成瀬巳喜男「浦島太郎の後裔」
京橋にて。「よみがえる日本映画-映画保存のための特別事業費によるvol.6東宝篇」特集。46年、東宝。
確かに、あまりにフランク・キャプラ・ライクな(しかもロバート・リスキン抜きで)、
GHQの戦後民主主義推進路線に、もろ手を挙げて、もろ足?も上げて、大また開いて、進駐軍サマに出血大サーヴィスな媚びように、見える。
アメリカ流デモクラシー(らしきもの)にコビコビな、あまりに、ブザマな、媚びように、見える。
ヤンキー・ゴーホームならぬ、ゴー・ヤンキーホームな、珍品?であろう。たしかに。
つい最近まで「敵」であった、アメリカン・デモクシラーへの、あからさまな土下座エンターティンメント?(笑)
↓み~んな、この映画には、悩んでいる(笑)という一例。
★浦島太郎の後裔 : 映画収集狂★
しっかし、考えても見たまえ(笑)。日本映画は、戦前から、アメリカはハリウッド映画の明朗喜劇をお手本に映画を作ってきたのではないか。
決して戦争に負けたから、急造で、アメリカ映画風に、なったわけではないのだ。
戦前日本映画のほうが、むしろ戦後日本映画より、アメリカ映画に近かったくらいのものだ。もちろん、それは、単なる片思いの面も、あったりするわけだが。
小津も、マキノも、清水も、阿部ジャッキーも、山中も、いかに、アメリカ映画の快を日本的に表現しうるか、考えていたのではなかろうか。
そして私見によれば、戦前日本映画で、一番「アメリカン感覚」の映画を作っていたのが、意外と思われるかもしれないが、実はミッキーナルセなのだ(笑)。一番アメリカン感覚がサマになっていたのが、ミッキーナルセ映画なのだという、意外性。
いや、実は、ぼくは、ぜんぜん、意外とは、思わないのだが。
もともと戦前松竹系監督の、欧米ティストは、きわめて特徴的だったが、それを極めたのが、かの成瀬であるという(笑)。
本作が成瀬巳喜男の黒歴史とされることも、わからないではない。確かに、上っ調子、うわっすべりな映画だ。
しかし、当ブログが、前々から書いたように、
1 成瀬映画は、常に、ふたりの女がひとりの男を争う映画である。
本作でも、山根寿子と高峰秀子が、藤田進をめぐって、争う。
2 成瀬映画は、女同士の争いとは真逆に、徹底して、男同士の争いを回避する。 本作は、いわば一種の(笑)政治映画なのに、結局争いは、なあなあに収束されていく。
きわめてめずらしい「政治映画」。少しは、成瀬の弟子・山本薩夫の、骨太政治映画を見習っては、と思うが、しかし、それこそが成瀬なんだよね。
というところで、眠くなったので、成瀬巳喜男「浦島太郎の後裔」感想駄文は、また後日(笑)。
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by mukashinoeiga | 2013-11-22 23:42 | 成瀬巳喜男映画の正体成瀬る | Comments(0)