、微笑み合いながら、頭に記憶している、太宰の文章を朗々と朗読する。ふたり声を合わせ<太宰を合唱>する。
いや、こんなシーン太宰が見たら、恥ずかしくって死んじゃいたくなるんじゃないか(笑)。
あるいは、週刊誌記者(いかにもうさんくさい小池朝雄)が企画する、<太宰の本妻の娘の女子大生>と<太宰の愛人の娘の女子高生>の<ご対面企画>。本妻の娘の威圧的な態度に、吉永は逃げるように帰っていく。本妻の娘、悪役扱いじゃん。いや、でも、これはジャーナリストとしては、ごく真っ当な覗き見企画だから、当然あるでしょう。いやあ、恥ずかしい。誰が。太宰が。
e0178641_037213.jpg 「斜陽のおもかげ」監督はじめ関係者は、太宰に何らかの思い入れがあって、作ったのか。
思い入れがあったら、これはやらないよな、という地雷を踏みまくり。しかし、地雷を踏まないことは、誰がやっても、無理だろうけどね。太宰みたいなひねくれ者、常にズラしていくひとを相手にするのは、はじめから、負け戦なんだろう。
 太宰の友人・壇一雄が出てくる。太宰の思い出を、庭に面した座敷で、吉永に語る。突然、座敷の奥にむかって、「おかん!」と叫ぶ。すると、「おかん」こと夫人(壇ふみをかなりバタ臭くした顔)が庭から料理を持ってやってくる。方向が違うのが、おかしい。壇夫人、料理を持って庭に待機していたのね。
 後半、吉永は太宰の故郷、青森に行く。斜陽館にも、泊まる。太宰の兄に、三津田健。ベスト・キャスティングだ。ただその老夫人が青森現地の素人なのか役者なのか。太宰の中学時代の同級生(小高い丘に太宰碑を建てる)、本人か、と思われたが、なんか地元劇団の役者かも。素人、プロ・アマ?混在のキャスト、ここらへんの虚実混交が、この映画最大の面白さ。

 さらに、これは映画上のフィクションなのか、原作にあるエピソードなのか、太宰ファンの青年(岸田森)と、付き合うようになる吉永。デートはもちろん玉川上水だ(笑)。自分の娘と、自分の熱狂的なファンが、玉川上水でデート。死にたくなりませんか、太宰(笑)。いや、恥ずかしい・・・・。
 太宰大ファンの青年・岸田森、どうしても太宰ファンに見えない(笑)。その両親に高杉早苗(お懐かしい)・芦田伸介。酒を飲みつつ息子に説教するシーンで、ちょうどスクリーン目の前の芦田の、耳の下に汗がたらり・・・・。こういうのも、珍しい。普通ならNGなんだろうけど、単なるいい加減なのか、メタ・フィクション(!)を目指しているのか。

 吉永小百合、とりわけ美少女。健康そのものの美少女。お茶目で、凛々しく、健康的。いまげんざいの吉永さんも美しい。しかし今の吉永さんは、美しさと聡明さだけが残って、<お茶目>でも、<凛々しく>もなく、<健康的>なイメージもない。美少女時代にあった美点が全て、今の吉永さんにはない。繰り返すが、美しさと聡明さだけが、残っている。主演女優としてのオーラが消えうせ、美しさと聡明さだけが残っている。だから、ここ数十年の吉永主演映画は、ことごとく、死屍累々。美しいだけじゃ、駄目なのよ。

 ところで、神保町シアター製作のスタッフ&キャスト・リスト。吉永の幼女時代の子役(くりくりっとしたかわいい目の少女)の表記、

  伊藤久美子(少女時代・六才位)

とあるが、リストのすぐ下、同じ本特集で上映される「火宅の人」86年・東映の項をたまたま見ていたら(リストでは「斜陽のおもかげ」の二個下)、

  伊藤久美子(女郎屋の女)

とある。同一人物だとしたら、20年の歳月を経て、小百合の子供時代役から、女郎役への変遷。いや、役者が役をやるのに、子役も女郎役も変わりはないのだが。とはいえ「火宅の人」は、壇一雄原作の自伝(的)映画で、緒方拳が壇一雄役。しかも、岡田裕介が太宰治役、記憶では屋台シーンに出ていたはず。壇/太宰関連映画に二度も出ている女優。何か、いわれが? といっても、たった二作だけなんですけどね。
 気になり日本映画データベースで見てみたら、

伊藤久美子
出演
1967.09.23 斜陽のおもかげ  日活  ... 町子の少女時代(六才位)
1984.08.10 双子座の女  にっかつ  ... ゆかり
1985.05.08 愛人 悦楽の午後  V企画  ... 桃代
1985.07.20 絶倫海女しまり貝  にっかつ
1986.11.15 極道の妻たち  東映京都
1988.09.17 新未亡人下宿 地上げ屋エレジー  新映企画
2003.06.26 稲川淳二の戦慄のホラー チェーンメール (V)  角川書店

と、あった。別に壇/太宰関連の人ではなかったのね。このフィルモグラフィー、「火宅の人」はないけど、しかし時代の空気感じるなあ。
[PR]

by mukashinoeiga | 2009-11-14 01:27 | 珍品・怪作の谷 | Trackback | Comments(0)

清水宏「女医の記録」

 京橋にて。「生誕百年 映画女優 田中絹代」大特集。41年、松竹大船。
 うねうねと曲がって細い山道を、大勢の男女が歩いていく。それを、小高い山から見下ろすように、ゆらゆらパンするカメラが、延々と写していく。この出だしからして、清水宏の楽しさ。
 まるで、清水お得意のピクニック場面のように楽しそうに歩きながらも、佐分利信は絹代や森川まさみに、文化果つる村の衛生的後進性を長々説明する。ここら辺のクールさが、いかにも異色、いかにも清水だ。
 今でいう女子医大のインターンたちが大勢、歩いて山のなかの無医村に向かっている。研修合宿をかねているのか、村民の集団検診をしたり、治療をしたり、衛生の啓蒙をしたり。その研修医のリーダー格(ないしは講師格)が絹代と、森川まさみ。森川まさみが、クレジットタイトルは二番目だし、実際でも大活躍。珍しい。
 彼女たちが案内人として頼りとするのは、村でただひとりのインテリ、分教場の青年訓導・佐分利信だ。
(◎追記◎訓導とは、自分にはなじみのある言葉でついそのままスルーしてしまったが、小学校教師の意味で)
 この青年は、子供たちに授業を施すだけでなく、村民のあらゆる要望にこたえる、赤ん坊の名付け親から、村民の生活全般の相談役まで。子供であろうと大人であろうと村に重篤な病人が出れば、授業を抜け出してでも、駆けつける。また子供たちは、幼い弟妹の子守をしなければならない。分教場にも何人もの子が赤ん坊を連れてくる、その赤ん坊のおしめを代えてやるのも、教師佐分利の仕事だ。都会では、先進国の仲間入りをしている日本も、山奥ではまだまだ後進国の影を引きずっている、そんな時代。病気を治すのに医者は呼ばず、祈祷師を呼ぶのだ。
 朴訥で誠実で穏やかな、余所者なのに閉鎖的な村の中心にいるような、近代的知性を持つ青年。しかしあまりに頑迷な老人には、つい怒鳴り声を上げてしまう。老成しているわけではないのだ。百有余年の日本映画史あまたいる俳優たちのなかで、こういう人物を演じて、おそらく佐分利信の右に出るものはいないだろう。
 しかし淡々とした佐分利、淡々とした清水演出は、けっしてこの青年を「感動」を持っては描かない。普通なら、お涙頂戴のメロドラマになるだろう。絹代はサブリンに恋するだろう。普通の、戦前松竹メロなら、疑問の余地なく、そうくる。いや松竹に限らない、普通の娯楽映画なら絶対そうなるだろう。
 結局、絹代は、研修が終わるその日の夜に、この村に残ることを村人に告げる。翌日から、分教場の校庭でサブリンが子供たちに体操の授業をする横で、子供たちの子守の負担を軽減すべく、子供たちが<のんびり勉強できるよう>青空託児所を仕切る絹代の姿が描かれて、終。いや、やはり絹代は佐分利に同士的愛を抱いているのかもしれないが、その描写は、かすかで、至ってクール。ただ、目線のやり取りに、それを察するのみ。
 実際の清水宏本人は、河村黎吉が演じそうな、小悪でも、あるいは善良なオヤジでもあったらしい二面性の持ち主。が、その作品に流れる清水のごとき清浄さ?こそが、清水映画の真骨頂。
 ただし、近代的知性を啓蒙する、というのは、いささか理が勝った発想で、天然ののほほんさを旨とする清水映画としては、何かしらの味気なさもあるのは事実。まあ、近代におけるのほほんには、ある程度の知性の裏付けが必要っちゃ、必要ではあるのだが。反近代であるためには、まず、近代である、という前提が最低限必要なわけだし。
 何、寝言言ってるんだ、俺。ま、要は、きまじめが取り柄である絹代には、清水映画ののほほんさ、知性に裏付けされたノンシャランが似合わないということだ。元夫婦だった、主演スタアと監督にもかかわらず、映画的には相性はあまりよくない。ま、実際の相性もよくないから離婚したのだが。ここは天然のほほん愛嬌ある桑野通子とサブリンのベスト・カップルで見たかった、と。ま、絹代より、クワミチ好きの、言っても詮無い、戯れ言でしたね。

【映画】女医の記録 - 1941

◎追記◎たかぎさんツイッターの、
「女医の記録」クレジットに女子医大生?の頭に槇芙佐子の名があって槇芙佐子ファンとしては背後の女子医大生なるべく観てたんだけど特定しきれず。あの子かしら?という子はいたのだけど。本格デビューする前って結構アイドルでも顔変わったりするから。でも本筋に没頭してチェックは甘かったのは確か

だが、下記映像の1:09:22あたりが、そうではないか。
これ以外でも、二度にわたる村民レポート読み上げインターンも、それっぽい。

★新・今、そこにある映画★日本映画・外国映画の、新作感想兄弟ブログ。
★映画流れ者★当ブログへの感想・質問・指導・いちゃ問はこちらへ

★人気ブログランキング・日本映画★
↑↓クリックしていただければ、ランクが上がります(笑)。
にほんブログ村 映画ブログ 名作・なつかし映画へ
★にほんブログ村・名作なつかし映画★
[PR]

by mukashinoeiga | 2009-11-12 22:49 | しぃみず学園清水宏おぼえ書 | Trackback(1) | Comments(0)

木下恵介「結婚」

 京橋にて。「生誕百年 映画女優 田中絹代」大特集。47年、松竹大船。
 上映プリントが変。プリント自体は傷もなくきれいなのだが、松竹保存のフィルム原版(ネガフィルムのことか)が劣悪だったため、粒子が粗く、きわめて劣化した映像なのだ。細かい部分のテクスチャーは完全に飛んでいて、数十年前の幼稚なコピー機で、何度も重ねコピーしたような劣悪ぶり。もう、まともな鑑賞が出来る状態ではない。さらに、サウンド・トラックも同様に劣化していて、せりふも2~3割程がやっと理解できる程度。
 松竹の技術的ずさんさ、商品としてのフィルムへの無理解、戦後の品質管理の劣悪を象徴するようなものだが、まあ、映画自体の出来が出来だけに、あまり強くはいえない(笑)。これがもし、稀代の傑作、とまではいかなくても、それなりの快作なら腹も立とうが、ま、作品の出来もかなり悪い。なにやら経済的事情で結婚出来ないらしい上原謙と絹代の、ハレバレしない恋愛模様が、お定まりに描かれるだけ。
 実はわたくし、このフィルムにシンクロし過ぎたのか、前半は爆睡状態。ほとんど、寝ていました。いやあ、程よくつまらない映画で、寝ちゃうというのもたいへん気持ちのいいもので(笑)。
 しかし、珍しく(笑)起きているときに見たのが、デート中の上原、絹代。ダンスホールの前で、踊ろうよ、いやよ、わたし踊れないの、のあとの絹代のせりふ。あたし見ているから、他の女の人と踊りなさいな。で、入店。上原謙は他のダンサーと踊り、それを見ている絹代。これ、ヘンじゃないの。ふつうあり得ないでしょ。いや、ぼくの偏見によれば、愛する男が女と踊っているのを、指くわえて見ていた木下の体験が反映しているのでは、って(笑)。
 あるいは、父親(老け作りの東野英治郎)が反対するらしいので、上原と結婚できない(らしい)絹代。何しろ爆睡していたので、よくわからぬのだ。しかし、上原の田舎の母が危篤という電報を受け取った上原、ぜひ絹代を母に一目会わせたいので、田舎へ一緒に行ってくれ、と頼みに来る。ここで、東野親父、やっと絹代を許す。上原の田舎に行って、お母さんに会っといで。家族(母・東山、妹・井川など)は、やっと結婚できるね、とおめでとうおめでとうを連発。「いっそ上原田舎へ行くのを、新婚旅行にしたら」。そこまで、言う。未来のお姑さん危篤、なのに。なんて、鬼畜一家だ(笑)。とにかく危篤のお母さんの元に汽車で行く、のに、おめでとうおめでとう、の連発。なんてこった、木下。いよいよ、娘の門出だ、と杯を酌み交わす父と娘。って、上原母危篤に駆けつけるのに、祝い酒、って。
 この、凡庸かつフシギななホームドラマ、とにかく絹代一家全員動きがきびきび。日本家屋の中でことごとく俊敏な動作。寝たきりの東野が、無理やり起きて着替えをするさえ、敏速に足袋を履く。いや、とにかくドンくさい日本的メロドラマには、しまい、という才人木下の才気ゆえか。ラスト、上原の元に駆けつける絹代の異常なすばしっこさ。う~ん、フシギだ。
[PR]

by mukashinoeiga | 2009-11-12 22:48 | 珍品・怪作の谷 | Trackback | Comments(0)