都知事選:誰が勝つのか

 まったく先が読めません(笑)。以下、ネットで拾った、イロイロ。ぼくの意見はピンクで(笑)。

◎田母神俊雄と安倍晋三と三島由紀夫 「偶然ではなく必然」

 しかし安倍晋三という人は不思議な人で。活舌が悪いのに、演説はうまいという。

◎細川氏は昭和13年1月生まれの75歳。14日の誕生日には76歳となる。2020年東京五輪開催時に都知事であるとすれば82歳だ。年齢差別をするつもりはないが、激務の知事職をこなせるかという問題もある。
そもそも小泉氏が首相かつ自民党総裁だった平成15年、自民党は衆院選比例代表に関し「原則として公認時に満73歳未満」との候補者選定基準を正式決定。小泉氏は「首相や総裁の経験者」といった例外を設けることなく、 宮沢喜一氏、中曽根康弘氏の首相経験者2人に自発的な引退を促し、党の若返りを図った経緯がある。小泉氏は当時、 両氏の進退について「ご本人が判断すべきものだが、引き際があるんじゃないか」と記者団に語っていた。同年に行われた衆院選の街頭演説でも「世代交代しなければならない。いつまでも年寄りが政界で頑張ってちゃいかん」 と述べている。

■細川政権メンバー(当時) ←これが朝鮮人民主党の始まり
細川護煕・・・・総理大臣 (元朝日新聞の記者、小沢の神輿ロボ1号)
小沢一郎・・・・幹事長 (民主党幹事長)
鳩山由紀夫・・・官房副長官 (民主党総理大臣)
菅直人 ・・・・・外務委員長 (民主党総理大臣)
羽田孜 ・・・・・副首相  (民主党最高顧問)
藤井裕久・・・・・財務相 (民主党財務大臣)
江田五月・・・・・科技庁長官 (民主党法務大臣)
野田佳彦・・・・・「細川チルドレン」で初当選 (民主党総理大臣)
前原誠司・・・・・「細川チルドレン」で初当選 (民主党外務大臣)
枝野幸男・・・・・「細川チルドレン」で初当選 (民主党官房長官)
海江田万里・・・「細川チルドレン」で初当選 (民主党経済産業大臣)
社会党・・・連立与党として細川政権に参加。
細川政権=『元祖民主党』だから、民主党が支援するのは当然の流れ
 細川を、小泉が応援しているというが、実は小泉だけでは、ない。ルーピー鳩山兄弟や、菅直人、野田、小沢も、海江田も細川を支持している。ルーピー鳩山兄弟や、菅直人、野田、小沢、海江田が支持する細川を、都知事にしていいのか東京都民(笑)。

◎21 :名無しさん@13周年:2014/01/15(水) 18:54:13.21 ID:4g6Vkse+0細川っていつも主体性がないんだな。
総理になる時もオザーさんが全部お膳立てしていたし、
今回は小泉に押されてノコノコ出てくる。
そんでたたかれると打たれ弱さ丸出しですぐ辞めるんだ。
なんにも成長していないね。

22 :名無しさん@13周年:2014/01/15(水) 18:54:13.78 ID:i4S4r/1+O
 細川政権は1年と持たなかった。政治改革の旗を高く掲げた政権が、政治腐敗で幕を閉じた。
細川首相は、佐川急便疑惑、NTT株式取引疑惑、オレンジ共済疑惑など、さまざまな疑惑にまみれて、辞任に追い込まれたのである。
しかし、マスコミは、これを徹底糾明することもなく、「さすが殿様だ、潔い」と評価する声さえあったのである。
細川政権が何をしたか。既存の議員に有利になる小選挙区制の導入を「政治改革」と呼んで、地盤の強化を図る一方、経済は放置した。結果、株価は再び暴落し、平成6年2月、過去最大の景気対策を打つことになる。
また、改革政権の名に恥じず、米国と世界の圧力にはやすやすと屈し、ガット・ウルグアイ・ラウンドにおいて、「ミニマム・アクセス」を受け入れた。
ミニマム・アクセスとは、最低輸入量を決めるもので、日本のコメ生産にかかわらず、需要の一定割合を輸入するという協定であり、日本の農作物自由化に大きく道を開き、日本の農業の衰退に拍車をかけた。
 5000万の借金について説明できなくて、都知事を辞めた猪瀬の後釜に、1億の佐川からの借金の説明ができなくて、総理の座を九ヶ月で投げ出した細川、なんて、なんの冗談だ。

【都知事選】細川元首相が立候補すべきでなかった2つの理由【ザ・ファクト

 言っているのは、幸福の価額なのはアレだが(笑)。

★マスゾエの『朝鮮飲み と 国旗をどかす』画像★
 このブログの後半のところに、問題の画像あり。

★枡添・鳩山・菅・野田・山本太郎の朝鮮飲み★

★鳩山・菅・野田山本太郎ヨンさまの朝鮮飲み★

◎舛添さんは、この動画の11分5秒あたりで『日の丸が邪魔だ』と言ってのけているのが分かる。
★】「舛添新党」結党記者会見 1(2010.4.23★

◎【愛人費用】 舛添要一氏「子供も25歳だし、月額22万円の扶助を減らしたい」 愛人の婚外子への扶助減額要求 (週刊誌 2013/12/02)
 http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1385971967/
舛添要一氏が、「自分の月収が8万円だし」と、愛人の婚外子への扶助減額要求していた。

舛添要一氏といえば、表の顔は、「議員職を辞めた後も頻繁にメディアに登場、元厚労相の経歴や
母を看取るまでの介護体験を活かして社会福祉問題に鋭く切り込む社会派テレビタレント」。一方で
、私生活は“艶福家”としてよく知られている。現在の夫人は3人目の妻で、2人の愛人が産み認知
した子3人と実子を合わせると、舛添氏には実に5人の子供がいる。

50代後半の「元愛人A子」さんが舛添氏の子供を産んだのは1988年。舛添氏が認知したのはそれか
ら2年ほど経ってからで、以来、扶助料の支払いだけが唯一の繋がりだった。そんな中、昨年4月、お
よそ22年ぶりに舛添氏から「A子さん」のもとに弁護士名で1通の手紙がきたと、A子さんの知人がいう。

「内容は『舛添氏の年収が激減している。子供も自立したのだから、月額22万円の扶助料を減らしたい』
という通告だった。子供を認知した後は、子供が学校でイジメに遭おうが、病気で入院しようが、舛添さん
からは電話の1本もなかったので、A子さんらはとても驚いたそうです」

減額の要請は不誠実ではないかと感じた「A子さん」は通告を拒否。すると舛添氏サイドはすぐに調停を
申し立て、昨年6月に家庭裁判所で審判が始まったという。「そもそも減額の理由が全然納得できるもの
ではないんです。舛添さんは当時、現役の国会議員で安定した収入があったはずなのに、それが突然、
収入が激減したという。不審に思ったA子さん側の弁護士が、調停の過程で舛添氏の確定申告などを調
べたところ、2011年に競馬で800万円の損害を出していたそうです」。

A子さん側はそのことを調停で質した。すると、舛添氏側は、「エリザベス女王杯というものがある通り、競
馬は国際関係の研究・勉強に資するものです」と答え、それにはさすがに調停員も失笑したという。
 
【愛人費用】 舛添要一氏、「月収8万円だし、競馬で大損こいた」と愛人の婚外子の扶助減額要求
 http://www.logsoku.com/r/poverty/1385948657/
舛添要一の私生活もメチャクチャ。妻3人、愛人2人、子2人、愛人に作った婚外子3人と女好き
で私生活はメチャクチャ。愛人への扶養費もケチる有様を週刊誌にスッパ抜かれる乱れた私生活。

妻に対してはナイフで威嚇するDV問題も表ざたになる始末。そして、競馬好きで800万円も損した
からと、愛人の子供の月額22万円扶助を減らしたと言い出す始末。

騒動の調停で、舛添要一氏の“清貧”ぶりを証明するものとして、舛添氏側は給与明細を提出した。
「現在の収入は月10万円」が記されていたという。信じがたいため、本誌が同資料の内容を確認し
たところ、たしかに10月分の収入は、「舛添政治経済研究所」から支出された基本給10万円のみと
認められた。手取り額にすると、たった8万3334円である。

「要するに“月収8万円だから扶助料を減額して”というのですが、舛添氏は議員を辞めた後も、評
論家として相当な頻度で各メディアに登場しているのは誰でも知ってることでしょう? 
A子さんも『週に何度もテレビやラジオに出ているのに……』と絶句していましたよ」。舛添氏を知る
関係者によれば、舛添氏には他にも家賃収入が月30万円超、年金収入が年110万円あるとされ
る。これだけで月10万円を軽くオーバーしてしまうのだが……。

A子さんらが憤る理由はそれだけではない。調停では、舛添氏が河口湖や湯河原などに別荘を含
めた不動産を複数所有し、その資産価値が3億円近くになることも指摘されたという。しかし、舛添
氏側は「妻名義である」ことを理由に取り合わなかったとされる。 <週刊ポスト2013年12月13日号>
  
母親の介護は週1回程度で、毎日介護は三番目の姉が行なっていた 

◎【生活保護】 舛添要一が、「生活保護の姉、北九州市の扶養要請を断わった非情さ」・・・ 週刊文春
  http://matome.naver.jp/odai/2133792023049106701
福岡県生まれ舛添要一「消せない過去」生活保護の姉、北九州市の扶養要請を断わった非情。  
福岡県八幡市(現・北九州市八幡東区)に父・彌次郎、母・ユキノの長男として生まれた。4人の
姉がいる。2度目の妻は官僚時代の片山さつき(当時朝長さつき)であり、衆議院議員だった近
藤鉄雄の紹介でお見合いしたのが馴れ初めで1986年に結婚。しかし実質的な結婚生活は長続
きせず、3ヶ月後には片山が弁護士に相談する事態に陥ったといい、調停を経て1989年に離婚。

舛添要一氏が母親の介護を始めたのは平成8年(1996年)からだ。4人の姉のうち4番目の姉
が長年に渡り生活保護を受けていた。平成4年(1992年)、北九州市の担当職員が「可能な範
囲で1万でも2万でもいいから仕送りしてくれ」と頼みに舛添要一氏の家を訪ねたが追い返された。

当時の舛添要一氏はTVタレント学者としてテレビマスコミ界で稼いでおり、億単位で不動産を買
い漁っていたほどの金満ぶりをみせていた。北九州市は生活保護率が全国一だったこともあり、
当時は生活保護の適正化に一生懸命だった。そこで、舛添要一にお願いに上がったら追い返さ
れたという。

母の介護と長姉との確執について、4人の姉のうち長姉とは母の介護を巡って絶縁状態にあった。
「他の妹は要一のほうについた」という(長姉談)。舛添氏が母親の介護をしていたのは平成12年
(2000年)に亡くなるまでの3年間ほどで週1回程度訪ねにくる程度だったという。本当に毎日介護
していたのは、三番目の姉が行なっていた(近所の談)。

舛添氏が介護に携わるまで長年、長姉夫婦が一緒に暮らしていたが、病院で母親の死んだことを
知らせなかった。舛添氏が長姉夫婦が母を虐待していたと書いているが、「全部嘘」(長姉夫婦談)。
母が入院して病院や施設関係者へ文春の取材では、長姉夫婦が虐待をしていたことはなかった。
 なんだか、イロイロ問題ありの人ばかりだな(笑)。
 
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by mukashinoeiga | 2014-01-15 21:13 | うわごと | Trackback | Comments(0)

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