<   2009年 08月 ( 17 )   > この月の画像一覧

鈴木英夫「その場所に女ありて」

 京橋にて。「逝ける映画人を偲んで 2007-2008」特集。62年・東宝。
 製作・金子正旦の追悼。
 快作「南極料理人」を見たあと、暇だったので、夜の回は何か知らずに、ぶらぶらフィルムセンターのほうに歩いていったら、これがかかっていた。もう何度も見ているので、見る必要はないのだが、まあ頃合もちょうど良し、と入ったら、やっぱり傑作でしたね、これは。
 北川れい子さんも見に来ていて、その連れの男性いわく「見るたびによくなっていく映画だね」に、まったく同感。恐るべき<成長を続ける映画> 、腸内で乳酸菌が増え続けるとは、このことか。違うか。 
 司葉子、幹事長・大塚道子、原知佐子、そのライヴァルの「われわれ貸し金をサイドビジネスに営むものは」の柳川慶子、「お前、ほんとに美術学校出てんのかい?」の北あけみ、コマンチこと拾い屋・水野久美、「化粧品だけが便りよ」の姉・森光、そのだめ夫・児玉清、やはりみんなすばらしい。いつもは駄目男専門の織田政雄、浜村純のカッコよさ。
 最後、夜の銀座の街に消えていく司、大塚、原の、ただ横断歩道の信号待ちをしているだけのシーンの、その緊張感。当時の夜の銀座が、また、現在の煌々とまぶしい銀座でなくて、かなり暗い。そして、舞台となった西銀広告、<明るく楽しい東宝映画>のサラリーマンものなのに、社内照明の暗さよ。この暗さを求めて、わざと退社時間ばかり選んでいる気がしてくる。顧客である、スカル目薬、難波製薬の社内は普通の明るさなんだから。撮影・逢沢譲、最近この人の映画ばかり見ているようなのは、気のせいか。
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by mukashinoeiga | 2009-08-30 07:52 | 傑作・快作の森 | Trackback | Comments(4)

須川栄三「颱風とざくろ」

 阿佐ヶ谷にて。「昭和の銀幕に輝くヒロイン48・星由里子」モーニング特集。67年・東宝。
 石坂洋次郎の原作にほぼ忠実に、しかし若干の東宝モダンを加えて、かなり出来がよい。
 ヒロイン星由里子、中山仁など、石坂ワールドの魅力にあふれている。性と民主主義の石坂ワールドのヒロインとして、星がちらりとバストを見せる、<正解>ですよね。
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by mukashinoeiga | 2009-08-30 07:51 | 旧作日本映画感想文 | Trackback | Comments(0)

丸山誠治「B・G物語 二十才の設計」

 阿佐ヶ谷にて。「星由里子」モーニング特集。61年・東宝。
 源氏鶏太原作のBGものの、軽快かつ水準的な映画化。星に思いを寄せるボンボン・児玉清、不遇な映画時代としては、もっともお得な役ではないか。妹・藤山陽子は、相変わらず、華がなく、重役の娘なのに、プレイボーイ稲垣隆と打算ずくの政略結婚で寿退社、でおめでとうで退社したそのすぐあとに、稲垣にフラれる! こんな役でも、同情が沸かないのだから、もーどうしようもありませんね。
 最後、改心したと言う稲垣が再び星を口説くが、もちろん星は聡明に、これを避ける。よかったよかった。
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by mukashinoeiga | 2009-08-30 07:50 | 旧作日本映画感想文 | Trackback | Comments(0)

斎藤武市「骨まで愛して」

 京橋にて。「逝ける映画人を偲んで 2007-2008」特集。66年・日活。
 原作・脚本・主題歌作詞の川内康範の追悼である。
 麻薬がらみのやくざ抗争で傷つき、流れ流れて函館の、のどかな牧場に安息の地を見出し、堅気になる決心の渡哲也だが・・・・。当然、元のボス・金子信雄、地元ボス近藤宏が、それを許すはずもなく。
 おなじみの日活アクションを彩るのは、ダブル・ヒロイン、松原智恵子が美しく、すばらしい。さらに、その後急速にダイエットだか整形だかで、ガリガリ君になる直前の、ふっくらした浅丘ルリ子が最高に美しい。あと、出番は少ないながら、往年の白木マリ以上にすばらしいダンサー役・浜川智子も、この映画では印象を残す。これら女優陣の最高の美しさを強調する照明もすばらしい。横浜の桟橋から、港町・函館へと移る、おなじみの日活空間を、つややかなカラー映像に定着させている。撮影・萩原憲治(「けんかえれじい」)、照明・大西美津男、賞賛すべき。
 コメディリリーフ・宍戸錠、ヒーロー渡を邪魔し、悪いボス連も邪魔するトリックスタアを、アドリブ満点で演じ、登場するたびに笑いを取る。ギャングスタアが、ギャグスタアでもある、ひたすらすばらしい。
 渡も、同年の川内脚本・主題歌作詞の「東京流れ者」のテーマを一くさり、ギター爪弾き歌う。マジックアワーの牧場の柵に腰掛けて。「天国の門」以降のマジックアワーの撮影と違い、すばらしい色調の景色のなかで、女優俳優の顔にきっちりライトを当て、その美しさも引き立てる。

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by mukashinoeiga | 2009-08-23 23:33 | 旧作日本映画感想文 | Trackback | Comments(0)

大塚稔「女の宿」

 京橋にて。「逝ける映画人を偲んで 2007-2008」特集。41年・松竹京都。
 その死までは、監督最長老だった監督の追悼である。時代劇専門のイメージのある大塚稔としても、異色の現代劇。撮影所としても初の現代劇だそうである。しかしぜんぜん違和感がないのはさすが。
 若いころの小暮実千代は、後年の妖艶さもない清純派で、しかも後年よりはるかに目が細い印象。大阪が舞台なのに、誰一人大阪弁しゃべらず。高田浩吉の友人役のヒモリンが一手にコメディリリーフを引き受け、笑わせてくれるので、まあ、見られた。
 洋裁店経営の小暮が「国防婦人服」デザインの賞に応募する。一等とって、賞金の千円はあたしのものよ、と自信満々だが、結果は選外18席って(笑)。映画のヒロインなのに、何よ、この中途半端は。しかもこの国防婦人服なるもの、質実剛健の無骨なスーツばっかりで。こんなの誰が着る。そもそも「国防婦人服」とは、誰が着るのか、どういうシーンを想定しているのか。現実の「国防婦人」会は、割烹着ともんぺがユニフォーム。割烹着ともんぺは、いわゆる<洋服>の、日本語への超<趙訳>で、あるわけで。こんな無骨、かつ(当時の一般日本女性にとっては)あまりに敷居の高いスーツ、ほんとに誰が着る、どういうTPOで、だったのでは。むしろこんなセンスの悪いコンテストに、あなたが上位入選しないのは、かえっていいこと、などと友人もいう。かくも時局に抵抗したせりふが堂々と通ってしまうのも、新鮮な感じがする。その友人役・北見礼子、ぴくちゃあ通信氏ブログによれば、林与一の母、その若き日の姿という。
 いや、とにかく、ヒモリン、だけだな。
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by mukashinoeiga | 2009-08-22 23:02 | 旧作日本映画感想文 | Trackback | Comments(0)

山本薩夫「田園交響楽」

 京橋にて。「逝ける映画人を偲んで 2007-2008」特集。38年・東宝。
 もちろんヤマサツ追悼ではなくて、音楽・服部正追悼である。
 猛吹雪の夜、馬車で家に帰る途中の高潔な人格者(高田稔)は、雪宿りの貧しいあばら家で、盲目の少女(原節)と出会い、引き取る。世話を焼いて、教育を施すと、少女は聡明な美少女として、男の心を捉える。手術して直せる目も、このままの盲目でもいいのではないか、とも思ってしまう今日この頃。ずっと、世話をして、慕われ続けだい、と直裁に思うわけではないが・・・・。
 後年、バリバリの左翼なのにもかかわらず、なぜか映画を作ると、右翼的心情の持ち主ばかりかっこよく見える映画ばかりになってしまう、ヤマサツ。
本作を見て、なんとなくわかったわ(笑)。
つまり、人格者高田稔は、妻子がありながら原節の魅力にめろめろになって、心が揺れ動く。ついには、人道主義も揺らいで、いずれはこの少女の目も手術で開いて見せよう、という本来の決意も揺らいでしまう。いっそ盲目のまま手元において置こうって、あんた、谷崎かっ。あら、前の黒沢明「静かなる決闘」の口調が、まだ残ってるわっ。
 つまり、こういうことよ、ヤマサツは師匠・成瀬と違って、揺れ動く心の人、中途半端な奴を、描くのが下手なのよ。左翼ってのは、基本的に、揺れ動く人なのよ、中途半端な思想の持ち主なのよ、ダブル・スタンダードを心の中に持っているから、常にぶれるわけよ。
 そういう心情を描くと、たとえば成瀬は輝くんだけど、その助監督だったヤマサツは、そういうニュアンスの人は、あんまりうまく描けないわけね。だから、おそらくこと志と外れると思うんだけど、まったく揺ぎ無い心情の持ち主、右翼方面の人たちを映画では美化してしまうわけなのね。ああ、左翼の人たちも、揺るがない人はいるんだけど、そういう左翼は大体虐殺に走りますからね。ダブスタに骨がらみになった人たち。
 映画に話を戻すと、この映画、美女原節の顔のアップアップアップがすさまじい。この年代の映画としては、まさしくアップアップの洪水。珍しいと思う。原節のプロモと間違いかねないほど。
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by mukashinoeiga | 2009-08-19 22:14 | 山本薩夫傷だらけの左傾山河 | Trackback | Comments(0)

黒沢明「一番美しく」

 おそらく黒沢映画数あるなかで、<一番奇妙な>映画は、本作であろう。
 みもふたもないことを最初に言ってしまえば、本作は、
   <女の子に一切興味のない男が作った、女の子映画である>
 いったい、どうして、そんな映画を作ってしまったのだろう。不思議でならない。だから、
   <この映画のなかの女の子は、男の子にしか見えない>。
 この映画に関しては、いろいろ不思議な点がある。

 戦前の日本映画にしては珍しく豪快なアクションもの「姿三四郎」と、その続編でデヴューした黒沢が、軍公認の<戦意高揚映画>を、作るに際し、なぜ少女たちの<銃後の守り>なのか。当時の世相からして、戦地を舞台に堂々とした軍隊映画を作ってもよいではないか。
 まあ実際の戦前・戦時中の日本映画界には、満足なアクション映画を撮れる技術も伝統もなかったのは確か。さらに、まともな戦争映画すら、軍の検閲で撮れるわけもない。そこで、賢明な黒沢が<女の子に、逃げる>のは、わからないでもない。そういう逃げをしなかった凡庸な映画人たちは、きわめて非映画的な窮屈な制約のなかで、きわめて凡庸な<戦意高揚映画>を、作る羽目に陥った。

 奇妙なタイトル。「美しく」というのは、まだ、わかる。「一番」美しく、の「一番」とは、なんなのか。「一番美し」い状態とは、いったいどういう状態なのか。美「しく」の次に来る言葉もあるはずであるが、それも不明なまま。一番美しく「どうある」のかが、不明なのだ。
 黒沢映画のタイトルといえば、「姿三四郎」「続 姿三四郎」「虎の尾を踏む男達」「酔いどれ天使」「静かなる決闘」「野良犬」「醜聞(スキャンダル)」「羅生門」「白痴」「生きる」「七人の侍」「生きものの記録」「蜘蛛巣城」「どん底」「隠し砦の三悪人」「悪い奴ほどよく眠る」「用心棒」「椿三十郎」「天国と地獄」「赤ひげ」「どですかでん」「デルス・ウザーラ」「影武者」「乱」、ご覧の通り、くっきりはっきりさっぱりストレート、実に男らしい、何の迷いのない体言止め、しかも語呂のいい、覚えやすい名タイトルのオンパレードである。「浮雲」とか「浮草」とか「鰯雲」とか、内容をストレートに表わさない、テンション下がるタイトルを伝統とする日本にあって、黒沢映画のタイトルは極めて個性的であり、わかりやすい。
 しかるに「一番美しく」、これだけが、何が言いたい?と、疑問のタイトルなのだ。いや、疑惑の種は、もっとある。前に書いた、いわゆる<黒沢ひとり脚本時代>を、中心とした作品のタイトル、「わが青春に悔なし」「素晴らしき日曜日」「夢」「八月の狂詩曲」「まあだだよ」。青春ですよ青春。素晴らしき、とか、夢、とか、なんなのこのふにゃちんなタイトルは。八月の狂詩曲、こじゃれてるねえ、君には似合わんよ黒沢君。「まあだだよ」にいたっては、観客から「もう、いいよ」と、返されてしまう。全盛期の男らしさ、すっきりさっぱりのかけらもない、とは言いすぎかな。この曲線的タイトルこそ、黒沢の本性なのか。
 黒沢にしては珍しいカップルもの「素晴らしき日曜日」は、実際には(最後を除いて)素晴らしくもない日曜日を過ごす。「夢」には二つ意味があって、理想・幻想と、睡眠中に見る夢(悪夢を含む)。まあ、実際に「青春に悔なし」という奴はほとんどいないだろう。ああ、そうか、<黒沢ひとり脚本時代>のタイトルは、正語と反語をともに秘めたタイトルなのかもしれない。「一番美しく」というのは、実際には「一番美しく」ない状態をも示唆する皮肉なのかもしれない。ただし、くっきりさっぱりストレートの人、黒沢には、皮肉とか反語とか、いわゆる大人向きの語法が成功しない、というだけなのかもしれない。 

 極めて個の確立した、個性的な人物が多い黒沢映画の登場人物群のなかにあって、「一番美しく」の少女たちは、なにやら一群の無個性さを感じるのが、珍しい。しかも、演出も衣装もどちらかといえば、男の子みたいな女の子たちである。そのリーダー格を演じた矢口陽子も、突出した印象はなく、他の監督の映画に出演したときほどは、明確ではない。この女優を、黒沢は嫁にした。後に起用した、中北千枝子、小田切みき、多用した千石規子、香川京子に連なる、色気抜き女優。まあ、矢口の場合はまだ子供だからね。

 世界ガールズ・ムーヴィー史上、もっとも華がない女の子映画。さすが、生涯で唯一撮った女性ヌードが、おばあちゃんヌード、の人だけはある。
 寮母・入江たか子が絶対的な聖母として、美しい。慈愛と理知の極度に理想化された母親像。しかも彼女の出自を考えると、当時の軍に受ける絶妙のキャスティングだろう。女の子には関心ないけど、お母さんは肯定するのね。
 そして、後年、映画のことなどちっとも理解していない左翼の皆さんから、家父長的な黒沢映画と揶揄されるわけだが、入江の母的役割に対し、父親的役割の工場幹部・志村喬や菅井一郎たち。妙に優しい、慈父の趣き。優しくて、傍観的で、力弱い印象。
 三船敏郎で<男>に目覚める前の、まだ<男>に関心のない時期の黒沢映画なのだろうか。ちなみに、この工場幹部たちは少女たちの愛国心・向上力を、文字通り工場力としてあおっておいて、なおかつ時の政府からは莫大な利益を得ていたのだろう。扱う生産物が、たとえば爆弾などという直接的な武器ではなく、戦闘機に搭載する精密機器レンズであるというのも、非常に微妙な黒沢なのである。
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by mukashinoeiga | 2009-08-17 21:21 | 黒沢明 黒い沢ほどよく明か | Trackback | Comments(0)

太宰治と鶴田浩二と佐分利信と

 今年は生誕百年ということで、特に太宰治の映画化が相次ぎ、それ以上に書店では太宰関連本があふれている。本に関してはすごい量で、太宰研究者が総動員されたと思しく、なかには珍本の類もあるようだ。
 書店でたまたま手に取り、ぱらぱらめくってみた本が、その類か、目次を見たら、例の山下耕作「三代目襲名 総長賭博」に一章を当てていたのだ。この東映任侠映画の傑作が太宰とどういう関係が? と、立ち読みしてみると、なんとその理由がすごすぎる。<今の若い人はしらないと思うが、かつて鶴田浩二という名優がいて、その風貌が太宰治に似ている! では、彼の代表作を鑑賞してみましょう>ということらしいのだ! 太宰とツルコーが似ているなんて聞いたことないし、実際改めて見比べても、ぜんぜん似ていないよ。日ごろ、誰と誰が似ている、という話ばかりしている?ぼくですら、類似は認められない。例の着物姿で前髪ぱらり、含羞の表情、という太宰の写真を見ても、むしろ佐田啓二の方が似ているかなあ、という程度。しかも、若くして自殺した太宰に似姿を求めるなら、もっと若いころのツルコーのほうがよくはないか。「晩春」の杉村春子も、似ているとは言わないだろう。
 この章は数人の座談会形式、全員が鑑賞した上で語り合うならともかく、なぜかセンセイ格の人のみ鑑賞、残りの聞き手たちに説明するという方式。せめて全員で見ろよ、DVDくらい。その段階で、もはやこの本は失格なのだが、「皆さんはやくざ映画なんて、話をするのもいやでしょうが、これは三島も激賞した名作だから」みたいなノリが。暴力的な映画が嫌いな女性たち?(太宰研究家? 太宰ファン?)に、この映画の話を持ち出すのに、セップクすってん首ころりの三島を権威付けに持ち出すのは、間違っていると思うのはぼくだけか。
 で、この座談会形式は、詳細かつ凡庸に「三代目襲名 総長賭博」のあらすじ、登場人物の関係、事件の顛末などを語るのだが、そこではもう、まったく太宰との関連を見出せない状態で。あきれたぼくは、他の章や肝心の書名を確認する気力もなく、書店をあとにした。

 誰と誰が似ている、という話でぼくが違和感を抱いた、もうひとつの例を思い出した。
 若い人が、佐分利信は田中角栄に似ている、という。それは、例の青梅市内に昔の映画の絵看板が乱立しているのだが、年配の描き手の方の体力が続かず、美大の若い学生が担当する、というかなり前の新聞記事。「お茶漬の味」の絵看板を書く女性が、この俳優のことはまったく知らないが、なんとなく記憶のなかの田中角栄を思い出した、と。「お茶漬の味」なんて大型レンタル屋にはあるだろうから、せめてDVDくらい見ろよ、とも思うが、佐分利の映画は何十本も見ているぼくも、佐分利と角さんが似ているというのは、実に新鮮な意見で、びっくりした。考えてみれば、後年、政財界の黒幕やら、大物政治家を演じた点から見ても、まんざら的外れでもないか。この類似は結構普遍的らしく、ネットでも、<田中角栄を上品にした感じ>という書き込みを診た記憶がある。
 佐分利ファンのぼくからすれば佐分利は佐分利、角さんとはまるきり違うよ、という感じで、田中角栄には間違っても、架空キャスティングはしないだろう。
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by mukashinoeiga | 2009-08-11 20:49 | 佐分利信 サブリン人生劇場 | Trackback | Comments(0)

石田民三「むかしの歌」

 神保町にて。「昭和の原風景~太田和彦『シネマ大吟醸』より」特集。
e0178641_121387.jpg 39年、東宝京都。
 1930年代の叙情派で、明治~昭和初期を舞台にした映画ばかり作っている外れのない石田民三、いや外れても楽しい石田民三だ。石田たちにとって、昭和初期とは現代劇そのものであり、明治もほんの数十年前だ。石田映画のスタッフ・キャストはわれわれと違って、明治を体感している世代なのだ。
 時は明治。男は散切り頭、女は日本髪。ある意味で、もっとも日本が日本らしかった時代かもしれない。近代とその前時代が共存していた時代。ちなみに、なぜか、世界共通で女性のほうが、いわゆる民族衣装を着る率が高い。かつては、より近代社会との結びつきが強かった男たちのほうが欧米近代文明に好むと好まざるとにかかわらず接近せざるを得なかったせいだろう。現代では女性のほうが時代をリードしている印象。どうりで現代社会は停滞しているわけで・・・・あ、ま、それはともかく・・・・ま、女性のほうが曲線を好みますからね(意味不明)。
 閑話休題。
 話を戻して。時は明治初期(西南戦争の話があるので明治十年のころ、とわかる)。男は散切り頭、女は日本髪。ヒロイン花井蘭子は、大阪船場のいとはん。大事に育てられている大店の一人娘だ。家が没落して、それまでのお嬢さん芸だった歌と三味線を頼りに花柳界へ転進する。すたれいくものたちへの愛惜哀歓、つつましやかな叙情を描いて石田民三、完璧であります。
 ヒロイン花井蘭子を除いては。
 もちろん花井蘭子は、きれいでかわいい。戦後の花井蘭子ばかり見ているのでおばさんの印象が強いが、ぼくが見たなかで最若年での花井蘭子はたいへんかわいらしい。まあ、角ばった顔は好みではないというのもありますが。寅さん系はだめなのよね。
 しかし何より、花井蘭子の問題は、本質がコメディアンヌであるということにあるのですね。とにかく明るい。戦後の映画でも(題名失念、小暮と上原の主演のやつね)ヒロイン小暮を支える花井がたいへん明るくて、楽しくて、おそらく彼女のベスト・パフォーマンス。その彼女が<愛惜のヒロイン>を演じることの矛盾。
 ヒロインは唄と三味線が得意なお嬢さん。なじみの髪結い(この男は明治の御代でもちょんまげというのがいい)に「いとはん、あんたの芸は芸者になっても通用しまっせ」いわれて、うれしい。
ヒロイン花井蘭子は和装のモダンガアル。この花井蘭子はすばらしい(特に幼なじみのぼんぼんとのくだりはまるでスクリューボール・コメディの快調さ)。でも、そうであればなおさら、辛気臭い<素人娘>よりも、くろうとの芸者にあこがれているだろうことは見え見えで。家が没落して芸者になるラストも、作者の意図に反して?本心は楽しそうなんじゃないか、と思わせるものがある。もちろん玄人になればなったでまた別の苦労もあるのではあるが。
 たとい家が没落しなくても、素人娘のヒロインには選択肢が二つしかない。
ひとつ。幼なじみのボンボンに嫁に行く。でも、このボンボンは限りなくやさしいけど(この役者がなかなかいい)彼女の目からは、パシリ感丸出しでいまいち頼りない。
ふたつ。家付き娘として番頭を婿に迎える。でも、この若い番頭も「あたしの言うことは何でも聞いてくれる」という割には主人(彼女の父進藤栄太郎)にいささかヒステリックに反抗するあたり、なんだか将来不安な感じ。結局、嫁に行くにしても婿をとるにしても、なんだかいまいち。没落をこれ幸いに、喜んで自由業(と彼女は考える)の芸者に行くような気がして、映画のラストがいまいち収まらない。
 しかし、この蘭子さんはともかくとして、映画自体はたいへん好ましい。橋の上にたたずむ、はかなげな風車売りの少女、ヒロインの家の使用人の老人、出入りするものたち。ヒロインの義理の妹とわかる娘を山根寿子が演じていて、この女優さんは若くても地味だったんだなあ。その地味な感じがあっている。
 ただ、その精悍な父を演じているのが、なんと、高堂国典!(この当時はその名も黒天!)
戦後の、高峰秀子のストリップをかぶりつきでニコニコしながら見ていたり、キャラメルを包装紙ごと食って孫に馬鹿にされたり、野武士に略奪される寒村の、重厚だが紋切り型の村おさだとか、白い無精ひげに彩られた、あごのしゃくれたボケ気味の老人しか見ていない身に、その精悍さはまことに衝撃で、上野彰義隊として官軍に破れ、やさぐれていた身を、もと仇の西郷が政府に反抗して西南の役を起こすや、これで俺の死に場所が見つかったとおっとり刀で薩摩に向かうラスト・サムライ。西郷軍を征伐する政府軍に加わるのではなくて、なんともと仇の西郷軍に加わろうというのだ。これこそ、まさに文字通りの死に場所。高堂国典(繰り返すが当時はその名も黒天!)かっこいい。彼のほうがよっぽど「むかしの歌」を歌っている。石田民三、女の子映画ばかりの人ではなかったのね。
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by mukashinoeiga | 2009-08-09 20:13 | 傑作・快作の森 | Trackback | Comments(0)

大原麗子とダイヤ菊と三百人劇場と

 大原麗子さんといえば、ぼくなどは、かの石立鉄男全盛期の主演ドラマ「雑居時代」「おひかえあそばせ」のヒロインの印象が強い。がらがら声なのに、かわいい、という稀有な美人女優で、その時期のぼくのアイドルでした。その延長上に、市川崑演出のサントリーオールドCMや、映画「獄門島」があるわけで。それ以前の東映映画チンピラ女優時代は、がらがら声や美貌が邪魔していたのか、あまりぱっとせずじまい。むしろもっと昔に生まれていたほうが、正統の美人女優として活躍できたかもしれません。

 都営三田線の千石駅で降りて、数十秒のところに、かつて三百人劇場というのがありました。メインは新劇の小屋でしたが、時折あるマニアックな映画特集で結構通いました。で、最寄の駅が数十秒というのは、結構つらい(笑)。いや、行きは便利この上ないのですが、帰りがつらい(笑)。で、用もないのについふらふらと。いや、用もないからこそ、ふらふらか。で、近くの路地で何かと暖簾が下がっていると、なおありがたい。路地といっても、今風のカラフルなタイルを敷いた小ぶりの商店街、夜だから店はほとんど閉まっている中に、ふいとダイヤ菊の電灯看板が目に入る。
 入ってみると、カウンターだけの小ぶりな居酒屋。
 ぼくの好みの、年配の女性が(と、いっても、若々しいのだが)一人で切り回している店。いや、別にぼくが熟女フェチというのでもないのですが、若いおねえちゃんの店というのも、落ち着かないじゃないですか。そういう店にいくと(連れて行かれると)、たいてい「こちらの方、お静かなのね」といわれてしまう、おしずかなんじゃなくて、おちつかないだけなのよ。大原麗子さんが、着物姿でいる居酒屋なんて、もう緊張しまくりだと思うよ。それはオーバーか。酔えば、ぐだぐだだあね。
 別に親父さんが一人で切り回している店というのでもいいのだが、頑固親父なら、子供のころにいやというほど付き合ったので。あと若い衆が切り回す店も、妙に悪気取りしている傾向もあり、おじさんとしては疲れる。
 一人で切り回している、というところも重要。若いころ、そういうおばあさんが一人でやっている店、あまつさえ猫などいて、飲みながら文庫本を読んでいると、ひざの上で勝手に寝てしまう、という、ぼくにとっては理想的な居酒屋、しかもそこのおばさんは昔数館の映画館の経営者だった、という今思うと夢のような、ひなびた、しけた居酒屋もあったけど、それももうなくなっちまったしなあ。ああ、話がどんどん大原麗子から離れていく。
 で、その千石の(もっとわかりやすく言うと、巣鴨の先の)小さな居酒屋に、小津ファンにとっては清酒ならぬ聖酒といっていい(笑)ダイヤ菊がなぜあるかというと、単なる偶然で、ン十年前の開店当初から、たまたま置いているという。いいなあ、たまたま。で、ぼくの知る限り都内でダイヤ菊を置いてる店三店目に、三百人劇場での帰りは、たいてい寄ることになった。といっても、特集はたまにしかなく、何ヶ月も行かないこともあれば、週に三日行くこともある、というところ。で、また、ダイヤ菊もうまいのよ。
 あるとき、店のおばさんが「この近く(歩いて約一分)に和菓子屋さんがあるでしょう」という。ありますねえ。もっともここへ来るのはいつも夜だから、閉まっているけど。「そこが、女優の大原麗子の実家なのよ」。で、その店はもと店員だった女性が、大原麗子の父親の後妻になって、いろいろ複雑なのよとか、彼女が大河ドラマの主役のころは(これはぼくの知らない世界)観光バスが店に乗り付けて大繁盛だったとか(主演女優の実家に観光バス!)、彼女が地元中学生だったころ、数学の先生と・・・・で、その数学の先生は左遷されたんだか、どうだとか・・・・中学生の大原麗子も美少女だったろう。さすが六本木野獣会。
 そういう彼女が、おとなしいかたぎのお嬢さんや、理想のお嫁さん女優になるのだから、女はわからない(笑)。そのあと、こどもの日に三百人劇場へ行ったときは、その和菓子屋さんで柏餅など買い、映画を見ながら食べたりしたのですが、その居酒屋も閉店し、翌年には三百人劇場も閉館して。
 三百人劇場に通う映画ファンの中には小津ファンも、大勢いたろう。その彼らも、劇場の近くにダイヤ菊が飲める店があることは知るまい。ざまあ見ろ・・・・なんて、下衆な気はなかったけれど(笑)まあ、お酒はおいしかったからね。
 三百人劇場スタッフも今は神保町シアターに流れてきて、ぼくも通っているが、映画を見たあとの、いい居酒屋、というのがないのが、少々つらい。


●追記 大原麗子は「おひかえあそばせ」には出ていませんでしたね。ごめんあさあせ。サントリーのCMも、レッドがメインで、でもあとから「今夜から我が家でも、サントリー・オールド」のシリーズがあり、これはあながち間違いでも。
 なおネットをいくつかうろついてみたら、既成メディアではザの字も出ないことが多い「雑居時代」が、多くの人々にとって、大原麗子で一番印象に残る作品のようだ。これは当たり前のこと。作品自体の、日本的ラブコメの面白さもさることながら(映画脚本ではいまいちはじけない、松木ひろし脚本の代表作)石立鉄男の相手役というのが肝。ぼくはゴールデンタイムの本放送から見ていたのだが、午後4時からの再放送でブレイクするのが石立コメディ。夕方なのに下手すればゴールデンより視聴率がよかったりして。実際、当時ぼくは新聞の文化欄の記事で、夕方からの再放送が異常大人気、というかなり大きな記事を読んだ記憶がある。この再放送人気を支えたのが、おそらく当時の小・中・高校生たち。
 こども(もちろんぼくも)はみんな石立鉄男が好き。子供受けのする絶妙なキャラ。しかも、当時の人気子役・杉田かおるも、大原麗子の末の妹役で出演(もちろん杉田がブレイクしたのも石立コメディ「パパと呼ばないで」による)、子供受けは万全だ(もちろん大人にもウケた)。
 当時の小・中・高校生は、この石立ドラマの、かわいいヒロイン大原麗子を<きれいなお姉さん>として、なんていうんだろう、トラウマという言葉は当然ネガティヴな言葉なんだけど、いい言葉が思いつかないので、逆トラウマとするけれど、ま、馬虎ですか、当時の、小・中・高の子供たち世代に、きれいでかわいいお姉さんとして、世代的に決定的な印象を残したはずだ。映画女優としてはいまいちであったが、70年代の子供たちは、みんな(笑)覚えている、お茶目で、突っ張って、でも、めちゃくちゃかわいい、きれいなお姉さんだった。

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by mukashinoeiga | 2009-08-07 03:35 | 旧作日本映画感想文 | Trackback | Comments(2)