謎の「月刊トドロキユキコ」
ついこのあいだフィルムセンターの、チラシ置き場にあったのが、「月刊トドロキユキコ」第2号。発行2008年2月のクレジット。
そういえば、昨年秋にラピュタに置いてあったのは、創刊特別号。発行2008年1月のクレジット。
ラピュタで見たとき、思い出した、これ、前にもラピュタで手に入れたな、って。多分、発行当時か。
しかし、今頃になって、なぜ2年前のを、置き始めたのか。
「月刊トドロキユキコ」。もちろん、かの轟夕起子専門紙。何で、また(笑)。いや、ぼくも大好きな女優さんで。若い頃の、超細っこい頃はさして印象にない、単なるアイドル系だが、中年ぶとりして、貫禄おばさんになって、味が出てきました。一連の石坂洋次郎モノがベスト・アクト。
B4コピー紙を、折っただけの、ペラ1.5枚の6ページのミニコミ。パソコン出力のコピー紙。
創刊号は<轟夕起子出演映画完全リスト>157本、<完全リスト作成への道>という裏話。
第2号は<轟夕起子へのケッタイな愛情:または私は何でこないまでしても関心を持ち続けるのか>その記録。
文庫の(ぼくもやはり子供の頃に愛読していました)猪俣勝人「日本映画名作全史・戦後編」「日本映画俳優全史・女優編」の、轟夕起子の項に、なぜか<一目ぼれ>し、轟夕起子の映画など一本も見ていない頃から、轟夕起子に異常な関心を抱いていたという。
わかるなあ。ぼくは別に轟夕起子に興味が行かなかったけれど、まだ見ぬ昔の映画にあこがれる頃に、あの猪俣勝人のシリーズ(ほかに、戦前編だとか男優編だとか監督編だとか)は、やはりなぜか、ぼくの愛読書でもありました。当時は、地方在住の子供にとって、たまにTVでやっていた(TV東京の白井佳夫氏のやつね)、それでも名のある有名作ばかり、もちろん名画座などというのはなく、見ることの出来ない膨大な映画への憧れの一端を満たすものが、猪俣氏の本にはありました。
以後、発行人・山口博哉氏は、職業や人生上の悩みは別にして(その一端が第2号で語られる)轟夕起子研究にいそしむ。素人・門外漢ゆえに、研究も遅々として進まなかったようだ。
そして、以下の自費出版があるという。
「映画女優探究記-轟夕起子の生涯」1・2
「資料 轟夕起子出演映画リスト」
「草稿 轟夕起子の生涯」1・2
「女優 轟夕起子の生涯~翔鸞尋常高等小学校時代を中心に~」
(鸞はランと読むらしい。この文字を出すのに苦労しました>笑)
「女優 轟夕起子の生涯~京都第二高等女学校時代を中心に~」
うーむ。タイトルからして、その苦労に頭が下がる思いだ(笑)。ぼくたちは、みんなクリストファー・リーブ21だな(馬鹿)。
この季節遅れの創刊号などを京橋や阿佐ヶ谷に置くのも、ひとえに轟夕起子情報を求めてのことのようだ。
なお、創刊号には、出演が予定されて、キネ旬には製作予定として載ったけれど、結局出演しなかった映画について書かれていて、その中に、斎藤武市「錆びた鎖」(60年・日活)が、そうだというのに、納得。
武市の松竹時代の師匠・小津が「エデンの東」をパクって(もしくはインスパイアされて)、「東京暮色」を撮った。
石坂洋次郎も「エデンの東」をパクって(もしくはインスパイアされて)、「陽のあたる坂道」を書いた。
それを原作にして、田坂具隆が日活で石原裕次郎主演映画を撮った。その映画で、裕次郎の義母役が轟夕起子。主役を食わんばかりの快演だった。
これを同じ日活で、武市が、裕次郎を赤木圭一郎に変えて、「陽のあたる坂道」をパクッて、「錆びた鎖」。ここでは、インスパイアなんてことは、もう言わせない(笑)。なんてったって、赤木の義母役・高野由美は、なんと「陽のあたる坂道」の轟夕起子を完コピするのだ! 口調、せりふの抑揚がまったく轟夕起子そのまま。この映画を見たとき、何でこの女優は轟夕起子完コピなのか、不思議だったが、そうか、もともと轟夕起子出演予定だったのか。それがなぜかNGになって、代役の高野に完コピさせた、と。それにしても、高野由美、轟夕起子くりそつ。恐るべき演技であった。
by mukashinoeiga | 2010-03-06 02:00 | 旧作日本映画感想文 | Comments(0)