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黒沢明「生きものの記録」

 ある「生きもの」の「記録」である。では、その「生きもの」とは、何か。
 核の恐怖におびえる老人である。しかし、演じる三船敏郎は、三十代か四十代か。意外と若い三船が演じるゆえ、実にエネルギッシュに老人になっている。時に大根とも評される三船だが、この映画での黒沢的大熱演を見ると、時とところを得れば、たいへんな名優であることがわかる。
 この「生きもの」はなぜ核の恐怖におびえるか。広島、長崎、第五福竜丸と、日本は<唯一の核被爆国>である。そういうことになっている。しかし、こんにちの視点で見れば、アメリカや中国も自国内で核爆弾の実験を繰り返している。特に中国では、当時漢民族があまり住んでいないウイグルで実験を繰り返し、多くの人々の犠牲があったと聞く。おそらくソ連も同様の実験をしたであろうし、チェルノブイリもあるのだ。近場での実戦である朝鮮戦争、東西冷戦の中の恐怖というものも、あったろう。
 その恐怖を回避する、この「生きもの」の実際の行動はどうか。とにかく日本を脱出して、外国に逃亡する。この一点張りである。どうやら日本が世界一核投下の可能性があるらしい。行き先がブラジルと決まったのも、たまたまブラジル日系人の東野英治郎が来日して、土地を交換出来る運びになったからである。テキトーである。ブラジルには核は落ちないのか。
 この考えは、ぼくたちに、もうひとつのジャンル映画を思い出させる。日活の青春アクション映画、日活の無国籍アクション、日活のムードアクション、日活ニューアクションの数々で、石原裕次郎から藤達也にいたる、当時の二十代の若者たちは、とにかくこの辛気臭い日本から脱出して、ブラジルなど新天地に移住したい、という願望が強かった。「俺は待ってるぜ」の裕次郎が「待ってい」たのは、「早くブラジルへやって来い」という兄からの連絡であった。夢見る若者の、ここでないどこかへ、という切ない願望。
 さあ、だんだんこの「生きもの」の<年齢詐称>が明らかになってきたようだ。
 かなりずさんな一般論を持ち出してみる。いわゆる<老人>が、何十年か住んできた、愛人も何人か持てるような豊かな暮らしも手に入れた、そんな自分のホームベースを未練なく捨て去って、新天地でゼロからの苦労、新規まき直しを自分から提案し実行するだろうか。これは、明らかに青年の発想ではないだろうか。ホームベースにさしたる蓄積もない若者の、夢見る特権なのではないのか。
 壮年期の黒沢が産み出した、この「生きもの」の<老人>は、そんなことはちっとも、悩まない。たとえば、より具体的な危機に日本が襲われる設定の「日本沈没」で、島田正吾演じる老人は、賢人たちのさまざまな日本脱出論を紹介したあと、丹波哲郎首相に、こういう意見もあった、と言う。「何にもせん方がええ」。これこそまさしく<老人>の発想であり、同時に、何かしら日本人の琴線に触れるものがあった。日本人を日本人たらしめるものは、この日本列島の国土というか風土と言っていいか、そこから生まれた固有の民族性であるならば、この土地を離れてさすらえば、もう日本人は日本人でなくなってしまうという、その意味も含め、いわば二重の諦念こそが、あの一言に凝縮していた。
 <老人>と言う設定のこの「生きもの」は、自分が何十年か暮らしたホームベースに、一切の未練は持たない。屈託なく、この土地を離れる。財産を処分して、愛人も含めた一族郎党に同行を説得するだけが残された仕事である。自身になんら迷いもない。自分が捨てていくホームベースへの愛惜もまったく描かれない。まったく異なる風土のブラジルに赴く、それに際し、自分を育んできたこの風土への心残りもない。黒沢は、それら一切を省みない。さらに言えば、目指すべき新天地であるブラジルへの思い入れすらない。このあたりがテキトーでよかろう、といういい加減さ。<歴史>はおろか、<夢>すらないのだ。
 そして、愛人親子も含めた一族郎党を全員連れて行きたいという。日活映画の裕次郎、フジタツたちは、仲のよい仲間と、仲のよい兄弟と、あるいは自分ひとりで、日本脱出を図った。若者の発想に、家族全員で、という選択肢はそもそもないのだから。
 つまり、こういうことだ。<老人>という設定のこの「生きもの」の<正体>は、<老人>とはおもえない、悩み多い、しがらみも多い<壮年>でも、夢見る<青年>でもない。
 かのシャーロック・ホームズの名言、可能性を全てつぶしていって、消去法で残ったものこそが、どんなに意外なものであっても、真実なのだ。
 幼い世界観、一徹な正義感、こうと決めたらそれしか頭にはなくなってしまう一心さ、確固たる歴史も、明確な夢(展望)すらない、郷愁なんてテンからない、さらにいえば、自分の家族だけが世界のすべてであるという非社会性、全てが明らかにその一点を指し示しているではないか。「生きものの記録」は実は「Yの悲劇」であったのか。
 ぼくは黒沢の正義感、世界観は、ついに小学生の域を出なかった、黒沢は年をとって駄目になったといわれがちだが、年の取りようはなかったのだ、と思っている。

by mukashinoeiga | 2009-09-01 10:07 | 黒沢明 黒い沢ほどよく明か | Comments(6)

Commented by ちゃんと見てますか? at 2013-10-10 01:21 x
>ブラジルには核は落ちないのか。

この映画の老人はそう考えた。
実際に、東西両陣営にどちらにも属さないブラジルに核が落ちる可能性は、現在でもほとんどゼロでしょうね。

>そんな自分のホームベースを未練なく捨て去って、新天地でゼロからの苦労、新規まき直しを自分から提案し実行するだろうか。これは、明らかに青年の発想ではないだろうか。

「命あっての物種」というせりふが出てきたはずですが?
そんなホームベースより自分の命を守る方が大事なのは
明らかで、老人も青年も関係ないでしょう?
福島の原発事故で、ホームベースが惜しいから、避難を止めた人がいたでしょうか?

>自分の家族だけが世界のすべてであるという非社会性

工員の一人に、「ブラジルに逃げるあなた達はいいが、工場を焼かれて、日本に残された私たちはどうなるんんですか?」
と問われて「みんなも一緒にブラジルに行こう」と老人は答えてるはずですが?
Commented by その通りです。 at 2013-10-10 19:16 x
>ぼくは黒沢の正義感、世界観は、ついに小学生の域を出なかった、黒沢は年をとって駄目になったといわれがちだが、年の取りようはなかったのだ、と思っている。

全くその通りですね。

何が正しくて何が悪いかなんて、小学生でもわかることですから、年をとる(熟成させる)必要がないんです。
むしろ大人になればなるほど、正義感は後退していって
長いものには巻かれた方が得という事になります。

それでいいんですよ。
きれいごとだけでは生きていけませんから。
Commented by mukashinoeiga at 2013-10-10 23:28
黒沢明「生きものの記録」へのコメント、ありがとうです。
ちゃんと見てますか?さん、ども。
>ブラジルに核が落ちる可能性は、現在でもほとんどゼロ

そうでしょうね。しかし三船は、そういう可能性ゼロだからブラジルを選んだわけではなく、たまたまです。他の国にという実現可能な選択肢は示されていません。ここに「日本以外ならどこにでも」という時代のエートスにも合致した、反日気分がかぎとれはしないでしょうか。ぼくのほうの文ですが、
>さらに言えば、目指すべき新天地であるブラジルへの思い入れすらない。このあたりがテキトーでよかろう、といういい加減さ。<歴史>はおろか、<夢>すらないのだ。

 ここら辺が、お花畑のお花畑たるゆえんですね。なお日活アクションでもブラジルは大人気です。黒沢も、単なるエートスに毒されていた凡人というわけです。
 長くなったので、続きます。
Commented by mukashinoeiga at 2013-10-10 23:32
ちゃんと見てますか?さん、ども。
 長文になり、コメント投稿を拒否されたので、続きです。

>福島の原発事故で、ホームベースが惜しいから、避難を止めた人がいたでしょうか?

 お得意の?非対称論点すり替えですね。すでに被害にあった福島の人たちがホームベースを逃げ出すのと、まだ被害にあっていないのに逃げ出す三船とは、どう釣り合うのでしょうか。
いい加減、お花畑に気づくべきでは。

>工員に問われて「みんなも一緒にブラジルに行こう」と老人は答えてるはずですが?

 でも、家族へのように、強力に説得したり、強要はしていませんよね。付いてきたいなら付いて来いよ、というその場限りの口先論。こういうのを口からでまかせのアリバイ発言というのです。ちゃんと見てますか?さんは、木を見て森を見ないタイプと違いますか?
Commented by mukashinoeiga at 2013-10-10 23:50
黒沢明「生きものの記録」へのコメント、ありがとうです。
その通りです。さん、ども。
 続けてコメントがあったので、同じ方からの連投かと思ってしまいました(笑)。でも、趣旨は反対のようで。
長いものには巻かれた方が得かどうかは知りませんが(笑)、

>きれいごとだけでは生きていけませんから。

でも、そのきれいごと(脳内お花畑)でしか現実を見ない方たちが、本作の三船、民主党、左翼、護憲派、代替エネルギーを開発すればモウマンタイ、なかたがたで、多すぎて困っているんですけどね。
 きれいごとで生きたいなら、そのきれいごとに説得力を持たせてくれ、と。根拠がないからきれいごと、が多すぎる(笑)。
Commented by mukashinoeiga at 2013-10-11 00:23
ちょっと言葉が足りませんでした。申し訳ない。ちゃんと見てますか?さん、ども。

 黒沢明の正義感・倫理観=小学生の優等生の模範作文
=「理想」だけ見て現実を見ない「脳内お花畑」
=「べき」論だけで「便器」がない? よく原発を「トイレがないマンション」といいますが、反原発派のマンションにも、また、トイレがない。反原発派の、原発に対する憎悪は、実は近親憎悪なのではないか(笑)。
=原発推進派も反原発派も、木を見て森を見ないことに変わりはないのではないか。と、上から目線なエラそうな結論で失礼。妄言多謝。
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