平成の司馬遼太郎か?小川榮太郎「国家の命運」

 もちろん政治評論家ではない、文芸・音楽評論家の小川榮太郎の今月の新刊「国家の命運 安倍政権奇跡のドキュメント」(幻冬舎)を、さっそく半分ほど読む。クイクイ読める。
 彼の前作「約束の日 安倍晋三試論」は、安倍晋三へ、日本国総理になるようエールを送るドキュメントだった。本書は、それを受けての「続編」、安倍が自民党総裁になり、日本国総理になり、そして半年になる、現在進行形のドキュメントだ。
 前作を読んで、びっくりした。(★面白快作オススメ本「約束の日/安倍晋三試論」★
 現存する、日本の実在の政治家を描いたドキュメントで、涙ぐむことがありえようとは。なんと、泣けるんですよ。
 「物語」を語れる、「物語」となりうる、政治家。そんなものは、リンカーン、西郷隆盛、坂本竜馬、めったに出てこないよ。
 まるで、これは大河ドラマのごとき、波乱万丈の「物語」ではないかと。現存する、現代日本の政治家に、「物語を語れる」(「物語」として「国家」を語りうる)あるいは「物語となりうる」政治家がいようとは。しかも、泣ける。繰り返しますが(笑)。卑怯だ(笑)。
 「約束の日/安倍晋三試論」は、そのままで、「大河ドラマ」の原作になりうるということ。そういう対象となった安倍晋三も「奇跡」なら、それを語り倒した小川榮太郎も「奇跡」だ。
 そして一年弱。本作「国家の命運」を、半ばまで読んで、小川榮太郎は、平成の司馬遼太郎なのではないかと、思い至る(笑)。司馬遼太郎が、坂本竜馬を、秋山兄弟を、新撰組を、語ったように、小川榮太郎も、安倍晋三を語って、すばらしい。
 過去の「忘れられた俊英」を、語り、掘り起こす司馬遼。
 現在の、毀誉褒貶の激しい現役政治家を語る小川。
 立ち位置は違うが、「日本という物語」を描くに、欠かせない、いや、むしろ「日本という物語」を、自己犠牲を省みず、率先して語り続ける男たちを、司馬や小川は、描いているのだ。
 小川榮太郎は、いう。
 「だが、私の目に映じる安倍晋三氏は、依然として、権力を謳歌する時の人ではなく、日本を本当に取り戻すために勝算に乏しい戦いを進める、政治というフィールドの孤独な藝術家だ。氏の仕事の孤独な性質は、私の本来の主題であるベートーヴェン、ヴァグナー、フルトヴェングラー、あるいは川端康成、小林秀雄、三島由紀夫ら、近代藝術の天才たちの、悲惨と栄光とさして変わらない。」
 そこまで、いうか。
 そこまで、いうのだ、小川榮太郎は。
 ある種の人々、安倍晋三は極右だ、嫌韓嫌中だ、おなか壊して政権投げ出したひ弱なボンボンだ、そういう人たちにとっては、なんとも噴飯物かも知れぬ。
 しかし。
 日本を本当に取り戻すために勝算に乏しい戦いを進める、政治というフィールドの孤独な藝術家。かくも貴重な「貴種」が、一国の総理であることの「奇跡」。まさに「信じられない」ことなのだ。

 本書の前編についてのご紹介
★面白快作オススメ本「約束の日/安倍晋三試論」★

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by mukashinoeiga | 2013-06-18 01:04 | うわごと | Trackback | Comments(0)

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