<   2009年 09月 ( 14 )   > この月の画像一覧

萩原遼「江戸遊民伝」

 京橋にて。「生誕百年 映画監督 山中貞雄」小特集。59年、松竹京都。
 36年の山中貞雄「河内山宗俊」を、「鳴滝組」最年少メンバーの萩原がリメイク。81分のオリジナルを、三村・山中脚本を援用したにせよ、104分に長大化。リメイクにありがちなメタボ化は、タイトなゆえに快調だったオリジナルの感興をぶち壊す。とにかく余計な雑味が増えて、オリジナルのささやかな情緒も台無し。これじゃあ、直侍(松本錦四郎)河内山妻女(藤間紫)花魁(嵯峨三智子)の馬鹿っぷりばかりが目立ち、肝心の河内山が間抜けな犬死ににしか、みえない。
 河内山・近衛十四郎は好演。相変わらず立ち回りはえぐい。一方、時代劇は珍しい宇野重吉が、ニヒルな浪人・金子市之丞って。立ち回りの宇野が、上半身が前のめりの頼りない太刀捌きで。腰が後ろに泳いでいる、いわゆるへっぴり腰という奴か。時代劇でこんなブザマなおさむらい役というのも、初めて見ました。
 オリジナル原節の役回りに青山京子。ちゃんとした美人でほっとしました(笑)。というのも現在阿佐ヶ谷でモーニング上映中の、雪村いづみ特集のチラシで、共演の青山京子の、すごい写真が使われているからで。女学生の青山、十代成長期の女子にありがちな、超デブ体系。こんなんで、まずいだろアイドル女優が、というくらいの問題デブ。隣の雪村が細いので余計悪目立ち。
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by mukashinoeiga | 2009-09-26 00:27 | 旧作日本映画感想文 | Trackback | Comments(0)

山中貞雄《パラパラ漫画アニメ》

 京橋にて。「生誕百年 映画監督 山中貞雄」小特集。
 「江戸遊民伝」の冒頭おまけの2分30秒デジタル上映。生誕百年の山中特集、とはいえ残存作品が少ないので、きわめて貧しい特集内容。山中脚本・他監督の平凡なサイレント時代劇なんて、この数十年に何回上映していることか。こんなつまらないのを何回もやるくらいなら、もっとやるべきものはあるはずで。という貧弱な内容で、新発掘の山中監督作も望むべくもなく。
 で、今特集の唯一最大の目玉??が、学生時代の山中使用の辞書の左下余白に、描かれていた、いわゆるパラパラ漫画!その、アニメ化!! 学生時代に、授業の合間の暇つぶしに書くパラパラ漫画(ま、ぼくも何コマか描きました。気力が続かないから、ほんの何コマかね)、それをデジタルとはいえアニメ化(パラパラ漫画だから、しかるべく連続で映せばそのままアニメ化されることになる)、元の辞書の何十倍かで大画面に写す。映画史上初めての珍事ではないかしらん。
 ところが、これがすごいのだ。普通ぼくたちが描いたパラパラ漫画といえば、画面はフィックスで、人物などが粗雑に動くだけ。ところがこの山中パラパラ、縦横無尽自由闊達に横移動。「カメラ」もずんずん前に横に斜めに移動する中、線だけの人間たちが、走り、走り、また走り、敵を刀(も、もちろん線だけ)でばったばったなぎ倒し、あるいは背負い投げで投げ飛ばし、走り走り、馬(も線だけ)の群れも走り回る。単純な立ち回りアクションが実に豊穣に描かれる。このパラパラ、立派に映画なのである! 山中は学生時代の辞書の余白の、戯れのパラパラ漫画においてさえ、すでに、当時の世界の映画撮影技術の、はるか上を行く、超高度な撮影テクニックを、使いこなしていたのだ! たかがパラパラ漫画で。すごすぎる。
 しかも、このパラパラ漫画、ヴィスタ・サイズかシネスコ・サイズか、横長の画面なんである。当時の映画はもちろんスタンダード・サイズのみ。よりアクションにふさわしい横長サイズの採用、ただ事ではない。
 今回のアニメ化は、同工のショートショート三篇の繰り返しだが、できれば最後に、オリジナルの辞書左下余白利用と同じ、三画面横並列の、マルチ画面でも再現してほしかった。
 なお本特集はあさって27日までの上映だが、この山中パラパラ漫画は、明日26日13時の回を残すのみ! 必見!
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by mukashinoeiga | 2009-09-26 00:26 | 傑作・快作の森 | Trackback | Comments(10)

黒い沢ほどよく明か

<B級ジャンル映画>中興の祖・黒沢明映画の正体を妄想する
                                   by 黒痴・・・・昔の映画

1 <B級ジャンル映画>中興の祖・黒沢明映画の正体を妄想する

2 チーム黒沢と黒沢ブランド映画の関係

3 「静かなる決闘」

4 「悪い奴ほどよく眠る」

5 「醜聞<スキャンダル>」

6 「生きものの記録」

7 「一番美しく」


以下、近日公開予定



●近日公開予定●
川島あり川島雄三映画の正体
おゲイさん乾杯木下恵介映画の正体
愛と清順の駄目出し鈴木清順映画の正体
彼と彼女と取りマキ~ノたちマキノ雅弘映画の正体
大魔剣三隅研次映画の正体
危険な英夫鈴木英夫映画の正体
ますますムラムラの悶獣増村保造映画の正体
妄想の器橋本忍映画の正体
Vシネの花道90年代最強伝説三池崇史映画の正体
しぃみず学園清水宏映画の正体
溝口賛歌(けんじぃ)溝口健二映画の正体


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by mukashinoeiga | 2009-09-24 20:09 | 黒沢明 黒い沢ほどよく明か | Trackback | Comments(0)

<B級ジャンル映画>中興の祖・黒沢明映画の正体を妄想する

 常々、人から「映画の見方がおかしい」と馬鹿にされつつ、小津、成瀬に続いて、黒沢を妄想する。老人のたわごと、妄想ですので、妄言多謝。
 さて、黒沢は年をとってからだめになった、というのが一般的な評価だと思うが、そんなこたぁない。
 もちろんパーソナルな黒沢は、われわれ同様、年をとるだろうが、黒沢の精神、あるいは黒沢映画そのものは、年などとりようもないものだった。
 しばしば、骨太のヒューマニズム、などと評される、ぼくのような年寄りから見れば、あれは、小学生の、優等生の、模範作文の、正義感であって、大人が読めば、酒焼けした赤ら顔がさらに赤面する体のものであった。大人の感傷には耐えうるかもしれないが、大人がしらふで鑑賞に耐えうるかどうかは、ぼくには疑問である。  ついに、一貫して、黒沢映画は小学生の優等生の正義感から抜け出ることはなかった。これでは、年のとりようはないのである。

 <男性アクションの雄>黒沢が、その後期において、いわゆるゲージツ映画を志向するが、それはほとんど失敗に終わり、全盛期の<男騒ぎ・豪快アクション>を期待したファンの失望をかう。
 断言するが、小学生の、優等生に、大人の鑑賞に耐えうる、ゲージツは作れない。ゲージツ映画とは、たぶん屈折した大人(小学生の成れの果て)、もしくは悪びれたり、すれたりした<汚れちまった悲しみ>にとらわれた青年にしか、作れない。黒沢は、とうとう青年にもなれなかった。きらきらした、真っ白い目を輝かせた永遠の少年であった。
 しかし、なぜ後期の黒沢は、自分の身の丈に合わない、ゲージツ映画を作ろうとしたのか。それはおそらく、自分をA級の映画作家であると、<誤解>したから、と推測される。A級の映画作家なら、当然ゲージツ映画を作るべきだ、と。とんでもないことだ。黒沢は、もちろん、いわゆるA級の映画作家ではない。黒沢映画の本質は、あくまでB級の素材をA級のスケールで描く、生粋の娯楽映画作家であったのだから。

 黒沢明と、その立ち居地が最も似ている映画作家はおそらくアルフレッド・ヒッチコックという、ジャンル映画の天才である。黒沢も、ヒッチコックも、大いに新しい映画技術を開拓し、ジャンル映画のいくたの<お約束>も生み出し、それは世界中の映画作家から、尊敬され、数多くの模倣を生んできた。
 黒沢とヒッチコックは、娯楽映画の、ジャンル映画の、中興の祖として、その才能は傑出したものであった。しかし、多くの模倣、パクリを生むものは、ゲージツ映画のそれではない。
 簡単にまねが出来、コピー&ペーストが可能なのは、それはゲージツではなくて技術である。ゲージツは、きわめてパーソナルな個人の資質に由来するもので、簡単にまねも出来ないし、したとしても、もとの作家同様の魂は感じられず、ああ、贋作、偽者だね、の一語で終わってしまう。黒沢やヒッチコックが生み出した映画テクは、何十年かたった現在でも立派に通用し、後輩の映画作家を、その効率的な効果によって、助けている。この二人の業績は、世界中の映画学校の<教科書>に活用されている。
 繰り返すが、ゲージツは専門学校の技術<教科書>には、のらない。画学生がゴッホの画風を模倣して、それもゲージツといえるか。小津の作風を学習して、後輩の映画作家が、ゲージツとして、賞賛されるか。
 黒沢もヒッチコックも、自分が亡くなったあとも、世界中の後輩から模倣されている。もって瞑すべし。それはゲージツ映画の作り手としてではなく、あくまでジャンル映画のそれであることを、むしろ誇りに思うべきだろう。
 ま、ぶっちゃけた話、ゲージツ映画とは、人の悪い大人にしか、作れない。人間的には最低なやつらのほうこそが、豊穣な傑作を生み出してきた、それは映画史の数々のエピソードが証明していることだろう。

 また、画家の卵だった「黒」沢なのだが、白「黒」映画時代に傑作を連発しつつ、しかし「どですかでん」以降のカラー映画に、「まとも」な作品はほとんどない。黒沢のカラー映画とは、つまり黒沢が<ゲージツに走った>時期とイコールなので、カラー映画がだめなのか、ゲージツ映画がだめなのか、なんとも言いようもないが、土井たか子も言うように「だめなものはだめ」なのだ。ただし「デウス・ウザーラ」のみが、なれない外国で、黒沢の統括が完全でなかったせいか、なかなか捨てがたいものがあるのは確かだ。
 画家の卵であったのに、なぜカラー映画がだめなのか。黒沢映画に撮影助手として付き、ある意味で黒沢映画の助監督よりも助監督らしい感性の、木村大作(撮影監督、「剱岳 点の記」監督)の回想によれば、黒沢は、曇りの日に晴天のシーンを撮るとき、ロケセットの家屋の前の地面に、ペンキで家の影を描かせたという。くっきり「黒」々としたした家の影のために、観客はそれを晴れのシーンと認識したという。すばらしい発想だ。手作りのCG効果。おそらく現代に生きていても、嬉々としてCGを使いこなしたことだろう。現に「夢」では、バリバリに使っていたし。そういう点では、画家出身というのは、うなづけるものがあるが。しかし、それは、多分、技術系アーティスト、商業系アーティストの資質であって、という気がする。いってみれば、風呂屋の富士山のペンキ絵に才能を発揮するような。
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by mukashinoeiga | 2009-09-23 21:52 | 黒沢明 黒い沢ほどよく明か | Trackback | Comments(0)

チーム黒沢と黒沢ブランド映画の関係

 黒沢映画の全体を見てみよう。
 以下のリストで、個人的評価で◎は傑作、○は佳作、×は問題外、△は可もなく不可もないが、どちらかというと否定寄り、-は評価不能。「虎の尾を踏む男達」は、音声不良のプリントで見ただけなので、ほとんどせりふが聞き取れず、実はどういう話かすらもわかっていない。

1○「姿三四郎」         
1△「続 姿三四郎」
1-「一番美しく」
1-「虎の尾を踏む男達」
2○「わが青春に悔なし」
2△「素晴らしき日曜日」
2○「酔いどれ天使」
2○「静かなる決闘」
2○「野良犬」
2○「醜聞(スキャンダル)」
2○「羅生門」
2○「白痴」
3○「生きる」
3◎「七人の侍」
3○「生きものの記録」
4×「蜘蛛巣城」
2×「どん底」
4○「隠し砦の三悪人」
5△「悪い奴ほどよく眠る」
2○「用心棒」
3○「椿三十郎」
4◎「天国と地獄」
4○「赤ひげ」
3×「どですかでん」
2○「デルス・ウザーラ」
2×「影武者」
3×「乱」
1×「夢」
1△「八月の狂詩曲」
1×「まあだだよ」

 といっても、かなり昔見たきりの作品も多々あり、今見直してみれば評価は変わるかもしれないが。
 それぞれの作品に付した数字は、脚本家の数。つまり、1は、黒沢明含めて1名の脚本による。つまり、黒沢本人のみの単独脚本。2~5というのは、黒沢含めて2~5名の脚本チームによる作品。召集されたのは、久坂栄二郎、小国英雄、橋本忍、などなどのテダレである。初期と晩年の作が、黒沢ひとりというのがはっきりわかる。これをグラフにすれば、ほぼ真ん中を頂点とした、かなりはっきりとした山形を描くことがわかるだろう。
 まあいささか杜撰にざっくり言ってしまうと、黒沢一人が書いた脚本が仮に<黒沢度100パー>とすれば、チーム黒沢が書いた脚本は、相対的に<黒沢度>は下がるはずのものだろう。しかし、一般に、<いかにも黒沢らしい映画>を聞いて回れば、彼一人が書いた脚本の映画よりも、チーム黒沢が書いた脚本の映画になることは、火を見るよりも明らかだ。
 つまり一般に、より<黒沢ブランド>の映画とみなされる作品群は、しばしば<黒沢度>が、低い映画のことなのだ、と。強引に言ってしまうと、黒沢が単独で書いた脚本は、いわゆる<黒沢映画らしさ>が、希薄になる印象なのだ。
 しばしば<男騒ぎの映画>と称され、<女性を描けない>とも言われる黒沢映画が、珍しく女性を主人公にした映画が「一番美しく」「わが青春に悔なし」「八月の狂詩曲」と、初期・晩年に集中している。壮年期の<いかにも黒沢ブランド映画>が<男騒ぎ>で、しかし実は女性率が高い映画が、ほぼ黒沢一人の脚本というのも興味深い。
 生涯唯一撮った女性のヌードが、「八月の狂詩曲」村瀬幸子のおばあちゃんヌードというのも、非常に興味深い。もともと村瀬幸子自体も、若いころからお色気とは無縁の女優で、若くして老け役の印象の深い女優だ。
 「赤ひげ」で、柄にもない色情狂の女を演じ、「悪い奴ほどよく眠る」「天国と地獄」「まあだだよ」と愛用された香川京子は、もちろんスタア女優のなかでは、仲間由紀絵と並ぶお色気ゼロ女優。
 どう見てもおばさん顔、おばさん声、おばさん体型の中北千枝子を<清純な乙女>に起用する感覚(「素晴らしき日曜日」)。それなりにすれた踊り子の役に16歳の小娘・淡路恵子を起用する感覚(「野良犬」)。
 その映画のなかで、もっともお色気要員に千石規子を起用する感覚(「静かなる決闘」)。男の子みたいな、上原美佐(「隠し砦の三悪人」)小田切みき(「生きる)矢口陽子(「一番美しく)の起用。つまり、黒沢は一貫して女おんなした女優を忌避している。それは何を意味するのだろうか。



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by mukashinoeiga | 2009-09-23 19:35 | 黒沢明 黒い沢ほどよく明か | Trackback | Comments(0)

石田民三「花ちりぬ」花井蘭子

 京橋にて。「映画の教室2009」特集。38年、東宝。
e0178641_19183022.jpg 幕末、尊皇派と佐幕派が激突する京都、その一お茶屋が舞台。若い舞妓たち、一本の芸者たち、訪ねて来たもと芸者、下働き、「お母さん」(女将)と、その娘(「昔のうた」の花井蘭子)。大勢の、さまざまな女性たち。男は、出てこない。必要最小限の声のみ。茶屋の酔客は障子の陰に隠して、声だけ。浪士と新撰組の乱闘は、門扉の陰に隠して、声のみで乱闘を表現。徹底して、女だけで、時代の相を表現する。
 戦前ガールズ・ムーヴィーの巨匠・石田民三の面目躍如。舞台はほとんどこのお茶屋に限定されているから、さながら一幕ものの芝居のよう。どの場面でも、女たちの会話を、いろいろな角度から撮影したショットを組み合わせて、映画らしさを保っている。70年前に作られたとは思えないほど、生き生きとした<現代性>がある。
 キャーキャー大騒ぎ、集団で右往左往して、まるで女学生のような、舞妓たち。線香花火をしたり、舞妓同士でS関係になったり、お客を放り出して、遊びふけるのは、とても芸者の卵とは思えない。この中のひとりに顔に覚えがあるのだが、高峰秀子主演の石田映画(題名失念…後記思い出した。「花つみ日記」。花は摘まれて、散るのね)にでも、女学生役で出ていたのだろうか。
 「あんたも、そろそろお座敷に顔を出したら」というお母さんに、どうせあたしは皆さんと違ってブスだから、とふてくされる<お燗番さん>の彼女もいい味出してる。花井蘭子も「あんた、自分で卑下しているほどの面相じゃないわよ」と、慰めているんだか、あおってるんだか。この彼女の田舎者さをコメディ・リリーフ(兼・世相・事情解説役)に映画は快調に進む。芸者同士のキャット・ファイト。新撰組に出頭させられるお母さん。
 あらら、なんだか成瀬「流れる」とか思い出されるねえ。より現実的な成瀬は、男はいっさい描かない、という<夢>のような映画はさすがに作らない。わずかに男たちを出して、しかしやはり影は薄い。男同士の争いは極力画面から排する、成瀬と石田民三は、その日本的映画趣味だけでなく、この面でも近しいのかもしれない。たしか成瀬脚本の石田作品もあったはず。

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by mukashinoeiga | 2009-09-20 09:39 | 傑作・快作の森 | Trackback | Comments(0)

中川信夫「風雲急なり大阪城 真田十勇士総進軍」

 阿佐ヶ谷にて。「CINEMA×忍法帖」特集。57年、新東宝。なお、特集名の×は手裏剣ロゴ。
 う~ん、これは大快作。今、ギロッポンでは、中川監督大特集が開催中なのだが、その中で本作を越える傑作は、おそらく代表作「東海道四谷怪談」のみ。本家特集を差し置いて、同時期に本作を上映したことは、まさしく阿佐ヶ谷の大金星であろう。上映は、明日19日、土曜日の13時を残すのみ! 中川ファンは明日、ギロッポンへ行ってる場合ではないのことよ。まあ、「思春の泉」「かあちゃん」(同時刻上映作)も、かなりいいんですけどねえ。デジタル上映も多いしなあ、ギロッポンは。
 戦時中のニュース映画のタイトルみたいな、長々しい題の本作は、真田雪村(田崎潤)はまあどうでもよくて、その十勇士たち(当時はそこそこ名のある方たちだったかもしれないが、今となっては無名の俳優たちが演じる。むしろ脇役の沼田曜一、丹波のほうが今のわれわれにはなじみあり)の対・家康戦を描く。で、これが卑怯なことに?がちがちの時代劇の背景に流れるBGMが「さくらさくら」「荒城の月」「蛍の光」などの、唱歌。なんてことない、むしろ明朗ですらある別れのシーンに、絶妙にインサートされ、長々と「さくらさくら」やられてみなさい。泣けるのよ。ラピュタのチラシには、「異化効果」なるスカした言葉があるけれど、たかだか明治以降に刷り込まれた唱歌の数々が、まさしく<日本人のDNA>に、これほどまでにインパクトを与えるとは。恐るべし、唱歌。
 映像の凝り具合は「東海道四谷怪談」を超える! 立ち回りシーンで、バンカラ入道の活躍を、早回しとスローモーションと、交互に繰り返す。そのスローモーション・パートのなんという楽しさ。
 忍術使いの猿飛佐助が、悪家老・丹波に仕掛ける妖術シーン。猫に化身して、丹波を翻弄するのだが、ここがまさしく<怖くない怪談映画>。屏風は音もなく倒れ、また戻る。丹波は乱舞し、あらゆる室内の家具を壊しまくる。凡庸な化け猫映画の数々を超えるその映像美。
 そして、中川監督晩年の1時間未満のTV映画で、驚異の1000ショット越え、というのがあったが、いささか凡作に過ぎた。が。本作ですでに行われていた、1~2秒ショットの連続は、素晴らしい。1957年当時の、プログラム・ピクチャアで、こんなことやって、今見ても斬新なのは、すごいことだよ。
 数少ない女優陣も充実。家康側の間諜を演じる美形の女優(チラシのビリングによれば、日比野恵子という方か)もなかなかいいが、本名・田原知佐子で出演の原知佐子が、信じられないくらいの美少女ぶり。何度も、これ本当に原知佐子?と、目を疑うくらい。後年、ひねくれ女を好演する彼女の、初々しさ。

●追記●と、いうようなことを、書いて、一日たった現在、なんだか、この映画に関して、書き足りなかったなあ、という思いが多々あり。で、書き足します。
 まず、「異化効果」(ラピュタのチラシ)といわれた、時代劇と唱歌の合体だが、これが絶妙に合うのよ。中川信夫の、端正な絵に、唱歌は、合う。あまり似合いすぎて、異化効果どころではない、叙情をプラスする。イカじゃないね、スルメだよ。にしても、時代劇のお決まりの映像に唱歌を掛け合わせる発想はどこから出てきたのか、木下「二十四の瞳」の、幼き子供たちに唱歌を合わせるのは発想としてはきわめて当たり前なのだが。そしてまた、似合ってしまうのがすごい。これが中川ではない、並みの監督だったら、失笑すら漏れたかもしれない。
 スローモーション映像も、すごかった。何しろユーモアがありますからね。ゴージャス。
 化け猫妖術シーン。屏風がはらりと倒れる、それだけで見るものの目をひきつけるのだから、ただ事ではない。おどろおどろしい音楽をつけない、静謐さ。
 <1~2ショットの連続>も、57年当時の商業映画で、こんなことやるのは、画期的に過ぎる。しかも、普通の監督がこれをやると、いかにも、どうだすごいだろ恐れ入ったろ的な厚かましさが入ることになると思うが、中川の端正といっていいか、静謐といっていいか、落ち着いた絵でこれをやられると、そういうものほしさが消えてしまう。不思議だ。
 鈴木清順の大向こうを唸らせる、ハッタリ映像も好きだが、その先駆とも思っていた中川信夫に、さらに、こんなにすごい映画があったとは。
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by mukashinoeiga | 2009-09-18 22:45 | 傑作・快作の森 | Trackback | Comments(0)

堀内真直「四万人の目撃者」

 神保町にて。「男優・佐田啓二」特集。60年・松竹大船。
 超満員の野球場、ファン注視のなか、スター選手が三塁打、三塁に滑り込んだまま、立ち上がらず、こときれた。きわめてトリッキーな出だしからして快調な、佳作ミステリ。
 真っ先に疑われたのが、死んだスター選手の代わりにレギュラー入りした杉浦直樹選手。ぬぼーっとした感じが野球選手にあっている。その恋人で(死んだ選手の妹)という、なにやら裏のありそうな女に、岡田茉莉子。ぼくが見た数ある岡田出演作でも、最高に美しい。この二人の濡れ場が、この当時としてはかなりすごいディープ・キス。終わったあとの杉浦の唇の周りがつばで光っている(笑)。やろうと思えば、出来たのね。
 事件を追及する検事に佐田、でも佐田検事が執念を燃やす理由がいまいち希薄で、そこが弱い。相棒の刑事に伊藤雄之助、って、同年の同じ松竹映画「いろはにほへと」(本特集でも同じ今週上映)では、佐田の悪を追及する刑事を好演していた伊藤、役者はなんでもありです。
 ラストの落ちも決まって、うれしい映画。なお、本特集の今週上映作「丼池」は、隠れた名作、未見の方はぜひ駆けつけるべし。
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by mukashinoeiga | 2009-09-07 00:25 | 旧作日本映画感想文 | Trackback | Comments(0)

黒沢明「静かなる決闘」

「キャー、い・き・な・りすごいわっ」
●ど、どうしました?
「だって、あんた、マスクしてうたた寝している三船の、マスクを、い・き・な・り脱がすのよっ」
●は、はあ?
「そうして、タバコを口にくわえさせるのよ、三船の助手の医者の若い男っが」
●はあ・・・・
「そうして、三船の口にくわえさせたタバコに自分のタバコを、ちょんとくっつけて、あんた、イーティーの指みたいにくっつけて、火を移すのよっ!」
●はあ・・・・で、それが? 第一、マスクははずすもんで、脱がすもんじゃないですよ。
「あんた、鈍感にもほどがあるわっ。男が、ね・て・い・るっ男に、か・っ・て・にマスクはいで、か・っ・て・にタバコをくわえさせて、でもって、自分のタバコをくっつけるのよ、火を移すのよっ。これが、どういうことかわからないのっ!」
●はあ・・・・?
「はい、みなさん、こんばんは。なにか、へんなこといってる、おかしなおかしな人がいますねぇ。黒沢明の、名作ですねぇ『静かなる決闘』、怖い怖い映画ですねぇ。怖いけど、まじめな映画なんです。それを、おかしなこといってるひといますねえ。びっくりしますねぇ」
「あら、センセ。お久しぶり。でも、センセこの映画好きなの?」
「はい、好きですねぇ。黒沢明、いいですねぇ。黒沢明の映画のなかでは、地味な映画ですけど、いいですねえ『静かなる決闘』好きですねえ」
「でも、センセ、この当時の三船、すごい美男子じゃないっ。水も滴る好男子、ちょっと古臭くて、あたしの好みじゃないけど、でも、この三船なら、あたし、抱かれてもいいわっ!」
「大胆ですねぇ。おとこがっ男に抱かれてもいいなんて、すごいですねぇ。でも、ほんとに、このころの三船、すごいんですねぇ。いいんですねぇ。きれいきれいですねぇ。その三船が、悩むんですねぇ。いいですねぇ。でも、わたしは、太った男が好みですねぇ。三船、だいぶやせすぎですねぇ。わたし萌えませんねぇ三船」
●・・・・。はい、ここで説明します。本作『静かなる決闘』は、三船軍医が1944年の多分中国戦線で、植村謙二郎演じる兵士の外科手術をします。この患者が梅毒もちで、その血が指の傷口から入って、自分も梅毒になる、という悲劇です。
「はい、当時は、梅毒は、怖い怖い病気でしたねぇ。おちんちんの、形が、変わっちゃうんですねぇ。怖いですねぇ。怖い怖いいたいいたい。でも、それは、商売で性を売っている女性が当時はいっぱいいっぱいいたんですねぇ。商売女、いいましたねぇ。その、女性から移されて、大勢の男が梅毒いう病気になりました。いやらしねぇ。お子たちは、真似しちゃだめですねぇ」
「ところが、この黒沢の映画ではっ、患者から医師へ、というか、男から男へとっ、移るのよっね」
●手術した患者がたまたまスピロヘータまみれだったからで、そういう男対男という、図式ではないのでは?
「あんた、まるきりこの映画がわかってないわね。いい。この映画は、男(三船敏郎)が、いかに女の婚約者(三条美紀)をさけて、社会的な男と女の交わり、つまり結婚を避けるかという、つまりぼくは体に欠陥があるので、女とは結婚できません宣言な映画なわけっ」
●はあ・・・・? そうなんですか?
「おかしいですねぇ。へんですねぇ、このひと」
「大体、この映画に出てくる女優、千石規子(見習い看護婦)、中北千栄子(植村の妻)、そろって色気のない女優ばっかしでしょう」
●それは、いつもの黒沢映画。
「そうですねぇ。黒沢明の映画に出てくる女優さん、みんなお色気ないですねぇ」
「黒沢っ、女好きじゃないのよっ」
「女、すきじゃない。男が女好きじゃなかったら、いったい誰が好きなんでしょうねぇ。こわいですねぇ。映画の基本は、サイレント映画、声が出ない時代の映画から、ボーイ・ミーツ・ガールですねえ。やんちゃな男の子が、ある日、女の子と出会うんですねぇ。かわいいかわいい、おてんばな女の子ですねえ。出会ってからも、お互い悪口ばかり言い合うんですねえ。かわいらしねえ」
「でもっ、そもっそもっ。1944年当時よっ、日本が、国が滅びるかも、自分も戦死して故国へ二度と帰れないかも、ってときなのよ。そういう時代、そういうシチュエーションに設定した映画で、俺、梅毒移されました、とっても不安です、って映画を作るなんてどうなのよ? 大情況は無視して、小情況をフレーム・アップする。これって、まさに、あたしたちおかまのやりかた、じゃあないのっ? 黒沢っ、国家なんかどうでもいいの、自分の生き死にどうでもいいの? 自分のスピロヘータに比べれば? 黒沢っ、あたしたちの側なのっ」 
●国敗れて、梅毒あり。
「うるさいっおだまりっ」

追記● 「あんたが、脇でぎゃあぎゃあ言うから、つい書き漏らしたじゃないのっ。戦地での植村手術で、三船医師が汗をかくわけ。で手術中の執刀医の汗を拭くのは、そばの看護婦の役目ね、これは手術シーンでたびたびお目にかかるおなじみの場面。でも、この映画では、看護婦がいない前線病院だから、衛生兵? むくつけき無精ひげの男が三船美青年医師の汗をかいがいしく、拭くわけよ。無精ひげが、せっせと、あんた、拭きふきするのよ、三船を」
●はあ。
「あんた、これ、最前線の野戦病院での、劣悪な手術環境で、三船は、つい手術の基本を捨て去って、素手で患者の血に触れたために、スピロヘータなわけじゃない」
●そ、そうですよね。すさんだ医療現場をあらわすためにも、後出しじゃんけん的に考えれば、たとえばですね、
 執刀中の三船、汗をかくが、衛生兵は気がつかない。
 三船、唸り、額をメスで指す。
 衛生兵、気づき、無骨に三船の額をごしごし。
 三船、目をむく。 
てな感じで、すさんだ現場の様子を見せるのも、くさいかもしれませんが。
「あんた、いきなり、キャラ変わったんじゃない? ま、それはベタ過ぎて採用されないかもしれないけど、あたしの言いたいことも、それよ。黒沢は、なんのためらいもなく、ひげ面男にかいがいしく汗を拭き拭きさせるわけよっ。これ、おかしくないのっ」
●女好きの増村なら、たとえどんなすさんだ野戦病院にも、極エロな若尾文子をつけますからねー。
「それに、三船、言うわけよ。俺は、傷のある指を、一時間もあいつの(スピロヘータまみれの)血の中に漬けていたんだぞっ、って。医者としては失格、だけどそれ以上に、おとこっが、男の血の海に一時間よ、指突っ込んで血まみれよ、あんたっ、信じられる? むくつけき男の助手たち(手製のうちわを仰ぐのは、高品格じゃないかしら)に囲まれて、美青年医師が血だらけの手術よ、あんた」 
●はあ。
「それが<原因>で、内地に帰ったら、女、抱けなくなるわけよっ三船」
「はい、へんてこりんな、妄想は、この辺でお開きにしましょうね。さよなら、さよなら、さよなら」
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by mukashinoeiga | 2009-09-04 23:06 | 黒沢明 黒い沢ほどよく明か | Trackback | Comments(4)

井上和男「ハイ・ティーン」

e0178641_233395.jpg 神保町にて。「男優・佐田啓二」特集。59年・松竹大船。
 本来堅物の佐田が学校の教師役、一見マッチしそうな役柄ながら、いやマッチし過ぎるゆえか、佐田がなかなか演じることがないのが教師役。今回はその珍しい例なのだが、やはりクールな佐田には、生徒に慕われる教師の役は合わないなあ。お話も妙にバランスを欠く。ラグビーのシーンが必要を超えて多い。確か監督の蛮さんは、ラグビーしてなかったか。間違いだったら、ごめん。
 佐田に<お熱を上げる>(死語)遅刻早引け常習犯生徒に桑野みゆき。はじける魅力!と、言いたいところだが、いまいち天然じゃない。優等生が、ちゃんと演技してます感あり。もっとも、みゆきに点が辛いのも、ぼくたちは彼女の影にその母の幻影を追っているせいか。お母さんは、もっとよかったんだけどねー、って奴。
 なお上映前に、シアターにおいてある詳細なキャスティング表(ときに出ていない人の名があったり、手を抜いていたりするときもあるが、たいへん参考になる)の、下のほうに二階堂有希子の名を発見! 二階堂有希子とは、「ルパン三世」ファースト・シーズンで、初代峰不二子の声の人。二代目峰不二子の人工甘味料めいた甘ったるさとは比べ物にならない、<色っぽいお姉さん>なのだ。
e0178641_2344168.gif で、この映画の二階堂有希子(俳優座)は、まじめな学級委員女子。学園映画では定番の、教室後方で不良男子が騒いでいると、最前列の席から、きっと振り返り「あんたたち、いい加減にしなさいよっ!」と叫ぶ役回り。その腹いせに、不良男子にたびたび弁当を盗まれる。彼らも、好きな女の子に意地悪をする、なんて感じではなくて、単なる嫌がらせ。そういうまじめな、あいまいな顔の、彼女が、後年の70年代男子に、峰不二子の存在を強烈に印象付けるようになろうとは、想像すら出来ない地味な女の子なのであった。
 不良男子、でも心は純なのよ、な役に三上真一郎ら。ま、松竹ですからね。

◎追記◎本作に関して、以下の記事を追記しました。
★尾崎紀世彦が井上和男「ハイ・ティーン」に?★
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by mukashinoeiga | 2009-09-04 08:58 | 旧作日本映画感想文 | Trackback | Comments(1)