山本薩夫「田園交響楽」

 京橋にて。「逝ける映画人を偲んで 2007-2008」特集。38年・東宝。
 もちろんヤマサツ追悼ではなくて、音楽・服部正追悼である。
 猛吹雪の夜、馬車で家に帰る途中の高潔な人格者(高田稔)は、雪宿りの貧しいあばら家で、盲目の少女(原節)と出会い、引き取る。世話を焼いて、教育を施すと、少女は聡明な美少女として、男の心を捉える。手術して直せる目も、このままの盲目でもいいのではないか、とも思ってしまう今日この頃。ずっと、世話をして、慕われ続けだい、と直裁に思うわけではないが・・・・。
 後年、バリバリの左翼なのにもかかわらず、なぜか映画を作ると、右翼的心情の持ち主ばかりかっこよく見える映画ばかりになってしまう、ヤマサツ。
本作を見て、なんとなくわかったわ(笑)。
つまり、人格者高田稔は、妻子がありながら原節の魅力にめろめろになって、心が揺れ動く。ついには、人道主義も揺らいで、いずれはこの少女の目も手術で開いて見せよう、という本来の決意も揺らいでしまう。いっそ盲目のまま手元において置こうって、あんた、谷崎かっ。あら、前の黒沢明「静かなる決闘」の口調が、まだ残ってるわっ。
 つまり、こういうことよ、ヤマサツは師匠・成瀬と違って、揺れ動く心の人、中途半端な奴を、描くのが下手なのよ。左翼ってのは、基本的に、揺れ動く人なのよ、中途半端な思想の持ち主なのよ、ダブル・スタンダードを心の中に持っているから、常にぶれるわけよ。
 そういう心情を描くと、たとえば成瀬は輝くんだけど、その助監督だったヤマサツは、そういうニュアンスの人は、あんまりうまく描けないわけね。だから、おそらくこと志と外れると思うんだけど、まったく揺ぎ無い心情の持ち主、右翼方面の人たちを映画では美化してしまうわけなのね。ああ、左翼の人たちも、揺るがない人はいるんだけど、そういう左翼は大体虐殺に走りますからね。ダブスタに骨がらみになった人たち。
 映画に話を戻すと、この映画、美女原節の顔のアップアップアップがすさまじい。この年代の映画としては、まさしくアップアップの洪水。珍しいと思う。原節のプロモと間違いかねないほど。
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by mukashinoeiga | 2009-08-19 22:14 | 山本薩夫傷だらけの左傾山河 | Trackback | Comments(0)

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