京橋にて。「映画女優 香川京子」特集。61年、東宝。
村山英治「日本の美術工芸 その手わざと美」が短編ゆえの、同時上映。ついで見だが、てっきり再見だと思っていたら、初見だった。いつもと逆パターン。たぶんリメイクのほうの印象ゆえだろう。
特技監督は、もちろん円谷英二。
原作(未読)は、中村真一郎・福永武彦・堀田善衛の、純文トリオとは、ちと、大げさな。
謎の孤島を探検、<珍獣>捕獲、見世物興行、見せ場の高層建築との「からみ」(エンパイア・ステートビルが東京タワーに)など、あからさまに、
メリアン・C・クーパー他「キングコング」(1933)の、パクリやないかい。
「キングコング」の、<醜い野獣>の、美女への執着という<変態性(欲)>暗喩が、<双子の小美人>に変奏される。手のひらサイズの小美人というのが、何がしかの変態性を垣間見せる。
アメリカお得意の大きいモノ志向から、日本の縮み志向への変奏という、わかり易さ?
もちろん、キングコングの手の中のフェイ・レイが、そのイメージの原点だろう。
まあ、ザ・ピーナッツが、美人、というのは、多少無理があるのだが(笑)、ちっちゃくて、ふるふるおびえていて、しかもうりふたつ双子というのが、小美人それらしさ?を偽装する。あえていえば、ジョン・ウォーターズ清潔?版の、フリークス性を感じますな。
「モスラ」の「モスラ」たるゆえんは、いささか不細工な毛虫のお化けにあるのではなく、ふるふるふるえている、双子の小美人のヴァルネラビリティ(被攻撃誘発性、思い切り平たく言えば、いじめられっ子体質か)、愛らしく、可愛らしく、しかし、ふるふる震えている、妖精のような、小動物のような。
ただ、ただ、モスラが、助けに来てくれるのを、確信を持って、まっている。
男性性のキングコングから、女性性のモスラ/小美人へ。
と、ここまで書いて、かなり有名な映画の感想を書くのに、怪獣映画にはあまり詳しくないぼくは、ひょっとして、怪獣マニアから見たら、頓珍漢な感想を書くのではないかと危惧して(笑)、「モスラ 感想」で検索(笑)。
そうすると、リメイクや、のちのシリーズもの(の感想)ばかりがヒットして、なかなかオリジナル(の感想)にたどり着けない。オリジナルを大切にしない国だからなあ、と、ぶつぶついいつつ、ふと、ヘンなサイトを発見。
なにがヘンかというと、映画のブログではなくて、セクシャリティに関するブログの掲示板らしい。どうやら、30代のヴァージンがどうたら、という、男性におくてな女性のブログの掲示板らしいモノに、ヒットしたようだ。
で、男におくてで、かつ耳年増の女性が、男性の性的突起物を、初めて、実際に、目にした瞬間に、感じるのは、「意外と可愛い」(笑)というもので、どうやら耳年増な女性は、男のそれを、かなりグロテスクな外観のものと、妄想しているのが、いざ実物を見たら、「意外と可愛い」というような?ページらしい(たぶん、この掲示板の方が見たら、きわめて不適切な説明)。
で、掲示板のある発言者が、男性の性的突起物を、「モスラ」と愛称にしたことから、ぼくの「モスラ 感想」検索にヒットしたようなのだ。男性のおちんちんの呼び方を、モスラにたとえ、意外にその掲示板で受けて、みんなが、「男のアレ」を「モスラ」と、呼び合うようになった、と。
モスラの姿には、二種類ある。幼虫時代の芋虫状態と、成虫後の、羽ばさばさの巨大蛾。
男性器の愛称となったのは、もちろん幼虫期の芋虫状態のほうで、成虫後は、わりと女性的な蛾の姿になる。
・…おお、そうか。「モスラ」という怪獣は、前期男性性、後期女性性の生きものだったのだ。つまり、この映画は、
MTF怪獣モスラを主役とした、トランスセクシャル怪獣映画なのではないか(笑)。
特に、のちのカラー・リメイク版では、成虫後モスラは、まるで、ドラァグ・クイーンのように、デヴァインのように、マツコ・デラックスのように、毒々しいまでのカラー怪獣に変貌するわけだ。
ロリシカ国に属する孤島インファント(乳幼児の意味)島から、島の守り神である妖精姉妹ザ・ピーナッツが、日本に拉致された。もっとも、拉致したのは日本人ではなくて、ロリシカ人の悪漢・ジェリー伊藤である。
インファント島の原住民の、妖精姉妹を助けてほしいという要請ダンスを受けて(原住民ダンス担当は日劇ダンシング・チーム)、巨大
卵の殻を破って、巨大芋虫誕生。
<母なる海>を、さながら男性器のように、ずんずん突き進んで日本へ。
日本へ到達するも、東京タワー(これまた男性器を思わせる突起物)のところで、この東京タワーを中折れして、ここに繭を作る。東京タワーを半分に折る行為は、男性性の否定であり、繭化は、女性化の証であろう。
と、頭の悪い(笑)通俗心理学モロダシの流れ。
男性器そのものの似姿である幼虫モスラは、妖精姉妹の小美人に到達しようと志向して、湿潤な<母なる海>にひたりつつ、男性性を否定して、女性化していく。
そして、日本では、
巨大ダムの水中から出現することに、注目したい(笑)。 巨大ダムというのは、人工的に作られた、人工湖。男性が、人工的な<加工>ののちに、オネエになることの、暗喩なのではないか(バカ)。このダムのシーンでは、フランキー堺が、赤ん坊を危機から救う。
人工湖のダムでの、新しい生命の蘇生こそが、女性化した新しい生命の暗喩でなくて、なんだろう(バカ)。
通常の怪獣映画における怪獣とは、破壊神であり、男性性の象徴であるわけだろうが、本作は、珍しい、トランス・セクシャルな怪獣映画であるわけだ。
コロムビア映画との日米合作であったようで、東宝怪獣モノとしては珍しく、クライマックスは、非日本。白人国ロリシカ国の首都ニューカーク市が舞台。白人国では、大八車で逃げ惑う庶民の姿も撮れず、本多猪四郎としても、切歯扼腕か(笑)。円谷采配の、西洋風の景観ミニチュアも、やっつけ仕事、手抜きが感じられた(ネットで調べたら、急きょ短期間で撮り直しした結果らしい。やはり)。
と、アメリカを模したニューカーク市が舞台(日本部分でも、横田基地が出てくる)なので、ふと気付いたが、東宝怪獣映画では、なぜ、怪獣に、自衛隊とか、海上保安庁しか、対応しないのだろう。<圧倒的な日本の危機>に、なぜ在日米軍も、出てこないのか。本作なら、特にロリシカ人の悪漢も絡んで、モスラの破壊が進んでいく。ここは、当然、在日ロリシカ軍も、出張って当然の状況ではないか。
というのも、ロリシカ人悪漢追跡には、日本の警官にMPが帯同している(あるいは、MPに日本の制服警官が帯同、か)。
モスラが横田基地(周辺か)通過なら、当然在日ロリシカ軍は応戦すべきだろう。在日米軍がいるのは、まことに不都合な状況(自国防衛が自前では出来ないという不幸)だが、その現実を無視して、自衛隊しか、出さない東宝映画も、また、不都合だろう。
ところで、これを見たのは、香川京子特集。最後にふれるが(笑)、人間側主演が、新聞記者・フランキー堺。その同僚カメラ記者が香川。
美人女優なら誰でもいい、という扱いだが、香川の怪獣映画への出演は珍しく、海外での展開を考えて、黒沢・溝口など巨匠たち(国際映画祭の花形たち)に、出演した女優というプレミアム感ゆえの出演か。
見せ場的には平凡で、特にどうこうする演技でもない。
むしろ、
生フィギュア感濃厚な小美人ザ・ピーナッツの、おたく趣味の始祖みたいな、<異様感>が、際立つようなのは、後出しじゃんけんか。
●追記●ネット検索によれば、原作の
ロシリカ国表記が映画版では
ロリシカ国に変更されたという。
ロシリカは、ロシア+アメリカの合成語。日米合作のアメリカ側としては、ロシアと一緒にするない、という不快感があってのことと推測するが、であるならば、後出しじゃんけん的に言えば、ロリシカは、ロリータ+ナウシカか。ナウシカの巨大芋虫?オウムは、モスラ芋虫が、発想の原点か、ともネットにかかれている。ロリータ+ナウシカ。うーん、なんとなく「モスラ」に似つかわしいネーミングで(笑)。
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