椿三十郎 vs 桑畑三十郎

 與那覇潤「中国化する日本/日中「文明の衝突」一千年史」という本が、なかなか刺激的な本であり、なおかつバカ本であるというお話その2
 本書によれば、中国の宋朝(紀元960年成立)が、世界に先駆けて作り上げた社会システム、自由競争、自己責任の、うまく行けば大金持ち、ダメなら没落か餓死、不安定だが活力ある社会、これで一貫して中国は動いてきた(もちろん例外もあり、明朝と、毛沢東の共産中国時代)。
 これを、本書では、仮に<中国化>と名づける。
 そして、この<中国化>は、のちにヨーロッパ、およびアメリカにも、及ぶ。
 西洋信仰の強い、なおかつ、中国など、遅れた後進国だと、長いあいだ馬鹿にしていた、日本人が<西洋的><欧米的><欧米が作った近代化>と思っている、新自由主義、個人主義、自己責任の競争化社会は、実は中国が最初に作り上げたシステムだから、たとえば<明治維新>は、日本が<西洋化>したのではなくて、実は<中国化>したというのが、事の真相だ、というのが、ここ数十年の<大学レベルのプロの日本史学者>のあいだでは、常識化しつつあること、なのだそうだ。

 つまり、中国と、中国フォロワーの欧米のほうが、グローバルな、世界基準の下で、この一千年間の歴史を共有してきたわけで。これに対して日本のみが<独自の戦い>、世界には通用しない、日本だけでのみ通用する<ガラパゴス・ケータイ>的社会システムを、発達させてきた、と。

 日本人は、平安末期以降、延々と、その<中国化>を、拒否してきた。そして、中国的社会システムとは真逆な、士農工商など極度に固定した身分社会(百姓の家に生まれたら、末代まで百姓、大名家に生まれたら、どんなボンクラでも、一応は大名に)。
 身分は生まれた時点で固定しているので、究極のアンチ<自由競争>社会。つまり、ほどほどに社会の掟に従っていれば、自由競争の末に勝ち組の大金持ちになるチャンスはない代わり、没落して負け組になる可能性は、ひくい。自由はないが、社会的には安定した、封建制身分社会。
 日本の社会主義の草分け・幸徳秋水が明治末に喝破した、「社会主義は江戸時代に似ている」。これが、正しかったのだ、と。これを<中国化>に対して、仮に<江戸時代化>と、呼ぶ。

 え?タイトルの「椿三十郎 vs 桑畑三十郎」の話は、いつ、出てくるのって?
 もう、しばらく、お待ちを。黒沢映画の話を、するには、まず明治維新とは、なんだったのか、というところから。
 著者によれば、平安末期以降の日本人が、延々拒否してきた「近世中国」のシステムを、いや、これは「西洋近代」のグローバル・スタンダードですから、とごまかしごまかし、日本に導入したのが「明治維新」だと。
 だから、日本人は、<中国化>した、自由競争と自己責任の明治社会に疲れ果てて、実のところ明治維新という社会改革を、気持ちの底では、素直に喜んでいないのではないか、と。
 著者言うところの「あの素晴らしい江戸時代をもう一度」という日本人の思いは、日本の近代の歴史に常に顕在しており、昭和中期の「軍国主義」≒「軍部による社会主義」≒「再江戸時代化」による「中国侵略」こそ、反<中国化>の、必然的表れなのかもしれない。

 というところで、著者は、黒沢映画を、持ち出してくる(笑)。
 黒沢明「用心棒」61年・東宝の、舞台となる宿場町は、規制緩和と自由競争によって始まった共食い同然の生き馬の目を抜くような社会の典型として、設定されている、と。たしかに。
 「用心棒」が、鉱山町の労使紛争を描くダシール・ハメット「血の収穫」の事実上の翻案であり、さらにマフィアの抗争や、頻発するストライキで名高い国イタリアで、セルジオ・レオーネ「荒野の用心棒」にリメイクされる。幕末以降に日本が巻き込まれるグローバリズムの暗部、実力競争社会がはらむ無機質さや残酷さこそが、「血の収穫」「用心棒」「荒野の用心棒」に共通する主題である、と。
 なお「用心棒」が、幕末期という設定は、敵役・仲代達矢の、首に巻いたイタリア製マフラーと、飛び道具のピストルでも、明らか、なのだそうで。
 いっぽう、「用心棒」のヒットを受けて作られた黒沢明「椿三十郎」62年・東宝の、江戸時代盛期の設定と思しい、お家騒動を描く。江戸末期「用心棒」の殺伐とした<中国化>社会とは正反対の、ほのぼのとしたユーモアあふれる<江戸時代化>社会が、そこには、ある。
 なるほど。
 で、「用心棒」=幕末=明治維新直前=殺伐、「椿三十郎」=江戸時代盛期=のほほん、の比較から、著者は、こう結論付ける。「日本人の中にある江戸への郷愁と明治への嫌悪は、一目瞭然のように思われます」! 馬鹿じゃないの。郷愁と嫌悪の例証が、黒沢明「映画」だなんて。

 殺伐とした映画も、のほほんとした映画も、どちらも、映画の一趣向なんであってさ。殺伐したフンイキ・社会を描いた映画が、もし嫌悪の対象であるということなら、そんな映画は一本もヒットしないはずだろう。事実「用心棒」をはじめとして、「殺伐」としたアクション映画は、何百本と、ヒットしている。
 「殺伐とした」現実社会は、たしかに嫌悪されるだろうが、「殺伐とした」アクション映画は、みんなから、大いに好かれている。現実と映画は、違うのよ。
 そもそも、幕末・明治維新を描いた映画は、日本人が大好きな映画ジャンルの、ひとつなんだから、「映画」から「明治への嫌悪」を読み取れるのは、いたって数が少ないはずなんだよ。今井正「ああ野麦峠」などの、限られた左翼映画くらいじゃないの。ましてや「用心棒」から「明治への嫌悪」を読み取るのは、かなり、無理スジで。
 むしろ、中国化された社会=明治維新の暗黒部を描いた映画は、マキノ雅弘に代表される、東映仁侠映画の明治モノ多数にこそ、顕著であろう。そこでは、政府の悪徳官僚・政治家とウラで結託した、近代やくざたち、たとえば天津敏(まさしく、中国由来の、芸名! 中国地名のテンシンが、アマツと日本化)が、実力競争社会の暴力で、「旧弊」で「江戸時代」的な高倉健たちを、苦しめる。そして最後は、必ず「江戸時代」が「中国化した明治」に、勝つ。
 これこそ、日本の庶民たちの「明治嫌悪」の徹底的な映画的「例証」ではないか。
 與那覇潤、詰めが甘いな(笑)。

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by mukashinoeiga | 2012-04-08 09:30 | うわごと | Trackback | Comments(0)

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