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アーサー・ペン「ミッキー・ワン」藤原釜足も

時代と寝た映画だが、もはや寝過ごした、というべき。65年、コロンビア・ピクチャーズ。ウォーレン・ベイティ主演。
アーサー・ペン「ミッキー・ワン」藤原釜足も_e0178641_4325457.jpg 京橋にて「UCLA映画テレビアーカイブ 復元映画コレクション」特集。
 カットんだ演出、つながらない編集、映像重視の、不条理ドラマ。当時世界的にはやりました、いわゆるひとつのヌーヴェルヴァーグ。
 現在(いま)では、ほとんどの作品が失笑気味と感じる、といっては、言いすぎか、その一つ。
 当時のナウでヤングな映画監督が世界中で試みて、伝統破壊も、お約束に流れたもの多数。
 ぼくが認めるのは(何気に上から目線)ゴダールと清順と、二三のもので。あとは、そのパロディとしての、モンティパイソンか。
 いわゆるひとつの松竹ヌーヴェルヴァーグについては、惨敗と見るべきか、おおむね健闘とみるべきか、まあ気分次第ですね。

10 ミッキー・ワン(93分・35mm・白黒) (フィルムセンターHPより)
MICKEY ONE
1965(フロリン=タチラ=コロンビア)(監)アーサー・ペン(脚)アラン・サーガル(撮)ギスラン・クロケ(美)ジョージ・ジェンキンズ(音)エディー・ソーター(出)ウォーレン・ベイティ、アレクサンドラ・ステュワート、ハード・ハットフィールド、藤原釜足、フランチョット・トーン、テディ・ハート、ジェフ・コリー
35mm preservation print courtesy of the UCLA Film & Television Archive.
A・ペンが『奇跡の人』(1962)の成功後に、脚本から俳優、製作、編集まで完全な自由を確保し、古典的な話法を否定して撮った実験作。シカゴの街を舞台に、W・ベイティ演じる主人公の不安や妄想が、G・クロケの硬質なキャメラで描かれる。黒澤組の藤原釜足がシュールな芸術家役で出演。デトロイトの人気者のスタンダップ・コメディアン(ベイティ)が、ボスや周囲の人々に脅威を感じてシカゴへ逃亡。新生活で出会ったジェニー(ステュワート)と恋に落ち、再びナイトクラブに立つが…。日本劇場未公開。

 ベイティは、ヴォードヴィリアン。キャバレーなどでジョークを飛ばし、オルガンで冗談音楽をこなす、のだが、まずベイティが連発するアメリカンジョークが、面白くない。いや、意味はちゃんと分かるのだが、それ、金をとって、笑いが取れるの、というものばかり。
 日本人の、というより日本語カルチャーのぼくには、笑えない。まさにベイティ=米帝=ベタな、ギャグで、日本語でいう駄洒落は、違うカルチャーの人には、生理的に理解できないのは、仕方が、ないことで。そのアメリカ版ゆえ、ピンと来ないのは、致し方ない。ローカルギャグの限界。

アーサー・ペン「ミッキー・ワン」藤原釜足も_e0178641_4333279.jpg で、甘いマスクのイケメン、ベイティが、いろんな危機に不条理にも陥る、その悪夢振りなのだが、その彼につかの間の癒し?を与えるのが、ピエロ的前衛芸術?家の、藤原釜足。
 セリフを一切しゃべらず、いつもニコニコの、ピエロ的パフォーマー。見た目は老人なのに、純粋無垢な少年的トリックスタア。
 釜足のシークエンスだけ、なぜかフツーの編集、というのが、なんだか俗情との結託めいて、アーサー・ペン、お里が知れるよ(笑)。
 撮りようによっては、フェリーニ的祝祭空間になりうるものを、芸がない、と申すべきか。

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by mukashinoeiga | 2016-11-23 04:39 | 旧作外国映画感想文 | Comments(2)

Commented by お邪魔ビンラディン at 2016-11-27 00:26 x
ホント、藤原釜足の出て来るシーンだけが救いでしたね。
かつて高平哲郎が「スタンダップ・コメディの勉強」という本で、さしずめ日本版ならこうなるという例として、初代林家三平がVAN99ホールという小劇場で40年ぐらい前に行ったアドリブ中心の漫談に、かなりの頁を費やしてギャグに註釈をつけるという蛮行を行ったことがありますが、三平師匠の漫談は文字に起こしただけでも面白いのに、このベイティのトークは、膨大な註釈をつけても笑えそうにありません。
数ヶ月前の週刊文春で、小林信彦が「ウディ・アレンを面白いと公言する日本人は信用できない」といった主旨のことを書いていましたが、字幕併用で聞く英語で言わんとすることの意味までは分かっても、どこが面白いのかサッパリ分からないので、ウッディ・アレンの映画とどんどん疎遠になって行った自分の判断に対して、大御所が同じ見解であることに意を強くしました。(あっ、ウッディ・アレンもスタンダップ・コメディアン出身です。)
ジョン・ブアマン監督の「殺しの分け前 ポイント・ブランク」のような「分からなくても面白い映画」になり損ねたのが残念。
Commented by mukashinoeiga at 2016-11-28 02:10
アーサー・ペン「ミッキー・ワン」へのコメント、お邪魔ビンラディンさん、ども。

>ホント、藤原釜足の出て来るシーンだけが救いでしたね。

 結局ヌーヴェルヴァーグは、サイレントに負けるわけです(笑)。
 小林信彦は、アレン好きという認識でいましたが、ちと情報が古かったでしたか。
 ぼくも結構アレンはフォローしていたのですが、ヨーロッパで撮りだしてから、つまらなくなり、「世界中がアイ・ラブ・ユー」なんていうしょぼい映画を、なんでみんな絶賛の嵐なんだ、と、しらけました。以後は、見ていないかな。あれは、アレンは、ついてるファンも悪い(笑)。
「分からなくても面白い映画」は、ほんとーに、希少価値。今、思えば、寺山修司だって、昔は騙されてましたが、相当につまらない(笑)。 
 寺山や伊丹などは、エッセイは素晴らしいのに、映画は、結局、ダメでしたね。 昔の映画
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