谷口千吉「ジャコ萬と鉄」
池袋にて。「月形龍之介没後四〇年 月形哲之介没後一年・上映会」特集。49年、東宝=49年プロダクション。
と、書いてきて、割と使われる表記だが、「四〇年」は、改めて不思議だ。漢数字の「四」と、欧文数字の「〇」との合体。「四十」か「40」か、どっちかに、せいという感じ。これも、同じゼロを表わすのに、いわば○と×というのも、面白いが。
もっともゼロを発見したのは、古のインドゆえ、昔からの表記か。よく、わからん。
さて、「ジャコ萬と鉄」である。わりとよく名画座では上映されている、人気作ではあるのだが、これまで何回も個人的にスルーしてきた映画なのだ。
なぜかタイトルの「ジャコ萬と鉄」が、食欲をなくさせているらしい。「萬」「と」「鉄」は、ふつうにあるから、どうやら「ジャコ」の、語感が、いけ好かないのか。よく、わかりません。
今回、ようやく、見てみたら。
冒頭、編集のリズムのせいか、もともと撮ってきた素材のゆえか、映画の流れが、ぶつぶつぶつ、切れて、いや、プリントがずたずたというわけではなく、話の流れやら、観客の情感やらが、数十秒ごとに寸断される感じの、編集というか、ドラマというか、要するにドラマ部分とニシン漁ドキュメント部分がうまく融合していないせいだと思うが、まあ谷口千吉は、やっぱり、へただなあ。
流れ者「ジャコ萬」こと、月形龍之介が登場すると、俄然面白くなり、安定してくる。ま、次に「鉄」こと三船敏郎が登場してくると、ふつうの<東宝男性アクション>並盛りに、落ち着くのだが。
やはり、月形龍之介のすばらしさに尽きる映画。年齢不詳の感がある、この俳優の、男盛りの魅力に満ちている。時代劇専門俳優月形の、数少ない現代劇だが、もっと現代劇の龍之介を見たかったなあ、と強く思う。時代劇の古武士そのものの、立ち居振る舞い、その台詞回しの素晴らしさは、言うを待たないが、現代劇でも、これほど魅力的とは。
月形の声がいいんだよね。聞いているだけでうっとりする(笑)。いや、別に性的な意味ではないのだが(笑)、阪妻とか月形の声、台詞回しは、ぼくにとって<スタアの快楽>そのものなのだ。千恵蔵まで行くと、似たようなだみ声ではあるが、なんだか、知的?で(あざとすぎる台詞回しといいましょうか)観客であるぼくを素に帰らせるものがある。
いま、龍之介の声をだみ声と書いたが、正しくは、渋い声というべきか。
阪妻、月形、大原麗子、声が、聞いているだけでいいのよ。あと、上田吉二郎ね。
アイヌ娘・浜田百合子が、月形に、猛烈アタック。すげない月形に、振られても、ぶたれても、臆することなく月形に、求婚し続ける。婚活アクションか。しかし、浜田の熱演にもかかわらず、下手な谷口千吉では、熱演も、ちと空回り。
いっぽうの三船は、教会のオルガン弾きの少女・久我美子にあこがれるばかり。
ミサでの様子を、ただ、黙って見つめるばかり。あこがれの君だから、久我美子は、ほとんどせりふがない。三船が演じるから、さわやかな好青年だが、キモイ男が演じたら、少し、ストーカーっぽい。同じ行為でも、好青年と、そうでないものとの違いは、紙一重か。三船は、あくまで、さわやかだ。
片目黒眼帯の月形が、にやりにやりするのも、いい。でも、最後に、泣かせちゃあいけないな。そこが、谷口千吉のだめなところ。
もっとも、泣いている月形は、超貴重映像(笑)かもしれん。
超貴重映像といえば、今回次の二作を見逃したことが、悔やまれる。
●「水戸黄門 海を見る娘」昭和39年・松田定次監督・東伸テレビ映画・30分
●「水戸黄門 地獄の一族」昭和39年・松田定次監督・東伸テレビ映画・30分
月形龍之介の当たり役「水戸黄門」(もちろん、東野英治郎より、断然月形の水戸黄門のほうが、いいのだ)その、TV版だ。共演も、丘さとみ、東千代之介、近衛十四郎と、映画並み。
ああ、見たかった。文芸坐は、一日しか、上映しないからなあ。
★【映画】ジャコ萬と鉄 - いくらおにぎりブログ★
両作を比較して、面白い。
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by mukashinoeiga | 2010-09-19 07:58 | 旧作日本映画感想文 | Comments(0)