カテゴリ:大島の渚に寄せる新波かな( 15 )

大島渚「マックス、モン・アムール」シャーロット・ランプリング

 渋谷にて。「追悼! 大島渚」特集。87年、フランス。
 鑑賞後、二、三のぞいて見たネットでの感想は、あまり芳しからぬようだが、おそらく大島渚の(ある意味での)最高傑作では、ないか。
e0178641_12515223.jpg つまり、遺作にいたるまで、はったりに満ちたアヴァンギャルドな映画を作り続けた大島が、おそらくデヴュー作「愛と希望の街」をのぞいて(第2作「青春残酷物語」を未見のままに)ただ一作撮ったウェルメイド・ドラマとして、傑作なのだ。
 渋谷のほぼ満員の場内も、私も含めて、その艶笑ギャグに、爆笑しておりました。
 そもそも、これまた「愛と希望の街」をのぞいては、大島が撮った、唯一の「ホームドラマ」「コメディ」なのではないか。
 「唯一の完全外国映画」で、ほぼ「唯一のウェルメイド・コメディ」を作ったとは、なんと、屈折した(笑)。
 本作の売りというか、内容を一行で表すとすれば、
「妻の不倫相手は、サルだった」
 ということになると思う。そうして、人々の目には、そういう珍奇なキャッチーな「異種間セックス映画」という風に興味本位でとらわれてしまうだろうが、ぼくの見るかぎり、本作のキモは「大島渚が生涯でほぼ一作だけ撮った、ホームドラマ」ということに、尽きる。
 あるいは、フランス(というか、ヨーロッパ)映画お得意の艶笑コメディと、大島の(不本意ながらの出自)松竹メロドラマ/ホームドラマとの、ハイブリットな合体。そういう意味で、大島にとっては、このホームドラマ、助監督時代に昔取った杵柄として、きわめて滑らかに、ウェルメイドに進行していく松竹ホームドラマの、延長上にあるものだろう。
 ホームドラマでは、最終的に家族の崩壊は、ありえない。崩壊したら、それは社会派ドラマに、なって、しまう。あるいは「不条理ドラマ」に。
 そこをぎりぎりの段階で踏みとどまって、なおかつ大島の教養の範囲内にあるかどうかわからないが、共同脚本ジャン・クロード・カリエールの教養のなかには、確実にあるだろうルビッチをはじめとする艶笑不倫コメディの数々への目配せ。
 たとえば、ルビッチお得意のドア描写の多用。ドアの向こうでの、いかなるみだらな行為がドアに隠されているのか、妻の隠れ家的アパートのドア、チンパンジーの檻の格子ドアに、それはあからさまに援用されているだろう。
 そして、渋谷の場内をたびたび沸かせるコメディタッチの数々。ウェルメイド・コメディを撮ろうと思えばらくらくと撮れる大島渚の、「松竹ホームドラマ回帰」。それが、ほぼ唯一の外国映画でしか、実現しないという悲喜劇。結局、大島は、国内映画では、虚勢を張って、甘えていただけということですか。
 あるいは、「妻の不倫相手がチンパンジー」ということだけで、所定のはったりを使い果たし、後は、正攻法に「走った」ということか。
 しかも、クライマックスの<4WDの凱旋走行>描写(文字通りに凱旋門の通りを凱旋する!)は、さながらハリウッド映画のような、<街中が祝福する恋>そのもので。ここで終われば、まるで絵に描いたハリウッド映画みたいだし、最後に、ヒロインのシャーロット・ランプリングを、間に挟んで、チンパンジーのマックスと、夫のアンソニー・ヒギンズとキスしあい、抱擁し合えば、そのままルビッチだった。
 しかし、ここで終わっては、オレ様大島渚映画じゃない、フランス文芸映画じゃない、ということで、苦い結末(ランプリングの見た夢の話)を、くっつける。でも、それは、蛇足、面白くもなんともない。
 主演シャーロット・ランプリングは、夫には「反抗的」だが、マックスに対しては、120パーセント献身的。メイドの女の子は、これ以上ないくらい、主人夫婦思い。本作でも、大島渚映画の女性は、素直な子ばかりということで、つまり反逆は男の専売特許という大島映画の<反動性>が、またしても証明された形か。
 なお、最初は敵対していたような三者が、性的な「何か」で結びつきあうのは「夏の妹」「戦場のメリークリスマス」「御法度」でも同様な、大島セオリーか。

 蛇足だが、今回ネットをあさってみて、本作のあらすじを200パーセント誤読したブログを発見。
★■日本映画の感想文■マックス モン アムール★
 これがぼくのテキトー弱小ブロクと違って、OLD映画ブログとしては、一目も二目もおかれているらしいブログなのに、この、おそらく一行たりとも、本作のストーリーと合っていないものを書くとは、よほど本作に恨みがあるものか(笑)。わざと誤読しているにせよ、仮にも、ぼくなどのブログと違って「信用と実績のあるブログ」としては、どうなのか。ギャグとしても、つまらないし。



★新・今、そこにある映画★日本映画・外国映画の、新作感想兄弟ブログ。
★映画流れ者★当ブログへの感想・質問・指導・いちゃ問はこちらへ

★人気ブログランキング・日本映画★
↑↓クリックしていただければ、ランクが上がります(笑)。
にほんブログ村 映画ブログ 名作・なつかし映画へ
★にほんブログ村・名作なつかし映画★
[PR]

by mukashinoeiga | 2013-03-25 01:14 | 大島の渚に寄せる新波かな | Trackback | Comments(0)

大島渚「帰って来たヨッパライ」・再考

★この駄文の前文★ 

なぜ、「帰って来たヨッパライ」の検索が、比較的、多かったのか。
 新文芸坐の大島特集は、10月上旬だしね。
 なにかのきっかけか、本作を見た人たちが、
1 複雑奇怪な映画の構造に、疑問
2 映画が描く、今とまったく違う社会状況に、疑問
 んで。答えを求めてネット検索。たぶん、そゆことじゃないか。
 1については、アート系映画を見慣れた人たちの場合は、おお、同じ話を繰り返す、そう来たか、そのハッタリのお手並み拝見、となる。まあ、大島の場合は、ハッタリはよかったんだけどねー、という残念な結果になったのだが。
 しかし映画を見慣れていない人たち、たとえば、なくなった加藤和彦ファンあたりが、追悼の意味で、本作をDVD鑑賞したら、そらまあ、フツーの映画とは違うので、とまどうよなあ。
 大島の発想はなんだったのだろう。
 基本的な話をシナリオにしていったら、話が、持たない、というところじゃないか。
共同脚本は、田村、佐々木、大島、足立の四人がかり、相当苦労したとおぼしい?
 その結果、ええい、めんどくさい、話の真ん中で、38度線を引いちまえ。分断しちまえ、ということだったかも(笑)。いえいえ、ただの根拠なき推測ですがね。
 一度目は悲劇として、二度目は喜劇として。
 あと知恵の印象だが、二度目には、若干の喜劇味が強まっているように思う。成功はしていないが。ドタバタ度は、いっそう強化されている印象。
 あとは、「帰って来た」とは、何か。一度目があってこそ、二度目たる「帰って来た」が、利くのではないか、という発想か。

 2については、今は、まったく見られない、韓国人の密入国、成りすまし、紛れ込み、それに対する地域社会の標語(不審者を見かけたら、警察に通報、見たいな)の異様さ。
 戦後世代は、日教組の教育が行き届きすぎて、「えー、韓国人って、強制連行で日本に来させられたんじゃないの」と、この映画を見て、疑問が湧いたのかもしれない。
 お若い方々、強制連行じゃなくて、自分から進んで、密入国したんですよ、皆さんは。
 日本生まれの韓国人少年は、自分たちがなぜ日本にいるのか、疑問を持つだろう。その疑問を、親に聞く。親は、話に詰まるよなあ。まさか、自分が、国法を犯して、密入国したなんて、いえないもの。子供の手前、示しが、つかない。
 子供は、ぱっと顔を輝かせ、
「お父ちゃん、ぼく、日教組の先生に、学校で、習ったんだよ。日本人て悪いヤツで、強制連行されたんでしょ」
 渡に舟だ「そ、そ、その通り。まったく日本人てヤツは、極悪非道なやつらさ」
 社会びん乱を目標とする、文系お坊ちゃん革命家・大島は、社会をかく乱させる、韓国人の密入国、成りすまし、紛れ込みをも、歓迎する。国と国の境目、いわんや38度線なんかは、まったくもって、許しがたいものだから。
 密入国者の人権、犯罪権を、絶対的に擁護する。
 ニセ街頭インタヴューのシーン。
「あなたは日本人ですか?」と聞くと、
「いいえ、私は韓国人です」という言葉ばかり返ってくる。
 まるで、日本には、日本人と韓国人しかいないという。唯韓国人史観か。
「いいえ、国民党政府の白色テロから逃げてきた、台湾人です」
「いいえ、韓国人兵士にレイプされて、逃げてきたヴェトナム人です」
 そういう一言、二言があれば(笑)より、「リアル」なんだけどねー。
 天国から、「お前、出て行けー」と現世に返された、ヨッパライ。
 祖国から、「この国には未来がねぇー」と日本に密入国した、韓国人。
 まるきり違うものを、あえて、一緒にしちゃった。そりゃあ、もともと、無理すじ、だわな。

★新・今、そこにある映画★日本映画・外国映画の、新作感想兄弟ブログ。
★映画流れ者★当ブログへの感想・質問・指導・いちゃ問はこちらへ

★人気ブログランキング・日本映画★
にほんブログ村 映画ブログ 名作・なつかし映画へ
★にほんブログ村・名作なつかし映画★
[PR]

by mukashinoeiga | 2010-12-05 08:36 | 大島の渚に寄せる新波かな | Trackback | Comments(0)

大島の渚に寄せる新波かな

 大島渚監督作品を、フィルムセンターで、ある程度まとめて見たので、過去ログをまとめてみました。

1渚のはいから「人形」

2「帰ってきたヨッパライ」

3「天草四郎時貞」

4「無理心中 日本の夏」

5「夏の妹」

6「白昼の通り魔」

7「小さな冒険旅行」

8「愛と希望の街」

9「明日の太陽」

10「どんと行こうぜ」(脚本)

11「月見草」(脚本)

12「黄色いさくらんぼ」(脚本)


 その他の各作も、過去に見ているのですが。意外と?繊細な快作が多いですね。繊細かつ大胆、面白いことは抜群に面白いのですが、いまいち<切っ先>がにぶい。竹を割った性格でありつつ、同時に、もちをついたような性格(byつかこうへい)である、不思議な二律背反、明確でありつつ曖昧な。
 というわけで、大島渚については、これからも、見ていく予定。

●近日公開予定●
川島あり川島雄三映画の正体
おゲイさん乾杯木下恵介映画の正体
愛と清順の駄目出し鈴木清順映画の正体
彼と彼女と取りマキ~ノたちマキノ雅弘映画の正体
大魔剣三隅研次映画の正体
危険な英夫鈴木英夫映画の正体
ますますムラムラのまんぢ増村保造映画の正体
妄想の器橋本忍映画の正体
Vシネの花道90年代最強伝説三池崇史映画の正体
しぃみず学園清水宏映画の正体
溝口賛歌(けんじぃ)溝口健二映画の正体


にほんブログ村 映画ブログへ
にほんブログ村
●にほんブログ村>映画>名作・なつかし映画


●人気ブログ・ランキング>映画>日本映画
[PR]

by mukashinoeiga | 2010-06-05 23:04 | 大島の渚に寄せる新波かな | Trackback | Comments(0)

渚のはいから「人形」

 今回、大島渚の映画を何本か見て、だんだん大島映画がわかってきたような気がする。
 大島渚は「夏の妹」について、(大意)「オレ大島渚とあろうものが、素直子(すなおこ=ヒロイン栗田ひろみの役名)なんて名前の女性の映画を撮るべきでなかった」といったという。これに対して、ネットでの突っ込みは「大島の映画に出てくる女性は、みんな素直な女ばかりじゃないか」というもの。
 これは正しい。大島映画の男たちは、世間に反逆/反抗/異議申し立てしているが、女たちはおおむね、すなおというか、わりと<後衛的>である。当時のことだから、<性に奔放な女>は、実に反社会的とみなされていたので、そういうヒロインも多用されたが、それは、よく考えてみれば、<欲望(あるいは本能)に忠実な女>であって、実にすなおそのものではないか。
 「天草四郎時貞」丘さとみは夫に殉死するし、もうひとりの立川さゆりはレイプされて自責する。 「白昼の通り魔」川口小枝はレイプされても佐藤慶をかばう。 「無理心中 日本の夏」桜井啓子は、すれたオトコどもの中で、さながら掃き溜めの鶴状態。生まれたまんまのピュアさとも言える、欲望娘。「帰って来たヨッパライ」緑魔子は、フォークルの三人を助けるために、一途に駆けずり回る。いったい何のために。
「夏の妹」栗田ひろみは究極の健康・元気アイドルだし。りりィは、なぜか、常に申し訳なさそうなキャラ。歌手で、たぶん映画初出演だと思うが、登場してすぐ、いきなり風呂に入って乳を見せる。まったく無駄なヌード。多分、まったく映画について事情を知らないうちに、大島に言われるまま、そういうもんだと思わされて、ついうっかり風呂場だから裸で風呂に入って、撮らせてしまったのでは、と。そのくらい無防備かつあまり意味のない脱ぎで。いやあ、すなおだなあ。
 大島映画のヒロインの多くが<レイプの被害者>であることにも、注意。大島映画のヴィジュアルを一枚のスティルで表わすと、「青春残酷物語」(ぼくは未見)の、川津祐介が桑野みゆきに平手打ちして、みゆきがふぎゃぁと叫ぶ一枚。結局、この一枚こそが、ザ大島のイメージなのだろう。今回のフィルムセンターのチラシにも使われている。
 つまり、松竹メロドラマのヒロインにふさわしく?社会やオトコに迫害されていくことで、観客の紅涙や同情を買っていく。いや、松竹メロのヒロインはまだしも同情を買うが、大島映画のヒロインはその被虐を一顧だにされないという違いはあるのだが。
 「絞死刑」は、韓国人死刑囚を肯定するあまり、彼が通りすがりに殺したふたりの日本人女性は、まるきり省みられない。韓国人は日本人に差別を受けたという。だから、韓国人には日本人女性を犯して殺す権利があるという映画。女たちは実に率直に犯され殺されていったようだ。そして、大島最晩年の二本は「戦メリ」「御法度」と、男集団の話に特化して、女の存在は消えていく。
 「白昼の通り魔」のもう一人のヒロイン・小山明子は教師。ラスト、生徒たちに名前を次々呼びかけて、そして「さようなら」と去って行く。まるで、松竹大船映画のセオリーどおり、木下恵介でもあるまいし、ではないか。
 思えば監督直前のオリジナル脚本提供作、岩城其美夫「月見草」は、もともとばりばりの松竹メロ・ジュニア版ではあるが、ヒロイン十朱幸代は、ボーイフレンドの、俺が浪人脱出・大学合格するまでは、手紙も禁止、というわりと身勝手な一方的宣言に率直に従い、「振られ」ると崖から飛び降り自殺という、これ以上ないくらい、いじらしい素直娘。
 つまり、大島渚、オトコの登場人物に関しては、大いに「国家」や「社会」に反抗するキャラだが、女性に関しては、その出身である松竹メロから、ほとんど進歩していないのだ。どこがヌーヴェルバーグかと。ま、もともと本家のゴダール、トリポン、ロメールにもそのケはあるけれどね。自称<革新的思想>を誇る50~60~70年代の<左翼革命闘士>も、こと女に関しては、かなり保守的だったりするのは歴史の閲するところだ。
 そして、大島最晩年の二本は「戦メリ」「御法度」と。男同士の関係を装いつつ、あるいは男同士の関係性だからこそ、ついつい本音と出自が露呈してしまう。これは、まさしくメロドラマではないか。
 棺おけに片足突っ込んでいる、という表現があるが、大島は、ついに、もともと、ゆりかご(松竹メロ)に、片足突っ込んでいて、その片足を抜き切ることは、なかったのだ。
[PR]

by mukashinoeiga | 2010-02-14 00:24 | 大島の渚に寄せる新波かな | Trackback | Comments(0)

大島渚「帰って来たヨッパライ」

 京橋にて。「映画監督 大島渚」特集。68年、創造社。
 初見のときも、つまんねー映画だなー、と思ったが、再見しても、やっぱりつまらないものはつまらない。
e0178641_18395799.jpg 同じ物語が再度繰り返され、しかしヴァリアントに微妙なずれがある、という構造の映画を成功させるには、最低限の映画的才能と、センスが必要なのだが、大島にはそれはない。
 大島にあるのは、何か先鋭的な映画を作りたいという物欲しげで闇雲な欲望と、それを実行してしまうハッタリのみで、この種の映画に必要な、タランティーノでさえらくらく使いこなせるような、繊細かつ大胆なコラージュ能力をまったく欠いている。
 映画はフォーク・クルセダーズの三人が海水浴中に、韓国人密入国者(佐藤慶ら)に服を盗まれ、残されたハングル入りの服を着ざるを得ず、密入国者として警察に追われ、また佐藤慶らにも追われ、さらに韓国人夫婦(渡辺文雄・緑魔子)にも、追われる、という、つまりビートルズ映画や、そのパクリのGS映画の、さらにパクリというべきもの。そのゴダール風味。そのどたばたのいちいちがしまらないし、80分の映画で30分は長すぎるね
e0178641_18403478.jpg ゴダールが成功したのは、過去の膨大なB級C級どたばた/娯楽映画への愛?ある蓄積と、それを再構成するセンスゆえなのだが、大島にあるのは、その上っ面だけ、ということが露呈してしまう。
 フォークルの三人の中では、加藤和彦は、演技といえる代物ではなく、棒読みの、ハシにもボウにもかからないもの。はしだのりひこは、ハシにはかかるが、ボウにはかからない中途半端さ。まあ、お話にならない素人演技だが、北山修だけは天性の達者さで、何とか乗り切る。
 佐藤慶、小松方正、渡辺文雄、殿山泰司の、いつもの大島組常連に伍して、今回は緑魔子が参戦。
 日本人は韓国人に間違われ、区別がつかない。
 韓国人は日本人に紛れ込み、区別がつかない。
 殿山泰司は、タバコ屋の店番のばあちゃんになり、ほっかむりの自警団小松方正になり、警官になり、処刑人になる。性の区別も、キャラの区別も、超越する。
 小松方正は、ほっかむりの自警団のはずなのに、その声は交通警備の案内アナウンスとなり、駅の案内アナウンスとなり、さまざまな地に、さまざまな声を鳴り響かせる。
 はしだ、北山は韓国人に間違われるだけでなく、逃げるために女装し、性のアイデンティティさえ混乱させる。
 ただひとり、鈍感な加藤和彦だけが、衣装を盗まれず、出来損ないのGSみたいなコスチュームで終始一貫通す。 ◎追記◎ミリタリールック的人民服というべきか
e0178641_18411947.jpg 韓国人にも間違えられないし、はしだや北山のように女へと性を越境しない。この映画における、ただひとりのこの鈍感さはいったいなんなんだろう。ハシにもボウにもかからない棒読み演技、この鈍感さでは、成りすましや紛れ込みがお得意の韓国人にはなれないということなのか。にやけた棒読み男、こいつだけが日本人以外の何者でもない、ということか。

 韓国人の成りすまし、紛れ込みの結果、その区別がつかなくなる混乱、大島は、これは不条理か、いや、条理だ、といいたいらしい。アイデンティティのあやふやさ、これこそが現代なのだ、と。何を大島な。いや、大げさな。ただ単に韓国人が不正行為、犯罪行為を行っているだけなんだけどね。朝鮮人の擁護者、大島はかの国の人たちのけちな犯罪行為を擁護するだめに、アイデンティティなど持ち出して、得意になっているだけのことで。
 そのために大島は次から次へと、うそを吐き続ける。
 韓国人緑魔子は「韓国人は韓国人を殺さない」とハッタリを言う。
 言われた韓国人佐藤慶は、フォークルの三人を殺そうとして、フォークルが、いやいや俺たちは韓国人だと主張するので、目を白黒させて、殺人を躊躇する。北朝鮮と南朝鮮が同民族で戦争で殺しあっているのだから、「韓国人は韓国人を殺さない」は、捏造以外の何者でもないのに。
 映画のラストは、北ヴェトナムと南ヴェトナムの戦争で、同民族を処刑する有名な写真を拡大した巨大絵看板のしたで、日本人警官殿山が、韓国人佐藤慶を、同じ構図で処刑するシーン。
 これこそ歴史の捏造というもので。韓国人同士が処刑するならともかく、日本人と韓国人が同民族といいたいがための、80分だったと。同じ民族としての日本人が韓国人を抑圧している、という構図。これを言いたいための、現代の病としてのアイデンティティ不確実だったわけだ。

 大島渚は、センスある映画を作りたい。映画をお勉強して、過去の映画テク成功例を数限りなく取り込む。しかしそれらの成功例は、センスある映画作家が作り上げたもので、大島には残念ながら、その才能がない。ただ闇雲に取り入れた映画テクの成りすまし、紛れ込み、どうりでかの国の人たちを擁護するわけだなあ。
 共同脚本(田村、佐々木、大島、足立)のひとり、足立正生が制服警官の役というのが、この映画で一番の笑いどころだったりして。後に越境した足立正生、ヨッパライかどうかは知らず、今は帰ってきちゃった。日本人は、なぜだか、帰ってきちゃうなあ。かの国の人たちは、なぜか、帰らないけれどもね。

この駄文の続きは★続・大島渚「帰ってきたヨッパライ」★

◎追記◎帰って来たヨッパライ

 このクリップは、見たことがない。冒頭の世界地図と手書きのタイトルは、オリジナル映画版では、見たことがない。
 おそらく、推測するに、映画の予告編の一案として編集され、しかしあまりにも(当時としては)カットび過ぎていて、ボツになり、予告編案のキャッチコピーやクレジット、せりふ音声を抜いたまま、フォークルの、イメージヴィデオとして「再生」させたものではないか。
 あるいは特報として作られたものの、クレジット抜きオリジナル素材か。

★新・今、そこにある映画★日本映画・外国映画の、新作感想兄弟ブログ。
★映画流れ者★当ブログへの感想・質問・指導・いちゃ問はこちらへ

★人気ブログランキング・日本映画★
↑↓クリックしていただければ、ランクが上がります(笑)。
にほんブログ村 映画ブログ 名作・なつかし映画へ
★にほんブログ村・名作なつかし映画★
[PR]

by mukashinoeiga | 2010-02-01 04:58 | 大島の渚に寄せる新波かな | Trackback | Comments(0)

大島渚「天草四郎時貞」大川橋蔵

 京橋にて。「映画監督 大島渚」特集。62年、東映京都。
e0178641_21421177.jpg 大島唯一の東映作品。時代劇はこれと「御法度」くらいか(例の「忍者武芸帖」は未見)。
 島原の、キリシタン農民たちが、キリシタン弾圧と、苛酷な年貢米取立て、に耐え切れず民衆蜂起して、悪代官たちを襲う話。なのだが、これがおそらく、百人が見たら、百人とも欲求不満におちいるだろう作品。カタルシスがない。
 大川橋蔵の天草四郎らが、民衆蜂起の方法論、そもそも暴力は是か非かの、論争ばかりにかまけで、一向に蜂起しないし、したらしたで、またまた、これでいいのか、と議論する。語るに堕ちる、というか、語るしすぎて、カタルシスが、ない。
 農民たちというより、反安保の60年代学生運動そのものだね。農民の重鎮、花沢徳衛なんて、戦っている最中に、やっぱり暴力はいくない、なんて民コロ虫そのまんま。あ、今どき民コロ虫っつってもわからないか。民青のことね。て、民青ももうわからないか。だいいち、変換の候補にすらないし。今風に言えば・・・・山田洋次よ。
 主人公・天草四郎は、まだまだ蜂起の利あらず、もっと大衆の中から怒涛のようなうねりが生まれるまで、時節を待たねばと、もう待てない、我慢できない、という河原崎長一郎青年たちを押さえに抑える。そして、戦いが始まると、いろいろ方法論というか、戦術をぐだぐだ。結局、この人には、しょうがないことだけど、戦略がない。戦術しかない。そういう人が率いる蜂起軍が、結局自滅するのは歴史の必然なんだろうけど、戦いの最中に、戦術のアレかコレかをぐだぐだされても、盛り下がるばかり。
 だいいち、天下の東映スタア、水も滴る大川橋蔵に、悩む男、というのが、からきし似合わない。こういう役を甘いスタアさんに振っちゃダメだろ、大島渚。そして、一緒に悩む友人に大友柳太郎、って、大友柳太郎を、悩ましても、ダメだろ。さらに、これまた女々しく悩みに悩む絵師に、三国連太郎って、くだらない悩みなんてすっ飛ばしそうな三人に、苦悩する役って、むちゃくちゃや。
 そして、大川橋蔵には、いいなづけの純情キリシタン娘(三国の娘で、新人の立川さゆり)と恋仲であり、同時に親友・大友の妻(やはりたいへん可愛らしい丘さとみ)とも幼馴染であり、実はこちらのほうにもならぬ恋。でも、この二股愛も、クラシックな純情美男スタア橋蔵には似合わず。事態を混乱させはしても、複雑な心理ってのが、この東映では、お呼びでない、のだ。
 そして、松竹出身の大島渚には、やはり戦いの修羅場が、描けない。大島は知性では武闘派だが、肉体的にはお稚児さん派で。
 当時の東映時代劇にも、無理。意識は、一応現代、というか60年代なりの現代で、一応苦悩する近代知性なのだが、肉体の現場が追いついていない。無理からぬことながら、いわゆる眼高手低の時代。かくて映画は、盛り下がりに盛り下がる。
 なお、武闘派農民の一人が、やたら印象的。あの独特の声が、そうだ、大島の60年「日本の夜と霧」で、これまた印象的に、延々と党派的演説を垂れ流し続けた吉沢京夫というひとではないか。「日本の夜と霧」より演技は格段に進歩している。もっとも、延々たる演説口調というのは、普通の会話にも垣間見れるのが、笑える。
[PR]

by mukashinoeiga | 2010-01-31 06:10 | 大島の渚に寄せる新波かな | Trackback | Comments(5)

大島渚「無理心中 日本の夏」

 京橋にて。「映画監督 大島渚」特集。67年、創造社=松竹。
 ある種の映画的才能を欠いた者が、頭でお勉強して、ボクだって出来るもん、と作った<不条理前衛映画>。渚、さるまね。
 多分、どんどん先鋭化していったゴダールや、その他ヌーヴェルバーグに追いつきたい一心だとは思うが。もう、旧態依然の娯楽映画には戻れないもんね、じゃあとことん先鋭化しよう、しかし身についた娯楽映画のさびはそうそう落とせるものではなく、ましてや古巣の松竹配給となれば、ちゃんと娯楽も意識しろよ、という釘の一本や二本は打たれていると思しい。前衛でありつつ、後衛にも配慮、な~に、ちょろいちょろい、と思ったか大島渚。
 それでも、天然が入っていれば、まだ苦笑くらいは出来るものを(本当に本当に卑近な例:M・ナイト・シャラマン)、ガチガチのガリ勉野郎の大島なものだから、笑いの入る余地もない。ココ、笑うとこだよね、というとこで、ことごとく笑いのツボを外す。さあ、笑おう、というところで、急変化のしかめっ面、という大島渚本人のキャラそのままで。
 娯楽のツボは、まずセックス要素だ、とばかり<新宿のスナックを徘徊する「フーテン族」の桜井啓子をヒロインに抜擢>(フィルムセンターのチラシ)、巨乳ちゃんのバストをちらちらさせれば、お客も喜ぶだろうと、いまどきならAV女優になりそうな、何だ単なるおでぶちゃんか、でもよく見れば可愛かったりして、演技もまあまあ、というところをキャスティングするセンスも(やや)抜群で。
 佐藤慶、小松方正、戸浦六宏、そして殿山泰司、この当時なぜか前衛風映画にやたらと顔を出す観世栄夫、などいつもの大島組常連親父たちに、例によって<大真面目なちゃらいキャラ>を演じさせる。でも、娯楽的配慮としては、むさい親父だけでは、どうも、ということで、今回の<「御法度」の松田龍平>には、田村正和。この田村が意外と、いい。当時松竹では<弱弱しくも、軽薄な好青年>という役柄ばかりだった彼が、珍しく小悪魔的美貌のちょい悪青年。悪魔的微笑が美しい。これが、本来の正しい(青少年期の)田村正和でしょう、と思わせるものがある。そして、どの映画でも、むさくるしい暑苦しいダメ親父専門役者の、殿山がみょーに凛々しい、肉感的なハードボイルド役の漢(おとこ)役。う~ん、大島、オトコへの執着は、さすが「戦メリ」「御法度」の監督だけはある。
 ただ、狙撃犯のアメリカ人青年は、ちょっと大島の好みじゃないだろ。そこまで用意が出来なかったのか。ここのパートのみ、M・ナイト・シャラマンやETを思わせる。が、笑いは、取れない。残念。
[PR]

by mukashinoeiga | 2010-01-29 00:07 | 大島の渚に寄せる新波かな | Trackback | Comments(3)

大島渚「夏の妹」

 京橋にて。「映画監督 大島渚」特集。72年、創造社=ATG。
e0178641_233721.jpg 当時の青少年たちの時代のアイコン=アイドルだった、栗田ひろみ主演。
ぼくも少年漫画誌などのグラビアで見た記憶がある。いま見ても、長い黒髪、ぷっくらとした顔立ち、つぶらな瞳、その大きな目をまん丸に見開いて、おしゃま!に、悪びれず!に大人たちに伍して行く姿は、まさに絵に描いたようなアイドル女優として最強でありますね。舞台が沖縄ということもあり、南国をイメージしたかのようなひらひらの衣装で。
 不思議の国ならぬ、大人の国に迷い込んだアリス。もちろん、その<ゆるい大人の事情の国>を構成するのは、いつもの大島組常連の、小山明子、佐藤慶、小松方正、戸浦六宏、そして殿山泰司だ。この、こわもてのおじさんたちに、敢然と?伍して行く栗田ひろみは、立派だ(笑)。あまりに、絵に描いたアイドル演技が、かわいくも、ウザくすらあるけれども(笑)。そして、この栗田ひろみを、沖縄(=大人の国)案内するのは、メフィストフェレス殿山と、青春小僧石橋正次。この、絵に書いた青春映画の石橋と、絵に描いたようなアイドル映画の栗田が、<ゆるい大人の事情>の国を、さまよう。すばらしい。
 思うに、大島渚にさしたる映画的才能はない。大島に許されていたのは、当時枯渇していた<ジャンル映画>を、ほんの少し、ずらして、もちろん、それは脱構築というべきレヴェルではないにしろ、その、ずれのなかに、ある種の活路を見出そうという、かそけき希望だったのだ。<ゆるい大人の事情の国>(かつては隆盛を誇りつつ、もはや誰にも相手にされなくなった<松竹メロドラマ>の大島的再構成)と、典型的アイドル映画・栗田ひろみと典型的青春映画・石橋小僧との、緩やかな、止揚。
e0178641_23373655.jpg 大人が勝つわけでもなく、アイドルと青春が勝つわけでもない、その、緩やかな止揚。
多分、これこそ、「戦場のメリークリスマス」「御法度」にまで到る、大島渚の正体なのだ。
 しかし、りりィ、だよ。
栗田ひろみの父・小松方正の再婚相手。栗田ひろみのピアノ教師から、その父に見初められて再婚する予定の<婚約者>。この<婚約者>という、<予定された身分>てのも、いかにも(古風な)松竹メロドラマ、いかにも(新規な)大島渚、だよなあ、と思うけれど。たぶんりりィは、欧米系とのハーフなんだと見えるのだが、まだ20代半ばと思われるりりィは、ハーフなのにいかにも幼い顔立ち、そして、なんだか疲れきっている表情、ああ、なんか、好みだなあ(笑)。
童顔ハーフ顔で、人生に疲れている、これ、絵にかいた元気アイドル栗田ひろみと並ぶと、こっちもまた最強じゃん(笑)。いや、何が、最強なんだか、俺(笑)。
 栗田ひろみ以上に、りりィは、沖縄の人の影薄い観光地にたたずむ、ディスカバー・ジャパンCM状態。そう、これは、栗田ひろみ大アイドル映画であると同時に、りりィ大アイドル映画なのだ。「戦メリ」の、デヴィッド・ボウイ=たけしに引けを取らない、りりィ=栗田ひろみの大アイドル映画。そうか、「戦メリ」「御法度」は、実は「夏の妹」の男版だったのか!(笑)
 栗田ひろみは、未来の義母・りりィに愛憎半ば。「このくそばばあ」と、本人の前ではなく、隠れて罵倒する。「ロボコン」長澤まさみもそうだが、年長の同性をくそばばあと罵倒して、許される、可愛らしいのは、十代半ばの女の子に限られる。これがはたち超えたら、しゃれにはならない。ああ、最強のアイドル映画だなあ「夏の妹」は。「ロボコン」もね。
 そして、小松方正だよ、小松方正。大島組常連にして、娘が美少女・栗田ひろみ、婚約者が栗田ひろみと同格かそれ以上の(笑)りりィ、という両手に花状態の、信じられないほどの二枚目役だ。「日陰の娘」で、あの香川京子と相思相愛になるという、空前絶後の中村伸郎にも匹敵する、一世一代の役だろう。この小松方正が、いつにもましてヘン(笑)。
 もともと、小松方正は、あの小さ過ぎるカナツボ眼が、どんな笑顔のときも決して、目は笑っていない。喜怒哀楽全てが同じ表情といっていい(笑)。まるで、腹話術使いが抱いている、妙に老成しきった人形の少年そのものなのが、小松方正なのだ。その小松方正が、完璧に腹話術人形そのものに化身してしまったのが、この映画。その表情、そのしぐさの、蜜蝋感。生きながらして、木彫りの人形感。てらてらと光った、蝋人形でもあり、木彫りの人形である。恐ろしい。素晴らしい。

★新・今、そこにある映画★日本映画・外国映画の、新作感想兄弟ブログ。なお、現在は当ブログに吸収合併。過去ログは残してあります。
★映画流れ者★当ブログへの感想・質問・指導・いちゃ問はこちらへ

★人気ブログランキング・日本映画★
にほんブログ村 映画ブログ 名作・なつかし映画へ
★にほんブログ村・名作なつかし映画★

★にほんブログ村日本映画(邦画)★
[PR]

by mukashinoeiga | 2010-01-26 23:47 | 大島の渚に寄せる新波かな | Trackback | Comments(0)

大島渚「白昼の通り魔」

 京橋にて。「映画監督 大島渚」特集。66年、創造社。
 佐藤慶が連続殺人・強姦魔になって世間を騒がす。その妻に小山明子、刑事に渡辺文雄、友人に戸浦六宏など。つまり、いつもの大島組。
 これがめちゃくちゃつまらない。99分の映画なんだけど、確実に一時間は長すぎる。
 フィルムセンターのチラシにいわく、「戦後の闇の暗喩が・・・・写し出される」。馬鹿言うな。この映画のどこに、<戦後の闇の暗喩>がある。この闇雲な馬鹿映画のどこに<戦後の闇の暗喩>もしくは<直喩>があるか。あるならはっきり例示しろ。
 さらにチラシにいわく、「大島作品のなかでは最も細かいカットの編集で構成された1本」、確かに。もっとも細かいかどうかはしらないが、かなり緻密にショットを積み重ねている。
 でも、それが、ことごとくつまらないのね。たとえば、タイトル「白昼の通り魔」が、間を置いて二度、出る。これがまったく、面白くないのね。もし、大島が真の映画的才能を持った映画作家なら、タイトル二度出すんだぜ、すごい面白いことじゃないか、ということになるのだが・・・・結果は、しょぼん。
 あ、二度、出ましたね、でも、それが何か、という程度。
 あと、同じようなショットの繰り返し。たとえば、シネスコ画面右から、会話する小山明子と川口小枝が、画面を横切って、左に消えていく。これを何回か繰り返す。ああ、確かにこのテクを抜群に面白く援用した映画作家はいましたね。でも、大島は、はっきり言って、そのテクは、仏作って魂入れず。まったく、面白くない。映画的才能を持たない映画作家が、それなりに新規なテクを繰り出しても、まったく面白い映画にはならない。無残なり「白昼の通り魔」。

★新・今、そこにある映画★日本映画・外国映画の、新作感想兄弟ブログ。
★映画流れ者★当ブログへの感想・質問・指導・いちゃ問はこちらへ

★人気ブログランキング・日本映画★
にほんブログ村 映画ブログ 名作・なつかし映画へ
★にほんブログ村・名作なつかし映画★
[PR]

by mukashinoeiga | 2010-01-25 22:49 | 大島の渚に寄せる新波かな | Trackback | Comments(0)

大島渚「小さな冒険旅行」

 京橋にて。「映画監督 大島渚」特集。63年、日生劇場映画部。
 60分の中篇、カラーだがかなり退色していて、青と若干の黄色が残る、退色をのぞけば結構きれいなプリント。赤系は完全になし。ほとんどサイレントだが、音楽、効果音、若干の別録のセリフがはいる。
 小さな男の子が、一人で街中に飛び出して、都電に乗ったり(車掌が加藤嘉)、修学旅行のバスに紛れ込んだり(付き添い教師が小松方正)、へんてこな爺さん(左ト全)とたわむれ?たり、まあタイトルどおりの小さな冒険旅行をつづった、偽ドキュメント風スケッチ。
 まあ、これがつまらない。60分中、45分くらいは長すぎる。このての、ちょこまかした男の子を街中に放り込んで、あとはいろいろな風景、大人たち子供たち、いろいろなイヴェントがある・・・・っていう、まあシネマ・ヴェリテって言うんですか、ちょっとした映画的才能があれば、たいていはニコニコして見れるものが出来るはずのものなんだよ。それが、この退屈ぶり。大島に映画的才能がまるでないことが、この小品からばれてしまう。唯一笑ったのが、冒頭クレジット<幼児指導 佐々木守>、幼児指導する前に監督指導しなさいね。
 企画・日本生命、製作・日生劇場映画部、原案・石原慎太郎、って、製作意図がまったく読めない珍作。また出てくる大島組常連、小山明子は別にして、佐藤慶、小松方正、戸浦六宏、渡辺文雄、浜村純、その他多数の賛助出演俳優の顔がみんな怖すぎる(笑)。幼児と一緒に映っていたら、みんな変質者か誘拐犯にしか見えない手合いばかり。彼らの意図的な大アップ連発は、大島の、多分こんな幼児映画撮るなんて、という悪意の現われに違いないが。
 あまりに退屈な映画なので、このあとに同時上映の、
大島渚「ユンボギの日記」65年、創造社。
 は、見ずに退場する。既見だし、これまた25分の短編ながら、18分ほど長すぎる退屈作。動画ではなく、スナップ写真の連写スライド・ショーだが、この分数の短編で観客の退屈を誘うのだから、大島恐るべしで。
[PR]

by mukashinoeiga | 2010-01-25 00:32 | 大島の渚に寄せる新波かな | Trackback | Comments(0)