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山下耕作「大陸流れ者」鶴田浩二藤純子

 京橋にて。「生誕100年 木下忠司の映画音楽」特集。66年、東映東京。
 ある意味奇態な映画である。
 タイトルに大陸とうたいながら、大陸は出てこず、主舞台は香港であり、しかし実際のロケ地は台湾であるという。
 香港は大陸とは、言えまい。原作は、大陸だが当時中国大陸で撮影できずやむを得ず香港にした、とか。原作では大陸から香港に流れてきたという設定の主人公だが、簡単に撮影できる、日本から香港へ来た主人公に変えたとか。
 香港ロケから台湾に変えた経緯も、当時東宝と提携していたショウ・ブラザーズが、お金持ちの東宝とは違い、相当ロケ費を値切ったケチケチ東映を拒否したとか(笑)。ありそうな話だ。
 あるいは当時英国領だった香港が、悪いのは白人マフィア、日本人は善人ばかり、という設定を拒否したのか。そこで、香港よりは安くて、親日的な台湾に落ち着いた、というところか。うーん。

山下耕作「大陸流れ者」鶴田浩二藤純子_e0178641_6174145.jpg44 大陸流れ者(92分・35mm・カラー)(フィルムセンターHPより)
1966(東映東京)(音)木下忠司(監)山下耕作(脚)村尾昭(撮)星島一郎(美)藤田博(出)鶴田浩二、藤純子、大木実、楊羣、兪鳳至、山本麟一、今井健二、遠藤辰雄、曽根晴美、内田朝雄、田畑孝、ハロルド・S・コンウェイ、丹波哲郎
昭和初期の香港に組織の親分の命を受けて、日本人組員の国分(鶴田)が浄水場建設工事のために派遣されてくる。彼を待っていたのは、現地人からの反感と水の利権を手放したくない外国人組織からの激しい妨害工作。しかし国分の真摯な姿勢はアジア人同士の絆を築いていく。ロケーション撮影は台湾で行われた。

 水利に苦しみ、コレラなどの伝染病にかかりやすい香港人を助けるため、日本人侠客が、利権などの生臭い話を一切離れて、人道上の理由から、自腹の民間投資をする、というのは、いささか、嘘くさい。
そういう実話が、あったのか。そういう実話があれば、五族共和も、ここに極まれり、だが。
ましてや、当の香港人やくざも拒否するものを、日本人の意地で継続する、というのも、いかにも日本人の自虐趣味といえよう。
 日本映画、ことに東映は、どうも内弁慶?のきらいがあって、外国ロケだと、妙にしょぼい印象がある。あるいは、やはり東宝などと違って、ロケ費をケチっているせいか(笑)。いや、実際東映がロケ費をケチるかどうか確証はないが、そういう印象だ(笑)。
 本作でも、国内ロケの仁侠映画と、どうも肌合いが違う。
 あるいは、義理人情の微妙さは、日本国内の風土に見合ったもので、国外に持ち出すと、風味劣化するものなのか。

 多額の建築費が必要だが、鶴田には当てがない。
 恋人の芸者・藤純子が、身を売って、金を作る。香港の安女郎屋で、日本の歌をしみじみ唄う藤純子。
 その歌を、隣室で女を抱き終わった丹波哲郎が、しみじみ聞く。
 そこへ鶴田が駆け付け、純子のほほをビンタ。
「女が身を売った金で、工事がうまくいったとしても、それで俺の男が立つと思うか」
 この一連の流れが、なんとも出来合いで、しっくりこない。
 短期海外ロケで、ちゃっちゃっと撮るゆえに、テキトーに流したのだろうか。もっとも、これら室内シーンは、当然京都撮影所で撮ったものだろうが。

 あるいは、マキノだったら、ぴったり決まったのか。
 男のために身を売る芸者、というのを何度も演じ、藤純子も惰性で演じたのか。
 そもそも藤純子演じる芸者、愛するツルコウを訪ねて、ふらふらと香港へ。
 えっ、東映がこれまで作り続けた映画で、芸者や女郎は身を縛られ、現代の視点で不当な労働契約というべき身体拘束を受けていたのではなかったのか(笑)。
 ふらふらと海外旅行なんて、フリーすぎるぜ。
 しかも現地で、勝手に身を売る。フリー芸者か。
 オトコを追って、ふらふら海外旅行の、今どきのギャル(あ、これも死語か)じゃあるまいに、この自由さが、義理人情に、縛られた男と女の哀話を台無しにしているのか。

 そして、そもそも(笑)。
 藤純子には、高倉健の女、というイメージが、ある(笑)。
 もちろんツルコウとも、文太とも、共演して、恋仲を何度も演じているのだが、ベストマッチは、やはり、健さんと純子だ。そういう思いが、勝手に、ある(笑)。
 だから、鶴田とひしと抱き合い、ほほを摺り寄せ、恋々と語り合う藤純子には、違和感。女優がいろいろの男優と恋愛シーンなのは当たり前のことだが、延々と純情芸者を演じてきた藤純子に、何か不潔なものを感じてしまうのも、また、ファン心理なのだよ(笑)。
 つまり様式美といっていい、健さん純子の、悲劇的殉情カップルを見続けてきたぼくたちは、女好きの生々しいツルコウと、ひしと抱き合う藤純子に、なんだか、ハラセツいうところの「不潔感」を感じてしまうのだ(笑)。

 藤純子というのは、まことに不思議な、唯一無二の女優で、はたちそこそこの、まだ色気も何もあったものじゃない時期に、しっとりとした女の情念を、演じてきた女優だ。
 様式美としての、おそらく昭和初期には消え失せた、現代ギャルではない、つつましい日本の女の色気と情念を、まるで隔世遺伝かのように、演じてきた。
 そう、まるでマキノ的理想が、乗り移ったかのように。
 しかし、本作のように、本当に脂が乗りきった女盛りになると、純子マジックは、消えた?
 藤純子と健さんのカップリングは、若い二人が悲劇的殉情カップルを演じてきたところに、ミラクルがあったのであり、いかにも女好きな、生臭いツルコウと、脂ののった女優では、生臭さも二倍で、マキノ的様式美は、ここに消滅したというところだろうか。
 それとも、本作でさえ、マキノが演出したら、よりよくなったのか。
 いずれにせよ、若さの純情と、様式美の女の色香という、本来ならミスマッチなものを、強引にマッチングさせてきた奇跡の女優は、本当に女の色気が出てくると、その微妙なバランスが崩れ、だから、この様式美そのものの女優は、ふつう若い女優は自然に加齢によりフェードアウトするところを、引退興行映画という様式美そのものを、演じたのだろうか。うーん。

★Movie Walker★に、タイトル検索で詳細な作品情報あり。簡単な作品解説、あらすじ紹介(企画書レヴェルの初期情報の孫引きゆえ、しばしば実際とは違うが)。

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by mukashinoeiga | 2016-06-21 06:18 | 旧作日本映画感想文 | Comments(0)

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