成瀬る6  成瀬における交通事故

 タイトルの『限りなき鋪道』(1934・原作北村小松・脚色池田実三)は、二人のヒロインが働くカフェがある銀座をさしていることは明らかだ。この映画が撮影された1930年代のモダン都市文学や軟派ジャーナリズムであれば鋪道にペーブメントとルビを振ったことだろう。もちろん日本で当時ペーブメントといえば、銀ブラ族の聖地銀座のみを指していたのは言うまでもない。また、同じ男を巡ったさや当てはしないが、この映画も成瀬映画おなじみのダブル・ヒロインだ。
 そしてこれまた成瀬映画おなじみの交通事故。車に当たったヒロインは軽症ですむが、この事故によって恋人と別れ、「轢いた」男と出会い、結婚することになる。遺作『乱れ雲』にまでいたる成瀬パターンがすでにして登場している。成瀬以外では考えられないすごい展開ともいえるし、第二次世界大戦後の勝者としてのアメリカと敗者としての日本を考えると、なんだ同じじゃん、とも思う。
 轢いた男と轢かれた女。してみれば、「車道」が男で、「鋪道」は女の比喩であることは、成瀬映画的には「道理」というべきではないか。成瀬的交通事故とは、女こどもの領域である「鋪道」から不用意に外れてしまうことの悲劇であるのだろう。夫を交通事故で亡くしてしまう司葉子が妊娠中であるのも(『乱れ雲』)、婚外不倫している司葉子が子供を轢いてしまうのも(『ひき逃げ』)、あるいは成瀬的必然なのだろう。
 成瀬映画には交通事故(『腰弁頑張れ』『妻として女として』の踏切事故を含む)が頻発する印象があるが、鋪道と車道の地政学だったのか。女性性の領域を外れて、男と恋することによる女の不幸とも、重なり合う。
 もうひとつは、たぶん、因果関係の存在しない不意の悲劇=成瀬好みの急激な場面転換、というものであろうか。因果があっては、映画がもさもさする。成瀬映画の「流れる」ようなスピードを停滞させてしまう。
 この映画は、婚家の姑・小姑にいびられて、しかし、弱い夫はちっとも嫁の味方にならないという、『女人哀愁』パターン。いわゆる女の悲劇モノなのだが、悲劇でも楽しいのが成瀬映画の常、暗さを一人で救っているのが、ヒロインの友人になる日守新一ことヒモリン。街の似顔絵描きから映画撮影所の美術部に転職する。この撮影所が自由が丘にある、というのが笑える。
 蒲田映画の本作を最後に松竹を退社し、砧のPCLに移る成瀬としては、この自由が丘撮影所という設定はきわめて微妙で。蒲田から東急圏内で、なおかつ蒲田より砧寄り? 転社予告か切ない脱出願望の表出か。しかしこのヒモリンのファース部分が余りに楽しいので「ヒモリンの底抜け撮影所」なんてのも見てみたかったなあ。この美術助手ヒモリンに、小道具助手として蒲田入りした成瀬を垣間見るのは成瀬びいきゆえのこと。
 『限りなき鋪道』一般的にはイマイチ、という評価なのだが、ぼくは意外に好きだ。かなり佳作では。面白い。ヒロイン忍節子はなんかイマイチだなあ、と見ていても、さいご離婚して、なんか面構えというか眼が良くなってる。凛とした表情が良い。
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by mukashinoeiga | 2009-07-19 11:24 | 成瀬巳喜男映画の正体成瀬る | Trackback | Comments(0)

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